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2008.02.08

東京より帰洛、四条で啓示をえる

2/7(木)はれ

 東京滞在2日目。
 朝起きたら雪がつもっていた。
 知らんまに降っていたのだ。

 すべらないように気をつけて町田駅へむかう。
 国立公文書館をめざす。

 歴史作家のおなじみの桐野作人さんが、今回の調査に同行してくださることになった。
 ありがたくってならない。

 ここからの詳細は、すでに桐野作人さんのブログ「膏肓記」に記載がある。
 (←)そちらを御覧ください。
 そのとおりです。

 目的は達せられなかったが、「ない」ことがわかった意義も無視できない。
 わずか半日で国立公文書館(内閣文庫)、国会図書館(憲政資料室)の両方訪ねられたのは、ひとえに桐野さんの手際よいご案内のおかげである。

 それに篤姫と近衛家の関係を知る未知の史料が眠っていることも知った。
 すばらしい。
 またネタがふえた。

 あわただしすぎて、食事はおろかお茶をするヒマもなくお別れした。
 が、得ること大であった。

 近世京都の大名論、また新しい問題意識をもらえた。
 ありがとうございました。

 2時50分、東京駅をたつ。
 おそい昼食を車内でとる。
 
 車内でコーヒーをいただきながら、ほぼずっと寝ていた。
 疲れているらしい。

 各所から督促あり。
 しなければいけないことができていない。
 したいことなんか、ずっとあとまわし。

 こんなことでいいのか。
 生き方としておかしくないか、と次の目的地をあるいていたら、見知った人とすれちがった。

 高校の恩師K先生だ。
 おもわずお声をかける。
 わずか数秒の立ち話。

 実は、僕がはじめてお目にかかった専門の日本史研究者(民俗学)である。

 高校のとき、新人物往来社の読み下しだが、「吾妻鏡」を原典ではじめてみせてもらった。
 そんなものを個人でもっておられることが驚きで、いまも鮮明に覚えている。

 卒業後、掲載された論文や共著を頂戴した。
 富士信仰のご研究なのだが、読んでも何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。

 大学院を修了したのち、思い出したように拝見したとき、ようやく意味がとれた。
 知らないまに自分の学習が進んでいたことを知った瞬間だった。
 これまたよく覚えている。うれしかったのだ。

 なんら具体的ではないが、将来研究者になりたいと思っていたころにお世話になった先生だ。
 いまフリーではあるが研究者として1人だちできている。
 人にたよることなく、充分の収入で食えている。
 あのころ願ったことが現実化している。

 先生とばったりお目にかかって、思い出した。
 願いがかなっているのに何をぐずぐずいっているのか。
 猛省した。
 啓示かとおもった。

 祇園新橋の某所で、某会の例会に出席。
 タイトル「建て忘れた京都の石碑」。
 あるまとまった石碑群のはなし。

 それを再建すべきだという従来の思いをのべる。
 とても関心をいだいてくださった。
 何かがおきるかも知れない。

 すこしビールをいただいたが、すぐ帰宅。
 某大学から矢のように催促をうけたテストの採点をする。

 明日はまた「鞆ノ浦」(広島県福山市)出張だ。

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