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2008.02.10

鞆ノ浦で三条実美をあつく論ず

2/9(土)小雨
 鞆に滞在中。
 午前10時から、国重要文化財「太田家住宅」(県史蹟「鞆七卿落遺跡」)で、三条実美のおはなしをする。
 お招きくださったのは、太田家住宅を守る会代表の大井幹雄さん。

 建物のなか、ひな人形がたくさん。

 参加者募集いっぱいの35名以上。
 もちろん地元の方が多いのだが、すくなくとも京都からお2人おこしだった(中村ゼミの常連さん)。
 よくぞここまでおいでくださいました。

 鞆ノ浦は三条実美ら七卿がすくなくとも2回滞在している。
 1度は文久3年(1863)8月の政変の直後、京都から周防三田尻へむかう途中。
 
 2度目は翌元治元年(1864)7月、長州の上洛戦の際、後続部隊に所属し京都へむかう途中。
 が、京都にたっする前に「禁門の変」がおきて、先発隊が壊滅。
 ゆえに鞆付近でユーターンする。

 このいずれにも休憩所として使用されたのが旧中村吉兵衛邸。

(1度目の出典は、東久世通禧・田中有美『七卿回天史絵巻(旧書名「三条実美公履歴」)』71ページ、マツノ書店、1994年)

(2度目の出典は、『尾崎三良自叙略伝』上、67ページ、中公文庫、1980年)

 それが、国重文太田家住宅(県史蹟鞆七卿落遺跡)として現存。
 そこを会場とされた。

 七卿が座ったであろう部屋で、「三条が、東久世通禧が」と述べる光栄。
 忘れがたい日となった。

 これまでほとんど関心をもたれていなかった三条実美について、近年実証的研究が進んだ。

  笹部昌利「幕末期公家の政治意識形成とその転回―三条実美を素材に」(『佛教大学総合研究所紀要』8号、2001年)

  仙波ひとみ「『国事御用掛』考」(『日本史研究』520、2005年)
  同      「幕末朝廷における近臣―その政治的活躍のメカニズム」(家近良樹編『もうひとつの明治維新』有志舎、2006年)
などだ。

 今回大きく依存、勉強させていただいた。

 が、大物三条を語るには、なんといっても時間がたりなかった。
 今回はほとんど七卿落までで終わってしまった。
 流浪中の重要性については、また機会をあらためたいと思っている。

 山陽新聞と中国新聞の記者がおこしだったので、明日の朝刊に載るのではないか。

 終了後も熱心な参加者と懇談。
 大井幹雄さんのご好意で、普段非公開の朝宗亭も立ち入らせていただいた。

 終了後、「龍馬の宿」へ。
 NPO法人鞆まちづくり工房の松居秀子さんを尋ねる。
 本日の講演もおこしいただいていた。
 
 喫茶しながら、鞆港の埋め立て架橋計画問題の現状をうかがう。
 まことにあぶない状態。

 今回白紙の反対署名用紙をたくさんあずかってきた。
 各所でご署名をお願いすると思いますが、どうかご協力をお願いいたします。
 
 もう一泊して、いろいろしたかったが、締め切りすぎて矢のような催促をうけているものが少なくない。
 帰洛をいそぐ。
 バスや電車のなかでひたすらグーグー寝る。

 京都についてびっくり。
 北大路通の歩道に雪が積もっていた。

 日中に大量の降雪があったらしい。
 そのすごさが想像できた。

 そういえば、新幹線のなかで電車到着おくれが知らせていた。
 ぴんときていなかった。

 在京してなくてよかった。
 おそらく動きがとりにくかっただろう。

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