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2008.02.29

木曜クラブの広瀬繁明氏から玉稿を拝受

2/28(木)
 広瀬繁明氏(木曜クラブ)から、以下の玉稿を拝受した。

①「関野貞の朝鮮古墳調査」(高橋潔氏・山本雅和氏との共著、藤井恵介氏ほか編『関野貞アジア踏査』東京大学総合博物館、2005年6月)

②「ドイツ連邦共和国の旧石器時代関連施設を訪ねて」(『旧石器考古学』69、旧石器文化談話会編、2007年11月)
 
 木曜クラブは考古学史を研究する団体で、僕も以前集中的に参加させていただいたことがある。
 「史蹟」がどのように誕生するかに関心がある者として、実に得がたい情報を発信してくださる。

 広瀬繁明氏はその主要メンバーで、多くの元気をくださる方だ。
 先日、ばったりB教大学キャンパス内でばったりお目にかかり、日ごろのご無沙汰をわびた。
 そのときたまたま名刺をもっていなかったので、あらためてお送りしますといった。

 で、現住所のご連絡に、近刊の小文などをそえてご郵送したところ、上記の玉稿をお届けくださったといわけ。
 あつく御礼申し上げ、ご紹介いたします。

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2008.02.28

洛中洛外への建碑、現実にむかう

2/27(水)はれ夜ゆき
 午前中、Uさんの紹介で総務のKさんとY石材店を訪問。
 建碑のご相談をする。
 いろいろ勉強になった。具体的なイメージがわいてきた。

 午後、Kさんと伏見へ。
 伏見の某所の建碑予定地へお願いにあがる。

 窓口の方々、みなさん好意的に対応くださり、感激。
 よい結果になるといいなあ。

 Kさんとわかれたのち、単身、東山区の別の建碑予定地へいく。
 こちらはすでに了解ずみ。
 が、敷地がせまいため、小さい碑にならざるをえない。
 それが可能かどうかわからなかったので、しばらく放置していた。

 本日、Y石材店から充分可能であることを教えてもらったので、気がせいて現地へ行ったというわけ。

 ご主人、気持ちを変えられることなく、ありがたし。
 せっかくである。
 解説板も設置したいことを申し上げる。
 こちらもOK。

 うかれた気分で、辞去。
 雪がふりだしていた。

 夢みていた建碑のいくつかが現実にむかっている。
 本当に夢のよう。
 なんにもできない自分をなさけなく思っていたが、誰もがしなかったことをいましようとしている。
 
 久しぶりに思った。
 願いはかならずかなう。

 今日という日は、ほんとうに大きな力をいただけた。
 他の懸案事項も頑張れば実現するかも知れない。

 仕事帰りのH氏をつかまえ、本日の報告をいたす。

 歩きすぎて、靴がやられた。
 靴底に穴があいてしまった。

 寺町通であらたに買い求める。

 靴に高費を投入することに関心がなく、けっこうな安靴ばかりはいてきた。
 が、歩きたおす生活をするものに、良質の靴は不可欠とわかってきた。

 だから今回ははじめて、「ちゃんとした靴」を買った。
 足の形状もていねいにはかってもらって、合うように矯正してもらった。
 たしかに楽な感じがする。
 新靴なのに、足がいたくない。
 すばらしい。
 高いだけある。

 僕以外、入店者すくなく、来られてもみな買わずに帰られる。
 やっぱり高級店なのだろうか。
 気にしすぎか。

 帰ってまた仕事。
 またいろんな締め切りが襲ってきている。

 やっぱり確定申告の1週間はもったいなかった。

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2008.02.26

確定申告おわる

2/25(月)はれ
 ついに確定申告終わった。
 今回は時間がかかった。

 が、たいそう勉強になった。
 まだしばらくは生きる。
 後半生のための有益な授業時間だった。

 とはいうものの、この1週間が懸案のことにつかえていたら、どれほど良かったか。
 それも惜しまれる。

 さあ、また明日から再出発だ。

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2008.02.24

楠葉台場跡から池田屋事件ゆかりの地へ移り夕食

2/23(土)くもりのちゆき
 河内国の楠葉台場跡(大阪府枚方市)の現地説明会にいく。
 幕末畿内地方の攘夷問題に大きくかかわる旧蹟。

 僕の大事なコネタだった。
 昨年、名古屋の朝日カルチャーセンターの40人の人々を案内したことさえある。
 
 良好な遺構が地表面に残っていた。
 が、文化財の指定を受けていなかった。
 あぶないと思っていた。
 
 今回、同市は国庫補助をうけて、2年計画で調査を行う。
 国史蹟として保護されるのではないか。
 大きく期待したい。

 それにしても1日3回の現地説明会があったにもかかわらず、100人ほどの参加者しかなかった由。
 なんということだ。

 京都防衛の大事な拠点である。
 だから当日とはいえ、京都新聞朝刊に載ったのだ。

 京都市内の方々、もっと関心をもってください。

 夜は、池田屋事件戦死者の菩提寺(三縁寺)跡をのぞむ創作和食の店でディナー。
 大雪がふる。
 ながめが実によい。
 幻想的でさえあった。

 講談社現代新書『池田屋事件』が出たら、ここでお祝いだな。

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2008.02.23

町田明広氏と龍馬で維新を語る

2/22(金)はれ
 あたたかい日。そろそろ春か。

 まだ確定申告、奮闘中。
 が、だいぶわかってきた。
 楽しくさえなってきた。

 「知れる」ってうれしいものだ。

 山陽新聞福山支社の西崎哲也氏から、先日の鞆での講演の掲載紙が届く(2月10日付朝刊)。
 大き目の記事で、僕が写真に写っていた。
 送ってくださりありがとうございました。

 夜、東京からご出張中の維新史研究者、町田明広氏とお目にかかる。
 僕のなじみのお寿司屋さんと、木屋町三条のいつもの「龍馬」で、かなり濃い維新史談義。

 「寺田屋の一室で維新は生まれた」とは誰かがいったことばだが、「龍馬のカウンターで維新史研究は進んだ」とは僕のひとこと。
 
 ここでも建碑計画が進められている。
 京都に複数のお龍の標石を建てるつもり。
 千円寄付をした。

 今年は京都建碑イヤーだ。

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2008.02.21

確定申告になやむ

 この数日、確定申告になやまされている。
 大事な時間がつぶされる。
 困る。

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2008.02.19

嵯峨野で紫野・鷹峯をかたり建碑がきまる

2/17(日)小雪
 午前11時から嵯峨野学芸倶楽部(主催:伝統プロデュース連)に出講。

 「京都郊外のものがたり」の第2回。
 紫野・鷹峯地区をあつかう。

 紫野・鷹峯はいずれも現在京都市北区である。
 郊外じゃないじゃないか、といわれると思う。

 でも両者とも、近代にはいっても愛宕郡の村だった。
 京都の都市域ではなかった。
 だから。

 この理屈でいくと、山科・醍醐も当然郊外だ。
 実はつぎは「山科・醍醐」のおはなし。

 今回も20人を超過。
 黒字だと思う。ありがたいなあ。

 僕の専門地域だったから、とても詳しくなり、半分もおわらなかった。
 いつか後編をします、と泣く泣く終わらせる。

 終了後、また有志と近くのコーヒー店「スマート」で懇親会。
 ほとんどが「中村武生ゼミ」(旧京都史蹟隊)メンバー。

 ここで、また建碑が決まる。
 諸条件がそろっている。

 おそらくこれが中村ゼミ(旧京都史蹟隊)による建碑第1号になるだろう。
 詳細はまたいつか。

 夜はまた旧U郡D村に。

 事務的な打ち合わせ。
 3時間半もかかる。

 へろへろになりながら帰宅。
 それでも仕事を再開。
 京都検定日めくりドリル、2問だけつくって送る。
 ここで力つきる。

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2008.02.16

古高俊太郎と龍馬と鞆ノ浦

2/15(金)
 午前中、第11回「洛洛歩考会」見学ガイドの原稿、やっとしあげる。
 担当Yさんにおくる。
 
 午後から「くずし字入門」に出講。
 また古高俊太郎(升屋喜右衛門)関係文書をよむ。
 先代(先々代?)がらみの訴訟。
 
 終了後、さきほど原稿をおくったYさんがキャンパスプラザへおこし。
 先日2時間半こもってゲラに加筆したが、それを修正して持参される。

 今回は720人も応募があった由。
 定員は200名。
 500名も落選するのか。

 午後5時、木屋町三条下ル「龍馬」につく。
 6時から龍馬講座。
 今日からプロジェクターが使えるようになった由。
 その接続のため、早めにいく。

 お見事。
 ちゃんと映った。
 すばらしい。
 これでこれからスライド上映しながら、はなしができる。

 ネタは鞆ノ浦の現状紹介。
 バイパスによって景観が破壊されようとしている。

 しまった、署名してもらうの忘れてた。

 終了後残って、たこ焼きパーティに参加。
 理事長赤尾さんから、龍馬にかんするある稀覯本を見せられる。

 はじめ気づかなかったけれど、これは昨年「京都の江戸時代をあるく」寺田屋稿に没頭していたとき、探したけどついに手に入らなかったものではないか。
 びっくり。

 あっさり貸してくださる。
 さすがは理事長赤尾さん。

 『京都の江戸時代をあるく』刊行前の原稿整理中。
 まだまにあう。
 役にたつか。

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2008.02.15

「篤姫の7日間」解明へ1歩

2/14(木)
 朝、陽明文庫(京都市右京区)に電話。
 いうまでもない。
 近衛家の史料館である。

 文庫長、名和修先生とお話できる。
 「篤姫の7日間」解明の目的で、同文庫の史料閲覧の希望を出していた。

 快諾くださった。
 来月です。楽しみです。

 京都新聞文化センターに出講。

 「篤姫」講座。
 近衛家と島津家の関係についてのべる。

 小松帯刀の京屋敷についての新見解を披露。
 だいぶ事実にちかづいたと思う。

 バレンタインデー。
 義理チョコ(だろう)をふたついただく。

 本命はいただけなかった(まあ、いいのだが)。

 夜、某フランス料理店でディナーをする。

 実は、知られざる幕末史蹟。
 「最後の幕末史蹟」とよんでいる。
 ランチはしたことがあるが、ディナーははじめて。
 
 安くはないが、店内満員。
 みんなお金もちだなあ。

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2008.02.14

積雪のなか紫式部を墓参する

2/13(水)
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 えらい大雪でした。

 ずっと家に籠もりたかったが、採点おわったものを郵便局にもって行かないといけないのと、支払いで区役所にも行かないといけなかったから外出した。

 健康にもよく、気持ちもよかった。

 途中、紫式部墓の前を通りかかった。
 そういえば今週、日めくりドリルで出題させてもらった(たぶん明日2/14分)。

 だから墓参する。
 雪がつもっていた(写真)。

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2008.02.13

コピー機にきらわれて足利義満の皇位簒奪をはなす

2/12(火)小雨
 「基礎から学ぶ日本歴史」に出講。

 途中で本日配布のプリント、コピーをこころみるも、各所で問題おこる。
 1ヵ所目はお金を入れているのに、「足りません」と表示がでる。
 職員さんをお呼びすると、説明書を読み出される始末。

 こりゃ、時間かかるわ。
 あきらめて2軒目へむかう。

 2軒目は動くんだけど、A3用紙がない。
 これ以上は時間がない。
 ゆえにB4を使用。
 
 いつもとサイズがちがうので、受講者に謝罪。
 
 本日も前回につづき、足利義満のはなし。
 今谷明さんの皇位簒奪論のご紹介(『室町の王権』中公新書など)。

 終わると、受講者のお2人から建碑のことおはなしあり。
 前進していることよくわかる。
 すばらしい。
 
 つづいて来月実施の「洛洛歩考会」(国土交通省京都事務所主催)担当のYさんの待ち伏せあり。
 参加者に配布する冊子の原稿校正をのぞまれる。
 2時間半ほどこもって、いろいろする。

 午後5時、店の閉店にうながされて終了。

 大谷大学にたちより、テスト採点簿を提出する。
 おそくなってすいません。

 帰宅ののちは別件、仕事。
 しても、しても、仕事が減らない。
 ありがたいことだが、なにか打開策はないものか。

 あ、ひきうけなかったらいいのか。

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2008.02.12

15年ぶりに行った店

2/11(月・祝)はれ
 とてもよい天気。
 今日はふとんを干した。

 祝日である。
 うれしい。仕事の有無と関係なく。

 新聞夕刊が休みになるから。
 連載のストックが減らない。
 かさねてうれしい。

 午後から旧U郡d村・i村・h村の歴覧。
 意義ぶかい成果あり。
 建碑ができないか、考えてみる。

 夜は祝賀会。
 この店、15年前にも来たなあ。

 あの日は就職決定紀念の日だった。
 ぐうぜんだけど、縁ある店だ。

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2008.02.11

京都のなかの幕末薩摩を楽しむ

2/10(日)はれ
 よい天気。
 ふとんを干したら、積雪しているので良くないと注意される。
 なるほど。すぐ入れる。

 久しぶりに外出の仕事がない。
 明日もない。
 実に心がやすらぐ。
 
 ゆえに緊急の提出物完成にたちむかう(まあ採点なんだけど)。
 
 できていないことがまだある。多い。
 みなさま申し訳ありません。

 歴史作家、桐野作人さんからファックス拝受。
 薩摩関係者の京都の居所に関する未知の史料。
 ありがたや、ありがたや。
 
 近世京都の武士論。薩摩が大事なモデルになると気づいたのは桐野さんの博学のおかげ。

 京都おこしやす大学での「篤姫」講座。
 全部で3回あるのだが(同じ内容)、1回目がおわって訂正や増補すべきことだらけ。
 1回目の受講の方には申し訳ないけれど、2回目の見学コースはかなりバージョンアップされる(はず)。
 気になる方は2回目もお越しになられませんか。
 
 夜、「篤姫」をみる。
 違和感があるシーンがあった。

 ただしそれは史実考証上のことではなく、ドラマのもっていきかたのこと。
 だからあえて述べずにいます。

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2008.02.10

鞆ノ浦で三条実美をあつく論ず

2/9(土)小雨
 鞆に滞在中。
 午前10時から、国重要文化財「太田家住宅」(県史蹟「鞆七卿落遺跡」)で、三条実美のおはなしをする。
 お招きくださったのは、太田家住宅を守る会代表の大井幹雄さん。

 建物のなか、ひな人形がたくさん。

 参加者募集いっぱいの35名以上。
 もちろん地元の方が多いのだが、すくなくとも京都からお2人おこしだった(中村ゼミの常連さん)。
 よくぞここまでおいでくださいました。

 鞆ノ浦は三条実美ら七卿がすくなくとも2回滞在している。
 1度は文久3年(1863)8月の政変の直後、京都から周防三田尻へむかう途中。
 
 2度目は翌元治元年(1864)7月、長州の上洛戦の際、後続部隊に所属し京都へむかう途中。
 が、京都にたっする前に「禁門の変」がおきて、先発隊が壊滅。
 ゆえに鞆付近でユーターンする。

 このいずれにも休憩所として使用されたのが旧中村吉兵衛邸。

(1度目の出典は、東久世通禧・田中有美『七卿回天史絵巻(旧書名「三条実美公履歴」)』71ページ、マツノ書店、1994年)

(2度目の出典は、『尾崎三良自叙略伝』上、67ページ、中公文庫、1980年)

 それが、国重文太田家住宅(県史蹟鞆七卿落遺跡)として現存。
 そこを会場とされた。

 七卿が座ったであろう部屋で、「三条が、東久世通禧が」と述べる光栄。
 忘れがたい日となった。

 これまでほとんど関心をもたれていなかった三条実美について、近年実証的研究が進んだ。

  笹部昌利「幕末期公家の政治意識形成とその転回―三条実美を素材に」(『佛教大学総合研究所紀要』8号、2001年)

  仙波ひとみ「『国事御用掛』考」(『日本史研究』520、2005年)
  同      「幕末朝廷における近臣―その政治的活躍のメカニズム」(家近良樹編『もうひとつの明治維新』有志舎、2006年)
などだ。

 今回大きく依存、勉強させていただいた。

 が、大物三条を語るには、なんといっても時間がたりなかった。
 今回はほとんど七卿落までで終わってしまった。
 流浪中の重要性については、また機会をあらためたいと思っている。

 山陽新聞と中国新聞の記者がおこしだったので、明日の朝刊に載るのではないか。

 終了後も熱心な参加者と懇談。
 大井幹雄さんのご好意で、普段非公開の朝宗亭も立ち入らせていただいた。

 終了後、「龍馬の宿」へ。
 NPO法人鞆まちづくり工房の松居秀子さんを尋ねる。
 本日の講演もおこしいただいていた。
 
 喫茶しながら、鞆港の埋め立て架橋計画問題の現状をうかがう。
 まことにあぶない状態。

 今回白紙の反対署名用紙をたくさんあずかってきた。
 各所でご署名をお願いすると思いますが、どうかご協力をお願いいたします。
 
 もう一泊して、いろいろしたかったが、締め切りすぎて矢のような催促をうけているものが少なくない。
 帰洛をいそぐ。
 バスや電車のなかでひたすらグーグー寝る。

 京都についてびっくり。
 北大路通の歩道に雪が積もっていた。

 日中に大量の降雪があったらしい。
 そのすごさが想像できた。

 そういえば、新幹線のなかで電車到着おくれが知らせていた。
 ぴんときていなかった。

 在京してなくてよかった。
 おそらく動きがとりにくかっただろう。

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2008.02.09

ある商人との出会いに感激し夜鞆ノ浦に入る

2/8(金)
 午前中、あるものを買いに行く。
 すこし高価なもので、現金をにぎりしめて。
 商談は成立した。

 が、そのものが手に入るよりも、いい出会いがあった。
 その「商人」だ。
 濃密な人だった。
 この出会いを大事にしたいと思った。

 感激のまま、京都駅前キャンパスプラザへ。
 くずし字入門に出講。

 前回予告したように、大高又次郎論をのべる。
 語りすぎて、くずし字を読む時間がなくなった。
 本日配布のプリントは次回まわしになった。
 こんな日がたまにある。

 終了後、JR西日本の機関誌の原稿のこと、打ち合わせ。
 30分ほどできりあげていただく。

 帰宅し、鞆ノ浦での三条実美論のレジュメをつくる。
 JR福山駅から鞆ノ浦への最終バスにまにあうように家を出る。
 午後7時30分ごろの京都駅発の新幹線。

 ぎりぎりまにあった。

 JR福山駅着。
 駅前のコンビニでレジュメをコピーし、夕食を買って、最終1つ前のバスに乗る。
 靹にはコンビニがありませんし(たぶん)、この時間では夕食を食べるところもない。

 午後10時ごろ、鞆着。
 入浴後、深夜・未明まで明日のパワーポイントづくり。

 ちなみに今日2月8日は、旧暦の三条実美の誕生日。
 天保8年(1837)丁酉のこと。
 (宮内省図書寮編『三条実美公年譜』復刻版42ページ、宗高書房、1969年)

 縁だなあ。
 
 ただし現暦では、1837年3月14日。
 1836年生まれの篤姫(2月5日)、龍馬(1月3日)よりひとつ年下となる。

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2008.02.08

東京より帰洛、四条で啓示をえる

2/7(木)はれ

 東京滞在2日目。
 朝起きたら雪がつもっていた。
 知らんまに降っていたのだ。

 すべらないように気をつけて町田駅へむかう。
 国立公文書館をめざす。

 歴史作家のおなじみの桐野作人さんが、今回の調査に同行してくださることになった。
 ありがたくってならない。

 ここからの詳細は、すでに桐野作人さんのブログ「膏肓記」に記載がある。
 (←)そちらを御覧ください。
 そのとおりです。

 目的は達せられなかったが、「ない」ことがわかった意義も無視できない。
 わずか半日で国立公文書館(内閣文庫)、国会図書館(憲政資料室)の両方訪ねられたのは、ひとえに桐野さんの手際よいご案内のおかげである。

 それに篤姫と近衛家の関係を知る未知の史料が眠っていることも知った。
 すばらしい。
 またネタがふえた。

 あわただしすぎて、食事はおろかお茶をするヒマもなくお別れした。
 が、得ること大であった。

 近世京都の大名論、また新しい問題意識をもらえた。
 ありがとうございました。

 2時50分、東京駅をたつ。
 おそい昼食を車内でとる。
 
 車内でコーヒーをいただきながら、ほぼずっと寝ていた。
 疲れているらしい。

 各所から督促あり。
 しなければいけないことができていない。
 したいことなんか、ずっとあとまわし。

 こんなことでいいのか。
 生き方としておかしくないか、と次の目的地をあるいていたら、見知った人とすれちがった。

 高校の恩師K先生だ。
 おもわずお声をかける。
 わずか数秒の立ち話。

 実は、僕がはじめてお目にかかった専門の日本史研究者(民俗学)である。

 高校のとき、新人物往来社の読み下しだが、「吾妻鏡」を原典ではじめてみせてもらった。
 そんなものを個人でもっておられることが驚きで、いまも鮮明に覚えている。

 卒業後、掲載された論文や共著を頂戴した。
 富士信仰のご研究なのだが、読んでも何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。

 大学院を修了したのち、思い出したように拝見したとき、ようやく意味がとれた。
 知らないまに自分の学習が進んでいたことを知った瞬間だった。
 これまたよく覚えている。うれしかったのだ。

 なんら具体的ではないが、将来研究者になりたいと思っていたころにお世話になった先生だ。
 いまフリーではあるが研究者として1人だちできている。
 人にたよることなく、充分の収入で食えている。
 あのころ願ったことが現実化している。

 先生とばったりお目にかかって、思い出した。
 願いがかなっているのに何をぐずぐずいっているのか。
 猛省した。
 啓示かとおもった。

 祇園新橋の某所で、某会の例会に出席。
 タイトル「建て忘れた京都の石碑」。
 あるまとまった石碑群のはなし。

 それを再建すべきだという従来の思いをのべる。
 とても関心をいだいてくださった。
 何かがおきるかも知れない。

 すこしビールをいただいたが、すぐ帰宅。
 某大学から矢のように催促をうけたテストの採点をする。

 明日はまた「鞆ノ浦」(広島県福山市)出張だ。

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2008.02.07

東京・町田でまた京都論

2/6(水)
 東京・町田市へ出張。
 いつもの朝日アウトドア講座への京都講義。
 2時~5時ちかくまで。

 また聞き上手のみなさんに支えていただいた。
 今度は世界遺産からもれた良いところ探し。

 そのなかに僕は、大宮八条の遍照心院(大通寺)・六孫王神社をふくめた。
 いまとてもひいきなのだ。

 東京、みぞれ雪で驚いた。
 京都はまったく降っていないのに。

 でも京都からメールがきて、京都も寒いことをしった。
 
 夜、用事で立川市に行った。
 ショップ99をみつけ、びっくりした。
 100円均一ではなく、99円均一の店です。

 京都にはいっぱいあるし、堺市でもみつけたことがある。
 でも関東にあるとは知らなかった。

 が、友人H氏から聞いたところでは、立川市が第1号店があった地らしい。
 2度びっくりだ。発祥地だったのか。

 今日の宿はウイークリーマンションである。
 初めて使用する。

 一般のビジネスホテルとどう違うのだろうと思ったが、いろいろ違っていた。
 部屋が明るいし、電子レンジもあるし、暗証番号で24時間出入り自由だし、キッチンもあった。

 おもしろかった。

 明日は篤姫史料調査で、東京中心部にいく。

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2008.02.06

彦根・長浜・岡山の巡検を考えて京都大人文研にいく

2/5(火)はれ
 朝からゴミを出したり、「京都検定日めくりドリル」の今週末の1問つくって送ったり、昼に出講の「基礎から学ぶ日本歴史」の準備をしたりと多忙。

 すきをみて地形図上で旧U郡I村の地理検討。
 私的に興味深い地域だ。

 基礎から学ぶ日本歴史、本日は南北朝合体。
 またいつものように生の史料をよむ。
 明徳3年(1392)11月の義満の書簡や、「続神皇正統記」などの記事。

 そのあと、JR西日本・ジパング倶楽部の巡検イベントの打ち合わせ。
 5月に彦根・長浜・岡山の3城下町をあるきます(有料)。
 中村的視点での歴史地理探索です。

 くわしくはJR西日本駅改札付近におかれる、『旅のアトリエ』3月号(無料)をごらんください。
 ぜひおこしください。

 さらに夕方、京都大学人文科学研究所の図書館へむかう。
 ある刊本の閲覧・複写のため。

 有名な幕末の人物の日記なのに、近畿ではここにしかない(はず)。
 それでも大学図書館の横のつながりですぐに手に出来る。
 ありがたいことだ。めぐまれた環境にいる。

 目前に仕事が山積してきた。
 めまいがしたので、夜、河原町三条付近を徘徊する。
 でも9時までには帰宅し、たまっている仕事のいくつかに手を出す。

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2008.02.05

今日は篤姫の誕生日です

 篤姫は、天保6年12月19日に誕生した。
 (島津氏正統系図、旧記雑録追録8)

 これを現在の暦に変えると、1836年2月5日にあたる。
(野島寿三郎編『日本暦西暦月日対照表』254ページ、日外アソシエーツ)

 そう、本日は篤姫の誕生日なのだ。
 お祝いをしよう。
 生きていたら172歳だ。

 ただし異説がある。
 
 実家の今和泉島津家に伝わる「源姓和泉氏嫡流系図」が、
 天保7年2月19日とする。

 これが正しければ、1836年4月4日にあたる。
(前掲『日本暦西暦月日』255ページ)

 でもこれについては、篤姫を斉彬の実子とするための細工ではないかという徳永和喜さんの研究がある。
(同氏『天璋院篤姫』105ページ、129~131ページ、新人物往来社)
 細かいお仕事だ。
 僕の好みにあう。

 これにしたがうと、やっぱり今日だ。

 旧暦と新暦。
 年末と2月では感覚がにぶりますね。

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2008.02.04

節分会の昼と夜の僕のうごき

2/3(日)くもりときどきゆき・小雨
 午前10時、京都おこしやす大学に出講。
 キャンパスプラザ京都でレクチャー。
 15人ほどおこし。

 今回も六孫王神社の神廟(源経基の墓)、遍照心院(大通寺)の源実朝木像(江戸時代)を特別拝観。
 実にありがたいこと。
 六孫王神社は節分行事でにぎやか。
 その間、「都名所図会」の挿図と比較しながら境内わていねいに歩く。
 びっくりするほど江戸中期の姿と同じ。

 夜は某所の節分行事に参加。
 帰宅してから、翌日以後の「京都検定日めくりドリル」を寝ぼけながらつくる。
 ほんとうに寝ぼけながら。
 まちがえてないように。

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2008.02.03

舞妓勝瑠さんの出勤に刺激をうける

 本日は朝から雪だった。

 昨日は午後1時から3時まで、名古屋の中日文化センター講座に出講。
 いつもは懇親会をするのだが、今回は次の予定があったので断念。

 午後6時から上七軒の大文字で小噺のお仕事。
 新幹線で大急ぎでもどる。
 
 節分ですので、オバケ行事でした。
 たのしかった。
 今年に入って初めてビールをたくさんよばれた。  
 
 今朝、さすがに少ししんどかった。
 でも午前10時から京都おこしやす大学に出講しないといけない。
 寒いし、雪降ってるし、いややなあと思ってた。

 ところが昨日遊んでくれた舞妓の勝瑠さんからメールがきて、早くも大阪の成田山へむかっていると。
 僕より遅くまで仕事をしていたのに、もう出勤か。
 すごいな。
 まけてられん。

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2008.02.02

池田屋事件を考えて本能寺の最新成果をまなぶ

2/1(金)はれ
 朝1番に理髪。
 午後からJR西日本・ジパング倶楽部3月号に載せる写真の撮影があるから。
 みなりは気にしない方だが、写真は残る。
 あとから「なんでこんなむさくるしい姿やねん」と思うことしばしばだから。
 9時半に行ったら、10時からですといわれ、予約して一旦もどる。

 今日はお休みですか、と聞かれ、なるほどそう思うものかと知る。
 これからです、と返事。

 「12時30分から京都駅に行きます」
 「京都駅あたりがお勤めさきですか」
 「いえ、今日は京都駅ちかく」
 「そのつど、ちがうんですか」
 「そう」
 「そういうお勤め先なんですね」
 「はい」

 どういうお勤め先だと思われたのだろう。

 その12時30分、京都駅前のキャンパスプラザ京都でくずし字入門。
 これからしばらく金曜日に変更です。
 お気をつけください。

 大高又次郎の持ち物検査、おわる。
 現在、大高又次郎をしる人はすくない。
 池田屋事件犠牲者としてのみ知られているのでは。
 が、これは小物ではないわ。

 文久3年(1863)から元治元年(1864)上半期の京都政局の一端をになっている感じがする。
 「新選組誕生」の裏側にも、大高がいたのではないかと、いま考えている。
 そうするとその新選組に斬られるわけだから、こんな皮肉なことはない。

 次回のくずし字入門は、特別編「大高又次郎論」をするつもり。大高を総括してみる。

 JR西日本・ジパング倶楽部のうちあわせと写真撮影のあと、
 夕方、Y田K和博士邸へ。
 お宅拝見である。
 いや、初訪問ではないのだが。
 ちょっと事情があって「じろじろ」見せていただきたくなった。
 快諾いただいて、書庫を中心にじろじろ見せていただく。

 知ってはいたのだが、改めて御蔵書の充実ぐあいにうなる。
 うちの本の集め方なんて、実に中途半端だ。
 遠慮がちに本を買っていたが、遠慮は無用だと思った。

 先日『鹿児島県史料/斉彬公史料』全4巻と『島津斉彬文書』全3巻中の2・3巻を買ったが、こんなん今年しかつかわへんかも知らんのに、とさんざん悩んだのがあほらしい。

 Y田博士邸には『古事類苑』が全巻あったぞ。
 考古学者のY田博士には必携とは思えない。
 が、それさえお持ちだ。
 ほかの文献の充実ぶりがどんなものか想像されよう。
 ずっとうなったり、はしゃいだりしてましたわ。

 夜は同じぐらいエライ人たちが5人もY田博士邸に集まって、平安京・京都研究集会の準備会がある。
 何の役にもたたない僕だが、事務方として出席。
 次は本能寺がテーマとなる。
 本能寺の変ではなく、本能寺そのもの。
 その景観復元が討論されるであろう。
 
 Y田博士邸からあるいて帰る。
 帰宅してまだ仕事をつづけるが、疲れが出てあまり進まなかった。

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2008.02.01

部屋にこもって池田屋事件

1/31(木)
 朝から事務室に缶詰。

 講談社メルマガの原稿にたちむかう。
 まだ古高俊太郎論。
 なかなか池田屋事件そのものにたどりつけない。

 夕方までにどうにか片付ける。
 
 夜も残されていた庶務を行う。
 深夜にやっと自分の研究ができる。

 忙しいわあ。

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