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2007.12.20

楠木正成の死と新潮新書と順正と六曜社

12/18(火)はれ
 「基礎からまなぶ日本歴史」に出講。
 本日、湊川の合戦。楠木正成の死である。

 「太平記」が描くその死は諸写本 によってちがう。

 後醍醐天皇に、勝ち戦のための献策をするも退けられる。
 たとえば日本古典文学大系(岩波書店)などは、そのまま黙って退去するが、龍安寺西源院に伝わる古写本などは、「私に死ねというのか」と後醍醐に反論している。

 その方がリアルである。
 そのお話しなどをする。
 
 神戸市に湊川神社があって、周知のように正成をまつっているが、そこに水戸黄門が建てた墓碑がある。
 中学生のとき、これが理解できなかった。

 水戸黄門といえば、江戸中期の人だ。
 正成の死から、350年もたっているじゃないか。

 書物をよんでの違和感。
 なんでそんな後の人が建てた墓をあたりまえのように紹介するのか。

 この疑問はいまからすると正当であるが、子どものその思いを答えてやる書籍がほとんどなかったのだろう。

 史蹟はこうして生まれるのだ。
 つまりは正成戦死の地や、その埋葬地などわかるわけがないのだ。
 なのに史蹟があるというのは、同時代から伝わったものではなく、太平記などを読んで関心をもった後世の教養のある人がつくるものなのだ、だからこわいし、それゆえ面白いのだ、という説明があればまだ納得したのだ。

 が、なんせ羽賀祥二さんや高木博志さんたちの史蹟論が展開するのは1990年代のことだから、1980年代の中学生の周辺の人や書物から影響されるわけもない。
 
 ま、その消化不良感が、僕を史蹟論へいざなったのだから、わるいことばかりではない。

 終了後、上洛したばかりの新潮社の内田浩平さんと打ち合わせ。
 新潮新書を2冊引き受けている。
 まだ先のことだが、ときどき顔あわせをして、お互い忘れないようにしようとしている(と思う)。

 とても楽しかった。内田浩平さんと気が合うのだと思う(内田さんはガマンしておられるかも知れない)。
 自分の本がそういう人との共同作業で生まれるのはとても幸せなことだ。

 やっぱり自分にとって大事なものをつくるときは、気が合い、力を信用できる人にまかせたいなあ。
 みのもんたさんもいっておられるし。わがままいえって。

 2時間ほどお話ししたあと、地下鉄京都市役所前でおわかれする。

 僕は南禅寺へ。
 ある方々から私的に忘年会のお誘いをうけた。
 そのため。

 会場は、南禅寺門前の順正。
 実ははじめて。
 とてもよかった。
 
 庭園や建物がすばらしかった。
 料理もよかった。
 湯どうふ、さすが、おいしかった。

 とくに好きというわけではなかったのだが、今日はうまかった。
 これまで食べて来た湯どうふがうまくなかったからだと理解した。

 2次会は河原町三条へ出て、コーヒー。
 同交差点下ル東側の六曜社で。

 この店、けっこう使う。おそい時間でもあいているから。
 時間が早いときは寺町三条のスマートにいく。

 四条河原町界隈なら、ソワレか築地にお世話になる。
 
 年をとってきたからか、にぎやかな店はほんとうにいやになってきた。
 コーヒーのうまさももちろんだが、お客のマナーがよいところでないといくのはためらわれる。
 心を豊かにするためにはホテルで千円のコーヒーも損ではないと思う。

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