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2007.12.26

平安宮内裏跡に説明板19ヵ所設置確定を喜ぶ

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 すこし古い話題になってしまったが、どうしても特記しておきたかったので述べる。

 去る12月20日(木)の京都新聞朝刊の記事。
 以下、要旨。
 
 来年の「源氏物語千年紀」に合わせて、ゆかりの地40ヵ所に説明板を設置する。
 その第一弾として、まず内裏跡などの旧蹟19ヵ所が確定した、と京都市が発表した。
(以上)

 すでに建てられている石碑のそばや社寺、指定史蹟などに、京都市があらたに説明板を設置することはこれまでもよくあった。
 
 が、指定史蹟でもない旧蹟に、こんなにまとまってあらたな説明板を設置するというのは近年なかったのではないか。

 ましてやそれが内裏跡だと知り、たいへん驚いた。
 これは快挙である。

 内裏といえば、いまでいう「京都御所」のことだ。
 京都、いや日本のシンボルのひとつであることはまちがいない。

 が、「京都御所」は、鎌倉時代末期に光厳天皇が使用して以来の内裏で、平安時代以来の内裏の地ではない。
 
 旧地が現在のどこにあたるのか、古代学協会の高著『平安京提要』(1994年、角川書店)におさめられた付図をみれば誰でもわかる。周知のことだった。

 ところがそのほんらいの位置に、これまでほとんど石碑や説明板が建てられていなかった。
 こんな大事なことさえできていない現在の京都市が、「歴史都市京都」をなのる資格なんかないとさえ、正直思っていた。

 数年前から、その未開の地に少しずつ碑が建て出していた。
 全京都建設協同組合という団体のお仕事だ(写真)。
 同会の創立50年の紀念事業の一環という。
 
 行政ができないことを民間がなさる。
 ようやく「歴史都市京都」の恥をひとつそそげるかなと思っていた矢先のことだった。 

 そんなわけだから今回の決定はほんとうにすばらしい。

 歴代天皇が生活し、終焉の地でもあった清涼殿、もっとも大事な儀式の場、紫宸殿、内裏東限・西限・南限の門跡など大事なところがのきなみピックアップされている。
  
 全京都建設協同組合の建碑地も含まれている。
 同会のお仕事が契機のひとつになったことはうたがいないだろう。

 なお、こういう行政主導のまとまった説明板や石碑設置は、これまでも紀念祭がきっかけになっている。

 たとえば戦前の京都市教育会(現、京都市教育委員会とは別)は約80基の石碑を建てた。
 これは大正・昭和両天皇のそれぞれ即位の大礼にあわせてのことだった。

 戦後、こんどは京都市文化観光局が、京都市教育会の事業をひきついでやはり42ヵ所の建碑を行ったが、これも明治100年にあたる1968年(昭和43)から始まっている(3年間)。

 今回は石碑ではないが、史蹟顕彰のための行為としては同一とみてよい。
 実に40年ぶりの快挙といってよいのではないか。

 1点、注文がつけられるなら、ということがある。
 今回「源氏物語」が契機になったことがマイナスにならなければいいが、という思い。

 いうまでもなく、内裏跡など平安京の史蹟は、「源氏物語」の舞台地としてのみ意味があるわけではない。
 説明内容が「源氏物語」のみにかたよることなく、広く歴史のなかに位置付けたものになることを願う。

 ともあれ、快挙である(くどい)。
 関係者の尽力に心より敬意を表したい。

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