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2007.12.31

本年の回顧

 大みそか。

 本年の回顧。
 いろいろありすぎた。

 昔から意識していた「40歳」になった。
 どういう年か、よくわかった。
 研究生活を送ること、いろんな嫌がらせや侮辱をうけてきたが信念をまげなくてよかった、
 そう思えた「40歳」だった。

 ブログランキング、最後まで首位でした。
 登録者161人(組)もいるのに、そのなかには山田邦和博士、桐野作人氏のほかさまざまな猛者がおられるのに。
 信じがたいこと。

 心より感謝申し上げます。

 来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2007.12.30

風邪から立ち直り「のだめ」にはまる

 実は風邪をひいていた。

 熱も一時、37度9分まであがってた。
 講義や巡検も熱のなか行っていた。
 参加者は知っておられるが。

 心配かけたらあかんと思って、ブログ上ではふれなかった。
 
 熱が出て、医者にはすぐ行った。
 自覚症状がでたら市販の薬なんか役にたたん。
 だからいつもすぐに医者にいく。

 注射を打ってもらって薬ももらったからすぐ治ると思ったが、治らんかった。
 毎日講義してたらのどの腫れはひかへんやろ。
 寒い中歩き回ったら、治らんやろ。

 やっと一昨日、外の仕事がおわった。
 昨日もう一度医者に行った。

 おかげで昨日の午後から楽になってきた。
 
 今朝、ついに峠をこした気になった。
 楽になったらものを考える気になってきた。
 仕事をする気になってきた。

 なるほど仕事がすすまんのはやる気がないからではない、
 体調が悪かったのだといまさらながらわかる。

 しんどいなか、すこしずつ仕事をし、掃除もしながら、「のだめカンタービレ」の連続放送を一気にみた。
 気になっていたドラマだ。
 やっとまとまってみた。
 すごくおもしろかった。
 音楽家やそれに準ずるものに弱い。
 自分がピアノをひけないから、コンプレックスだ。

 郵便局にいくつかの封書をもっていったついでに、原作をまとめて買ってしまった。
 一気に読んで、さすが、ドラマがいいだけではない。
 原作がいいんだ。

 年始も「のだめ」スペシャルがある。
 いかん、また楽しみだ。
 すること死ぬほどあるのに。

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2007.12.29

雨の中の笠置・加茂(結果)

12/28(金)あめ
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 昨日、実況したが、笠置へいっていた。

 雨のなかの笠置山はすさまじかった。
 傘をさして巨岩をくぐりぬけられない。
 よくぞけが人がでなかったことだ。

 本日にかぎって保険に入っていてよかった。
 結果として何も起きなかったが、おきても不思議ではなかった。

 それにもかかわらずあいかわらず、わが受講者はパワー全快で、これはこれでおもしろかったといってくださっていた。

 笠置下山は午後2時。
 昼食はそれから。
 しかし誰も文句はいわない。
 しかも電車の発車時間がせまっているので、かなりいそがせた。
 それをまた楽しんでおられる。
 よい人ばかりだ。

 ほんとうは浄瑠璃寺に行って九体阿弥陀をおがみ、今年をおえようと思っていたが、パスがまったくなくて、あきらめた。
 
 もう帰ったほうがよかったかも知れないのに、しょうこりもなく、また出かけた。
 加茂駅から徒歩、恭仁宮跡まであるいた。

 このあたりで雨はやんだので、さすが先生の神通力といってもらえたが、神通力があるならそもそも笠置でふらないはずだ。
 今日は恥ずかしい思いだった。

 恭仁宮大極殿跡まで本日は多数の三宅碑をみた。
 計7つだ。
 最近は三宅碑をあるくイベントをしていないが、これでお許しいただきたい。

 個人的に楽しかったのは、承応2年(1653)癸巳正月21日銘のある、「例弊使料境目傍示石也」標石を四基確認したこと(写真)。
 何らの解説もなく惜しい。
 加茂町の研究者は承知で、広報でその見学が催されていることは知ったが、もっと啓発すべきだ。
 
 あいかわらず恭仁宮大極殿跡の三宅碑が転倒していた。
 もう15年ほどそのままだ。
 三宅碑の意義をしっている人の多くが心痛めている。
 なんとかしろと僕に訴えるひともいる。

 木津川市の文化財担当の方々に一層の努力をお願いするほかない。

 京都駅ちかくで懇親会(最後の忘年会)。
 僕はあいかわらず酒を飲まない。
 ウーロン茶で。
 だからみなさんも飲まない。
 
 これで本年のお出かけの仕事は終わり。
 明日からは籠もっての仕事に入る。

 やっとたまっている仕事をこなせる。

 正月なんかあるわけがない。
 ある必要もない。

 いつこの環境が破壊されるかわからない。
 それまでになるべくしたいことをしておかなければ。

 すでに単著10冊予定されている(ほとんどすべてに出版社がついている)。
 この環境を維持できるなら、かならず出してみせるが、いつ変動があるかわからない。
 
 遊んでいるわけにはいかない。

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2007.12.28

笠置山にて

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笠置におります。
やはり雨でした。

今年最後の巡検が雨とは。

写真は後醍醐天皇行在所跡。

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三条大橋に着けた

12/27(木)はれ
 昨日の答え。

 三条大橋まで行くことができました。
 
 午後1時すぎ、山科駅を出て、三条大橋着は4時15分でした。
 よいペースだったと思います。

 終了後、寺町三条上ルのスマートで打ち上げ。
 コーヒーとホットケーキをみなでいただく。

 今年最後の晴れだったそうだ。
 さすが、やっぱり晴れ男。

 が、明日も実は巡検。
 笠置へむかう。

 明日ふったらあかんがな。

 さて、どうなるか。

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2007.12.27

山科へ

 今日は京都新聞文化センターのイベントで山科へ行きます。
 旧東海道を三条大橋をめざして歩きます。
 さあどこまでいけるでしょう。

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2007.12.26

平安宮内裏跡に説明板19ヵ所設置確定を喜ぶ

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 すこし古い話題になってしまったが、どうしても特記しておきたかったので述べる。

 去る12月20日(木)の京都新聞朝刊の記事。
 以下、要旨。
 
 来年の「源氏物語千年紀」に合わせて、ゆかりの地40ヵ所に説明板を設置する。
 その第一弾として、まず内裏跡などの旧蹟19ヵ所が確定した、と京都市が発表した。
(以上)

 すでに建てられている石碑のそばや社寺、指定史蹟などに、京都市があらたに説明板を設置することはこれまでもよくあった。
 
 が、指定史蹟でもない旧蹟に、こんなにまとまってあらたな説明板を設置するというのは近年なかったのではないか。

 ましてやそれが内裏跡だと知り、たいへん驚いた。
 これは快挙である。

 内裏といえば、いまでいう「京都御所」のことだ。
 京都、いや日本のシンボルのひとつであることはまちがいない。

 が、「京都御所」は、鎌倉時代末期に光厳天皇が使用して以来の内裏で、平安時代以来の内裏の地ではない。
 
 旧地が現在のどこにあたるのか、古代学協会の高著『平安京提要』(1994年、角川書店)におさめられた付図をみれば誰でもわかる。周知のことだった。

 ところがそのほんらいの位置に、これまでほとんど石碑や説明板が建てられていなかった。
 こんな大事なことさえできていない現在の京都市が、「歴史都市京都」をなのる資格なんかないとさえ、正直思っていた。

 数年前から、その未開の地に少しずつ碑が建て出していた。
 全京都建設協同組合という団体のお仕事だ(写真)。
 同会の創立50年の紀念事業の一環という。
 
 行政ができないことを民間がなさる。
 ようやく「歴史都市京都」の恥をひとつそそげるかなと思っていた矢先のことだった。 

 そんなわけだから今回の決定はほんとうにすばらしい。

 歴代天皇が生活し、終焉の地でもあった清涼殿、もっとも大事な儀式の場、紫宸殿、内裏東限・西限・南限の門跡など大事なところがのきなみピックアップされている。
  
 全京都建設協同組合の建碑地も含まれている。
 同会のお仕事が契機のひとつになったことはうたがいないだろう。

 なお、こういう行政主導のまとまった説明板や石碑設置は、これまでも紀念祭がきっかけになっている。

 たとえば戦前の京都市教育会(現、京都市教育委員会とは別)は約80基の石碑を建てた。
 これは大正・昭和両天皇のそれぞれ即位の大礼にあわせてのことだった。

 戦後、こんどは京都市文化観光局が、京都市教育会の事業をひきついでやはり42ヵ所の建碑を行ったが、これも明治100年にあたる1968年(昭和43)から始まっている(3年間)。

 今回は石碑ではないが、史蹟顕彰のための行為としては同一とみてよい。
 実に40年ぶりの快挙といってよいのではないか。

 1点、注文がつけられるなら、ということがある。
 今回「源氏物語」が契機になったことがマイナスにならなければいいが、という思い。

 いうまでもなく、内裏跡など平安京の史蹟は、「源氏物語」の舞台地としてのみ意味があるわけではない。
 説明内容が「源氏物語」のみにかたよることなく、広く歴史のなかに位置付けたものになることを願う。

 ともあれ、快挙である(くどい)。
 関係者の尽力に心より敬意を表したい。

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2007.12.25

2006年の宮崎あおいさんのカレンダーをもらう

12/24(祝・月)はれときどき雨
 クリスマスイブ。
 僕はキリシタンではない。
 が、幼児期より信教とは関係なくかかささず行われた祝祭日なので、仏教徒を公言するようになっても、大事にしている。
 
 プレゼントをもらった。
 2006年の宮崎あおいさんのカレンダーだ。
 未使用のもの。

 来年は2008年だ。
 ふるいもので使用できない。いうまでもない。

 でもそんなの関係ない。

 2007年と2008年はすでに自力で手に入れている。
 だから2006年のものがほしかった。
 一般には賞味期限がきれているかもしれないが、ぼくには貴重書だ。
 写真集だと思っている。

 ありがとうございました。

 人がほしいものをあげる(もらう)。
 これがすばらしい、と思う。

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2007.12.24

冬休み、バンザイ

12/23(日)あめ
 一日中、家にいた。
 仕事をしていた。

 誰とも話さなかった。
 いや、宅配便の人とはなしたか。
 それだけ。

 さすが仕事すすんだ。
 貴重な日だった。

 きづかなかったこと、いっぱいきづいた。
 久しぶりに「貯金」ができた。
 
 夜はM1グランプリだけ仕事をとめてみた。
 敗者復活のコンビが優勝した。
 劇的だった。

 キングコング、あんな実力があったか、知らなかった。
 失礼だが、みなおした。

 仕事をしながらだが、中村勘九郎特別企画もみた。
 こちらも感激した。 

 やっぱりなあ、時間は必要です。
 冬休み、バンザイ。

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2007.12.23

ひさしぶり、まとまった雨の日

12/22(土)あめ
 ひさしぶりのまとまった雨。
 宇治市の「太閤堤」の現説はたいへんだったろうな。

 僕は別の用事があったので、そちらに行くつもりにしていました。
 が、疲れがたまっていたようで、寝坊。
 行けず。

 で、家で事務処理をしておりました。

 夕方、外出。
 途中、大谷大学へ立ち寄り、試験の書類を提出。
 教務課に誰もいなかったので、となりの課の方に託す。

 旧宇治郡某所で、またさがしもの。
 またダメだった。

 時間がかかるものだから仕方がない。
 知識と見聞はふえた。
 それでよしとしたい。 

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2007.12.22

松浦亀太郎と講談社メルマガと忘年会とオアシス

12/21(金)はれ
 同志社大学「文化史特論」、本年最後の出講。
 城南八幡の郷土史家、西村芳次郎論。

 終了後、受講者Kさん、松浦亀太郎を卒論テーマに選んだNさんと歓談。
 松浦亀太郎について、また議論。

 一旦帰宅し、講談社メルマガにたちむかう。
 本日締め切り。

 つぎの予定への外出までになんとかしなきゃ。
 午後5時すぎまで頑張る。
 分量に問題はあるが、なんとか提出する。
 
 担当Y田さんからすぐ折り返しお返事。
「間に合いました」。
ありがとうございます。いつもごめいわくをおかけして申し訳ありません。
 
 午後6時から、西大路今出川上ルで、基礎からまなぶ日本歴史・くずし字入門、合同忘年会があった。
 僕をふくめて、25名のご参加。

 K畑さん、T富さん、名幹事で大変お世話になりました。
 とりわけT富さんのこばなしサービスは圧巻で、あっというまの2時間でした。
 僕はなにもせず、ただひたすらぼーっとしていました。それがありがたかった。

 2次会はちかくの喫茶店。
 また僕はひとりでぼーっとしていた。

 なかなか最近は、頭をカラにするヒマがなくて。
 貴重な日でした。

 そのあとは、たまたまご一緒にあるいて帰っていた参加者のNさん、Mさんといきおいで鷹峯までいく。

 御土居堀北西隅をのこすラウンジ「オアシス」で喫茶をする。

 とてもひさしぶりでした。
 森田さんご夫妻、従業員のみなさん、おかわりなく。

 一曲の歌もうたわず、日が変わったところで辞去。
 
 また御土居堀北西隅付近の環境がかわっていることに、おそまきながらきづいて、「明日写真撮らなあかんなあ」と思いつつ、帰途につく。

 このブログ、生活のほとんどを公開していると、あらためて思ったことがあった。

 上記Nさんからいわれたこと。 
 「このあいだ京都駅前地下で先生をみかけた、人といっしょに歩いておられたので、声をかけなかった、あとからブログをみて、一緒にいたのは新潮社の内田さんという方だとわかった」。

 「これで、僕がブログで記している行動が事実だとおわかりでしょ」とお答えしましたが、すべてを公開してんなあと、自分にあきれた次第でした。
 
 やめないけど。

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2007.12.21

多忙である。大変でござる

 本日もブログランキング1位である。
 ありがたくってしかたがありません。

 それにしても多忙である。
 大変でござる。

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2007.12.20

楠木正成の死と新潮新書と順正と六曜社

12/18(火)はれ
 「基礎からまなぶ日本歴史」に出講。
 本日、湊川の合戦。楠木正成の死である。

 「太平記」が描くその死は諸写本 によってちがう。

 後醍醐天皇に、勝ち戦のための献策をするも退けられる。
 たとえば日本古典文学大系(岩波書店)などは、そのまま黙って退去するが、龍安寺西源院に伝わる古写本などは、「私に死ねというのか」と後醍醐に反論している。

 その方がリアルである。
 そのお話しなどをする。
 
 神戸市に湊川神社があって、周知のように正成をまつっているが、そこに水戸黄門が建てた墓碑がある。
 中学生のとき、これが理解できなかった。

 水戸黄門といえば、江戸中期の人だ。
 正成の死から、350年もたっているじゃないか。

 書物をよんでの違和感。
 なんでそんな後の人が建てた墓をあたりまえのように紹介するのか。

 この疑問はいまからすると正当であるが、子どものその思いを答えてやる書籍がほとんどなかったのだろう。

 史蹟はこうして生まれるのだ。
 つまりは正成戦死の地や、その埋葬地などわかるわけがないのだ。
 なのに史蹟があるというのは、同時代から伝わったものではなく、太平記などを読んで関心をもった後世の教養のある人がつくるものなのだ、だからこわいし、それゆえ面白いのだ、という説明があればまだ納得したのだ。

 が、なんせ羽賀祥二さんや高木博志さんたちの史蹟論が展開するのは1990年代のことだから、1980年代の中学生の周辺の人や書物から影響されるわけもない。
 
 ま、その消化不良感が、僕を史蹟論へいざなったのだから、わるいことばかりではない。

 終了後、上洛したばかりの新潮社の内田浩平さんと打ち合わせ。
 新潮新書を2冊引き受けている。
 まだ先のことだが、ときどき顔あわせをして、お互い忘れないようにしようとしている(と思う)。

 とても楽しかった。内田浩平さんと気が合うのだと思う(内田さんはガマンしておられるかも知れない)。
 自分の本がそういう人との共同作業で生まれるのはとても幸せなことだ。

 やっぱり自分にとって大事なものをつくるときは、気が合い、力を信用できる人にまかせたいなあ。
 みのもんたさんもいっておられるし。わがままいえって。

 2時間ほどお話ししたあと、地下鉄京都市役所前でおわかれする。

 僕は南禅寺へ。
 ある方々から私的に忘年会のお誘いをうけた。
 そのため。

 会場は、南禅寺門前の順正。
 実ははじめて。
 とてもよかった。
 
 庭園や建物がすばらしかった。
 料理もよかった。
 湯どうふ、さすが、おいしかった。

 とくに好きというわけではなかったのだが、今日はうまかった。
 これまで食べて来た湯どうふがうまくなかったからだと理解した。

 2次会は河原町三条へ出て、コーヒー。
 同交差点下ル東側の六曜社で。

 この店、けっこう使う。おそい時間でもあいているから。
 時間が早いときは寺町三条のスマートにいく。

 四条河原町界隈なら、ソワレか築地にお世話になる。
 
 年をとってきたからか、にぎやかな店はほんとうにいやになってきた。
 コーヒーのうまさももちろんだが、お客のマナーがよいところでないといくのはためらわれる。
 心を豊かにするためにはホテルで千円のコーヒーも損ではないと思う。

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2007.12.19

大和郡山と上七軒の大文字

12/17(月)
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 今週、本年の大学講義が終了する。
 ながかった。

 大谷大学・佛教大学に出講。
 佛教大学では大和郡山城下町をとりあげる。

 郡山城下町を近世的に改造したのは豊臣秀長である。
 秀長の豊臣政権内での意義を紹介し、あわせて郡山の特徴を論ずる。

 最後は近世の絵図や明治の古地図をつかって、現在の地形図上に郡山城下町を復元してもらう。
 みなさん久しぶりのぬり絵だったようで、楽しそうでした。

 夜、上七軒へ。
 お茶屋大文字さんでまた歴史こばなし。

 今回は「新選組と上七軒」。
 土方歳三に(夭折したが)女児がいて、その母が上七軒の芸妓だという話の真偽を考えてみた。
 けっこうウケた(気がする)。

 大文字の4姉妹をフジテレビがおっかけている。
 そのため本日の宴席にテレビカメラがはいる。
 僕もインタビューをうけた。

 来年放映予定。
 ほろ酔いで大文字の4姉妹への思いをかたる僕が映るかもしれない。
 できれば使ってほしくないが。

 写真は長女、勝也さん(芸妓)。

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2007.12.18

嵯峨野学芸倶楽部、本年最後の講座に出講

12/16(日)
 1日変な天気だった。
 降ったりやんだり、晴れているのに降ったり。
 
 嵯峨野学芸倶楽部(主催:連)「京都歴史講座」に出講。
 前夜には10人のご予約があったと聞いていた。
 天気も悪いし、もっと少ないかなあと思っていたら、案に相違。

 15人もお越しでした。
 ありがとうございます。

 「京都歴史講座」は今年、これで終わります。
 中身はうすいのですが、ご好評くださったと理解します。
 来年もつづきます。どうぞごひいき願いします。

 キャンパスプラザで行っている「基礎からまなぶ日本歴史」とかぶる話が多い。
 なのに嵯峨野学芸倶楽部「京都歴史講座」にもこられる方が少なくない。

 気にする必要はないのかも知れないが、なるべくちがう話をしたい。
 でも現実難しい。

 嵯峨野学芸倶楽部と基礎歴史をそれぞれどう位置付けるか、ずっと悩んでいた。

 が、よく考えたら嵯峨野学芸倶楽部にこられる方の半分ぐらいは基礎歴史にきておられない。
 それもそうで、片や平日、片や日曜日の開催だ。
 
 両方こられる方は内容重複を承知でこられているのだし、
 基礎歴史に行きたくても平日だから行けない、だから嵯峨野学芸倶楽部に行くのだというのもある。

 だからあまり悩まず、自分のできることだけをやればいいのかな、とも思い出した。

 今年最後なので、ちかくのお気に入りの店「スマート」で茶話会をした。
 8人もこられる。
 半分以上だ。ありがたいことだ。

 「スマート」は本店が寺町三条上ル西側にある。
 そちらによく行っていたのだが、嵯峨野学芸倶楽部の所在地「三壺庵(さんこあん)」のそばに、たまたま支店ができて、たいそう喜び、いつも倶楽部終了後ひとりできている。
 そこをつかわせていただいたというわけ。

 講座は30分延長して午後1時まで2時間したし、そのあとの喫茶会も午後3時までつづいた。
 だから開催の11時から数えると、4時間もみなさんを拘束したことになる。
 貴重な時間をおとりしました。
 ありがとうございました。
 
 楽しかったので、毎回してもいいかも知れないと思った。
 またご意見お聞かせください。

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2007.12.16

城陽市の未知の三宅碑をみた

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 本日もブログランキング首位です。
 ながい間、本当にありがとうございます。

 今夜、大河ドラマ「風林火山」最終回。
 終了後、来年の「篤姫」の予告編が放映されるはずだ。

 ついに「篤姫イコール宮崎あおいさん」のベールがとれる。
 楽しみだ。

12/15(土)
 午前中、ある建築物の用事で、京都府木津川市の施設に行く。
 知らないこといっぱい学んだ。
 実地体験は本当に大事だ。

 帰途、城陽市寺田の未知の三宅碑を訪ねる(写真)。

 以前、交通事故で折れたもの。
 ながく別の場所に保管されていた。

 昨年、市民の要望で修復して再建された。

 恥ずかしながら1年もすぎてからの訪問。
 碑銘は以下のとおり。

(表)八幡近道 木津川渡船場
           是西二十五丁
(左)石清水八幡宮 三里
(裏)昭和三年秋稟京都三宅安兵衛遺志建之

 写真をごらんください。
 「八幡近」と「道」の間に亀裂が入っている。
 折れていたことがよくわかる。

 石清水八幡宮への道標である。
 八幡の郷土史家、西村芳次郎の主導した建碑にちがいなかろう。

 三宅碑論もはやく成稿しなきや。
 さぼりを思い出した。

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2007.12.14

土方歳三と松浦亀太郎と山科本願寺・寺内町を考える

12/13(木)
 夜、三谷幸喜さん脚本「土方歳三最期の一日」の再放映をみる。
 久し振りに三谷新選組を見た。

 楽しかったが、美化が過ぎて鼻につく。
 詳しくは本放映時のブログ記事をごらんください(2006年1月4日付、カテゴリー新選組)。

12/14(金)
 討ち入りの日。
 山科では義士祭がある。

 でも元禄15年12月14日、現在の暦では1703年1月30日にあたる。
 各地で行われる義士祭、1月30日に実施する自治体や団体があってもいいのになあ。

 同志社大学に出講。

 講義終了後、吉田松陰の弟子の一人で、松陰の肖像画を描いた松浦亀太郎(松洞)を卒業論文に取り上げるという3年生のNさんが、僕の受講生の紹介でやって来る。

 とても勉強されていて驚いた。
 飛躍のために、明治維新史学会への参加をおススメする。

 さすが同志社大、優秀な子が多い。
 出講も楽しくなってくる。

 午後からは天理大学へ出講。
 天誅組の従軍日記「大和戦争日記」を読み、古地図や現代の地図に天誅組の進軍ルートを描いてゆく。
 概論なのに、実習みたいになっている。
 うーん。

 夜、山科の「伏見」へ。
 山科本願寺・寺内町を考える市民の会の忘年会に参加。

 Y本会長、M田事務局長、R東高校のS田先生と、これまでと明日を語り合う。
 きっと「明日」もいい日だ。

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2007.12.13

第4回京都検定出題をみて

 12/13(木)の京都新聞朝刊に、第4回京都検定の問題が発表された。
 同紙夕刊の日めくりドリル執筆者として、関心あさからぬ。

 自分の問うたネタにかかわる出題がどれほどあるか、気にはなる。

 結論はまあまあ、ぐらい。
 さすがに1年半も連載している。
 かぶるものが多くあって当然か。

 逆に、講演や講義などでしょっちゅう話題にしていながら、かたよりすぎるからドリルには出さなかったのに今回出題された、なんてのもあった。

 K女子大学の受講者のNさんから、「2級を受けたところ、正面通や伏見ネタが出題されていた、先生が出題したのか」と尋ねられたぐらいだ。気づく人は気づくようだ。

 が、僕は出題者ではない。
 偶然あたっただけだ。誤解なきよう。

 ただし京都新聞出版センターの来春刊行予定、『第4回京都検定/問題と解説』の執筆者には内定している。
 また年末年始はこれにかかりっきりになるか。
 いやいやそれに没頭しているわけにはいかん。
 
 講談社現代新書『池田屋事件』が遅れている。
 これが1番しゃれにならない。
 いまだ新発見がつづいている。
 古高俊太郎(ふるたか・しゅんたろう)関係だ。

 正直、そろそろあきらめて、改めて別に『古高俊太郎伝』として書いた方がいいかも。
 滋賀県の出版社の方、地元のヒーローですが、いかがでしょうか。

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「偽」はあんまりだ

 1年の世相をあらわす「今年の漢字」の発表があった。
 はじめて年末がちかいのだと実感した。

 その字が「偽」。

 応募総数2割をこえ、約1万6500人が選んだという。

 が、「偽」はあんまりだと思った。

 わかるけど、それをいってはもともこもない。

 はたしてそれは表に出ている事件だけか。 
 他人事のようでよいか。
 みな知らず知らずのうちに、ウソや不誠実をしていないか。

 胸がいたい。

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2007.12.12

龍馬遭難の日の超豪華ツアー

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 本日もブログランキング1位です。
 誠にありがとうございます。

 久しぶりに、1日更新ができなかった。
 すこし気をぬくと更新できない。
 あっという間に時間がすぎる。
 おそろしい。

 12/10(月)はれ
 多忙をきわめた日。
 9時から大谷大学へ出講。
 史蹟論をはく。

 つづいて京都駅へ。
 友人F氏と合流。某所への建碑の話し合いに行く。
 困難はあるが、1歩すすんだ(と思う)。

 昼、東京からM川M理子氏ほかご友人お2人上洛。
 某所でランチをいたす。

 ほんの1部の知る人ぞ知る、幕末の由緒ぶかい建物がお食事処になっている。そこで。
 龍馬がふれたかも知れぬ建物である。
 そのうち有名になるであろう。
 いまはいえぬ。
(といっても、ここだけの話といって、けっこう僕の講演ではしゃべってるけど)

 僕だけ早く出て、佛教大学へ出講。
 惣構論。
 先週にひきつづき、仁木宏さんの御説のご紹介。

 一旦帰宅し、次の準備。

 夕方6時、木屋町三条へ。
 京都龍馬会本部「龍馬」で、講演。
 今日は「龍馬の墓」論。

 龍馬埋葬地である、霊明神社の盛衰のはなし。
 いかに志士の聖地になり、また隣地の霊山護国神社に吸収されていくかを論ずる。

 午後7時半終了。
 その後、M川さんなど3人と近江屋跡へ。
 やはり東京から駆けつけたC野氏と同地で合流。
 
 午後8時から8時半ごろ、龍馬遭難の時間。
 同じ日、同じ時間にその地に立っている。
 メンバー5人、個々に一斉に写真撮影。
 つづいて同地で龍馬を斬った渡辺篤の回想録の朗読を開始(担当はC野氏と中村)。

 通り過ぎる人たち、一様にこの異様な集団に驚いた模様。

 これで終わらない。
 刺客は四条通へ出て千本通から下立売まで北上。
 千本下立売を東へ進み、智恵光院を左折(北上)。
 西側の寺に入ったという(渡辺篤の回想録。『坂本龍馬全集』909~910ページ)。

 このコースを追っかけてみた。
 東京の人々、時間がない。
 9時半の新幹線終電で帰らねばならぬ。

 ゆえに断腸の思いでタクシーに乗る。2台に分乗。

 千本四条から北上することはできない。
 同地から三条通までは南むきの一方通行である。

 ゆえに四条河原町から千本三条をへて千本下立売で下車。

 たまたまタクシー運転手、高知県北川村の出身という。
 龍馬と斬られた中岡慎太郎の出身地だ。
 こんな偶然あるものか。喜ぶ。

 千本下立売から「寺」まで徒歩。
 午後8時半すぎのこの界隈、とても静寂。
 当時をしのぶものあり。

 刺客は近江屋での物音が隣地の土佐屋敷に聞えることをおそれた(上記、渡辺の回想録)。
 いまの河原町蛸薬師ではぴんとこないが、千本下立売東入るあたりでは理解できる。
 ほんとうに静かだ。
 龍馬や刺客の叫び声は、河原町蛸薬師にもれ聞えたことだろう。

 「寺」、真っ暗。その分、リアル。

 このあたり、平安宮内裏跡にして聚楽城跡である。
 僕が年中歩きたおしていてるところ。

 が、龍馬の刺客の帰路だと思って歩いたことがなかった。
 しかも同じ日、ほぼ同じ時間に。
 さすがに、感激した。

 寒いし時間がないのでながく滞在できず。
 すぐにタクシーに乗り、地下鉄丸太町駅へ。
 新幹線組は京都駅へ。
 烏丸御池駅でわかれる。
 どうぞお気をつけて。

 C野氏とF氏と河原町へもどる。
 土佐屋敷跡へ。
 
 あの日、いまごろ、大騒ぎであったろう。
 それを感じにいった。

 これで終わり。
 3人で打ち上げ。
 場所は土佐屋敷に隣接するビルの5回の居酒屋。
 近江屋跡はまん前。
 上から近江屋跡を眺望しながら夕食である(写真。ただし別の日の撮影)。

 ひさしぶりにビール(グラス)一杯を飲む。
 10日ぶりのビール。とてもおいしかった。
 居酒屋に行くのもいったいどれくらいか。
 思いだせない。
 注文がなんだか楽しかった。

 惜しいかな、すぐにみなの終電がちかづいた。
 Fさん、Cさん、それぞれ電車やバスの都合で個々に分かれる。
 
 なんと豪華で贅沢な1日であったろう。
 本日関われたみなさんに、心よりの感謝を申し上げます。

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2007.12.10

龍馬遭難の日時に

龍馬遭難の日時に
 龍馬遭難の地に来ています。
 慶応3年11月15日は、西暦1867年12月10日です。すなわち140年前の今日です。
 時間もあと少しです。
 誰も気にせず通りすぎます。

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2007.12.09

寄贈図書4冊、ご紹介

 この数ヶ月、寄贈(ご郵送)くださった書物をご紹介し、御礼といたします。

 ①浜野潔さん『近世京都の歴史人口学的研究―都市町人の社会構造を読む』(慶応義塾大学出版会、2007年8月)
  僕の御土居堀研究の成果を取り入れてくださっている(35~36ページ、250ページ)。

 ②神田千里さん『一向一揆と石山合戦』(戦争の日本史14、吉川弘文館、2007年10月)
  編集部が僕の撮影した山科本願寺・寺内町跡に残る土塁(山科中央公園)の写真を使われた。その縁で送ってくださった(109ページに写真と名前が載っています)。
 
 ③新創社編『京都時代マップ―伝統と老舗編』(光村推古書院、2007年10月)
   さきに出された『京都時代マップ―桃山編』以来、新創社さんとはお付き合いがある。そのご縁でいつもこのシリーズを送ってくださる。便利な本である。それゆえにもっとこだわった方がよいと思われる点も多くみえる。いちど担当の松岡満さんとじっくりお話をしたいと思っているのだが、機会がなく、そのままになっている。

 ④鈴木かほるさん『史料が語る/坂本龍馬の妻お龍』(新人物往来社、2007年12月)
   著者の求めにより、いくつか情報提供をした(19ページ、36ページ)。その縁でお送りくださった。

いま思いつくもののみで遺漏があるかも知れない。
また資料館図録や論文などははぶかせていただいた。
申し訳ありません。

お送りくださったものは死ぬまで大事に保管し、学習に使わせていただきます。
ありがとうございました。

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2007.12.08

鞆ノ浦、消えゆく木造家屋

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 鞆ノ浦から早くも帰ってきました。

 ほんとうは山口県萩市へ移り、博物館参観と乃美織江の墓参をするつもりだったが、巡検がながびいて、新山口駅から乗る予定だった東萩行きの最終バスへ連絡できなくなった。

 そのまま鞆に泊まればとNPOの方からおススメをいただいたが、京都ですることがゴマンとあるので、一端もどることにしたというわけ。

 また聞き上手のみなさんのおかげで、たのしい1日でした。
 ありがとうございました。

 また鞆の深みにふれた。

 でも残念なこともたくさん感じた。

 「龍馬の宿」こと「御舟宿いろは」の斜め前で、建物の解体をみてしまった(写真)。
 また鞆から木造建造物がひとつ消えた。
 
 こうして、「重要伝統的建造物群保存地区」になっても何ら不思議のない鞆が、理解されないまま取り返しのつかないことになっていくのだと思ってしまった。

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靹ノ浦におります

靹ノ浦におります
 靹ノ浦におります。
 昨夜着きました。
 午後2時から講演と巡検です。
 天気はよいです(やっぱり)。

 写真は龍馬がいろは丸事件の談判に使用した旧魚屋万蔵邸。
 今回の会場、「御舟宿いろは」です。
 

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2007.12.07

実況中継ができるようになった

 おはようございます。
 本日もブログランキング首位のままです。
 ありがとうございます。

 本日ようやくケイタイから投稿できるよう設定しました。
 (遅すぎるわ)

 これで外出先からも更新できます。

 「旧版」以来、久しぶりに実況もできると思います。

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2007.12.06

【講演】鞆ノ浦で龍馬たちを論ずる

 今朝もブログランキング首位です。ありがとうございます。

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 さてときどき話題にしている、鞆ノ浦のイベントのお知らせです。
 
 私の立場で鞆ノ浦の魅力を語ります。

 はじめはお部屋でおはなしし、後半は巡検(現地見学)もいたします。
 ぜひご参加下さい。
 よろしくお願い申し上げます。

日  時  2007年12月8日(土)午後2時から日暮れまで
場  所  御船宿いろは(話題の「龍馬の宿」です。広島県福山市鞆町鞆670)

内  容  講演 中村武生(佛教大学文学部非常勤講師)
タイトル  「ホンモノの義昭・秀吉・龍馬のまちへのあこがれ―歴史地理研究の立場から―」

定  員  30名(申込み順)
参 加 費  1500円

主催・申込み先 鞆まちづくり工房
           代表 松居秀子
          ℡ 084-982-0535

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ブログランキング首位に

 ブログランキング、首位になってました。

 おどろきました。
 たいへん久しぶりで。
 みなさまのおかげです。
 かさねて御礼申し上げます。

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2007.12.05

建武の新政と忘年会と建碑計画とイス

 すごいな。
 ブログランキング、首位目前じゃないか。
 あと2人クリックされたら、首位じゃないか。
 久しぶりのことだなあ。

12/4(火)くもり時々あめ
 基礎からまなぶ日本歴史に出講。
 
 今日は建武の新政。
 梅松論の「延喜・天暦の治をめざした」という部分や、建武年間記の「二条河原落書」を読む。 

 京都史蹟隊メンバー(基礎からまなぶ日本歴史、くずし字入門受講者など)の忘年会をすることになった。
 K畑さんとT富さんが幹事をひきうけてくださった。
 ありがたい。
 これで今年も無事行われる。
 いまのところ25名ほど参加表明しておられる。

 終了後、受講の方有志と喫茶をする。
 
 来年をめざしていくつか建碑計画がある。
 その話のひとつを話し合う。
 楽しみなこと。

 帰途、京都新聞文化センターにより、担当Yさんと次回講座の相談をする。
 コーヒーをごちそうになる。

 「幕末京都と天璋院篤姫」の予定。
 2回に1回、現地見学会をする。こんなに外に出るカルチャースクールは珍しいぞ。

 辞去の後、いまとてもお気に入りのイスのある喫茶店で、仕事をする。
 ついついくつろいでしまう。
 それほどよいイス。

 ほしいけど、家においてもなあ。くつろげなさそう。
 喫茶店で座るのがよいと思われる。

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2007.12.04

大谷大と佛教大で「はじめまして」

12/3(月)小雨⇒くもり⇒はれ

 午前中、大谷大学へ。
 雨のせいか、受講者とても少ない。
 出席をとらないしね。
 月曜の1時間目なんて行きたくないわね。

 講義途中でネクタイをした人が入室される。
 大学生ではないな。 
 なんだろうと思っていたら、おわってからご挨拶にこられる。

 教育研究支援課のYさんだった。
 同大学の市民むけの講座への出講依頼だった。

 文学部長のK先生からのご紹介の由。
 いつも気にしてくださり、まことにありがとうございます。
 
 午後は佛教大学。
 惣構論のつづき。
 仁木宏さんのご研究のご紹介。
 半分しかできなかった。
 また来週、つづきをします。

 講師室のメールボックスをみると、封書が入っていた。
 右京区西院の出版社Kの編集部のIさんから。
 面識はない。
 なんだろう。

 拝見してみた。
 昨日の花街シンポにきておられた由。
 僕の報告を楽しんでくださった由。
 それでお話をしたいということだった。

 そんないい話したっけ?
 自分のことながら、不思議な気持ち。
 でもありがたいことだ。
 さっそくメールでお返事を差し上げた。

 夜は今週の京都検定日めくりドリルの残りをつくる。
 今週は第4回京都検定直前だ。

 それにむけたものを、と考えたが、なかなかそうもいかない。
 今週は「花街」。

 なるほど、知っている人はわかる。
 花街シンポに立ち向かってたもんなあ。
 その余力か。

 ばればれだな。

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2007.12.03

上七軒シンポ。5人の研究者が切りこむ

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 ブログランキング、2位になっているではないか。
 みなさん、ありがとうございます。感謝にたえない。

12/2(日)はれ
 朝9時、上七軒歌舞練場に(写真)。

 本日、第1回花街シンポジウム。
 僕も「うまれたころの上七軒」というタイトルで、報告者・パネラーです。

 びっくりした。
 300名も参加があった。
 年令も10代から70代まで実にバラエティ。

 上七軒の老舗老松の社長太田達さん(池坊学園教授)を司会に、立命館大学の鈴木岳海(たかみ)さん、加藤政洋さん、京都女子大学の井上えり子さんとの共演。

 おもしろかった。実におもしろかった。
 花街をこんなに多角的に切りこめるなんて、予想してなかった。

 アンケート80人ぐらい回答くださったが、みなさんびっくりするぐらい克明に書いてくださっていた。
 おおむね大好評といえる。

 2回目が期待されていた。
 けっして出来なくない。
 たとえば同研究会員で、立命館大学大学院の竹中聖人さんは、ストレートど真ん中の上七軒研究者だが、今回登板していない。
 大いにそのご成果が期待される。
 
 超多忙の中、正直、引き受けたことを何度も後悔し反省もしたが、終わってみると(不充分きわまりなかったとはいえ)達成感はいっぱいで、本当に参加できてよかった。

 メンバーのみなさん、出席されたお客様、心よりお礼申し上げます。

【注記】『京都新聞』12月3日(月)付(市民版ワイド23面)に報じられました。

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2007.12.01

大学前に古書店がない

11/30(金)はれ
 午前中、同志社大学に出講。
 
 今出川校地の西門前に古書店がある。

 毎週、立ち寄っている。
 必ず何がしら購入する。
 表はさびれた感じだが、意外と変化がある。
 今日は何が入っているか、さがすのも楽しみのひとつ。

 門前など付近に古書店がない大学、致命的だと思うのだが、おどろくほど多い。

 母校佛教大学は26年みているが、存在したことがない。
 紫野泉堂町にすこし前にあったが、それは離れすぎ。
 大学ちかくとはいえない。

 出講している大谷大学、京都女子大学、天理大学、みなない。
 烏丸鞍馬口下ルのブックオフも大谷大学からは離れすぎている。

 さみしいことだ。

 京都大学は例外。

 立命館大学も一軒しかない。
 もう一軒、あっぷる書店があったが、いまは千本中立売の移動した。

 同志社大学前のその一軒は孤塁だ。
 同志社大学のめんぼくのためにも、ぜひずっとつづけてほしい。

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