学術誌より一般誌を優先している現状をなげく
桐野作人さん、いまだに管理者から連絡がこないそうだ。
だからいまだブログが再開されない。
なんということだ。
桐野さんのご心中、いかばかりか。
11/19(月)はれ
朝1番、大谷大学へ。
京都史蹟論を講ずる。
京都市教育会と寺井萬次郎の件。
『京都民報』の記事を配ったが、これもまだ論文化できていない。
有志舎の本で詳述することはもちろんだが、できるなら先に論文化し、学術誌に投稿しておきたいところ。
最近、論文化する前に、一般誌に書くくせがついてしまっている。
一般誌だからといって中身をうすめてはいないが、論点(問題の所在)の提示はさすがに最小限にとどめないといけない。
何より「注」がない。
これではそれに関心をもった研究者が引用して使うことができない。
すると学界に成果がいかされないことになる。
拙著『御土居堀ものがたり』でもいわれたことがある。
注が入ってないから論文に引用できない。
はやく論文集として刊行せよ。
くやしくもありがたいお言葉。
まだ実現できていない。
どんどん他に関心が広がる。
このままできずに死ぬのではないか。
なお有志舎の本では、社長の永滝稔さんが理解をしてくださったので、きちんと「注」がつきます(出典だけでなく、その引用ページまで入れます)。
一般向けではありますが、研究者が使用するにたるものを目指します。
午後からは佛教大学へ。
こちらは伏見城下町のはなし。
また佐竹屋敷。
あきないなあ。
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