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2007.11.30

【再開!】桐野作人さんのブログ

 本日未明、桐野作人さんのブログ「膏肓記」が、突然凍結解除(すなわち再開)された。

 めでたい。
 ほんとうにめでたい。
 
 実にえがたい情報を惜しげもなく公開してくださる、稀少なブログであった。
 どれだけ学習させていただいているか知れなかった。

 本日、同志社大学講師室で、桐野さんからの再開の通知メールをみた。
 
 結局理由はなんだったのか、というと、ただのミスだったという。
 それが一片のメールで謝罪してきただけという。

 信じられない。
 
 桐野さんの社会的信用を喪失させるような凍結理由が、約2週間もネット上に掲示されていたのに、である。
 それがただの勘違いだったそうだ。

 ネット社会のこわいところがモロにでたな、という思い。

 明日はわが身かも知れない。
 こわい、こわい。

 ともあれ、かさねて「膏肓記」の再開を心よりお慶び申し上げる。

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2007.11.29

京都女子大学の受講者と巡検する

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 いま気づいたら、ブログランキング5位になっていました。
 いつもいつもありがとうございます。
 感謝いたします。

11/28(水)はれ
 京都女子大学へ出講。
 前回にひきつづき、巡検にゆく。

 馬町十三重石塔を考える会。

 今回は教室に集まって講義開始20分経過してから出発。
 それでも20人も集まらず。
 巡検人数としては都合はよい。

 前回解散した後白河天皇陵にふたたび行き、そこからはじめる。
 
 馬町十三重石塔が現存する京都国立博物館の敷地に入る。
 建物には入らない。
 庭の石塔だけみる。
 銘文を読んでみる。

 京都女子大学生は学生証をみせれば無料で入館できるのだ。
 この制度を利用した。

 入館料を払ったのは僕だけ。
 
 正面通りから伏見街道へ出る。
 伏見街道は古代・中世の法性寺大路に擬される。
 
 法性寺大路と汁谷越え(渋谷街道)の交点に、六波羅南門があったと山田邦和博士が推定されている。
(野口実さん「法住寺殿造営の前提としての六波羅」231ページ、高橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』文理閣、2006年)。

 だからその南門跡、すなわち伏見街道と渋谷街道を交差点を右折(東行)して、馬町十三重石塔の旧所在地へむかう。

 街道に道標があり、その奥(北側)に旧地を示すさまざまなものがある。
 馬町十三重石塔はもちろんだが、今回はその「さまざまなもの」が重要でやってきた。

 馬町十三重石塔は佐藤嗣信・忠信の墓と伝承されてきた(都名所図会など)。
 それを現在までひきついできたのが、前記の道標など、近代の「佐藤」さんの顕彰事業だ。

 その佐藤は、ただしくは佐藤政養という。
 幕末には佐藤与之助といい、坂本龍馬とともに勝海舟の神戸海軍操練所を支えたひとりだ。
 
 龍馬は禁門の変のあと勝のもとをはなれたが、佐藤はずっと勝海舟のそばにいた。
 そのあたりのことは、松浦玲さんの『検証・龍馬伝説』(219~276ページ、論創社、2001)に詳しい。

 佐藤与之助政養は維新後、初代鉄道助となり、初期鉄道事業の功労者となる。

 与之助政養は実は東北の出身。
 佐藤嗣信・忠信の子孫と家伝されてきた。

 だから先祖の墓とされる馬町十三重石塔を京都でみつけ、整備した。
 こまかいことに、先祖の墓の修復ではなく、実父の碑を建てたのだ。

 与之助政養の子清治郎は、さらに与之助政養の碑も建てた。
 こうして馬町十三重石塔は、佐藤政養一族の由緒づくり(史蹟創出)の施設として機能をはじめたのだった。
 
 ただ残念なことに清治郎の子(与之助政養の孫)がそれを破棄した。
 すなわち馬町十三重石塔を他人に売却してしまったのだ。

 このあたりの経緯は『初代鉄道助佐藤政養』(81~91ページ、私家版、1965年)に詳しい。
 
 こんなはなしを現地でした。

 いま渋谷街道沿いにあたらしい家が建とうとしている。
 しばらくすると、渋谷街道からは佐藤与之助と父の碑が見えなくなってしまう。
 いまのうちに写真をお撮りすることをおススメします。

 うれしいことがあった。
 街道沿いには、前記与之助の子清治郎が建てた道標があった。
 建物建設の真横にある。
 じゃまだろう。

 こういうとき、多くの場合、抜き取られる。
 運がよければまたもとに戻してもらえる。

 が、そうでなければ、破棄される。

 こうして道標や石碑は消滅してゆくのだが、今回はちがった。
 そのまま建っている。
 それだけではない。

 ビニールカバーがなされ、工事で発生する汚れが石につかないよう措置がされていたのだ。

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 感動した。
 ステキな工務店にちがいない。
 
 このことを明日が楽しみな京都女子大学の受講生さんに伝えて解散とした。

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2007.11.28

やっと鎌倉幕府を滅ぼした

11/27(火)はれ
 今日もいい天気だった。

 お昼12時30分から、基礎からまなぶ日本歴史に出講。

 ようやく鎌倉幕府を滅ぼした。
 新田義貞が稲村ガ崎を突破した有名なエピソード。

 「太平記」のその部分を朗読する。

 スライドや映像でそのあたりの再確認もした。
 進みはわるいが、なかなか最近は充実しているのでは。

 いま、ある団体から建碑の打診をいただいている。
 以前にその団体で講演をさせていただいたことがある。
 そのご縁で、私の建碑への思いをくんでくださった。

 本日、その打ち合わせをさせていただく。
 うまくいけば来年実現する。

 夢のようなはなしだ。
 その日が楽しみだ。

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2007.11.27

ひこにゃんと鞆ノ浦と三宅碑と惣構論

 ブログランキング、ついにベストテンをおちて、12位になっている。
 人気のないことだ。

 11/26(月)はれ
 また暖かい日でした。
 幸せを感じる、よい日でした。

 午前中、大谷大学に出講。
 三宅碑のはなしをする。
 ただの孝子ばなしでは終わりません、建碑は史蹟をつくりあげる行為につながると論じます。
 次回につづきます。

 事務所にいるとき、週末の鞆ノ浦での講演についてH谷さんからお電話。
 室内でパワーポイントによる講演と考えていたのだが、現地見学を中心に2時間といわれ、めんくらう。

 それではたぶん中途半端になって、けっきょくお伝えできないことだらけになりそう。
 
 で、お話しして、室内講演1時間30分、現地見学2時間ていどということにしてもらう。
 働く時間がふえてしんどいのだが、やる以上、よりよい成果をあげたいという思いがある。
 当然のことだ。

 「龍馬の宿」の入室費や、お茶代などもくわえて参加費1700円になるらしい。
 すこし高い気がする、新聞社主催のカルチャースクールが1時間半で2000~2500円ていどなので、まあそれほどでもないか。

 お電話のあと、あわてて佛教大学に出講。

 こちらは惣構(そうがまえ)論。
 網野善彦さんから小島道裕さんにいたる研究史を紹介する。

 小島道裕さんの「戦国期城下町の構造」(『日本史研究』257号、1984年)という論文は、町を囲う施設=惣構(そうがまえ)が歴史学研究に役立つことをはじめて明確に示したものとしてきわめて意義深い、と思っている。
 そのはなしをいたす。
 
 これを批判的に継承した、仁木宏さんの研究(「御土居への道」日本史研究会編『豊臣秀吉と京都』文理閣)を次回紹介いたします、と予告しておわる。

 夜、「京都検定/日めくりドリル」の今週分をつくって送る。
 今週で「世界遺産シリーズ」はおわります。
 来週はなににしよう。

 今日のできごと。
「ひこにゃん」騒動の調停が継続されたと聞いた。
 詳しいことはわからないが、彦根市長さんの発言をきいていると、著作者の権利とはそんなに低いものなのかと不思議に思っていた。

 彦根市長さんは弁護士でもある。
 だからとても奇異に感じていた。

 今後の調停経過が気になります。

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2007.11.26

小学生に醍醐寺のよさを伝える

11/25(日)はれ
 あたたかい日。
 あの寒かった4日間が夢のようだ。

 たまたまその寒い期間、妹が京都での結婚披露宴に参加し、寒さで中耳炎になった由。
 気の毒なことだ。

 醍醐に行く。
「山科・醍醐こどものひろば」のイベントで、小学生とその親御さんに下醍醐をご案内する。
 小学生に僕のしっていることを平易に伝える、むずかしいことだが、実に楽しい。
 稀有なことをさせてもらっている。
 今回は女の子、4人だけだったが、意義深かった。

 下醍醐、ひさしぶりに入ったが、またちがう価値をいくつか見出した。
 奥がふかい。
 すばらしい寺だ。

 午後からはお別れして、醍醐で「あるもの」をさがす。
 すぐみつかるものではないので、時間をかけようと思う。
 今日はささやかながらその貴重な第一歩をふんだと思った。
 

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2007.11.25

山科区民まつりで山科本願寺・寺内町遺跡を啓発

11/23(金・祝)はれ
 前日、雨だったが、今日は晴れた。
 
 山科中央公園(山科区)へ。
 山科区民まつりだ。

 「山科本願寺・寺内町を考える市民の会」でブースを出して、同遺跡の啓発をするお仕事に参加。

 区民であるY本会長、M田事務局長、山科の歴史を知る会のO本さんのほか、R東高校のS田先生、O谷大学のK端先生などと同遺跡のリーフレットをくばる。

 3時で終了。
 そのあとY本会長、M田事務局長、K端先生と打ち上げ喫茶。
 ひさしぶりにM田事務局長の牛飼いのはなしをきく。

 そのあと某地のスターバックスコーヒーで、刊行予定の原稿の加筆をする。
 和装の友人もあとからやってきて、歓談。

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2007.11.23

すごい雨男(雨女)に気づいた

11/22(木)午前中あめ午後はれ
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 朝8時45分、二条城につく。

 東京都町田市の朝日アウトドア講座のみなさんと合流。
 僕は「晴れ男」だと公言している。

 本日実にめずらしく雨だ。
 今年に入っていったい何回目のことか。

 ここまで降るのは2回目だろう。
 1回目はいつだったっけ。

 おどろいた。
 やはり町田市の朝日アウトドア講座のみなさんを上賀茂神社にご案内したときだ。

 僕に圧勝できるような、雨男か雨女がおられるにちがいない。
 名古屋の朝日カルチャーセンターの担当Hさんも雨女らしいが、18回の見学会のうち雨はたった1回だった。
 それほど僕の晴れ度は高い。

 その僕に2度も勝つとは、すごい人だ。
 どの人か知りたかったが、ついにわからなかった。

 二条城、奥がふかい。
 来るたびに気づくことがある。
 中村ワールドに巻き込めそうだ。

 11時30分、終了。おわかれ。
 みなさんは湖東三山にむかわれた。
 
 午後からは京都新聞文化センターの巡検。
 江戸時代の大名屋敷跡の痕跡をみてあるくイベント。

 なんと、はれる。

 ねっ、うそじゃないでしょ。
 
 夕方4時半、京都御苑の閑院宮邸見学で終了。

 同邸を出たところで小雨がふってきた。
 ほら、終わったからね。
 
 信じていただけましたでしょうか。

(写真の門は、京都国際ホテルの大名屋敷の遺構)

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2007.11.21

時間がない。限界をこえたか

11/20(火)はれ
 午前中、今週の「京都検定日めくりドリル」最後の1問をつくり、お送りする。
 まだ世界遺産編をつづけている。
 今週は、金閣、銀閣、西芳寺など。

 12時30分から、基礎からまなぶ日本歴史。
 また今日も鎌倉が陥ちなかった。

 野口実さん(京都女子大学)の征夷大将軍論をご紹介したり、六波羅攻めのはなしをしたり、このネタに都合のよいテレビドラマのビデオをお見せしたりした。

 JR西日本の原稿が進まない。
 それにもかかわらず、急用で両親のもとへ行く。

 両親のもとでも、ビールをロング缶ひとつも空けられなかった。
 本格的にビールの量を制御できるようになった。
 すばらしいことだ。

 帰宅しても可能なところまでJR西日本の原稿、進める。

 物理的に時間がほんとうにない。苦しいかんじ。

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2007.11.20

学術誌より一般誌を優先している現状をなげく

 桐野作人さん、いまだに管理者から連絡がこないそうだ。
 だからいまだブログが再開されない。
 なんということだ。
 桐野さんのご心中、いかばかりか。

11/19(月)はれ
 朝1番、大谷大学へ。
 京都史蹟論を講ずる。
 京都市教育会と寺井萬次郎の件。

 『京都民報』の記事を配ったが、これもまだ論文化できていない。
 有志舎の本で詳述することはもちろんだが、できるなら先に論文化し、学術誌に投稿しておきたいところ。
 
 最近、論文化する前に、一般誌に書くくせがついてしまっている。

 一般誌だからといって中身をうすめてはいないが、論点(問題の所在)の提示はさすがに最小限にとどめないといけない。
 何より「注」がない。

 これではそれに関心をもった研究者が引用して使うことができない。
 すると学界に成果がいかされないことになる。

 拙著『御土居堀ものがたり』でもいわれたことがある。

 注が入ってないから論文に引用できない。
 はやく論文集として刊行せよ。

 くやしくもありがたいお言葉。

 まだ実現できていない。
 どんどん他に関心が広がる。
 このままできずに死ぬのではないか。

 なお有志舎の本では、社長の永滝稔さんが理解をしてくださったので、きちんと「注」がつきます(出典だけでなく、その引用ページまで入れます)。
 一般向けではありますが、研究者が使用するにたるものを目指します。

 午後からは佛教大学へ。
 こちらは伏見城下町のはなし。
 また佐竹屋敷。

 あきないなあ。

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2007.11.19

末法思想と広隆寺と龍馬殺害

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 桐野さんのブログはまだ再開できないらしい。
 残念なことである。

11/18(土)はれのち小雨
 午前中、嵯峨野学芸倶楽部に出講。
 受講者、10人。

 また伏見の佐竹屋敷跡のはなし。
 鞆ノ浦(広島県福山市)の危機のはなしもする。

 今日もご参加の常連さんのおひとりが、福山市出身と知る。
 世の中、せまい。

 本題は末法思想のこと。
 こちらは基礎的な教養講座程度にすませる。
 ほんとうは反対なのだが。

 終了後、ばったり会った受講者のN川さん、M本さん、K藤さんと喫茶をし、ちかくの広隆寺へ参拝する。
(写真は京都市内にたったみっつだけ現存する、平安時代の建物のひとつ、同寺講堂。)

 いま桂宮院が特別拝観中。
 おまいりする。
 境内には三宅碑が3基あります。
 それをなでる。

 そのうち刊行される『京都史蹟の誕生』(仮タイトル、有志舎)で、三宅碑は思う存分論述します。
 先日も京都民報の読者から封書が届き、三宅碑について尋ねられた。

 京都の史蹟に関心のある方は、多く三宅碑が気になるようだ。
 早く刊行できたらいいのに(ひとごと)。

 なによりまずは『池田屋事件』(講談社現代新書)だ。
 いつでるのだろう(またひとごと)。

 御三人さん、それぞれ僕の知らないことをご存知で、またふかく広隆寺を知ることになった。
 ありがとうございました。

 某所から「篤姫」について、講演依頼あり。
 来年の大河ドラマのネタだ。
 すでに名古屋市の中日文化センターでも関連のはなしをしている。
 そういえば、京都おこしやす大学でもするんだった。

 なんだか知らんまに、「篤姫」ずいてきたなあ。
 そのうち、主演される女優さんと対談とかの仕事がきたらいいなあ(くるか)。
 
 夜は木屋町三条の「龍馬」で、龍馬殺害事件について講演。
 せまいお部屋満杯。
 立ち見が数名おられた。
 次回(12/10)も満席にちかい。

 ご希望の方は予約をいそいでください。

 終了後、上洛された東京のC野氏と歓談。
 新幹線で東下されるまでのわずか1時間強のこと。

 あっという間に時間すぎる。
 タクシーで京都駅までもどられる。

 僕も急いで帰宅し、明日からの京都検定ドリルに立ち向かう。

 そんななか、桐野さんのブログの異変にきづいたというわけ。

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【告知】桐野作人さんのブログの異変

 友人の歴史作家、桐野作人さんのブログ「膏肓記」にアクセスをしたら、不能になっていました。

 理由は掲示されていましたが、穏やでない内容でした。
 びっくりして、「何がありましたか」と、直接桐野さんにメールを送ってみました。
 事情をうかがいたかったのです。

 すると、すぐお返事がきました。

 まったく身に覚えのない一方的で不当な告知らしい。

 が、その旨を管理人さんに問い合わされたが、いま現在何の応答もなく困っている由。
 どう考えても不当極まりないものですが、そのことを主張したくてもその手段がなくて困っているそうです。

 僕と同じく桐野さんを心配している方へこのことをお伝えいたします。

 早く誤解がとけ、魅力的な桐野さんのブログへのアクセスが可能となることを願ってやみません。

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2007.11.18

時間のないことを考えた

11/16(金)はれ
 午前中、同志社大学に出講。

 先週末、伏見城下町の佐竹屋敷跡調査成果の現地説明会があった。
 僕はうかがえなかったが、その意義は誰よりも知っている(つもり)。
 それをていねいに話す。

 午後は奈良県の天理大学へ。
 
 明日はひさしぶりに休みだ。
 たまっていることがある。それができる。
 「ヒマ」は大事だ。とても大事だ。

 何をするより、まずは「間(ま)」だ。
 ぼーっと、考えごとをしよう。

 でもなぁ、締め切りすぎたものがあるんだな。
 それに立ち向かうことを優先せねば。

 忙しいことの喜びと哀しみのはなしであった。

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2007.11.15

仮面ライダー・ザ・ネクスト、に残念がる

11/13(火)はれ
 基礎からまなぶ日本歴史に出講。
 鎌倉幕府を滅ぼそうとしているが、なかなか滅びない。
 今日は元弘の乱の中途でおわった。

 「太平記」の楠木正成登場の部分と、摂津桜井での正成・正行父子のわかれの部分が呼応することを指摘し、同書の正成の位置を論ずる。

 夜、映画「仮面ライダー・ザ・ネクスト」を見にいく。
 二年前の「仮面ライダー・ザ・ファースト」の続編だ。
 「ファースト」上映時は熱狂した。
 3回も見に行った。

 だから今回も楽しみにして行った。
 が、どんな映画でも感激する僕にすればめずらしい。

 ダメだった。
 ホラードラマ性がつよすぎて、せっかくの特撮ヒーローの魅力、バイクアクションの影がうすくなっていた。
 とても残念だった。

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2007.11.13

お龍と龍馬の近代史、連載開始

11/12(月)午前中はれのちくもり、午後あめ

 大谷大学、学園祭のため休講。

 ゆえに事務所で今週の京都検定日めくりドリルの問題をねる。
 今週のテーマも先週にひきつづき「世界遺産」だ。
 醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社をとりあげる。
 先週ついに400問を突破した。
 みなさまのご愛顧のおかげです。ありがたいと存じております。

 午後からは佛教大学へ出講。
 また惣構(そうがまえ)論。

 帰宅してまたドリルに立ち向かい、終了後は事務処理をおこなう。

 夕方、京都龍馬会のA尾さんからメールがきた。
 京都龍馬会の機関紙今号がすりあがった由。

 今回から僕が連載をはじめた。
「お龍と龍馬の近代史」というタイトル。
 ぜひこちらもご愛顧いただきたい。
 
 夜、木屋町のRに引き取りにいく。

 去る8/31に実施した、「くずし字入門」の池田屋事件舞台地巡検のビデオをみせてもらう。

 自分のしゃべりを審査する。
 「あー、うー、えー」は意識して使わないようにしている。
 それはまあ、できているのだが、それでもまだまだ不充分だ。 

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2007.11.12

伏見・佐竹邸跡をみずに明治維新史学会へ

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 京都大雨です。
 困るなあ。
 
 かなり空いてしまった。
 毎日更新がほんとうに困難になってきた。

 去る11/10(土)は、名古屋の中部大学へ。
 明治維新史学会に出席。

 伏見旧城下町では佐竹屋敷跡が検出され、現地説明会がおこなわれた。
 行きたかった。でも行けなかった。

 なくなく明治維新史学会に出た。
 大会運営委員なのだ。さぼれない。

 が、これぐらいの強制力がないとまたいかん。
 皆勤のためにはいいことなのだ。
 なんだかんだといっても維新史研究が本業(のはず)なので、最新研究と学界の動向を理解するには参加不可避なのだ。

 会場でY志舎(東京)の社長Nさんと歓談。
 また出版のこと、はなしあり。
 
 世に送りたい研究の出版がつぎつぎに決まってゆく。
 こんなありがたいことはない。

 頑張って生きねば。

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2007.11.08

楠木正成登場、を読む

11/6(火)はれ
 基礎からまなぶ日本歴史に出講。
 「鎌倉幕府滅亡」に入る。
 「太平記」にある、楠木正成と後醍醐天皇との出会いの部分を朗読する。

 むかし、笠置山の行在所跡で朗読したことを思い出した。
 史料を舞台地で読む。
 すると部屋で読むより臨場感が出てくる。
 おススメします。ぜひ。

 終了後、どっと疲れが出る。

 夜、7時ごろ、いつもより圧倒的にはやく寝る。
 起きたら夜12時だった。
 でもまた寝られた。
 朝まで寝続ける。

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2007.11.06

鞆ノ浦で義昭・秀吉・龍馬に出会う

11/1~2(木・金)はれ
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 午後5時35分、鞆ノ浦バス停に下車。鞆に入る。
 
 非常に暗い。明かりが少ないのだ。
 時間はまだ夕方なのだが、深夜な感じ。

 ホテルに荷物をおいて、観光地図をもち、夜の鞆の市街地をあるきだす。
 暗いのに見えるんか、と思われると思うが、暗くてもわかることがある。

 昼間ならわからない、夜の鞆の味もわかる。

 頼山陽宿舎跡、坂本龍馬宿舎跡(旧桝屋清右衛門宅)などをすぐに見つける。
 古城山(鞆城跡、歴史民俗資料館)、今回問題の「龍馬の宿」(旧魚屋万蔵方、写真)にもであった。

 街区の道が非常にせまい。
 木造家屋が多い。
 地域の頑張り次第でいくらでも「よい町並み」になりそうだ、そんな感じがびんびん届く。

 が、そのせまい道に多数の車が通ってゆく。
 信号がないからであろう、抜け道になっていると思われる。

 本屋を一軒みつけた。
 地域を知る書物をと期待したが、郷土出版社の豪華な写真集をのぞいて何もなかった。

 そういえばJR福山駅前に大き目の書店があったので、『広島県の歴史散歩/新版』(山川出版社)を求めようとしたがなかった。広島県の地域本は皆無だった。
 かわりに京都観光本の特設コーナーがあった。

 京都方面の観光客が福山にくることを想定せず、地元の人間の京都志向にだけ答えようとしている。
 なんという意識の低さ。
 こんな本屋が駅前にあったらダメだ。
 
 7時すぎまで歩いた。
 さすがに食事をすることにした。
 ホテルなどの店をさけ、市街地で店をさがす。
 が、2軒しかみつからなかった。

 どちらにも入ってみた。

 いずれも魚料理を試食した。
 まあおいしかった。味に不満はない。
 海辺でも「カツ丼」を頼むような男だが、今回はそれをせず。
 
 しかし、いずれも営業熱心とはいえない。
 観光客めあてではなく、近所のおじさん・おばさんを相手にしている。

 ちなみに2軒目のテレビで中日の優勝をみた。
 お客は僕ひとり。

 この町、すごい潜在能力をもっている。
 翌日のお散歩でつくづく思った。

 午後2時半、今回招聘くださったNPO関係のみなさんと合流、修復中の「龍馬の宿」の中を拝見した。
 そのあとの会議で上記の思いのたけをお話した。

 これを具体的に語るゆとりがいまないが、来たる12月8日(土)午後2時ぐらいから、鞆で一般向けの講演をすることになった。
 そこでお話しますから、ぜひきてください。
 いま話題にしていない「義昭(足利)・秀吉(豊臣)」ってなにかもそのときに。

 場所は未定です。決まりましたら掲示します。

 地域全体が観光で生きていこうとほとんど思っていない。
 この「宝」が明日に持ち越されるかいなかは地元の意識にかかっているのだが、それを誰かが喚起しないといけないのだろう。
 地元の有志が頑張っておられる。
 それが届いていない。
 残念でならない。

 すでにいまいくつもの市民活動に参加している。
 もうあらたに手を出すわけにはいかない。
 自重している。
 かえって迷惑をかけるから。

 でも鞆は、ひかれてしまった。
 どこまでかかわれるか分からないが、とにかく12/8は講演します。

 題して「どうして僕は鞆にひかれるか―歴史地理研究の立場から」(仮タイトル)。

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2007.11.03

龍馬ゆかりの地へ招聘される

11/1(木)はれ
 京都平安ライオンズクラブの例会にお招きいただく。
 ご推薦くださったのは、上七軒大文字「つれづれ会」のメンバーY田さん。

 「知っているようで知らない平安京・京都」というタイトルで、40分ほどお話する。
 気持ちよくすごさせていただく。
 ありがとうございます。

 終了後、Y田さんにお車で京都駅ちかくまで送っていただく。
 実は広島県福山市鞆に行くため。
 現地のNPO「鞆まちづくり工房」からお招きいただきました。

 きたる11/15、同地の坂本龍馬ゆかりの建物が復興されます。
 そのための会議が明日おこなわれる。
 そこで何かはなせと、まちづくりの専門家永橋為介さんが紹介くださった。

 東本願寺前の小林地図店に寄り、25000:1地形図「鞆」などを購入し、新幹線に乗る。

 5時すこし前に福山駅につく。
 バスで35分。
 途中、中世都市「草戸千軒」をとおった。
 鞆ははじめて。
 でも草戸千軒は以前にきたことがある。
 あのとき、なんで鞆に立ち寄らんかったんやろう。
 回顧する。

 鞆を知らないものが、会議でなんの話ができるというのだろう。
 あつかましいが、引き受けてしまった。

 すこしでもましな顔をするために、前日に鞆に入った。
 さてどうなることか。

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