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2007.10.04

古高俊太郎は非常勤職員だった

10/3(水)はれ夕方一時雨
Dcf_0928

 朝1番、京都女子大学へ出講。
 大仏方広寺を論ずる。

 次回その巡検。
 今週休まれた方、次回は教室での講義はありませんので注意ください。

 午前8時50分、東山七条交差点東側、智積院前に集合です。
 いうまでもありませんが、受講者以外はお越しになりませんよう。

 昨日とても楽しい酒席があった。
 その「名残り」があり、頭痛がする。
 頭をおさえながら、喫茶店で「新撰組より差出候書付写」(古高俊太郎の供述書の良質な写本)の原文を翻読する。
 つづいて12時30分からキャンパスプラザ京都のくずし字入門に出講するので、その予習。
 
 菊地明さんほか編『新選組日誌』上巻(新人物往来社)に全文が翻読されていて、とてもありがたいが、誤読や注記なしの文字の変更が多い。
 内容を大づかみでつかむには便利だが、残念ながら「研究」には使えない。

 それゆえ国会図書館から原文の紙焼きを手に入れて読んでいる。
 いくつか誤読を正せて、新たな事実が判明している。

 たとえば古高が父周蔵の履歴をのべたところ。
 毘沙門堂(日光宮、輪王寺宮)に仕えたというところ、『新選組日誌』は「末動家来」として召抱えられたとある。
「末動家来」は意味が通らない。

 父周蔵の前職は大津代官所手代で、役職は「手代」とわかっている。
 が、毘沙門堂での立場がわかっていなかった。
 たんに「家来」のみだった。
「末動家来」の「末動」部分はおそらく誤読で、これが正しく読めると謎がとけるのではと思っていた。

 受講生T田さんのご協力で、「未勤」が正しいことがわかった。
「未勤家来」なら意味が通る。
 有栖川宮家などに実在する役職だ。
 正職員でない家来、すなわち非常勤職員という意味だ。

 「書付写」によると、父他界ののち俊太郎がそのまま父を引き継いだと読めるので、古高も毘沙門堂非常勤職員だったことになる。
 古高は正職員ではなかった。
 だから門跡の家来でありながら桝屋に養子に入ることもたやすかったのだろうと、考えられるようになった。

 史料は刊本に頼ってたらあかん、原本によらないと、とあらためて思ったものだ。
 詳細は近著『池田屋事件』(講談社現代新書)で述べる予定です。

 午後4時すぎからは佛教大学へ。
 京都の人文地理現象を論ずる授業。
 でも1回目は「江戸時代を大事にしないまち京都」。
 まだ歴史くさいことをしている。

 午後6時半、同志社大学の嘱託講師懇親会に出席。
 昨日の酒が残っているので今日の酒席は避けたかったが、そうも行かない。
 楽しいことがいっぱい待っているにちがいない。

 やっぱり。
 久しぶりにY田K和博士(写真)とお目にかかる。

 Y田博士の方から気づいて、わざわざ声をかけにきてくださる。感激。

 テレビなどでよくお見かけする高名なT・I先生(K都S業大学)の自己紹介に思うことがあった。
 岐阜におすまいで、同県出身の志士梁川星巌の京都宅跡(川端丸太町上ル東側)を訪ねたら、標石がなくなっていた、京都はいいものがありすぎてこんな大事なものさえおろそかにする、となげかれた。

 この標石は京都市教育会碑だ。
 1年ほど前なくなったことを僕も気づいていた。
 捜索すべきところを放置していたが、今回T・I先生は建設予定マンションの一角に横たおしになっていたことを見つけられたという。その行動力にも驚く。
 失礼だが、仕事のできる方はやっぱりいつまでも「お若い」、と思った。

 会場にはお世話になっている先生や、旧知の方など多数おられて、この業界の同志社大学出身者の多さをあらためて感ずる。

 Y田博士のお誘いで2次会にも参加させていただく。
 M藤先生はじめみなさんから、中身のこすぎる朝鮮や中国の現代考古学事情をお聞かせくださる。
 勉強にもなりましたし、ごちそうにもなりました。ありがとうございました。

 とてもステキな夜だったので歩いて京都市内を帰ろうとしばらく歩いていたが、ときどき不穏な方々とすれちがい身の危険を感じる。

 「親父狩り」に合うわけにはいかんと、過剰な危機意識に後押しされて少しの距離だったがタクシーに乗る。

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