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2007.10.31

長州毛利家が東照宮を勧請していた

10/30(火)はれのちあめ
 基礎からまなぶ日本歴史に出講。

 鎌倉時代、「霜月騒動と永仁の徳政令」を論ずる。
 専門でもなんでもないが、聞き上手のみなさんに支えられる。

 あいかわらず前半は最近の「個人ニュース」紹介。
 いま東照宮にとても関心をもっている。

 長州毛利家が東照宮を勧請していたこと、まったくしらなかった。

 関ヶ原以来徳川を敵視し、元旦には徳川打倒を話題にしていたという有名なエピソードももつ毛利家。
 だから念願かなってついに倒幕に成功した。

 そんな毛利家が神君家康を神様として祀っていた。
 毛利家がずっと倒幕を考えていたなんてウソだ。
 むしろながく徳川を恐れていた。
 だから東照宮の勧請は充分ありえることである。

 が、そんな事実、恥ずかしくて人にいえない。
 だから維新後に抹殺した可能性がある。

 それをあばけたらとおもしろいのにと、ある先生からいわれたことがある。
 ほんとうだ、あばいてみたいものだと思っていた。

 いえいえすでに明らかにされていたのだ。
 
 高藤春俊さん『家康公と全国の東照宮』東京美術、1992年
 中野光浩さん「諸国東照宮の勧請と造営の政治史―長州藩と秋田藩の事例を中心に」(山本信吉ほか編『社寺造営の政治史』思文閣出版、2000年)

 はずかしいことだ。
 でも、やっぱりそうだったか、という思いもつよく、うれしさもある。

 なおだれでも知っていたこと、ということではなかった。
 歴史地名辞典の金字塔、平凡社の地名(『山口県の地名』)に東照宮の記載がなかった。

 だから知らなくてもしょうがないのかもしれないけれど、でもショックだった。

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