長州毛利家が東照宮を勧請していた
10/30(火)はれのちあめ
基礎からまなぶ日本歴史に出講。
鎌倉時代、「霜月騒動と永仁の徳政令」を論ずる。
専門でもなんでもないが、聞き上手のみなさんに支えられる。
あいかわらず前半は最近の「個人ニュース」紹介。
いま東照宮にとても関心をもっている。
長州毛利家が東照宮を勧請していたこと、まったくしらなかった。
関ヶ原以来徳川を敵視し、元旦には徳川打倒を話題にしていたという有名なエピソードももつ毛利家。
だから念願かなってついに倒幕に成功した。
そんな毛利家が神君家康を神様として祀っていた。
毛利家がずっと倒幕を考えていたなんてウソだ。
むしろながく徳川を恐れていた。
だから東照宮の勧請は充分ありえることである。
が、そんな事実、恥ずかしくて人にいえない。
だから維新後に抹殺した可能性がある。
それをあばけたらとおもしろいのにと、ある先生からいわれたことがある。
ほんとうだ、あばいてみたいものだと思っていた。
いえいえすでに明らかにされていたのだ。
高藤春俊さん『家康公と全国の東照宮』東京美術、1992年
中野光浩さん「諸国東照宮の勧請と造営の政治史―長州藩と秋田藩の事例を中心に」(山本信吉ほか編『社寺造営の政治史』思文閣出版、2000年)
はずかしいことだ。
でも、やっぱりそうだったか、という思いもつよく、うれしさもある。
なおだれでも知っていたこと、ということではなかった。
歴史地名辞典の金字塔、平凡社の地名(『山口県の地名』)に東照宮の記載がなかった。
だから知らなくてもしょうがないのかもしれないけれど、でもショックだった。
| 固定リンク

