天誅組志士の遺品を手にする
10/19(金)あめ
朝、奈良県吉野郡川上村にむかう。
同村をフィールドにする友人、K田K美子氏の自家用車に便乗して。
幕末の大和を震撼させた天誅組の乱にふかい関心がある。
いま抱えているいろいろな仕事をおえたら、つぎに立ち向かいたい対象。
不定期にその旧蹟をあるいている。
川上村の伯母谷は、天誅組が壊滅直前に立ち寄った場所。
そこに、重病のため本体から遅れた久留米出身の小川佐吉を匿った洞窟がある。
なづけて「天誅窟」。
以前から行きたかった。
が、けわしい山腹にあるので案内者がいないと困難。
今回、K田K美子氏が尽力くださり、地元の方に案内してもらうことになった。
が、朝から雨である。
向かっている途中、案内をお願いしていた方から電話が入り、延期といわれる。
残念。
よほど縁がないようだ。
スケジュールぎっしりのため、本日をのがすとしばらくうかがえない。
が、引き返さない。
もう一件、お約束をしていた。
おなじく小川佐吉が匿われたとされるN氏方である。
ひとり暮らしのご婦人、おひとりでお迎えくださる。
小川佐吉使用とされる、兜、槍、鉄砲などを拝見する。
N氏方のことも、そこに遺品が保存されていることも、今回K田氏に教えていただくまで知らなかった。
天誅組研究の古典にして名著、久保田辰彦氏『いはゆる天誅組の大和義挙の研究』にも、近年刊行の吉見良三氏『天誅組紀行』にも記載がなかったから。
これらの研究により、別の場所に残されていた小川の遺品は、維新後、小川の遺児に返されたと知っていた。
だから小川の遺品はもう大和にはないと思っていた。
実は、N氏方のことが過去にまったく報告されていなかったわけではなかった。
『吉野郡史料』にちゃんと記載があった。
中谷順一氏編『こうだに誌』(奈良県吉野郡川上村上谷区、1986年)によって本日知った。
恥ずかしいことだ。
いわば賊徒といえる小川佐吉を匿いつづけた村民の意図がわからない。
彦根勢など追討軍がきたとき、通報したらいいじゃないか。
もし隠匿がばれたらお上の罰をうけるではないか。
これを「残念さん」信仰を検討した井上勝生さんなどの成果に便乗し、真正面から攘夷をかがげる長州毛利家への敬意と理解している(同氏『幕末維新政治史の研究』塙書房、202-215ページ)。
が、本当にそれでいいのか。天誅窟に入って考えようと思っていた。
また次回だな。
小川佐吉はせっかく完治したのに、また危険な世界へ飛び込んでいった。
宮田半四郎と名を変え、長州毛利家に仕え、鳥羽伏見戦争に戦死するのだ。
助けた村民はこれを知ってどう思ったのだろう。
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