お龍が「龍馬の遺族」でなくなる過程
9/1(土)はれ
栄中日文化センターへ。
今回は新幹線落雷事故はなく、無事11時46分京都駅発のぞみに乗れる。
ぐうぜん受講者にして友人C野さんと同乗、たのしい名古屋行き35分であった。
本日「お龍からみた龍馬」最終回。
そして数年にわたってつづいた中日文化センターの龍馬講座も一旦おわる。
本日は「龍馬と別れて」と題して、龍馬没後のお龍40年を論ずる。
近年、鈴木かほるさんの「お龍伝」が発表されている(『市史研究横須賀』4号、2005年3月)。
その成果を頂戴し、そこでふれられていないことにも言及した。
とりわけ注目したのは、お龍がいかに「龍馬の遺族」からはずされていくか、という過程である。
お龍はある時期までまちがいなく「龍馬の遺族(いわゆる未亡人)」であった。
すなわち龍馬の「遺産」相続者であったといえる。
龍馬の死後、長府毛利家からお龍が扶持米をもらっているし、龍馬の「遺言」にしたがい海援隊士たちは土佐坂本家へ送りとどけている。
が、いつかそれがなくなってしまう。
これは洛東霊山の殉難志士墓地がいかに形成されていくのか、という別の関心でえた知識により、興味深い齟齬に気づいたからだった。
これについてはいつかきちんと論じてみたい。
先日、ありがたいことに、東京の有名なS社(ただし「新人物○×社ではない)から「龍馬」で1冊書きませんかと打診をいただいた。
幕末史を専攻しているものとして、龍馬伝を世に送れることは幸せなことである。
すべきことがゴマンとあり、刊行はまだまだ先のことになるが、お引受けした。
そこで論じれたらと願っている。
それはともかく、まもなく新人物往来社から、鈴木かほるさんによる「お龍伝」が刊行される(『資料から語る坂本龍馬の妻・楢崎龍』、11月末ごろ)。
たいへんたのしみである。
終了後、ながきにわたって受講くださった関東のM川さんとC野さんのお別れ会があった。
来月からは龍馬講座はないのでもうお越しにはならない。
お2人は最高クラスの龍馬通である。
お2人がこられていたことは話す側として大いに刺激になった。
ありがとうございました。
来月からは「篤姫」(来年の大河ドラマ)にちかい幕末講座を行います。
よろしければおこしください。
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