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2007.09.14

洛東霊明神社で感動する

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 驚くような偶然により、洛東霊明神社の神主村上繁樹さんと縁ができた。
 龍馬ら幕末志士の墓所が、もともといとなまれていた場所です。

 明治政府の方針により境内の大半を没収され、それが隣地の現霊山護国神社に引き渡されてしまった、数奇な神社です。

 去る9/12(水)、霊明神社を訪問。
 はじめて村上さんにお目にかかり、本殿のおまいりもさせていただく。

 さまざまなお話をする。
 未知の史料が多数あることを知った。
 
 神主村上さんとたいそう意気投合する。
 文書・記録だけでなく、墓地もご案内いただく。
 
 恥ずかしながら、境内の南に飛び地の墓地があることを知らなかった。
 西の墓地は知っていたが。

 そしてもっと恥ずかしいことに、そこに和田義亮こと大沢逸平の墓碑があることを知らなかった。
 池田屋事件に受難し、庭の大釜に隠れて命が助かったと「乃美織江の手記」に記される人物だ。

 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』に立項されていない。
 贈位をうけているので『増補贈位諸賢伝』には立項されているが(下巻、703ページ)、埋葬地や墓所の記載がなかった。

 何年この人物のことを意識していただろう。
 こんな身近に墓碑があったのか(写真)。
 恥ずかしい。
 
 それから、霊明神社と志士の縁をつくった曇華院の吉田玄蕃の墓所もここと知らなかった。
 吉田は『明治維新人名辞典』に立項されているが(初版、1067ページ)、墓所の記載がなかった。

 いろいろ思いがふかい。
 村上さんに、これから深く長いお付き合いをお願いしてお別れした。
 一生忘れられない日のひとつになった。

 帰途、有名料亭の前に移動させられた天誅組墓地の道標の銘文を書き写していたら、その料亭にS戸内J聴さんが入っていかれるのをみた。以前に京都駅でお見かけした。2回目だ。

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