季節はずれの大掃除
9/29(土)くもりのちあめ
しなければいけないことが多数あるが、モノがありすぎてもう家が機能しなくなった。
だから家で大掃除。
いっぱいモノをすてた。
まだ終わらない。
でも次の用事に移る。
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9/29(土)くもりのちあめ
しなければいけないことが多数あるが、モノがありすぎてもう家が機能しなくなった。
だから家で大掃除。
いっぱいモノをすてた。
まだ終わらない。
でも次の用事に移る。
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9/28(金)はれ
朝1番、同志社大学新町校舎へ。
本日から講義と思って。
が、講師室が暗い。
まだ夏休みだった。ショック。
でも予期せず時間ができた。
喫茶店で論文の推敲をしたり、考えごとをしたり。普段しないことをいろいろした。
こんな日もいいもんだなあ。
午後から奈良県の天理大学へ出講。こちらはちゃんと講義があった。
受講者にけっこう受けた。つかみはOKか。
京都市内へもどってきて、夜は右京区花園で三宅日記輪読会に出席。
そのあとは友人K田K美子氏と京都駅前で痛飲。
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9/25(火)
行方不明だった麒麟の田村さんの父が見つかったという新聞報道に驚いた。
それが超能力者の透視がきっかけで、本日の夜のテレビで放映する、と聞いた瞬間「うさんくさいもの」を感じたが、気になってそのテレビ番組をみた。
思うことはいっぱいあったが、父子再会がなったことは事実なのですなおによかったと思った。
それにしても田村さん。
自伝の刊行、映画化と、一気に表舞台に出たなあという思い。
これからも頑張ってください。
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祇園界隈、お彼岸客や観光客がたいそう多い。
午後2時、洛東霊明神社にうかがう。
秋の祭典に出席のため。
霊明神社は幕末志士の葬地として知られる。
神主は村上氏。
久坂義助が先祖の永代供養をねがい、中岡慎太郎が参拝したことが信用できる史料によるわかる場所。
だから坂本龍馬や中岡はこの地に埋葬された。
いま隣地の霊山護国神社がその管理者だが、1876年(明治9)に政府が霊明神社(霊明舎)から土地を
没収(上知=あげち)し霊山護国神社(東山招魂社)にわたしたため。
いま龍馬らのお墓まいりをするには霊山護国神社から入るしかない。
が、同時代の志士たちが訪問し祭祀を依頼した地は隣地の霊明社である。
どうかこの事実を知っていただき、村上氏の霊明社にも参詣してほしい。
今回、50人ほど参加されていた。
今回8世を継がれた村上神主、建物のなかにある大きな社殿前で祭祀をなさる。
建物や社殿はあたらしいものだが、その地が幕末から動いていないことは確実。
僕は今回2度目の参詣だが、ここに知られた志士たちがみな来たのだとまた思い、ひとり感激していた。
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午前10時、キャンパスプラザ京都へ。
京都おこしやす大学で京都駅から八条・九条をあるくイベントに出講するため。
同時刻、平安宮豊楽院跡の現地説明会はじまる。
行けず。
早めに行き、ちらりと拝んですぐタクシーに乗ってキャンパスプラザ京都に行くつもりだった。
が、準備に時間がかかりすぎてできなかった。
残念でならない。
同じコースなんどもしている。
パワーポイントによるスライド設定もできあがったものがある。
準備はいらなかったかもしれない。
でも同じことをするのがキライだし、受講者は初めてでも、スタッフは知っている。
おうちゃくをしたか、あらたな手をいれたかどうか。
その目が気にもなるので、かなり手をいれた。
それで時間がかかった。
自己満足なところがあるが、それが「仕事」なのだと自らを説得する。
今回も遍照心院跡の六孫王神社におまいり。
また「神廟」(六孫王=源経基墓)に立ち入れた。うれしかった(写真。前回撮影)。
今回も聞き上手なみなさんにささえてもらいました。
スタッフのみなさんも気持ちよく仕事をさせていただきました。
感謝申し上げます。
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今朝、昨日の京都新聞夕刊を読んだ。
「宮内庁が研究者に天皇陵公開」の記事に衝撃をうける。
ついにこの日がきたか。
頑張ってこられた方の顔がうかぶ。
伏見城・城下町の研究をしてきたものとして、明治天皇陵にはぜひ立ち入りたかった。
入れる日がきたのだ。
具体的にどういう申請をすればよいのか、調べなきゃ。
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9/20(木)はれ
名古屋へむかう。
栄中日文化センターの「日本の城と合戦」「京都学ことはじめ」に出講のため。
今回いずれも最終回。
「日本の城と合戦」は小牧・長久手の戦いを論ずる。
失敗した。
最近、藤田達生さん編『戦場論』上下という、小牧・長久手の戦いの総合研究書みたいな書物が刊行された。
今回も大きく学ばせていただいたが、藤田さんはながくから栄中日文化センターの講師でいらっしゃる。
藤田さんのお膝元で、素人が小牧・長久手の戦いを語るなんて。厚顔無恥なことだった。
京都学講座は、院政期の京都をお話しする。
いずれも聴き上手のみなさんに支えていただきました。
今後も当講座は継続します。
またどうかよろしくお願いいたします。
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9/19(水)はれ
10:50、基礎からまなぶ日本歴史に出講。
洛中の篝屋(かがりや)や、それを描いた一遍上人絵伝のはなしをする。
いつもやりたい放題の内容なのに、みなさんよくお付き合いくださる。
12:00すぎ終了。
JR西日本のMさんなどお3人さんと待ち合わせ。
昼食会につれていってくださる。
このたびJR西日本のサイトに、京都観光のマニアネタを連載することになった。
その打ち合わせ。
京都おこしやす大学の主催者でもおありで、これまでの僕の講座をよくみてくださっている。
理解してくださる方とお仕事することは本当にありがたいこと。
昼食会のあとは、JR西日本のビルにつれていってくださり、そこでさらにくわしい話をつめる。
ビルの上の階の窓からみる京都駅周辺はみごとで、土居堀跡でもあるので写真を撮りまくる。
最後はみなさん総出で送ってくださり、ビップになった気分。
京都検定日めくりドリルの原稿が滞っているので、帰途につく。
途中、ある古書店に立ち寄り、ぼーっと本をみていると、左側面から「先生」と呼ぶ声あり。
最近、路傍で突然声をかけられることがふえた。
こちらがきづかなくても、相手がきづくことが多い。
先日も「女性づれで電車に乗っておられるところを見ましたよ。実は横に座ってたんです」といわれたことがある。
そのときいってぇなぁ、と思いました。
で、誰だろうとおそるおそる見ると、元古書肆でいまは「R」のオーナーAさんだった。
「何してるんですか」
「本屋のこと教えにきてるんですわ、バイトですわ」
みたいなことをいわれる。
奇遇やなあ、よほどAさんとは縁があるらしい。
昨夜、僕の龍馬の師でもある、関東のM川M理子さんからおそるべき文献のコピーが送られてきた。
夜、京都検定日めくりドリルの原稿があがったあと、それをもって「R」へいく。
僕は郵便物をあけるのが苦手なので、「R」で開封する。
いわれていたある写真が、たしかに2枚載っていた。
こんなものがこの世にあったのか。
体がふるえた。
すでに活字ではふれたものがあるので、まったくの新出ということはありませんが、「そのもの」が一般にお披露目されたことはないらしい。
で、それはなにやねん。
それは僕に直接会ったときにでも聞いてください。
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すこしあいてしまっった。
友人U原K久氏から、「嵯峨野学芸倶楽部(連)に出講した」というブログ記事が少ないといわれた。
驚いた。そうだったっけ、と思った。
去る9/16(日)、その嵯峨野学芸倶楽部に出講した。
それから3日、いろいろあって更新が遅れた。
なるほど、たしかに書いていない。
指摘がなければ、本日の更新では昨日の朝日カルチャーセンターの現地講座の話題をしておわるところだった。
そうか、おっしゃるとおり。
愛読者U原氏に感謝。
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9/15(土)はれ
朝1番、9時10分、「くずし字入門」に出講。
乃美織江の手記が終わって、前回から古高俊太郎の供述調書こと「新撰組より差出候書付写」を読んでいる。
この講座ほど中村ワールド炸裂みたいなものはないなぁ。
最近全然「入門」ではないような。
でも池田屋事件研究の最前線を知られたい方にはご期待にそえる内容と思う。えらそうですが。
おかげさまで「講談社メールマガジン」の連載「本気で考える池田屋事件」もつづいている。
夕方5時からはスナック「龍馬」で「寺子屋龍馬」講座。
今回は「薩長同盟研究のいまと坂本龍馬」みたいな内容。
桐野作人さんの昨年の論文をつかわせていただいた。多謝。
佐々木克先生ご発見の『吉川経幹周旋記』所収、例の「非義の勅命は勅命あらず」の大久保利通書簡を声を出して読む。
力が入ってしまった。
終了後はたこ焼きパーティに居残る。
受講のみなさんと歓談。
そのあとは親しいS水さんからのお誘いで木屋町の珍しい店にいく。
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驚くような偶然により、洛東霊明神社の神主村上繁樹さんと縁ができた。
龍馬ら幕末志士の墓所が、もともといとなまれていた場所です。
明治政府の方針により境内の大半を没収され、それが隣地の現霊山護国神社に引き渡されてしまった、数奇な神社です。
去る9/12(水)、霊明神社を訪問。
はじめて村上さんにお目にかかり、本殿のおまいりもさせていただく。
さまざまなお話をする。
未知の史料が多数あることを知った。
神主村上さんとたいそう意気投合する。
文書・記録だけでなく、墓地もご案内いただく。
恥ずかしながら、境内の南に飛び地の墓地があることを知らなかった。
西の墓地は知っていたが。
そしてもっと恥ずかしいことに、そこに和田義亮こと大沢逸平の墓碑があることを知らなかった。
池田屋事件に受難し、庭の大釜に隠れて命が助かったと「乃美織江の手記」に記される人物だ。
日本歴史学会編『明治維新人名辞典』に立項されていない。
贈位をうけているので『増補贈位諸賢伝』には立項されているが(下巻、703ページ)、埋葬地や墓所の記載がなかった。
何年この人物のことを意識していただろう。
こんな身近に墓碑があったのか(写真)。
恥ずかしい。
それから、霊明神社と志士の縁をつくった曇華院の吉田玄蕃の墓所もここと知らなかった。
吉田は『明治維新人名辞典』に立項されているが(初版、1067ページ)、墓所の記載がなかった。
いろいろ思いがふかい。
村上さんに、これから深く長いお付き合いをお願いしてお別れした。
一生忘れられない日のひとつになった。
帰途、有名料亭の前に移動させられた天誅組墓地の道標の銘文を書き写していたら、その料亭にS戸内J聴さんが入っていかれるのをみた。以前に京都駅でお見かけした。2回目だ。
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9/13(木)はれ夜あめ
京都新聞文化センターに出講。
また江戸時代の御土居堀管理のはなしをする。
拙著『御土居堀ものがたり』にふれはしたが、論文としてほとんど発表できていない。
ひさしぶりに何とかしなければと思った瞬間。
まとまった時間をつくらないと。
しないといけないことが多すぎる。
が、怠惰である。
なんとかしなくてはならぬ。
思い出させていただいた受講者のみなさんに感謝しています。
夜、同社の担当Yさんと「R」でのむ。
この日、新出の例のものを初めて持参。
主人Aさんも驚かれる。
龍馬殺害事件をほうふつさせるもの。
うーん。うなる。
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本日、「京都検定/日めくりドリル」(京都新聞夕刊所収)は365回をむかえた。
これで本当に1年の日めくりが可能になった。
すなおに喜んでいる。
さあ、乾杯にでかけよう。
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午前中、今週の「京都検定/日めくりドリル」つくって送る。
時間ができたので、思い立って旧船井郡日吉町(現南丹市)にでかける。
古高俊太郎に「桝屋喜右衛門」への入籍をすすめた湯浅五郎兵衛(征一郎)の本拠地だ。
その次男章は、俊太郎の養子をなのり、維新後は古高姓を称した。
南丹市日吉町郷土資料館にいき、2004年の湯浅五郎兵衛展の図録を購入する。
学芸員の向田明弘さんにご挨拶し、五郎兵衛のこと、章のこといろいろうかがう。
向田さんから教えていただき、五郎兵衛邸跡とその墓参をする。
五郎兵衛邸跡、いま建物はないが、敷地にあらたなものはたたず、山林のままだった(写真)。
庭園の石組みも崩れながらもそのまま。
文化財の指定を受けているわけでもないのに。
建物の古写真はあるし、絵図もある。復元は可能だ。
すごいこと。
が、石碑があるわけでもなく、のせてもらったタクシーの運転手さんも何もご存じなかった。
新選組に追われたほどの男で、その知人には学校の教科書にのっているものがいる(吉村虎太郎のこと)というと驚いておられた。
滞在はみじかかったが、小旅行気分を味わえた。
夜は「R」に立ち寄って、一杯いただく。
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去る9/6(木)の京都新聞朝刊トップで報じられた、宇治市菟道の「太閤堤」の現地説明会にいく。
現在の宇治川右岸堤防の東側の地下から、長さ約75メートルにわたって護岸の石列がみつかった。
これを豊臣政権が文禄年間におこなった大事業の遺構だというのである。
午前10時30分、京阪宇治駅に到着。
午前中なのにもう暑い。
日傘をさして現地へ急ぐ。
知った方、何人かに声をかけられる。
すでに説明が始まっている。
写真でみていたとおり、ながい石列はなかなかの威容である。
若い担当者に大きな声で遺跡の保存を訴える人が目をひいた。
そのあとテレビカメラもその人にインタビューをこころみていた。
マンション建設予定地だ。
遺構は壊さず埋め戻すだけだと担当者のひとりがいっておられたが、史蹟指定をして地上に露出させることをのぞむその人の気持ちもわかる。
それにしても場所がなあ。
宇治川右岸堤防のすぐ東側ですよ。
万一の洪水でここは決壊する可能性がある。
そうすると生命の危険のあるところ。
そこにマンション建設か。
建てようと思うものは別の論理があるからともかくとして、それをみとめる行政は人の命を軽視しているとしか思えない。
住む人間はもちろん危機意識が低すぎる。
毎年のように水害で家が流されるニュースに接しているはずだから、こんな地に立つマンションに住む人がいるとは思えないのだが。
生命の危険のある住居をつくらせるより、近世初頭の土木事業を知る貴重な遺構として、史蹟公園化し市の目玉のひとつにした方がよいと思う。
が、これが豊臣期に構築されたものかはもっと慎重であるべきだろう。
文献には左岸につくったことしか出てこない上、遺物が少なく、とても豊臣期と断定できるものではない。
遺物からは少なくとも江戸前期には存在していたことがわかる程度だ。
石垣の構造が豊臣期の城郭のそれと似ているからと担当者がいわれたが、どの城郭のどの部分と類似しているかまでは説明がなかった。
文禄と慶長・元和にはっきりわかるほどの石垣技術の差異があるのか。
地域差も問題にしないといけないはず。
山城国紀伊郡の城郭で石垣が出ているのは伏見城だが、伏見城の石垣の年代研究なんてそんなに進んではいないだろう。
豊臣政権が構築したことが確実な、鴨川堤防たる御土居堀は石を組まず土塁である。
なぜ宇治川堤防は石で、鴨川堤防は土なのか、その説明ができない。
その鴨川堤防が石垣になるのは文献上、寛文10年(1670)のことだ。
文禄から約80年もあとのことだ。
そんな事実をふまえると、今回の遺構が「太閤堤」というには大きなためらいがある。
が、前述したように近世前期の治水を知る貴重な成果であることはまちがいない。
大きな目の保養になった。
ありがとうございました。
そのあと橿原市の藤原宮の門跡の現地説明会にも行きたかったが、昨日締め切りだった国土交通省のイベント資料の原稿があがっていないので、家路につく。
原稿が完成したのは午後4時ごろだった。
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恒例の龍馬講座を開きます。
よろしければおこしください。
タイトル:薩長連合論のいま―龍馬はどこまで関わったか
講師:中村武生(歴史地理研究者、佛教大学・同志社大学など非常勤講師)
日時:本年9月15日(土)午後5時~6時
参加費:千円(お茶とお菓子がでます)
※限定15名(予約制です)
場所:龍馬(京都市中京区木屋町三条下ル材木町184、都会館1階)
主催・申し込み:特定非営利活動法人/京都龍馬会 075-211-3666
※終了後、たこ焼パーティがあります。参加自由(飲み放題3.000円)
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第1回 花街文化シンポジウム ―上七軒の現在とこれから―
花街(かがい)は、歴史上さまざまな文化芸能を生みだしてきました。
今回は、日本でもっとも古いといわれる花街(かがい)「上七軒」に焦点をあて、その文化的な多面性を明らかにしたいと思います。
シンポジウムでは、都市論、建築、歴史地理、映像人類学といったさまざまな立場からアプローチを試みます。
全国各地の花街はこの二十年で激減しており、その歴史的景観も危機的状況にあります。
花街の現状と将来について考えてみませんか。
ぜひご参加ください。
【場所】上七軒歌舞練場(京都市上京区北野上七軒)
【日時】2007年12月2日(日) 午前10時~12時
【参加費】無料(申込不要)
【タイムスケジュール】
09:30 開場
10:00 開会
主旨説明 太田達(花街文化研究会)
10:05 上映「上七軒 いま・昔」 鈴木岳海(立命館大学映像学部専任講師)
10:20 報告①「うまれたころの北野上七軒―歴史地理の視点から」 中村武生(佛教大学文学部非常勤講師)
10:35 報告②「花街 近代から現代へ?(仮)」 加藤政洋(立命館大学文学部准教授)
10:50 報告③「お茶屋建築の特色(仮)」 井上えり子(京都女子大学家政学部准教授)
11:05 シンポジウム 井上 × 加藤 × 鈴木 × 中村 司会:太田
12:00 閉会
【問合せ】E-mail info@ren-produce.com
TEL&FAX 075−864−9700
【事務局】花街文化研究会
〒616-8313 京都市右京区嵯峨野開町10-15伝統文化プロデュース 連内
主催:花街文化研究会
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9/6(木)はれ
秋に北野上七軒のシンポジウムが開かれます。
「来てください」といわれたとき、とくに予定が入っていなかったので、傍聴者のつもりで手帳に書いておきました。
それがなんということか、報告者のひとりになってしまいました。
建築学の井上えり子さん(京都女子大学)、民俗地理学の加藤政洋さん(『花街』朝日選書の著者、立命館大学)、社会学の鈴木岳海さん(立命館大学)とともに。
ええんかいな。
たしかにこのグループに歴史学(歴史地理)の人はいらっしゃらないので、上七軒の空間変遷を述べよといわれると、「はい、いたします」といってしまった。
本日午後6時、京都府庁旧館(国重要文化財)で準備会。メンバーで職員のU原K久氏の好意。
やっぱり、なんでもやってみるもんやなぁ。
これまで気づかなかったこといっぱいきづけたし、ほかの報告者のおはなしうかがい刺激もいただけた。
ありがたいことだった。
途中退席。三条京阪へ。
朝日新聞のH記者からの依頼で「京都駅〇番ホームは御土居」伝説の取材をうける。
あのころの情熱をおもいだす。もうあんな頑張り、だせへんなあと思いかえす。
終了後、スナック「R」へ。
友人K田K美子氏、ぐうぜんこられる。
びっくりした。
しばらくすると上七軒メンバーの飲み会のお誘いがある。
宮川町で。
途中から参加。
そのあとまた「R」へもどって、「一生許さない輩」のはなしをする。
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9/5(水)はれ
まだまだ痛いほど暑い。
京都府立総合資料館へ行く。
例の「珍品」のひとつ、類書があるものか、司書の松田万智子さんに尋ねにいく。
さすが、松田さん。
ほとんど即答された。
「もと」があった。
いささかがっかり。
が、すぐにきづく。
まったく同じではない。
大部分はそのまま筆写しているが、一部かなり加筆がある。
オリジナル部分の多い異本だった。
やっぱりおもしろい。
京都新聞連載中の「京都検定/日めくりドリル」のネタにしよう。
ちなみに本連載は来週、365回をむかえる。
ほんとうに1年の「日めくり」に達する。
すばらしい。
みなさまのご愛顧のおかげです。
それしても即答された松田さん、司書の鏡だ。
こういう人をもっている総合資料館はステキな館だ。
いま同館の「みなおし」が進んでいる。
館の「鏡」を冷遇しないでほしい。
夕方はいつもと時間がちがうけれど、京都駅前キャンパスプラザで「基礎からまなぶ日本歴史」に出講。
四条天皇の崩御・後嵯峨天皇の即位にともなう京都と鎌倉の対立を、原典にあたってご紹介。
最近は全然「基礎から」じゃないなあ。
上記ネタは高校の日本史教科書には載っていないもの。
「原典にあたる、京都からみた日本歴史」みたいな感じだ。
北条泰時の死亡が(後鳥羽上皇のかわいがった順徳上皇の子をはずして)後嵯峨天皇を即位させてからわずか3ヶ月後のこと。
またその日が、21年前に彼が京都に攻め込んだ日(承久の乱)と一致しているというのはびっくりする話で、なるほど後鳥羽上皇の怨念に殺されたと、当時信じた人がいても不思議ではない、という上横手雅敬さんのネタでしめる。
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9/4(火)はれ
たまりまくっている多数の庶務に専念する。
講談社メールマガジンの連載「本気で考える池田屋事件」、今回の分を提出できた。
ほっとした。
夜、上七軒歌舞練場へ。
いつもの「つれづれ会」に出講。
今回は明かりの少ない歌舞練場が会場なので、レジュメなしでおもしろいはなしをせよというご依頼をいただきましたので、正直「なにができるだろう」となやみました。
が、運よく、昨夕、とてもおもしろいものを手にいれたので、それをご披露することにした。
みなさん聴き上手でいらっしゃるので、無事すませられた。
この「おもしろいもの」、また別の講座でもご紹介したい。
類例があるものなのか、それもよく分からない。
が、少なくとも僕は知らない。
Yさんにお誘いいただいて、舞妓勝瑠さん、芸妓勝江さんと2次会にいく。
カラオケしたら、なんと98点を出した。
ふしぎやなぁ。
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9/3(月)はれ
「基礎からまなぶ日本歴史」巡検。
保元元年(1156)の保元の乱の舞台地をあるく。
後白河天皇の内裏高松殿跡から、藤原頼長邸であり後白河の行幸所でもある東三条殿跡をへて、崇徳上皇の御所白河北殿跡まで。
高松殿跡にある高松明神で「保元物語」をよむ。
現地で史料をよむと臨場感がてでくる。
為朝と義朝のそれぞれの夜襲を進言する部分。
勝敗をわけたところ。
宮司さんまでてこられ、きかれる。
高松殿跡、東三条殿跡、白河北殿跡のいずれにも京都市教育会碑が建っていることは興味深かった。
京都市教育会の充実した建碑行為には(幕末史蹟をのぞいて)感銘をうける。
午前中だけでしたが、暑くなってここちよい疲れ。
お昼は多くのみなさんとランチ。
夕方、某古書店へ立ち寄る。
あるまとまった幕末から明治の文書をみつける。
無名の人物のものであるが、よく知られた大名の家臣のものだったこと、あるネタに使える珍しいモノがふくまれていたため購入する。
びっくりするほど安価だった。
幕末ていどのモのならまだまだよく出てくる。
ていねいに探すことだ。
またどこかの講座で公開すると思います。
お楽しみに。
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9/2(日)はれ
くずし字入門に出講。
いつもは金曜だが、会場の都合で今日。
さすが参加者は少ない。
でもその分、いつも以上に濃厚なことができた。
乃美織江の手記最終回。
ながくお付き合いくださりありがとうございました。
長州屋敷役人の(木村)甚五郎が池田屋事件で逮捕された場所、魚品のこと、話題にする。
石田孝喜さん『幕末維新京都史跡事典』に、縄手三条下ル東側の「大丸モータープール」がその跡地とある。
すこし前まで「大まさ」といい、土蔵や高杉晋作がいた部屋があったとある。
なぜそれが分かるのかたしかではない。
石田孝喜さんの師匠といってよい、寺井萬次郎(維史郎、史郎)がかかわった、戦前の著書(『京都維新史蹟』『京都史蹟めぐり』『維新の史蹟』など)にはいっさい記載がない。
石田孝喜さんは僕の師匠のひとりだ。
今度ぜひうかがってみる。
歴史の舞台地が現在のどこにあたるのか、その検証はとても大事なことだ。
伝承地を安易に信じてはいけない。
ところで笠置町・笠置寺で元弘の変の際の遺構が出た由。
本日、その現地説明会がある。
行けなかった。
とても残念。
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9/1(土)はれ
栄中日文化センターへ。
今回は新幹線落雷事故はなく、無事11時46分京都駅発のぞみに乗れる。
ぐうぜん受講者にして友人C野さんと同乗、たのしい名古屋行き35分であった。
本日「お龍からみた龍馬」最終回。
そして数年にわたってつづいた中日文化センターの龍馬講座も一旦おわる。
本日は「龍馬と別れて」と題して、龍馬没後のお龍40年を論ずる。
近年、鈴木かほるさんの「お龍伝」が発表されている(『市史研究横須賀』4号、2005年3月)。
その成果を頂戴し、そこでふれられていないことにも言及した。
とりわけ注目したのは、お龍がいかに「龍馬の遺族」からはずされていくか、という過程である。
お龍はある時期までまちがいなく「龍馬の遺族(いわゆる未亡人)」であった。
すなわち龍馬の「遺産」相続者であったといえる。
龍馬の死後、長府毛利家からお龍が扶持米をもらっているし、龍馬の「遺言」にしたがい海援隊士たちは土佐坂本家へ送りとどけている。
が、いつかそれがなくなってしまう。
これは洛東霊山の殉難志士墓地がいかに形成されていくのか、という別の関心でえた知識により、興味深い齟齬に気づいたからだった。
これについてはいつかきちんと論じてみたい。
先日、ありがたいことに、東京の有名なS社(ただし「新人物○×社ではない)から「龍馬」で1冊書きませんかと打診をいただいた。
幕末史を専攻しているものとして、龍馬伝を世に送れることは幸せなことである。
すべきことがゴマンとあり、刊行はまだまだ先のことになるが、お引受けした。
そこで論じれたらと願っている。
それはともかく、まもなく新人物往来社から、鈴木かほるさんによる「お龍伝」が刊行される(『資料から語る坂本龍馬の妻・楢崎龍』、11月末ごろ)。
たいへんたのしみである。
終了後、ながきにわたって受講くださった関東のM川さんとC野さんのお別れ会があった。
来月からは龍馬講座はないのでもうお越しにはならない。
お2人は最高クラスの龍馬通である。
お2人がこられていたことは話す側として大いに刺激になった。
ありがとうございました。
来月からは「篤姫」(来年の大河ドラマ)にちかい幕末講座を行います。
よろしければおこしください。
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8/31(金)あめのちくもり一時あめ
本日、乃美織江の手記を読むメンバーとの現地見学会。
が、午前中大雨。
実施が危ぶまれた
昼やんだ。
やはり中村の巡検は雨につよい。
本年に入ってもおびただしく現地見学会をしているが、雨のなかの実施はたった1回だけ。
3人ぐらいのご参加かと思えば20人ちかくも。
驚いた。
長州屋敷跡から角倉邸跡、吉田稔麿が最後に旅支度をたのんだ塩屋兵助宅跡付近、加賀屋敷跡、対馬屋敷跡、池田屋跡、四国屋跡、三縁寺旧地、小川亭跡、魚品跡、南座、桝屋喜右衛門(古高俊太郎)邸跡、誠心院(じょうしんいん、吉岡庄助埋葬地)とあるく。
誠心院では参加者Aさんのご紹介でご住職が挨拶にてでこられ、恐縮。
おわったら4時すぎ。
あつくなかったとはいえ、お疲れになったと思います。
終了後、ご質問をしてこられたTさんと歓談。
そのまま調子にのって、いっぱい飲みにいく。
見落としていた幕末史料のはなし、多数うかがう。
そのあと「R」へ行き、店主Aさんの退職紀念をいわう。
Aさんは本業の古書店をやめられ、これからはお望みのことに専念される由。
すてきなことだ。
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