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2007.08.06

お龍の父楢崎将作の新情報

 先日、いつもお世話になっている、京都府立総合資料館の松田万智子さんから表記のこと、ご連絡をいただいた。
 
 お龍の父、楢崎将作は青蓮院宮(のちの中川宮朝彦親王)に仕えた医者で、お龍を紹介した家族宛の龍馬の手紙にも登場する。

 安政大獄に連座した人物たちと親交があったこと、その最後の居所が柳馬場三条下ルだったこと、文久2年(1862)6月20日に亡くなったこと、埋葬地が寺町通六角の西林寺(現在は左京区八瀬へ移転)だったことなどがわかっている程度だ。

 正直、生前を知りえる、同時代の史料に乏しい人物といえる。

 そんなところに同じく青蓮院宮に仕えた坊官、進藤千尋の日記が紹介された。
 その安政5年(1858)6月13日条にわずかながら、楢崎将作の記事があったという。

 これを紹介されたのは武庫川女子大学の管宗次さんの論文「進藤千尋について―青蓮院宮坊官の文事」(『上方文藝研究』4号、2007年5月、上方文藝研究の会、大阪大学大学院文学研究科飯倉研究室内)である。

 それによると、
 進藤千尋は楢崎将作へどこかへ行くことを頼んだ。
 それを楢崎将作は「承諾」したようで、「三条柳馬場角書林堺屋」に案内をさせる予定らしいことがわかる(22ページ)。

 あまり意味のなさそうな記述だが、管宗次さんもご指摘のように、そもそも基礎データの少ない人物であるからまずは貴重である。

 とりわけ三条柳馬場といえば楢崎の居所であるから、興味深い。
 
 なお本史料は、写真版が刊行される予定という。
 今回の翻読部分2ヵ所が空白になっている。

 その部分「□□行頼候」とある。
 もしや地名か人名では。
 
 いったい何が書いてあるのか。
 刊行が大変楽しみだ。

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