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2007.07.30

雑草生い茂る「教科書」の地

7/28(土)はれ
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 鎌倉の旧蹟をめぐる。

 東勝寺跡に愕然とした。

 最後の得宗、北条高時ら自刃の地である。
 いわば鎌倉幕府終焉地といっていい。

 当地に「腹切りやぐら」なる場所がある。
 高時ら自刃地と伝承され、前日も紹介した鎌倉町青年団による建碑がなされている。

 が、自刃したのは数百人である。
 常識的に考えて、「腹切りやぐら」なるせまい地で全滅は不可能だ。
 建物内だろう。自刃地は。

 数年前、発掘調査が行われ、広大な建物跡がみつかった。
 客殿跡と推定されている。
 成果が大きいので、国史蹟に指定された。

 今回その地を見に行った。
 20年前、「腹切りやぐら」はみた。
 ちがうイメージをもちたかった。

 が、その地は、金網に囲まれた雑草の地にすぎなかった。
 解説板はあるから「ここ」とはわかるが。
 絶句した。

 いうまでもなく鎌倉幕府滅亡は教科書に記載のあることだ。
 新田義貞が攻め、北条高時が自刃した、と。

 保存されたことはよかった。
 が。

 京都など各所でこんな事例は多数みてきた。
 なれていたはずだった。

 いやいや。
 とんでもない。

 本当に残念だった。

 こんなことではダメです。
 なんとかしてください。
 姿勢がとわれます。

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2007.07.29

鎌倉から投票のため帰ってきた

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 昨日から鎌倉にいっておりました。
 有意義でした。

 とりわけ1917年から1941年にかけてなされた、鎌倉町青年会(団)の約80基の碑の調査が楽しかった。

 同時期に京都府で行われた京都市教育会、京都史蹟会、三宅清治郎などの規模の大きな建碑との比較を意識しています。

 ところで本日は参議院議員選挙の日ですので、投票しなくてはなりません。
 みたいものは山ほどある。が、そんなこといっていらない。

 後ろ髪をひかれつつも午後4時1分に鎌倉駅をたち、新横浜駅から新幹線に乗った。午後5時10分。

 京都駅に7時11分についた。地下鉄に乗り換える。
 北大路駅を下車。タクシーに乗って小学校の投票会場に入る。
 
 終わったとき、午後7時50分。ぎりぎりまにあった。

 同じ時間、つぎつぎと投票にこられる人とすれちがった。
 みんなこの国の明日を考えておられるのだなぁと感じ入ったことだった。

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2007.07.27

龍馬研究などの精鋭さんと歓談する

7/26(木)はれ
 京都新聞文化センターに出講。
 「御土居堀」の豊臣期復元のはなしをする。

 が、最近珍しい絵図をみつけた。
 そのはなしを「本邦初公開」したので、大幅に時間をくってしまった。
 したかったこと、多く次回にまわってしまった。

 終了後、同センターの別のお仕事の打ち合わせ。
 担当Y田さんからおいしいコーヒーをいただく。
 同センターのコーヒー講座のコーヒーだそうで、豆までいただく。

 夕方、先斗町のお店へ。
 東京から歴史作家のK野作人先生、T京龍馬会のM川真理子さんのご一行が上洛。
 明日、京都国立博物館で寄託史料の特別閲覧をされる。
 僕もご一緒させていただく予定。

 その前夜懇親会が行われた。
 明日お世話になる、京都国立博物館のM川禎一先生もご参加。
 鴨川の床で中華料理をいただいた。

 濃厚なメンバーできわめて楽しくすごす。

 2次会は木屋町蛸薬師上ルの「龍馬」。
 京都龍馬会の本部でもある。
 
 店主の「龍馬さんとおりょうさん」もくわわり大騒ぎ。

 K野先生の豊臣期史料の博識ぶりに下をまく。
 豊臣期研究の一旦をになっているものとして、大層はずかしかった。
 
 明日の「本番」を前に早く帰らないといけないのに、遅くまでいる。

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2007.07.26

上七軒アルバイト、急募

 珍しいアルバイトの募集です。 

 上七軒歌舞練場でのビアガーデンのスタッフです。

 花街を現場で知るとてもよい体験にもなると思います。 

 勤務時間は午後5時(または6時)から10時まで。
 時給900円。交通費込。
 
 仕事内容は、調理補助、洗い物、ホールスタッフです。
 1日助っ人もOK。
 とくに、7月27(金),28(土),29日(日)は猫の手もかりたい感じです。

 ご希望の方は、左の「プロフィール」をクリックしてください。
 つづいて出てくるページの「メール送信」をさらにクリックくださると、私へのメール連絡が可能です。

 担当者へご連絡申し上げます。

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2007.07.24

貪欲さに欠けるぞ

7/23(月)はれ
 おっそろしいぐらいの青空。
 ああ、夏が来たのだと思った。

 ふたつの大学のテスト監督に行く。
 今年は前期だけで4大学に出講した。
 だからテスト監督も4ヵ所でする。

 監督をしていて、クラス(大学)ごとにいろいろちがいがあることにきづいた。
 今回とくに思ったのは、教室に持ち込む参考資料の相違である。

 今回、すべてで「参照など持込すべて可」とした。
 (他人の答案をのぞけば)何をみてもよい、という姿勢だ。

 それを見るだけである種の姿勢にきづくことができる。

 事前に答案をつくってきて、それを写すだけ、という者がいる。
 僕は自分が学生だったとき、ほとんどしたことがない。
 その場で考えるたちだった。

 計画性のある、ないが感じれておもしろい。
 
 で、1番おもしろかったのは拙著『御土居堀ものがたり』の持ち込みぐあいだ。

 すべてのクラスで御土居堀のはなしをしたわけではない。
 はなしたとしても、比重に差がある。

 たとえばかりにAクラス(大学)、Bクラス(大学)という。
 ここでは皆無だった。まったくみなかった。

 しかしCクラス(大学)では、なんと4冊みた。
 30人ていどなのに。

 3冊は新刊をお買い上げいただいたようだった。
 1冊は図書館から借りたもの、それとは別にコピーを持ち込んだものもいた。

 そういえばCクラス(大学)では拙著を持ち込まないものでも、僕のサイトやブログをプリントアウトしていたものがいた。

 Aクラス(大学)、Bクラス(大学)ではそれもほとんどみなかった。

 この差はなんだろう。 
 よくはわからない。 

 が、感じたのは、貪欲さかなぁ。
 なるべく良質な情報を多数しいれて、よいものを書こうという気持ち。

 巡検を企画しても来ない、参加しても話題にしているモノにちかずかず遠めにしている。
 前に来いといっても来ないものが大半。

 貪欲さに欠ける。

 拙著の教室への持込みぐあいをみて思ったことを述べてみました。

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2007.07.23

盛況、仁木宏先生の寺内町論

7/22(日)はれ
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 午前中、佛教大学の補講で山科をあるいた。

 「近世の交通路と道標」という講義をしています。
 山科は本願寺の蓮如の聖蹟ですから、それを指し示す道標が各所に建っています。
 それを見ると同時に、聖蹟の本体、山科本願寺・寺内町跡の痕跡を追うというものでした。

 午前9時、JR山科駅集合。

 登録者94人、来たもの6人。
 おそれいりました。

 内訳は、4年生2人(女子)、3年生2人(女子)、2年生2人(男子)。

 蓮如終焉地の南殿跡で薮蚊に襲われる。
 気の毒なことをした。
 夏は虫除けとかゆみ止めスプレーは必携です。
 忘れてた。
 
 午後11時30分、国道1号沿いの山科本願寺・寺内町跡の中心地で終了。
 6人に敬意を表し、ファミリーレストランで喫茶を馳走する。
 その後、解散。

 午後からはアスニー山科で、山科本願寺・寺内町を考える市民の会、60回目の講演会。
 おはなしくださるは本会創始者のひとり、仁木宏さん(大阪市立大学准教授)。

 最近の寺内町研究の成果を、美濃国の加納を中心におはなしくださる。
 パソコンでたくさんの写真を写してくださり、刺激的であると同時にたいへんわかりやすくありました。

 とても狭い部屋でしたのに、30名にたっする参加者。
 うれしい悲鳴でした。
 さすがは高名な仁木先生。
 いつもとちがって若い大学生が多かった。

 R命館大学のK立雅朗先生(考古学)のゼミの学生さんなどがおこし。
 K立先生も創立者のおひとりです。

 終了後は現地見学。
 南殿跡へ。
 今日、2回目。

 いずれも少人数をご案内する。
 とてもやりやすい。
 やっぱり見学会案内は10名未満がいいなぁ。
 かゆいところに手がとどく。
   
 解散後は友人、K田久美子氏(H園大学大学院)と懇親にゆく。

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「人」がつくったパスタ

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 最近、手作りのものをたべてないなぁと思ってた。

 先日、お手製のパスタをいただいた。
 「人」のつくったものを感じた。
 うれしくおいしかったので掲載しました。

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2007.07.22

またあいてしまった

 またあいてしまった。
 申し訳ありません。
 
 近々になんとかいたします。
 お許しください。

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2007.07.18

5年目の邂逅(かいこう)、感激

 最高の京都地図帳とおもっているものがある。

 ゼンリンの『京都市道路地図』だ。

 京都市中心部が縮尺5000分の1で掲載されている。
 
 が、これだけなら類似品はある。
 
 宅地一軒一軒、描かれている。
 とてもみやすい。
 道路幅のデフォルメもすくないようだ。

 大事にすぎた。
 毎日もちあるいた。
 市バスに忘れてしまった。
 みつからなかった。

 もう1冊買おうと思った。
 おそかった。
 もう生産中止になっていた。

 古書店でさがした。
 まったく見つからなかった。
 サイト「日本の古本屋」でもみつからなかった。

 友人にも古書店などでの捜索を頼んだ。
 みつけてくれたらいい値で買うといった。
 定価は1350円。
 いい値が1万円でも買うつもりだった。

 それでも手に入らなかった。
 
 本日、京都女子大学に行くために京都駅前からタクシーに乗った。
 座ったら、まん前、助手席の背後の網ふくろにみたことのある地図がさしてあった。
 
 あ、あの地図だ。
 びっくり。
 お客さんがみるためだろう、おいてあった。

 運転手さんの愛用のものだろう。
 いっぱいマーキングしてあった。
 綴じがはずれたページもあった。

 勢いで言った。
 
 「どうしても急に京都の地図がいるんだが、これ、定価で売ってくれませんか」

 断られるかと思った。

 が、

 「え、こんな古いものでいいのですか」
 「全然平気です。いいですか」
 「そら、いいですけど」
 「じゃあ、いまもう払いますね」
と、信号待ちのとき、1350円ちょうどを運転手さんに渡した。

 あっというまのことだった。

 降りるとき、運転手さん、また申し訳なさそうに「すいませんね、古い本なのに、定価で」といった。
 口数少なく、お礼を言っておりた。

 5年。
 5年かかった。
 ついに取り戻した。
 感慨無量。 

 さっそく京都女子大学の講義でこのはなしをした。
 バカ受けした。

 キャンパスプラザの「基礎からまなぶ日本歴史」でも話した。
 また受けた。

 幕末の志士、平野次郎(国臣)のはなし。
 その下宿を捕り手が襲った。

 たまたまそのとき、平野は遊郭にいっていて不在だった。
 だから逮捕されなかった。

 帰宅後、捕り手がきたことを聞かされた。
 偶然助かったことをしった。

 直後に知人に手紙を書いた。
 「いままで遊郭でどれだけ散財したか、なんと無駄なことをしているか、とおもっていた。が、今日のことで全部帳消しになった」。

 同じ思い。
 京都女子大学に行くのに毎度タクシーをつかっていた。
 遅刻はいやだから。
 なんて無駄なことをしているのだと腹立たしかった。

 が、そのおかげでついにあの地図帳が手に入った。
 全部帳消しだ。

 願いはかならずかなう。
 時間さえかければ。
 あせらず、その日をまちましょう。みなさん。

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2007.07.17

「精鋭」主義でいきたい、と思った

 上七軒のビアガーデンにいった。

 勝也さんや尚はるさんとお話できた。
 気持ちよくなれた。
 さすが接待のプロたち。
 
 そのへんの居酒屋と比べたら失礼かもしれないが、まったく不愉快にならない。

 居酒屋などよく行く飲み屋、不愉快なことだらけ。
 バイトを筆頭に、もっと従業員の教育をしてくれ、といいたい。

 いやいやそもそも店長のマナーがわるいからね。
 どうしようもないか。
 いやならいかなかったらいいのだから。

 もう「精鋭」主義でいく。
 「精鋭」としかおつきあいしたくない。

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2007.07.16

台風一過で、嵯峨野学芸倶楽部へ

7/15(日)くもりのちはれ
 台風がさった。
 ほっとした。

 嵯峨野学芸倶楽部に出講。
 受講者17名の由。

 東京からこられる予定の方がいたそうだが、新幹線がとまったとかでこられなかった。
 
 先月検出された西堀川小路跡のことや、薬子の変のことをお話しする。

 終了後はまたうちわの北野の史料を読む会。
 今回から上七軒関係史料もよむことになった。

 上七軒歌舞練場の創建年代のこと、まとめないといけないのにまだできていないなぁ。
 ちょっと気になることがある。

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2007.07.15

中世の岸和田城跡が破壊されます

 大阪府岸和田市に、江戸時代の岸和田城が現存します。
 
 それに先行する、古い岸和田城跡が地下から発見されていましたが、市当局の無理解により、まもなく破壊されます。
 それについて急ですが、明日7/16(月・祝)、午後2時から現地説明会が行われます。
 
 私は2時半から(祝日にもかかわらず)佛教大学(通学部)の講義がありますので、どうしても行けません。
 古城に関心のある方、文化財保護に関心をもたれる方、ぜひ行ってください。

 以下はそれをお伝えくださった、都市史研究者の仁木宏さん(大阪市立大学)からのメールです。
 どうぞごらんください。


 お世話になっている皆さんへ
 この10ヶ月近く、保存に尽力してきた岸和田古城跡ですが、残念ながら開発前提の発掘調査も最終版にさしかかっています。

 この城は、岸和田の歴史、和泉の中世後期を考える上でかけがえのない遺跡であり、そのことは、この間の連続講演会で明らかにしてきたことであり、また今後、私たちが出版する図書でより鮮明になると思います。

 下記の通り、何とか現地説明会が開催されます。
 せめて、みなさんの目にこの城跡を焼きつけておいてください。
 よろしくお願いします。

 場所は、南海岸和田駅の山側、和歌山方面に出て、山の方へ向かう旧街道(駅前郵便局の前)を50mほどゆき、左手に福祉総合センターの大きなビルがみえる三叉路を右折して、坂を下っていった所です。

                    from  仁木 宏

各位
 大阪歴史学会で保存運動に取り組んできた岸和田古城跡ですが、5月から記録保存の発掘調査に入っておりましたが、外部者の立ち入りを認めない、現地説明会の実施に同意しない状態で終盤に来ておりました。

 7月21日は明け渡しということになっているようですが、ようやく現地説明会の開催の話が着いたようです。

 7月16日月曜日14:00~となりました。

 昨日、連絡いただいたところで、まことに急な話ですが、時間があれば是非お越しいただければ幸いです。

 また、みなさま方それぞれに、関心のある方面に対して、説明会開催の情報を流していただきますよう、心よりお願い申し上げます。

 わたしが、数週間前に訪れた際の話では、15世紀後半の遺物が出ているようで、やはりいまの郭についてはその時期のもののようです。
 
 16世紀前半に、いまの岸和田城が築城されるのと、時間的には連続的に理解することが可能かと思います。

 これまで14世紀としていたのは、遺物が少ない中で瓦器片が入っていたからでしたが、今回の発掘でも、土塁の土にやはり瓦器が入っているようです。

 区画整理で既に上部は失われている2の郭とされている東にあった郭こそが、原型となる方形居館ではないかと推定されておりました。

 その時期は確かめようがありませんが、いまの古城跡部分について、堀を掘削して土塁を築いた中に瓦器が入っていることからすると、二の郭は古くさかのぼる可能性は十分想定できるだろうと思います。

 15世紀になって、防御性を高めるために、いまの古城跡や、さらに西にあった郭などが増設された、という見方もありうると思います。

 この雨で、発掘調査の完了まで、また業者ともめる可能性があると思いますが、いずれにしても、古城跡を見ることのできる最後の機会と思われます。

 各方面に情報を流していただき、市民の、研究者の、関心の高さを、業者、岸和田市当局に示したいと思いま
す。

よろしくお願いします。

岸本直文
OCU大阪市立大学

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2007.07.14

池田屋事件に関する乃美織江の手記のこと

7/13(金)あめ
 今朝の朝刊で、台風が接近しているとしった。
 だから雨が多いのか。
 いまさらながら納得する。

 同志社大学、前期最終講義だった。
 都市史から最後は、文化財保護論になっておわった。
 ひとりの学生さんの感想、「この授業が今期で1番楽しかったです」。

 ありがたいなぁ。
 来週はテストです。

 午後からキャンパスプラザで「くずし字入門」。
 池田屋事件に関する乃美織江の手記を読む、4回目。
 意外と好評で、前回は突然ひとがふえた。

 今回はくずし字をほとんど読まず、池田屋事件論を講ずる。
 読める人がふえてきて、僕の誤読や判読できなかった部分を指摘くださる。
 「出藍の誉れ」はウソだが、思いがふかい。

 乃美織江の手記は、まともなテキストでその全文を活字化されたことがなかった。
 みなさんのおかげでそれが可能になりそうです。

 ぜひ今秋刊行予定の拙著『池田屋事件』(講談社現代新書)に、成立年代不明のオリジナル(写本)と、1890年(明治23)の増補版(自筆本)の両方を付録したいと思います。

 人気ランキング、目をうたがうほど得票されている。
 感謝しきりです。

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2007.07.13

最終原稿提出「京都の江戸時代をあるく」

7/12(木)あめ
 「京都の江戸時代をあるく」最終原稿完成する。
 しつこいですが「寺田屋伝説」のラスト。

 締め切りは来週の月曜日だが、もう提出する。
 最後だけ抜群に早かった。

 終わりよければすべてよし、にしてください。

 1年、終わってみればしんどかったという印象はあまりない。
 そんなことはないのだけれど。

 「御土居堀ものがたり」のときとは比べ物にならん。

 お祝いしようと思ったけど、別の用事があってやめた。
 土曜日にでもしようかな。

 ランキングすごいところまであがった。
 みなさま、ありがとうございました。

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2007.07.12

朝から晩まで出ているもんなぁ

 京都、大雨中。

 毎日ブログ更新しようと思っているのにできない。

 あ、そうかと思った。
 昨日も朝1番の講義があった。

 8時50分からの京都女子大学の講義。
 8時20分にもう教室に入っている。

 家はもっともっと早くに出ている。

 いろいろ仕事や交際やらがあって、帰宅は12時を過ぎていた。
 
 そらむりやわ。
 一度もネットにふれてないもの。

 なのに、今朝ブログランキングをみてびっくり。

 上位にもどっている。
 最近オチまくってたのに。

 みなさまのおかげです。
 感謝いたします。

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2007.07.10

最終回も「寺田屋」になった

 京都民報社に原稿を送った。
 「京都の江戸時代をあるく」、最終回まであと2回。

 寺田屋を今回でおえて、最終回は別のはなしでしめようと思っていた。
 が、予期せず、終わらなかった。

 最終回も寺田屋だ。
 どうかと思う。

 その後も新発見はあいついでいる。
 最高協力者Mさんからは先日、飲みながらこんこんと書籍化(未定)するにあたっての注意をうけた。

「寺田屋」項は大きく修正・加筆せねばならぬ。

 いずれにせよ今回のまとめは、今後寺田屋を知ろうとする人には無視できないものになるだろう、と自負している。
 そんな仕事ができたことを心から喜んでいる。

 あいかわらずだが。
 できることなら、中学生の僕のところへもどって、今回の報告をしてやりたい。

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2007.07.09

焼き鳥屋のウソ

 近所のチェーン店の焼き鳥屋。
 ながく休業していた。
 店長の交代のためと店に貼紙があった。
  
 先日明かりがついていたのでのぞいた。
 まだ開店準備中だった。

 店長に声をかけた。
 いつからですか、楽しみにしています、頑張ってください、といった。

 本日開店日だった。 
 帰宅してからのぞきにいった。
 声をかけた以上、初日にでかける義務があると思った。

 店長、僕にきづいて「あの時の・・・」と声をかけてきた。
 これはうれしいことだった。

 「声のかけかたがおかしい」と思う事はあったが、まぁ若いからしようがないと、気にしないでおこう。

 が、許せないことがあった。

 ビールを頼んだのに発泡酒だったのだ。
 言おうかどうしようか悩んだが、開店初日にゲンの悪いことを言うのもなぁと思い黙っていた。
 いやなら2度とこなければいいのだ。
 わざわざいう必要はない。

 当然一杯で帰った。
 
 勘定の時、「3日間、3割引です」といわれた。

 これで謎が解けた。
 3割引だからビールではなく、発泡酒だったのだ。

 貧乏くさい。
 そんなんで喜ぶ客ばかりと思ってるなら、本当に情けない。

「3割引きでなくていいからおいしいビールが飲みたかった」というべきだった。
 適切な言葉が思いつかず黙って店を出た。

 サービスのふりをしてちゃんと損をしない措置をしている。

 最低だ。
 日本人はこんなに落ちたのか。

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2007.07.08

龍馬とおりょうの「新婚旅行」を論ず

7/7(土)はれ
 七夕の日がはれるのは珍しいとおもう。
 
 栄中日文化センター(名古屋市)の日。
 「妻おりょうからみた坂本龍馬」講座。

 今回は慶応2年(1866)3月から6月にかけての、龍馬・おりょうの鹿児島旅行について。
  いわゆる 「日本初の新婚旅行」のこと。

 実はこの旅行、「日本初」は論外としても、「新婚旅行」かどうかもうたがわしい。
 
 なぜ「新婚旅行」というかといえば、慶応2年(1866)1月23日の寺田屋遭難をへて、龍馬とそれを助けたおりょうが同2月、京都二本松薩摩屋敷で西郷隆盛の媒酌で「結婚」したとされる。
 旅行はその翌月にはじまる。そのため。

 が、これは根拠のうすいはなしだ。
 
 鹿児島旅行を伝える同年12月4日付、姉乙女宛書簡には、小松帯刀と西郷隆盛におりょうを妻としたと伝えたとあるのみで、この薩摩屋敷滞在のとき「結婚」したとはいっていない。

 あえていえば、乙女に対して「兄さんにも伝えてくれ」といっているので、このとき初めて故郷の家族にも伝えたことになる。

 だから慶応2年(1866)2月以前であることはまちがいないが、直前だったかといえばわからない。

 なぜそこまでこだわるかといえば、おりょうの回想録が異説を伝えるからである。

 それに先立つ1年半前、元治元年(1864)8月に、青蓮院塔頭金蔵寺住職の媒酌により、同本堂で内祝言をあげたとある。

 他に裏付ける史料がないからか、これまでまともな研究者はほとんど相手にしてこなかったが、僕は注目している。

 すでに拙稿でかんたんにふれたが、おりょうの回想録は「嘘八百」でかためたものではとうていない。
(「京都の江戸時代をあるく28「龍馬とおりょう3―結婚式場は金蔵寺」」(『京都民報』2007年1月28日))

 これまで信じられていなかった話が、見落とされていた他の史料によって裏付けられた「事実」もある。

 そんなわけで信にたる史料がないにもかかわらず、おりょうの回想録を安易に無視し、2人の結婚を慶応2年2月とみとめ、その翌月からの旅行を「新婚旅行」というのは姿勢として正しくない。

 なんてことをはなした。
 
 次回は「別居夫婦」。
 龍馬とおりょうの同居期間はきわめて短い。
 龍馬が京都で死んだときも、おりょうは下関にいた。
 そのふたりのすれちがいと接触を龍馬の手紙とおりょうの回想録などを読んで紹介する。

 終了後はT京R馬会のM川さんを囲んで懇親会。
 こちらが抜群に勉強になる。
 うわさの秘蔵記録(伏見の寺院関係)を持参され、うなる。
 ビールやつまみそっちのけで、くずし字をよむ。
 
 寺田屋復興の功労者の名前がひんぱんに出てくる。
 これをネットオークションで微々たる安価で手に入れられた由。

 いつも参加の東京のCさんは2回続けて欠席。
 この史料のことはまったくご存じないことだろう。
 残念なことをされた。

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2007.07.06

河内将芳さんと富松城跡を活かすまちづくり委員会から高著を賜る

 また更新が滞った。
 体調不良ではありません。
 異例の忙しさでした。
 ご心配のみなさま、申し訳ありません。

 でもながく放置したものをいくつか片付けたので、心理的には楽になりました。
 書きたいことは山ほどあるのですが、またの機会に。 

 この間、以下の新刊書物のご寄贈をいただきました。ありがとうございます。心より感謝申し上げます。
 

 1.河内将芳さん(かわうち・まさよし、奈良大学准教授)より
  『祇園祭と戦国京都』角川叢書、2800円+税

  いつもお気遣いくださる、ありがたい「先輩」研究者です。
  巻末(208頁)には拙著まで参考文献にあげてくださり、うれしくありました。
  いろんな意味で、僕にとって河内さんは「研究者の鑑」です。
  少しでも見習いたいと思っております。
  
  ときあたかも祇園祭のさなか。
  「現在」とのあまりの違いに感銘をうけられるでしょう。

 2.富松城(とまつじょう)跡を活かすまちづくり委員会から
  『もっと知りたい/中世の富松城と富松』私家版

  兵庫県尼崎市富松(とまつ)に所在する、中世城郭富松城跡の土塁・堀を守り明日に生かす活動をしておられる団体です。
  活動の当初から関係させていただいていますが、本書のことは一切存じませんでした。
  すでにサイト上の「博物館」も立ち上げておられましたが、書物の刊行はもっと重要な意味があると思います。
  「さすが」という思いです。
  神戸大学(市澤哲さん)の地域活動のなかにも位置付けられ、ながく都市遺跡保存史に記録されるであろう活動です。
  遅々として進まぬ自分たちの怠惰さを恥ずかしく思いました。
  どのように「大事なもの」は明日に残せばよいのか。
  そんなことを考えられる方に大きな指針となります。
  おススメいたします。

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