坂上田村麻呂の墓が特定できた件
とてもあいてしまった。
こんなにあいたことって過去になかったはず。
よっぽどなんやなぁ。
去る6月4日の『京都新聞』夕刊に、山科区にある西野山古墓が坂上田村麻呂の墓の可能性がたかまったと報じられていた。
京都大学の吉川真司さん(古代史)の成果である。
きわめて意義深い。
おめにかかったことはないが、これまでご成果を学ばせていただいてきた。
とりわけ感動したのは、『安祥寺の研究』1に掲載された、山階(やましな)寺跡の復元研究だ。
山階寺は奈良の興福寺の前身で、藤原鎌足の墓の所在地だ。
それを宇治郡条里図や安祥寺の記録から位置を推定されたのだから、正直腰をぬかしてしまった。そんな方法があったか、と。
現在の山科区厨子奥付近にあたる。
山階寺は以前より、「大宅(おおやけ)廃寺」跡をそれにあてる説があったが、これにより可能性はふっとんでしまった。
なお鎌足の墓について、1987年11月以来、大阪府高槻市の阿武山古墳がそれだとされていますが、論外です。
文献史料の読み方をしっていたら、誰でもありえないことがわかります。
藤原仲麻呂「藤氏家伝」が山階寺(山階精舎)といっている以上、現段階でこれを否定することは困難です。
「多武峯縁起」なんて後世のものなんだから、そんなものケンカの相手にもならない。
その「多武峯縁起」でさえ、摂津安威に埋葬された遺骸を大和多武峯に改葬したとある。
じゃあ摂津安威地区の阿武山古墳にミイラ化した遺骨が出たらいかんじゃないか。
すべての文献史料と矛盾するのだからお話にならない。
なお最初にもどって重要なことは、今回の吉川さんの説を34年も前に提示していた人がいたということ。
京都新聞にもすこしふれられていたが、研究者名・論文名などは記されていなかった。
その研究者・論文は、鳥居治夫氏「山城国宇治郡条里に関する考察」(『近江』第4号 近江考古学研究会 1973年)です。記して敬意を表します。
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