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2007.06.18

平城京十条大路跡をみる

6/16(土)はれ
Dcf_0507

 朝1番、朝日カルチャーセンターの「京都・歴史の道をあるく」次回見学地のデータをおくる。
 そのあと急いで奈良・大和郡山市へむかう。

 平城京十条大路跡の現地説明会がある。
 下三橋(しもみつはし)遺跡だ。
 
 平城京は九条大路までというのが常識だった。
 それが長岡京、平安京にひきつがれている。

 が、今回もう一本南まで大路の存在したことが確実になった。
 昨年の現地説明会は「可能性」の段階だった。
 今回確実になった。

 学校の教科書かきかえだ。
 この紀念すべき遺構をこの目でみないと一生後悔すると思い、かけつけた。

 正午までと聞いていた。
 なんとかぎりぎり間に合うかんじ。

 もしダメでも、おそらく担当は大和郡山市教育委員会の山川均さんだろう。
 無理をきいてくださりそうだ。

 が、大いにまにあった。
 山川さんのステキな語りが2度もうかがえた。

 もうひとつ意味深かったのは、十条大路の上層で、奈良時代の田畑が確認されたこと。
 このあたりの奈良時代の田のありかた、ながく仮説があった。
 それを否定し、あたらしい事実がわかった。
 山川さんがいっておられたことだが、十条大路に隠れて目立たないが、同じぐらい学史上意義深い成果だ。

 昨春はすぐそばで羅城跡を拝見した。
 その帰り、郡山城跡に立ち寄って、西村幸信学芸員をたずねた。
 それが彼と出会った最後になった。
 そのことをまた思い出した。

 わけわからん方は、当ブログ2006年3月25日、および同年6月11日条をごらんください。

 そんな夜、なんということか訃報に接する。
 龍馬研究会(高知市)の事務局長、有安理恵(ありやす・まさえ)さんが心不全で急逝された。

 ほんの数日前、同会の会報『龍馬研究』の次回原稿につき、メールをいただいたばかりだ。
 なんということだ。

 人の一生ってとてもはかない。
 信じられないほど。

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