発見!上七軒歌舞練場の創立年代
また「発見」をした。
毎月、嵐山電鉄「帷子ノ辻」駅前の三壺庵(さんこあん)で「京都歴史講座」を担当している(主催:伝統プロデュース「連」)。
終了後、関係者だけで、『史料京都の歴史』上京区編を使って、北野地域の史料を読む会をしている。
その「読む会」でのこと。
参加者に建築学研究者、井上えり子さん(京都女子大学)がおられる。
上七軒の花街文化研究会のメンバーで、老朽化した現在の上七軒歌舞練場(1931年改築)の保存問題にかかわっておられる。
話題が上七軒歌舞練場のことにおよんだ。
そのとき思い出したことがあった。
先日、寺田屋伝説調査の一環で、府立総合資料館で『日出新聞』のマイクロフィルムをみていた。
そのとき偶然「上七軒歌舞練習場」とかかれた記事をみつけた。
同建物創建の記事のようだった。
特別関心はなかったが、上七軒自体は僕と縁のふかいところ。
僕もいちおう「連」のメンバー(のつもり)だし、いつもかわいがっていただいているお茶屋さん「大文字」のこともある。
「大文字」でお話しするコネタになるかもなぁ、なんていう思いもあった。
また現在の建物の修理費が期待どおり集まらないということも伝えきいていた。
タイムリーさを感じて、何かに役に立つかもぐらいの気持ちで、ほんらいの目的とはちがうが、その記事を複写しておいた。
ほんと、そのていどだった。
たまたま「読む会」のとき、井上さんのまえでそのことを思い出し、話題にした。
「『日出』で歌舞練場の創建の記事をみつけましたが、創建のころのことは周知のことなんですか」と。
さすが調査・研究をしておられる井上さん。
「創建年は1902年(明治35)と聞いているが確実な史料がなく、1895年(明治28)説もある」と即答された。
驚いた。わかってないんだ。
ということは、先日僕がみた新聞記事は、初の確実な史料の出現ということになる。
そのときの記憶では、1904年(明治37)の4月か5月の記事だったと思った。
すると1902年(明治35)とする通説とは異なる。
どう考えればよいか。
井上さん曰く「1902年(明治35)は計画かも知れない。計画と実際にずれがあってもそれはありえることだ」。
なるほど。
いずれにせよ確実な史料によって上七軒歌舞練場の創建年代がわかったということか。すごい。
確認のため大急ぎで帰宅。
すぐにコピーをさがした。
が、先日ゆえあって「緊急掃除」をしたので、数日前に持って帰ったばかりのコピーが行方不明になっていた。
しかしなんとしても見たかったので、またひっくり返して、なんとか見つけることができた。
(また掃除しなきゃ)
すると大きな誤解をしていたことに気づいた。
記事はたしかに創建を報じるものだった。
それにまちがいはなかった。それはほっとした。
が、年代をまちがっていた。
1904年(明治37)ではなく、1894年(明治27)だったのだ。10年古かった。
とすると、異説として伝えられていた1895年(明治28)よりまだ古いということになる。
定説が大きくくつがえり、予想よりもっと古く、しかも確実な史料で裏付けられたということになる。
これはすごい。
さっそく「連」の代表、濱崎加奈子さん(東京大学大学院生、京都女子大学非常勤講師)に電話し、井上さんへの伝達をお願いした。
まったく偶然にこの発見をした。
その劇的さにふるえた。
僕はどうやら思っていた以上に「北野上七軒」とふかい縁にあるらしい。
| 固定リンク

