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2007.06.30

四葉のクローバーのタクシーをみた

6/29(金)はれ一時雨
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 同志社大学に出講。江戸時代、御土居堀を論ずる。
 次回は明治維新期以後の変容について。
 「まだ御土居堀してんのか」と自分でも思うが(芸がないような)、受講者は拙著を読んでいないようで、「目からうろこ」らしい。まだ話すべき意義があるらしい。

 午後からくずし字入門に出講。
 前回から、幕末長州毛利家の京都留守居役、乃美織江の手記を読んでいる。 
 池田屋事件について記した基本史料ながら、ほとんど検討されたことがないもの。
 それを詳しく説明しながら、明治の自筆本を読んでもらっている。

 近代の記録なので文字のくずし方が特異で、とても難解。
 「入門」だったはずが、突然「応用」編になっている。
 それでもみなさん、ちゃんとついてきてくださる。
 ありがたい。
 3ヶ月辛抱してください。
 また「都の記」にもどりましょう。

 夕方、烏丸四条で、ヤサカタクシーの「四葉のクローバー」を屋根の突起に描いた車をはじめてみる(写真)。
 幸運感をお客に与えるため、4車両だけ用意されているときいている。
 乗ればよかった。

 そういえば今日はいいことがあったなぁ。

 夜、右京区で「三宅日記輪読会」。
 Sさん、Mさん、Kさん参加。
円満な会で、情報交換にあけくれる。
 あっというまの2時間。
 退屈する暇がない。

 Mさんから、上七軒歌舞練場創建にかかわる史料をいただく。
 僕がきづかなかった『日出新聞』の記事。
 1894年(明治27)以前から建設計画があったことがわかった。
 ありがたいなぁ。

 深夜、自宅で来週の「京都検定/日めくりドリル」の問題を2問つくり、担当Yさんに送る。
 
 未明、友人U原氏からメールあり。
 上七軒歌舞練場創建年代特定を喜んでくれる内容。
 最近お目にかかっていないが、結婚されて以前より多忙になられた由。
 よくわかるので、つっこみはしない。

 が、結婚って人の足かせにしかならないものかと、思うことは甚大。

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2007.06.29

発見!上七軒歌舞練場の創立年代

 また「発見」をした。

 毎月、嵐山電鉄「帷子ノ辻」駅前の三壺庵(さんこあん)で「京都歴史講座」を担当している(主催:伝統プロデュース「連」)。

 終了後、関係者だけで、『史料京都の歴史』上京区編を使って、北野地域の史料を読む会をしている。
その「読む会」でのこと。

 参加者に建築学研究者、井上えり子さん(京都女子大学)がおられる。
 上七軒の花街文化研究会のメンバーで、老朽化した現在の上七軒歌舞練場(1931年改築)の保存問題にかかわっておられる。

 話題が上七軒歌舞練場のことにおよんだ。
 そのとき思い出したことがあった。

 先日、寺田屋伝説調査の一環で、府立総合資料館で『日出新聞』のマイクロフィルムをみていた。
 そのとき偶然「上七軒歌舞練習場」とかかれた記事をみつけた。
 同建物創建の記事のようだった。

 特別関心はなかったが、上七軒自体は僕と縁のふかいところ。
 僕もいちおう「連」のメンバー(のつもり)だし、いつもかわいがっていただいているお茶屋さん「大文字」のこともある。

「大文字」でお話しするコネタになるかもなぁ、なんていう思いもあった。
 また現在の建物の修理費が期待どおり集まらないということも伝えきいていた。
 タイムリーさを感じて、何かに役に立つかもぐらいの気持ちで、ほんらいの目的とはちがうが、その記事を複写しておいた。
 ほんと、そのていどだった。

 たまたま「読む会」のとき、井上さんのまえでそのことを思い出し、話題にした。
「『日出』で歌舞練場の創建の記事をみつけましたが、創建のころのことは周知のことなんですか」と。

 さすが調査・研究をしておられる井上さん。
「創建年は1902年(明治35)と聞いているが確実な史料がなく、1895年(明治28)説もある」と即答された。
 
 驚いた。わかってないんだ。
 ということは、先日僕がみた新聞記事は、初の確実な史料の出現ということになる。

 そのときの記憶では、1904年(明治37)の4月か5月の記事だったと思った。
 すると1902年(明治35)とする通説とは異なる。

 どう考えればよいか。
 井上さん曰く「1902年(明治35)は計画かも知れない。計画と実際にずれがあってもそれはありえることだ」。
 なるほど。

 いずれにせよ確実な史料によって上七軒歌舞練場の創建年代がわかったということか。すごい。
 確認のため大急ぎで帰宅。
 すぐにコピーをさがした。

 が、先日ゆえあって「緊急掃除」をしたので、数日前に持って帰ったばかりのコピーが行方不明になっていた。
 しかしなんとしても見たかったので、またひっくり返して、なんとか見つけることができた。
(また掃除しなきゃ)

 すると大きな誤解をしていたことに気づいた。
 記事はたしかに創建を報じるものだった。
 それにまちがいはなかった。それはほっとした。

 が、年代をまちがっていた。

 1904年(明治37)ではなく、1894年(明治27)だったのだ。10年古かった。

 とすると、異説として伝えられていた1895年(明治28)よりまだ古いということになる。
 定説が大きくくつがえり、予想よりもっと古く、しかも確実な史料で裏付けられたということになる。
 これはすごい。

 さっそく「連」の代表、濱崎加奈子さん(東京大学大学院生、京都女子大学非常勤講師)に電話し、井上さんへの伝達をお願いした。

 まったく偶然にこの発見をした。
 その劇的さにふるえた。

 僕はどうやら思っていた以上に「北野上七軒」とふかい縁にあるらしい。

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2007.06.25

平安京西堀川跡をみた

6/23(土)はれ
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 午前11時前、西大路通五条交差点につく。
 京都市埋蔵文化財研究所の調査で「西堀川小路」が検出された。その現地説明会に参加した。
 「西堀川」跡の北側は、現在の紙屋川〈天神川〉に相当する。
 
 僕の「世界」で大発見があった。
 なさけない。
 なんで今日まで気づかなかったか、というぐらい「あたりまえ」のこと。

 だから拙著『御土居堀ものがたり』にも書かなかった。
 「次」に書こう。
 この研究の「明日」がみえてとてもうれしかった。

 ついで西大路御池にむかう。

 カラオケやバッティングセンターを経営していたビルがこわされた。
 20年の想い出のある建物。
 実はそれはどうでもよい。

 その東隣地が「市五郎神社」。
 御土居堀の国史蹟指定地のひとつ。
 つまり御土居堀の国史蹟指定地の西側が更地になったのだ。

 市五郎神社が西側から広く撮影できる環境になったのだ。
 これがうれしくて撮影にきた。

 先客が二組あった。
 有名になってきたということか。
 うれしいことだ。

 午後から「パイレーツ・オブ・カリビアン3」をみにいく。
 キーラ・ナイトレイが出ている。
 大好きな女優だ。
 一昨年は主演した「プライドと偏見」をみた。とてもよかった。

 すきな女優はひとりにかぎれ、と叱られたが、「ファン」の範囲なんだから、ほんとうの「恋人」じゃないんだから許してください。

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2007.06.21

学術の知識を伝えるだけが教育ではない

6/20(水)はれ
 京都女子大学の日。
 受講者約150人。

 毎週コミニュケーションカードに丁寧にいろいろ書いてくれる。
 そのお返事を講義の冒頭にするのだが、今日は本題よりそちらがながくなってしまった。

 それにしても当大学受講者はいろいろものを考えている、悩みをかかえている、それを言葉にすることができる。だから時間をオーバーしても、丁寧に応じる。応じたい。歴史地理の技術や知識を伝えるだけが教育ではない。「心」を届けるのも大事だ、と思っている。

 だからこの時間は大事にしたい。
 ただの「雑談」ではない。

 他大学の受講者もいろいろ考えているのだが、言葉にすることが不得意なようで、心が届かない。
 
 本日もまた濃厚な文章がまっていた。
 また来週もこたえなければ。伝えたいことがたくさんある。 

 午後からキャンパスプラザ京都に出講。
 まだ頼朝の死や頼家の後継問題のところ。
 進みがおそい。おそすぎる。

 両者で宮崎あおいさんのはなしをした。
 そういえば昨日の朝日カルチャーセンターのバスツアーでも、宮崎さんざんまいだった。

 「宮崎あおいさん」って、どんな人だっけ、と思い、時間をつくって、いま上映中の「初雪の恋」をみにいく。
 試写会でみたから、2回目

 MOVIX京都はこの数日、全映画千円、知らなかった。
 けちくさいが、得した気分。

 何事もそうだが、1度目と2度目は感覚がちがう。
 先がわからない1度目と、そうでない2回目。
 先に待っていてそのシーンを迎えることができる。
 
 「ファン」には楽しい映画ではあるが、ストーリー性にはかなり問題がある。
 宮崎さん、こんな映画でてよかったのか、とよけいなことを思う。

 本日の「そのとき歴史がうごいた」見忘れた。
 ふだんほとんどみないが、今日は蓮如と山科本願寺・寺内町だったので、これはみなあかんやろ、と思っていた。カレンダーにも書いていたのに忘れていた。帰宅したのが遅かったので、どうあっても無理だった。

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2007.06.18

平城京十条大路跡をみる

6/16(土)はれ
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 朝1番、朝日カルチャーセンターの「京都・歴史の道をあるく」次回見学地のデータをおくる。
 そのあと急いで奈良・大和郡山市へむかう。

 平城京十条大路跡の現地説明会がある。
 下三橋(しもみつはし)遺跡だ。
 
 平城京は九条大路までというのが常識だった。
 それが長岡京、平安京にひきつがれている。

 が、今回もう一本南まで大路の存在したことが確実になった。
 昨年の現地説明会は「可能性」の段階だった。
 今回確実になった。

 学校の教科書かきかえだ。
 この紀念すべき遺構をこの目でみないと一生後悔すると思い、かけつけた。

 正午までと聞いていた。
 なんとかぎりぎり間に合うかんじ。

 もしダメでも、おそらく担当は大和郡山市教育委員会の山川均さんだろう。
 無理をきいてくださりそうだ。

 が、大いにまにあった。
 山川さんのステキな語りが2度もうかがえた。

 もうひとつ意味深かったのは、十条大路の上層で、奈良時代の田畑が確認されたこと。
 このあたりの奈良時代の田のありかた、ながく仮説があった。
 それを否定し、あたらしい事実がわかった。
 山川さんがいっておられたことだが、十条大路に隠れて目立たないが、同じぐらい学史上意義深い成果だ。

 昨春はすぐそばで羅城跡を拝見した。
 その帰り、郡山城跡に立ち寄って、西村幸信学芸員をたずねた。
 それが彼と出会った最後になった。
 そのことをまた思い出した。

 わけわからん方は、当ブログ2006年3月25日、および同年6月11日条をごらんください。

 そんな夜、なんということか訃報に接する。
 龍馬研究会(高知市)の事務局長、有安理恵(ありやす・まさえ)さんが心不全で急逝された。

 ほんの数日前、同会の会報『龍馬研究』の次回原稿につき、メールをいただいたばかりだ。
 なんということだ。

 人の一生ってとてもはかない。
 信じられないほど。

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2007.06.16

宮崎あおいさん、入籍

 昨夜、衝撃的な情報に接した。
 
 宮崎あおいさん(21)が入籍した由。
 
 たしかに先日、大阪での「初雪の恋」の舞台あいさつで、これみよがしに左薬指に指輪をつけていた。
 昨年、写真週刊誌に同棲を報じられていたから、なるほどとは思ったが、まさかこの年令で入籍にいたるとは。

 もったいない、とはよけいなお世話だ。

 どうぞお幸せに。

 「失恋」したおっさんではあるが、事務所にはってある宮崎さんの今年のカレンダーはそのままにしておきます。

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2007.06.14

「本気で考える池田屋事件」連載開始

 またべつの連載を開始しています。
 ネット上ですので、どなたでも御覧いただけます。

 「本気で考える池田屋事件」というタイトルです。

 『講談社メールマガジン』というサイトをのぞいてください。
 http://shop.kodansha.jp/bc/mailmagazine/backnumber/

 いろんな入り口がありますが、「現代新書カフェ」コーナーです。

 その[vol.2]から載せています。
 まだ第1回分にしか配信されていません。

 これは今秋か冬、刊行予定の『池田屋事件』(講談社現代新書)の原稿のもとになります。

 原稿をためるためにどこかへ連載できませんか、と担当さんにお願いしましたらこういうことになりました。
 いまは月1回の更新ですが、人気のため、次回以後月2回更新に変更されました。

 どうかよろしくお願いいたします。

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2007.06.13

また寺田屋調査で伏見へ

6/12(火)はれ
 すこしゆとりがあったので講談社現代新書の執筆をしようと思ったが、思い切って伏見へいった。

 「寺田屋ものがたりの虚実」という連載を、週刊『京都民報』で7回も行っている。
 まだつづく。
 おそらく10回をこえそうだ。

 おどろいたことに、インターネット上のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「寺田屋事件」項に、もう拙稿が引用されていた。反応のはやさにちょっと驚いた。

 7代目寺田伊助と妻ハナなどが主人公なのに、その正確な没年を把握できていない。
 これまで寺田屋に関心をもってきた人は、みな6代目とその妻登勢以前の履歴ばかり公開して来た。

 2人の「事実」がほしい。
 それゆえ「菩提寺」を訪れ、ご協力をお願いした。

 「菩提寺」は浄土宗寺院で、僕が佛教大学で教えていると申すと、突然のことなのに歓迎してくださった。
 とてもありがたい。
 
 ただ残念ながら、期待した成果は得られなかった。
 両人とも過去帳に記載がなかった。

 が、その事情は住職さんのご説明でなっとくができた。
 予想以上に「寺田屋」は話に混乱が多いとまたきづいた。
 これまで信じられてきたはなしは実に単純だ。
 なんでこんなに放置されてきたのか。

 しかし予期せぬ成果はあった。
 6代目や妻登勢以前の、これまで知らなかった情報が過去帳に多数記載されてあった。
 住職さんのご協力でそれを写し取ることができた。 
 この情報は間接的に本研究の進展にかならず役に立つ。
 
 民報の連載記事のコピーをお渡しし、今後もよろしくお願いしますと申し上げ、感謝いっぱいで辞去した。
 
 帰途、心ばかりのお礼をと思い、某店へ和菓子の配達をお願いしにいく。
 すると、店の外をよく知った人が通った。
 僕の講座によくきてくださる方で、でもこの数ヶ月お姿をみなくなっていたFさんだ。
 
 思わず声をかける。
 Fさんもびっくり。
 
 しばらく立ち話してさようなら、と思ったら、飲みにいこうと誘われる。
 こういう奇遇は大事にしたいと思い、お誘いにのせていただく。

 Fさんのなじみのお店へ連れていってくださり、歓談。
 いつもながら伏見への情熱をかたってくださる。

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2007.06.12

明治維新史学会大会、初日だけ

去る6/9(土)はれ
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 明治維新史学会大会に参加する。
 開催は午後からだが、僕は大会運営委員をおおせつかっているので、10時30分に中央大学後楽園キャンパスに行く。
 もちろん日帰り。家は6時すぎにでた(つまり5時起き)。
 
 丸の内線「後楽園」駅出たら突然叫び声。
 なにごと、と思ったら、後楽園遊園地のジェットコースターの乗客だった。
 なんちゅう環境や。

 僕はマイク担当でした。
 が、音響などたいへん苦手でみなさんにご迷惑をおかけしました。
 非常に設備のよいお部屋でしたが、それがかえって複雑になっているようでした。
 
 突然ハウリングがしたり、音がでなくなったり。
 マイクになやまされ続けた1日でした。
 
 本日は総会のあと(えらいことが決定していたような気がする。すごいよなぁ。新『明治維新史研究講座』全10巻刊行計画)、金原左門先生のご講演と、岩崎孝和さんのご発表(写真参照)。

 僕はずっと報告者にむかって左奥の幕のなかでマイクの管理をしていた(写真参照)。

 夕方、懇親会。
 大会運営委員は懇親会も「仕事」らしい。
 が、とくに何もせず、翌日報告予定の町田明広氏など親しい方々と歓談していた。
 
 2次会にも行きたかったが、翌日9時から佛教大学通信教育部のスクーリングがあるので、急いで東京駅へむかう。
 2次会以前に翌日の町田さんの報告、星野尚文さんの報告(「明治初年における藩邸処分問題の展開」)聴講したかったなあ。
 自分の研究におもいっきりかぶるもの。

 新幹線のなか、びっくりするぐらい熟睡していた。
 気づいたら京都。はやいはやい。

 抜き刷りなど頂戴したみなさま、ありがとうございました。勉強させていただきます。

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2007.06.11

ある教室で叱ったわけ

 ある大学の講義でふたりの学生さんを叱った。

 当の学生さんのひとりは、「どうして私しかられてるの、なにしたっていうの」という顔をしつづけていました。
 そのときの説明では不充分だったようですので、ここであらためて理由を申し上げておきます。

 まずその学生さん、講義に遅刻してきました。
 私のマナーでは、遅れてきたこと事態が「悪いこと」ですので、こっそり静かに入ってきてほしかった。
 できればうしろにいてほしかった。

 それが前までこられた。それ自体は「熱心」でかたづけられるかもしれない。
 が、歩くと大きな音のするはきものをはいておられた。

 だから「カンカンカン」という高い音が教室に、いやすくなくとも僕には不興音だった。
 席につかれてすぐ学習姿勢をとられたらよかったのだけれど、通路をはさんだ友人に話しかけられた。
 もちろん大きい声ではありませんでした。
 何を話しておられるかは聞えなかったので。

 が、遅れてきて、不興音をたてて前まできて、こちらには会釈があるわけもなく、さっそく友人とはなす。
 これも同じ長机の隣人に声をかけるぐらいなら、あるいは目立たなかったかもしれない。

 でも通路をはさんでいたので、よけいに「派手」にみえた。
 以上の動きが講義をしている立場からはきわめて「態度の悪い生徒」にみえたので、マナーがわるいと注意したのです。

 もうひとりの学生さんは、1番うしろの席で大きく伸びをしました。
 だから「授業がつまらないかもしれないが、それを堂々と示すような態度はやめてください、いっぺんでやる気がなくなります」というようなことをいいました。

 あなたがたは受講者と教員の関係を「30人対1人」だと思っているのではありませんか。
 あとの29人が相手をしているから、自分がなにをしていようが教員は気にもとめまいと思っておられませんか。

 もしそうなら、まちがいです。
 僕は1対1を、30組しているのです。

 だから1人のよい反応はうれしいし、1人の不快な態度には立腹します。
 
 想像してください。
 対面している相手が、こちらが一生懸命話しているのに、目の前で大あくびをしたらどんな気分になるか。

 一生懸命はなしている最中に遅れてくる。
 時間をかけて一つの論を説明している。
 遅れてきてはそこまでの論の展開が理解できませんね。

 それでも時間の遅れを取り戻そうと、そこからの話からでも全体を理解しようとしてくれればうれしいです。
 それにもかかわらず着席するなりまずしたことは、隣人に声をかけることだった。

 「あなた、なにしにきてるんですか。友人との交際の一環としてやってきたなら出て行ってください」と思ってしかるべきではありませんか。
 
 個人攻撃をしているわけではありません。
 今日はたまたまあなたがたを叱りましたが、ほかの学生さんにもおおむねいえることです。

 どうかお互いにマナーをまもりあい、気持ちよく教室で会おうじゃありませんか。

 失礼の段は謝罪します。

 が、今後もこの姿勢は堅持します。
 どうかよろしくお願いします。

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2007.06.08

講談社現代新書『池田屋事件』、なぁ

6/8(金)はれ
 講談社現代新書『池田屋事件』、今月の締切日。
 没頭することができず、ご迷惑をおかけする。

 骨子はできているので、時間を確保し集中が可能ならよいものができそうなのだが。
 ほんとうに時間がない。
 予定外のことがはいると本当に迷惑する。
 その措置に2日以上かかると、かならず何かに支障がおきる。

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2007.06.07

坂上田村麻呂の墓が特定できた件

 とてもあいてしまった。
 こんなにあいたことって過去になかったはず。
 よっぽどなんやなぁ。

 去る6月4日の『京都新聞』夕刊に、山科区にある西野山古墓が坂上田村麻呂の墓の可能性がたかまったと報じられていた。

 京都大学の吉川真司さん(古代史)の成果である。
 きわめて意義深い。

 おめにかかったことはないが、これまでご成果を学ばせていただいてきた。
 とりわけ感動したのは、『安祥寺の研究』1に掲載された、山階(やましな)寺跡の復元研究だ。

 山階寺は奈良の興福寺の前身で、藤原鎌足の墓の所在地だ。
 それを宇治郡条里図や安祥寺の記録から位置を推定されたのだから、正直腰をぬかしてしまった。そんな方法があったか、と。
 現在の山科区厨子奥付近にあたる。

 山階寺は以前より、「大宅(おおやけ)廃寺」跡をそれにあてる説があったが、これにより可能性はふっとんでしまった。
 
 なお鎌足の墓について、1987年11月以来、大阪府高槻市の阿武山古墳がそれだとされていますが、論外です。
 文献史料の読み方をしっていたら、誰でもありえないことがわかります。
 藤原仲麻呂「藤氏家伝」が山階寺(山階精舎)といっている以上、現段階でこれを否定することは困難です。

 「多武峯縁起」なんて後世のものなんだから、そんなものケンカの相手にもならない。
 その「多武峯縁起」でさえ、摂津安威に埋葬された遺骸を大和多武峯に改葬したとある。
 
 じゃあ摂津安威地区の阿武山古墳にミイラ化した遺骨が出たらいかんじゃないか。
 すべての文献史料と矛盾するのだからお話にならない。

 なお最初にもどって重要なことは、今回の吉川さんの説を34年も前に提示していた人がいたということ。
 京都新聞にもすこしふれられていたが、研究者名・論文名などは記されていなかった。

 その研究者・論文は、鳥居治夫氏「山城国宇治郡条里に関する考察」(『近江』第4号 近江考古学研究会 1973年)です。記して敬意を表します。 

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2007.06.01

東京の方々を上賀茂・下鴨両社へご案内

5/31(木)はれ
 東京都町田市の朝日アウトドア講座の70名が、ふたたび上洛。
 
 先週は雨がふったが、本日は晴れた。
 前回と同じく 上賀茂・下鴨両社。
 先週ご案内できなかったところへお連れする。

 終了後、こもって京都民報の連載原稿を打つ。
 今週は別件にもりあがったからなぁ。
 また休肝をはじめて、3日以上できそうやったのに、3日目飲んだもんなぁ。うれしすぎて。

 ひとつのことに2日以上かけたらあかんわ。
 ぜったい何かに影響する。
 週1の連載ふたつももっていたら、すべてのことは最高1日で片付けなきゃ。

 すると論文はかけないことになる。
 そら、あかん。

 それは本末転倒や。

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