土塁跡・道標論・原稿執筆・オアシス
5/14(月)はれ
朝から大谷大学に出講。
今回も巡検。
ちかくの土塁跡の痕跡を追っている。
前回は大学から北を歩いた。
今回は南側。
あいかわらず道路の方向が土塁跡を示している、という話。
東部の土塁は、初の本格的な鴨川堤防と位置付けることが可能です。
で、このあたりは洪水常習地帯なので、江戸時代には一部に二重土塁をつくっている。
その痕跡さえ現在残ることを示す。
また鴨川の水を洛中に取り込んでいたこと、その最も代表的なのが禁裏御所に注ぎ込まれた「御用水」であったこと、「御用水」ではないが、別の場所の水路跡がいまも道路として生きていることなども案内する。
さすがあとの感想文をみると、大半がそのことに感じ入っていた様子。
つまりはこちらが思いをこめて話したからなんだけど。
終了後、府立総合資料館へ。
依頼していた複写物を引き取りに。
寺田伊助旧蔵品のある記録です。
まだ寺田屋問題にかかわっている。
午後2時半から、佛教大学へ出講。
こちらは近世道標論、その3。
あらたに個人宅でみつかった江戸中期の紀年銘入りの道標を紹介。
また京都の道標業界では有名な、沢村道範のはなしをする。
建立者銘を伏すのが多い近世の道標の世界で、たったひとり、わずか7年の間に4基も建てたことがわかっている。
しかも江戸後期の「東海道名所図会」にも紹介されていて、すでに江戸時代にも知られた人。
それによれば山科・四宮に住んでいた。
個人のはなしができない近世道標の世界で唯一、検討が可能な人。
謎だらけだけど、「謎」といえるだけはわかっている。
こちらも感情をこめたので、あとの感想文、そればっかり。
夜は遅れに遅れたある原稿を打つ。
感情も高ぶってきたので、限界をこえたころ、鷹峯旧土居町の「オアシス」へ。
オアシスは御土居堀の北西隅に営業される店。
現在も遺構がのこる(国史蹟、ただし民有地)
その地権者でもあるマスター、森田清さんと懇親。
| 固定リンク

