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2007.05.01

寺田屋跡のとなりの建物がなぜ「寺田屋」になったのか

4/30(月)はれ
 「吾妻鏡」によると源義経が生害した日(文治5年=1189)。

 毎年思い出す。
 少年のころ覚えたもののはいつまでも忘れない。おそろしい。

 「京都の江戸時代をあるく」(週刊『京都民報』、京都民報社、京都市)、締め切り日。
 「寺田屋ものがたりの虚実」その3を打つ。

 これでまとめるつもりがまた延びてしまった。
 結局、4回か、1ヵ月だな。

 維新後、寺田屋跡の敷地でなにがあったか、どうして隣の敷地と建物が「そのもの」に取って代わったか、その過程を論じている。どうか御覧ください。

 5/6は、4/29との合併号ですので発行されません。
 次は5/13発行です。

 あ、そうそう。
 拙稿「龍馬十景」の載った、『龍馬研究』166号が先日発行されました(龍馬研究会、高知市)。
 今回はその1で、「悲哀の人」です。
 龍馬の最後はヒーローでもなんでもない、かわいそうな人だと書きました。たんに殺害されたというだけではなく。

 今年は没後140年です。
 「最後の龍馬」を随時のべていきます。こちらもご期待下さい。

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