寺田屋跡のとなりの建物がなぜ「寺田屋」になったのか
4/30(月)はれ
「吾妻鏡」によると源義経が生害した日(文治5年=1189)。
毎年思い出す。
少年のころ覚えたもののはいつまでも忘れない。おそろしい。
「京都の江戸時代をあるく」(週刊『京都民報』、京都民報社、京都市)、締め切り日。
「寺田屋ものがたりの虚実」その3を打つ。
これでまとめるつもりがまた延びてしまった。
結局、4回か、1ヵ月だな。
維新後、寺田屋跡の敷地でなにがあったか、どうして隣の敷地と建物が「そのもの」に取って代わったか、その過程を論じている。どうか御覧ください。
5/6は、4/29との合併号ですので発行されません。
次は5/13発行です。
あ、そうそう。
拙稿「龍馬十景」の載った、『龍馬研究』166号が先日発行されました(龍馬研究会、高知市)。
今回はその1で、「悲哀の人」です。
龍馬の最後はヒーローでもなんでもない、かわいそうな人だと書きました。たんに殺害されたというだけではなく。
今年は没後140年です。
「最後の龍馬」を随時のべていきます。こちらもご期待下さい。
| 固定リンク
