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2007.05.31

義経の正妻河越氏のこと

5/30(水)午前中あめ、午後からはれ、夜一時雨
 午前中、いつもの京都女子大学に出講。
 堺環濠のおはなしをする。

 約150人の受講者。
 いつも終わってから感想文を書いてもらう。
 読み応えあり。
 感嘆する文章だらけ。
 すばらしい学生さんたちがそろっている。

 午後からキャンパスプラザ。
 こちらもいつも聞き上手のみなさん。

 「吾妻鏡」の義経最期の部分を読む。
 周知のことであるが、義経には妻子(妻22歳、娘4歳)があり、それを殺害してから自らも死ぬ。

 義経の妻子といえば、すぐ静御前と頼朝に殺されるその男の子と思われる。
 一昨年の大河でも、最後の義経はひとりだった。
 そのことをつよく申し上げた。

 その妻は河越氏の娘。
 その実家は埼玉県川越市で、現在国史蹟指定地だ(河越館跡)。

 実は僕の先祖の地も川越市である。
 なんと本家宅と河越館跡は川をはさんでとなりどうし。

 先祖は河越氏と有縁であったにちがいない(冗談)。
 そんなわけで義経の正妻河越氏にはひとかたならぬ思いがある。

 永井路子原作の大河「草燃える」(1979年)はちゃんと妻子を殺害してから自刃していた。「吾妻鏡」にしたがっていた。そばに佐藤忠信がいたことをのぞいて。

 戦国や幕末が事実にもとづいて書かれていないとよくなげくが、史料の少ない中世前期でもこんなていたらくだ。なさけない。

 夜は大谷大学で講師懇親会。
 H先生とある話題でもりあがる。
 予期せず同じ問題意識をもっておられて、びっくり。
 ぜひ研究会をたちあげましょう、ということになる。すばやい。
 いやぁ、これは楽しみ。

 さっそく第1回会合日をきめる。
 酔いがまわらないうちに手帳に書く。

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