聚楽城南外堀跡に碑が建った
5/22(火)はれ
京都民報の担当、Hさんと今後のことをはなしあう。
そこで意外なことを聞く。
去る5/18(金)、京都市上京区智恵光院通下立売の松林寺門前に、「此付近聚楽第南外濠跡」の新碑が建った由。
この地は幕末以来、聚楽城跡の南堀跡と伝えられていた。
1919年(大正8)の京都府の史蹟調査でも報告されていて、広く知られるようになった。
近年、森島康雄さん(京都府埋蔵文化財調査研究センター)や百瀬正恒さんの研究により、たしかに聚楽城の外郭を囲う堀の一部であると明らかにされた。
が、碑の一本、解説板のひとつもなく、残念に思っていました。そこに建ったのである。
聚楽城跡に碑が建つのは1915年(大正4)以来初めてのこと。
これで地上に2基目の聚楽城跡碑が建ったことになる。
それだけでもうれしいのにまだ続きがある。
建碑担当者のひとりは元京都民報関係者で、今も購読している由。
何といま僕が同紙で継続している連載「京都の江戸時代をあるく」を読まれていて、それが今回の建碑につながったという。
たしかに以前、聚楽城跡は1回とりあげました。
うんうん、そのとき使用した写真は、たしかに松林寺境内のくぼ地でした。
ここだけ極端にひくいのだ、とふれました。
すごい。
これが事実なら、自分の書いたものが建碑に直接影響を与えたことになります。
感激です。
以前、山田邦和博士(同志社女子大学、考古学)からうかがったはなし。
ある団体に講演をされた。
そこで、この地は足利尊氏亭跡であること、創立期の「室町幕府」跡であることを伝えられ、碑でも建つといいのにといわれた。
するとのちその団体はそれに刺激され、本当にその地にその由緒を示す石碑と解説板が建った。
山田博士の発言が建碑等につながったのです。
すごいなぁ、山田博士、と感心したものでした。
今回それに近いことを体験しました。
うれしくてなりません。
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