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2007.04.30

明日香村にいった

4/29(日)はれ
 明日香村へ行く。
 心を洗うつもりで。

 びっくりした。おどろくほど人がいる。なんでやねん。
 
 休日行ったらあかんなぁ。反省した。
 
 17年ぶりに甘樫丘にたった。
 大和三山がみごとだった。

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2007.04.29

山科醍醐こどものひろばの朱まり子さんのお話をきく

4/28(土)小雨のちはれ

 午前中、来週の京都検定日めくりドリルの問題を完成させ、担当Yさんに送る。

 午後から山科本願寺・寺内町を考える市民の会主催の講演会に出席。
 今回は僕がお招きした、NPO法人山科醍醐こどものひろば理事長の朱まり子さんが講師。
 司会をせねばならぬので、遅れてはならない。かけつける。

 最近、山科の地域をしる冊子をつくられた。
 子どもの視点でつくられてある。

 前作の冊子をたまたま山科駅前の中華料理屋でみた。
 いかに難しい内容をかみくだいで伝えるか、いつも悩んでいる。
 「これだ」と思った。
 連絡先をひかえてすぐ電話した。
 おりかえし送っていただいた。
 それだけの関係で終わるはずだった。

 問い合わせがあった。
 語らなければだめだと思った。
 事務所をたずねた。
 そこで朱さんとはじめてお目にかかった。
 語ってすぐわかった。
 同じタイプの人だと。
 ある意味「姉弟」だと思った。
 お手伝いしなければと、直感した。

 若干だけれどお手伝いができた。
 小学生に山科の歴史を伝える仕事。
 難しかった。
 たとえていえばという、比喩が通じない相手。
 年配の人には通ずることなのに。

 ややこしいはなしをいかに単純化できるかの戦いだった。
 とてもいい経験だった。
 またしたいと思った。

 その朱さんの長年の経験談をきかせていただいた。
 気付かなかったこと、いっぱいいっぱいあった。

 講師の選択にまちがいはなかった。
 すばらしい会だった。

 お話のなかで父上のはなしが出た。
 どのような家庭かまったく知らなかった。

 父上につれられて遠方にいく。
 よい石造物があると父上は拓本をとりだす、拓本は時間がかかる、完成しても紙をかわかしてたたむまで待たねばならぬ、いやでいやでしようがなかった。
 が、「門前の小僧、ならわぬ経をよみ」のごとく、小学生で石造美術品の種類をしってしまった。
 たまたま路傍の墓石をみて、仲間に「これ宝篋印塔いうねんで」といったりしていた・・・。

 仰天した。
 そんな一般人いない。
 絶対研究者だ。

 40年以上前、そんなことを京都で日常でしていたとすれば、それは「史迹美術同攷会」の関係者ではないか、あるいはそのなかの僕でも知っている幹部の誰かではないか。

 「史迹美術同攷会」は1930年に川勝政太郎が創立した民間研究団体で、機関誌『史迹と美術』を刊行しておられる。僕も見学会講師をつとめさせてもらったことがある。
 
 終了後、「立ち入ったことで恐縮ですが」とまえおきして、父上のお名前をうかがった。
 すると予想通り、よく知られた同会のO先生の名前がでた。
 やっぱりと思いながらも絶句した。

 教育は環境だと思っている。
 それは学校も家庭も地域も。
 でもやっぱり1番多く接するのは家庭。

 とんびが鷹をうむ。
 たまにはあるかも知れない。
 でもやっぱり、鷹は鷹から生まれる。
 いろんな鷹があるとは思うが、やっぱり環境は無視できない。

 今日はいっぱいいい日だった。

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2007.04.28

「その場所」で講義していることにきづく

4/27(金)はれ
 前日東京から帰り、一旦帰宅した後、すぐ京都新聞文化センターに出講。

 本日は朝1番で、同志社大学に出講。
 豊臣三都(大坂・京都〈聚楽〉・伏見)論をのべたのだが、「征夷大将軍の道をあきらめた秀吉は、近衛家の養子にはいり、藤原秀吉となって関白に任官した云々」というくだりにきて、はっとした。

 講義している新町校地は、中世の近衛邸跡ではないか。
 まさにその現場で話をしていたのだ。
 なんということ。
 感激このうえない。

 京都の研究を京都に住んで京都で働きながらしている。
 こんな幸せがあるか。

 別のところでも同じことを思った。

 午後からは京都駅前のキャンパスプラザにうつり、「くずし字入門」に出講。
 いまは尼門跡の一覧を読んでいる。

 実はそこで出てくる宝鏡寺や大聖寺はすべて僕の同志社通勤コースに存在する。
 やっぱり生活しながら史料の現場をみている。

 フィールドに住むことの大切さを心より実感している。

 終了後、来週の京都検定日めくりドリルの問題づくりにかかる。
 あわせて次回の朝日カルチャーセンターのバスツアーの昼食場所を選定せねばならぬ。

 やることはゴマンとあるが、いっこも減らない。

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2007.04.26

東京から帰る

 ながらくごぶさたしておりました。
 実は東京に出張しておりました。
  
 仕事と研究会参加、プラス旧蹟踏査です。
 
 楽しくもあり、疲弊もしました。

 すこしはやせたにちがいない。

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2007.04.21

栄中日文化センターへ出講

4/19(木)はれ
 名古屋、栄中日文化センターへ出講。
 「日本の城と合戦」、「京都学ことはじめ」のダブルヘッダー。

 前者は「元弘の変と鎌倉幕府滅亡」、とても多くの受講者、しかも大半が新しいひと。
 後者は「長岡・平安京遷都、その1」。それほど多くはない。なんと大半がこれまでのひと。
 
 人気があるのかないのかわからない。
 
 夜はお好み焼き。
 ゆえあって、昨日からビールを断っている。
 健康的でなによりです。

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2007.04.19

寺田屋ものがたりの虚実

 新年度に入ると多忙になると見込んでいたが、そうか、こういうことかって実感中。
 もうゆとりがない。
 
 いかに時間を上手に使うかにかかっている。
 そのためには、まず早起きだ。

 ブログの更新が毎日できない。
 看板をかきかえないといけないほどになってきた。
 いかん。

 京都民報に連載中の「京都の江戸時代をあるく」、昨夜2日遅れて原稿を提出した。
 もう41話。
 1年、50話予定だっので、そろそろラストスパートを考えなければ、しかし書きたいことはまだ多く残されている。

 いま書いているものはそのなかでもとても大事なもの。
 題して「寺田屋ものがたりの虚実」
 ほとんど事実が見えない維新後の「寺田屋ものがたり」を一度清算し、使える史料で整理しなおそうというこころみ。

 40話(4/22)、41話(4/29)、42話(5/6)の3回連続予定です。
 ご期待を乞います。

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2007.04.16

安土で震度3にあう

4/14~15
 滋賀県安土町で行われた、1617会「信長の城下町」シンポジウムに出席。
 参加者オールスター。同窓会みたいだった。楽しいイベントであった。
 もちろん勉強になった。

 長浜城歴史博物館の太田浩司さんとマクドナルドで昼食をしているとき、震度3の地震に襲われた。
 ゆれすぎて酔ってしまった。

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2007.04.14

同志社大学に出講。圧倒される

4/13(金)はれ夜から雨
 同志社大学に初出講。

 同志社大学今出川校地は幕末に営まれた薩摩屋敷跡です。
 わざわざ今出川通の薩摩屋敷の遺構の門をくぐって校地に入る。

 が、文学部事務所に行くと、ちがいます、新町校舎ですといわれる。
 えっ。

 5分あるく。

 新町校地は中世から近世にかけて近衛家の屋敷であった。
 桜がみごとで、「桜御所」といわれた。
 上杉本洛中洛外図にも描かれている。

 最近、幕末主要人物の居所について検討を進めている。
 居所がどこかという歴史地理的検討により、文献からはきづけないことを明らかにする目的のため。
 
 で、「長州ファイブ」ならぬ、「薩摩スリー」とでもいうべきひとり小松帯刀が、「近衛家御花畑の別邸を借り住居」して」いたと、大久保利通の子利武が述べていることと最近知った(尚友ブックレット9.1998年4月。桐野作人氏からのご教示)。

 断定できないが、いま「桜御所」が「御花畑の別邸」のことではないかと考えている。
 そうすると僕の講義地は小松帯刀の居所ということになる。

 まちがえて入った今出川校地は薩摩屋敷跡であるから、本日は薩摩屋敷から小松宅まであるいたことになる。
 なんという気分のよい日。
 
 で、校地に入ると入り口に、その由緒を記したプレートがあった。
 たいへん驚く(もちろん、小松云々はないけれど)

 すごい大学。
 これを指示する教員や、理解を示す人たちがいるということだ。
 
 文化史特論という専門科目。
 30名ていどの少なくはないが多くもないという規模。
 が、受講者はかなり多彩。
 学部2年生・3年生が圧倒的なのだが、年配の聴講生数名のほか、大学院博士課程の人も。
 
 例にもれず自己紹介書を書いてもらうが、なかなか読み応えがある。
 来週から楽しみです。

 講師控え室に新島襄の肖像が掲げられている。
 襟を正す思い。

 宗教者としてもだが、「同志社山脈」の基礎をつくった新島に深い敬意をもっている。
 正門には新島から妻八重に宛てた書簡の一節が、「今月のことば」として掲示されていた。
 教育を信仰の場として考えているという敬虔な姿勢にしばらく動けなくなってしまった。
 その両翼として学術を位置づけるともある。
 考えこんでしまった。

 中華人民共和国の温首相の上京のため、多数の警備の警官がいてものものしい。
 そんななかを今度は京都駅前、キャンパスプラザ京都へ向かう。
 「くずし字入門」に出講。

 本日で門跡寺院終了。
 次回からは何をしよう。

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2007.04.12

京都女子大学で感激

4/11(水)はれ
 朝、京都女子大学へ出講。
 初の女子大である。
 友人からメールがきて、「ドキドキやなぁ」といわれたが、当人、緊張してむしろ憂鬱。
 
 が、とても反応のよい生徒さんで緊張がとけた。
 最後に自己紹介文を書いてもらったが、それがおどろくほどみな個性的で、驚く。
 教室からふたつも寺院の塔がみえる。すごい。こんな教室はじめて。清水寺三重塔、八坂塔だ。

 帰りは「プリンセスライン号」というバスに乗って京都駅へ。
 途中は「大仏」ゾーンを通りながら。
 まったく自分の研究フィールドだ。
 自分の研究フィールドにある大学で教えるのは感激すら覚える。

 毎週くるのが楽しみになるにちがいない。

 「今朝の憂鬱はなんだったのだ」、それを知った冒頭の友人からあきれたようにメールがまたきた。

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2007.04.10

大谷大学・佛教大学に出講

4/9(月)はれ
 本日から大学講義開始。
 2大学へ行かねばならぬ。

 朝1番は、大谷大学。
 40人弱の学生さん。
 歴史地理学という科目。
 
 大谷大学の周辺の歴史地理を教える予定。
 本日は、まあ顔合わせ。

 終了後、講師室にいると、同大のK先生からメールがくる。
 文学部長室に連れて行っていただきコーヒーをいただく。

 それにとどまらず、学外で昼食をごちそうになる。
 食後にはまたまたコーヒーを。
 たいへんな接待をくださる。
 ありがたいこと、このうえなし。

 午後2時半からは佛教大学で講義。
 こちらは地理学演習。
 やはりオリエンテーションのみ。

 来週から大変やなあ。
 まあしかたないか。

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2007.04.09

岡田有希子、21年目のその日

4/8(日)はれ夜1時雨
 本日、岡田有希子(本名、佐藤佳代)の祥月命日。
 1986年のことだから、もう21年も前になる。
 
 名古屋郊外の菩提寺にもう何年もおまいりしていないが、いまもファンの香華はたえていないと思う。
 思い出し話題にすることが供養だと思っている。
 
 11時から、帷子ノ辻駅前の「三壺庵」での京都歴史講座に出講。
 長岡京遷都のはなし。
 中山修一さんの歴史地理研究からはじまった長岡京跡発見の話をまたする。
 15名ほどの受講者。

 午後から、「上七軒花街文化研究会」の歴史部会での北野地域の史料輪読会に参加(於同所)。
 『史料京都の歴史』上京区編の翔らん学区の部分を最初から読んでいる。
 北野社での1万部経の読誦会にとても多くの人が集まっている様子にみなで感嘆する。

 先年、朝日新聞社から『花街』という著作を出された地理学のK先生(立命館大学)、はじめておこしになる。
 初対面。びっくりする。この研究会にとってストレートど真ん中な研究者ではないか。
 すごい会やなぁ。

 嵐山電鉄に乗り帰る。
 御室仁和寺駅近くの「桜のトンネル」を満喫する。
 とにかくすごい人。
 いや。

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2007.04.07

宮崎あおいさんをナマでみた

4/6(木)はれ
 午前中、洗濯しふとんを干す。
 昼から「くずし字入門」に出講。
 本日も「都の記」の「門跡寺院」の部分を読む。
 今回は、興福寺大乗院、山科毘沙門堂、東山安井門跡。
 
 江戸時代の東山安井に門跡寺院があったなんて、一般にはほとんど知られていないと思います。
 かくいう僕も分かっていなかった。
 「安井金比羅が所属する大寺院があったと思います」ぐらいでかわしました。

 で、帰宅し調べなおしましたら、意外なことがわかりました。
 次回、お伝えします。
 まだまだ知らんことばっかりやなぁと、また痛感。

 帰途、京都駅前の「ぱるるプラザ」の地下に平安京羅城門の1/10模型が安置されているとはじめてしる。
 受講者のTさんに連れられて見に行く。
 
 平安京建都1200年のときにつくったものがこんなところに。
 立派なものです。
 が、もったいない。
 ほとんど知られていないのではないか。

 平安京全体の模型はアスニー京都に展示されている(それでも一部だが)。
 分散しないと展示できないのはわかる。
 が、それなら、せめてアスニーでいいから、どこにいけば平安京模型の姉妹品が見れるか、書いておいてもらえないか。

 夕方まで京都駅構内の某所にこもって原稿をうつ。
 それから大阪へでる。
 福島のABCホール。
 妹に誘われて、「初雪の恋」という映画の試写会に参加。

 この映画、主演のひとりが宮崎あおいさんです。
 しかも舞台挨拶があるかも知れない、ということで、誰でもなく僕が誘われたのでした。

 期待せずに行きました。
 もし来られなかったらショックだもの。
 
 主演は韓国男優。
 そのお目当てらしき女性客が多数。
 宮崎あおいさんをみたくて来たのはわれわれ兄妹だけだったのでは。
 
 司会の女性のあるひとことで、宮崎あおいさんが来ているとわかり、絶句する。

 ご本人登場。
 言葉にならない。

 映画は、京都に精通している人は前半愕然とするかも。
 東山安井の交差点から突然平安神宮に出たりする。

 舞台の高校は龍谷大学大宮学舎(国重文)を利用。
 その横には東洞院三条付近があるらしい。

 よく知られた建物や空間を使うのは問題。
 映画全体が陳腐に感じられる。
 妹が「龍谷大学って附属高校あったっけ」と発言したが、これも現実の建物と映画のセッティングを混同したためのこと。
 当然龍谷大学に附属高校はない。
 
 全体としては、宮崎あおいさんファンにはよいかも、という評価。

 冒頭、宮崎あおいさんが巫女として登場する神社がどこかわからなかった。
 なさけない。
 DVDが出たら検討しなくては。

 あ、まだ本上映がありましたね。

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2007.04.04

名古屋で京都を歩くレクチャー

4/3(火)はれ
 今日は荻野目洋子のレコードデビュー日(1984年)。
 そんなことばっかり覚えている自分がいや。

 夕方から名古屋の朝日カルチャーセンターへ出講。
 4月から半年つづく「街道ぶらり旅/京都・歴史の道を歩く」のレクチャー。
 多くの参加。ありがとうございます。

 寒いなあ。
 半そでできたのに。世の中どうなってんだ。

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2007.04.03

新年度になりましての不安

4/1(日)はれ
 新年度になった。
 今年度はたいへん忙しくなる。ありがたいことなのだが、大変だ。
 
 まず大学が5つ、6コマになった(春学期は4つ、4コマ)。
 新聞連載はそのまま継続。
 季刊だが連載がもうひとつふえた。龍馬研究会の『龍馬研究』。

 すでに刊行予定の本(単著)がふたつもある。
 まとめておきたい論文はいくつも。

 できるのか!?

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2007.04.01

ケイタイ復旧しました

3/30(金)くもりのちはれ
 「基礎からまなぶ!日本歴史」に出講。
 平治の乱と平氏政権について。
 
 ケイタイが死んだので、次の子を入手にいく。
 夕方までに無事完了。
 ご心配をおかけしました。
 電話番号もメールアドレスもそのままです。
 
 夜は三宅日記輪読会。
 事情あり久しぶりの開催。
 M氏、S氏と楽しい雑談に花がさく。

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