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2007.04.29

山科醍醐こどものひろばの朱まり子さんのお話をきく

4/28(土)小雨のちはれ

 午前中、来週の京都検定日めくりドリルの問題を完成させ、担当Yさんに送る。

 午後から山科本願寺・寺内町を考える市民の会主催の講演会に出席。
 今回は僕がお招きした、NPO法人山科醍醐こどものひろば理事長の朱まり子さんが講師。
 司会をせねばならぬので、遅れてはならない。かけつける。

 最近、山科の地域をしる冊子をつくられた。
 子どもの視点でつくられてある。

 前作の冊子をたまたま山科駅前の中華料理屋でみた。
 いかに難しい内容をかみくだいで伝えるか、いつも悩んでいる。
 「これだ」と思った。
 連絡先をひかえてすぐ電話した。
 おりかえし送っていただいた。
 それだけの関係で終わるはずだった。

 問い合わせがあった。
 語らなければだめだと思った。
 事務所をたずねた。
 そこで朱さんとはじめてお目にかかった。
 語ってすぐわかった。
 同じタイプの人だと。
 ある意味「姉弟」だと思った。
 お手伝いしなければと、直感した。

 若干だけれどお手伝いができた。
 小学生に山科の歴史を伝える仕事。
 難しかった。
 たとえていえばという、比喩が通じない相手。
 年配の人には通ずることなのに。

 ややこしいはなしをいかに単純化できるかの戦いだった。
 とてもいい経験だった。
 またしたいと思った。

 その朱さんの長年の経験談をきかせていただいた。
 気付かなかったこと、いっぱいいっぱいあった。

 講師の選択にまちがいはなかった。
 すばらしい会だった。

 お話のなかで父上のはなしが出た。
 どのような家庭かまったく知らなかった。

 父上につれられて遠方にいく。
 よい石造物があると父上は拓本をとりだす、拓本は時間がかかる、完成しても紙をかわかしてたたむまで待たねばならぬ、いやでいやでしようがなかった。
 が、「門前の小僧、ならわぬ経をよみ」のごとく、小学生で石造美術品の種類をしってしまった。
 たまたま路傍の墓石をみて、仲間に「これ宝篋印塔いうねんで」といったりしていた・・・。

 仰天した。
 そんな一般人いない。
 絶対研究者だ。

 40年以上前、そんなことを京都で日常でしていたとすれば、それは「史迹美術同攷会」の関係者ではないか、あるいはそのなかの僕でも知っている幹部の誰かではないか。

 「史迹美術同攷会」は1930年に川勝政太郎が創立した民間研究団体で、機関誌『史迹と美術』を刊行しておられる。僕も見学会講師をつとめさせてもらったことがある。
 
 終了後、「立ち入ったことで恐縮ですが」とまえおきして、父上のお名前をうかがった。
 すると予想通り、よく知られた同会のO先生の名前がでた。
 やっぱりと思いながらも絶句した。

 教育は環境だと思っている。
 それは学校も家庭も地域も。
 でもやっぱり1番多く接するのは家庭。

 とんびが鷹をうむ。
 たまにはあるかも知れない。
 でもやっぱり、鷹は鷹から生まれる。
 いろんな鷹があるとは思うが、やっぱり環境は無視できない。

 今日はいっぱいいい日だった。

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