同志社大学に出講。圧倒される
4/13(金)はれ夜から雨
同志社大学に初出講。
同志社大学今出川校地は幕末に営まれた薩摩屋敷跡です。
わざわざ今出川通の薩摩屋敷の遺構の門をくぐって校地に入る。
が、文学部事務所に行くと、ちがいます、新町校舎ですといわれる。
えっ。
5分あるく。
新町校地は中世から近世にかけて近衛家の屋敷であった。
桜がみごとで、「桜御所」といわれた。
上杉本洛中洛外図にも描かれている。
最近、幕末主要人物の居所について検討を進めている。
居所がどこかという歴史地理的検討により、文献からはきづけないことを明らかにする目的のため。
で、「長州ファイブ」ならぬ、「薩摩スリー」とでもいうべきひとり小松帯刀が、「近衛家御花畑の別邸を借り住居」して」いたと、大久保利通の子利武が述べていることと最近知った(尚友ブックレット9.1998年4月。桐野作人氏からのご教示)。
断定できないが、いま「桜御所」が「御花畑の別邸」のことではないかと考えている。
そうすると僕の講義地は小松帯刀の居所ということになる。
まちがえて入った今出川校地は薩摩屋敷跡であるから、本日は薩摩屋敷から小松宅まであるいたことになる。
なんという気分のよい日。
で、校地に入ると入り口に、その由緒を記したプレートがあった。
たいへん驚く(もちろん、小松云々はないけれど)
すごい大学。
これを指示する教員や、理解を示す人たちがいるということだ。
文化史特論という専門科目。
30名ていどの少なくはないが多くもないという規模。
が、受講者はかなり多彩。
学部2年生・3年生が圧倒的なのだが、年配の聴講生数名のほか、大学院博士課程の人も。
例にもれず自己紹介書を書いてもらうが、なかなか読み応えがある。
来週から楽しみです。
講師控え室に新島襄の肖像が掲げられている。
襟を正す思い。
宗教者としてもだが、「同志社山脈」の基礎をつくった新島に深い敬意をもっている。
正門には新島から妻八重に宛てた書簡の一節が、「今月のことば」として掲示されていた。
教育を信仰の場として考えているという敬虔な姿勢にしばらく動けなくなってしまった。
その両翼として学術を位置づけるともある。
考えこんでしまった。
中華人民共和国の温首相の上京のため、多数の警備の警官がいてものものしい。
そんななかを今度は京都駅前、キャンパスプラザ京都へ向かう。
「くずし字入門」に出講。
本日で門跡寺院終了。
次回からは何をしよう。
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