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2007.03.30

霊山墓地に5時間もいた

3/29(木)くもりのちはれ
 天気予報がはずれた。
 雨がふると聞いたので傘を持って出たのに、まったく降らなかった。
 謝罪はあったのか。こちらは迷惑した。ずっと邪魔だった。

 洛東霊山護国神社に5時間もいつづける。
 墓地の調査。
 ようやく謎がとけてきた。
 霊山墓地の成立。
 龍馬の遺体がどの道を通って埋葬されたか考えたことがおありですか。
 
 明日、予定を変更して、名古屋・中日文化センターでお話します。

 夜、ケイタイが死んだ。
 2年もたなかった。最後に酷使してしまった。
 明日は葬式だな。

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2007.03.29

珍しい本を手に入れた

3/28(水)はれ
 手に入るとも思っていなかった貴重な史料が手に入った。
 京都府立総合資料館にも所蔵されていないようだ。

 近々、そのネタを某所で話そうと思った矢先、冗談でネットで検索したら売りに出ていることにきづいた。
 目をうたがった。

 在庫がなくなっているといわれないか、不安だった。
 ありますといわれてどんなにうれしかったか。
 喜びをかくせない。
 しかも安価。
 買値の十倍でも、きっと無理して買ったと思う。
 なんと幸せなこと。

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2007.03.28

竹花由紀子氏『それゆけ!果報者』を読む

3/27(火)くもりのち雨のちはれ
Eco_1

 珍しい本が届く。

 環境マンガである。
 『それゆけ!果報者』1・2。

 著者は竹花由紀子さん。
 先日、京エコロジーセンターの「エコ探検ウォーク」でご一緒した同センター職員である。
 今回お目にかかったのは2回目。
 楽しい個性の方ですが、前回お目にかかったとき漫画家とうかがい、とても関心をもっていました。
 そのとき飲みながら僕の似顔絵を書いてもらいました(未公開)。

 今回、単著をお持ちと聞き、ぜひ売ってください、といいました。
 それが本日届いたというわけです。
 
 一気に読みました。
 おもしろい!
 正直な感想。
 いっぺんでファンになりました。

 エコロジーのよくわからないところを、素人とおなじ視線でからかってくださったり、もちろんまじめに論じておられたり。
 ちょっとお値段がはりますが(1巻1500円、2巻1000円)、その価値はあります。
 おススメします。

 詳しくは、http://homepage2.nifty.com/kahoumono/soreyuke/
のサイトへ。 

 彩色された似顔絵も気を使って同封してくださいました。
 ありがとうございました。
 そのうち公開させていただきます。

 夜はカレーライスにする。
 先日、マンガミュージアムで「包丁人味平」を読んでしまったから。
 ひさしぶり。
 僕なりにとてもおいしくできました。

 幸せな日でございました。

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2007.03.27

また晴れた!桜井巡検

3/26(月)はれ
070326_1825

 昨日、京都おこしやす大学の現地講座があった。
 雨のはずが晴れた。
 「晴れ男」の面目躍如といったところ。

 本日は「基礎からまなぶ!日本歴史」の現地見学会。
 また晴れた。

 もちろん「晴れ男」なんて非科学的なこととわかっている。
 が、それにしても晴れが続きすぎる。
 雨の日はなぜか見学会がないのだ。

 桜井市の赤坂天王山古墳、宮内庁治定の崇峻天皇陵、淡山神社などへ行く。
 ほんとうの崇峻天皇陵とされる同古墳。
 巨大な家形石棺を納める横穴式石室に参加者、大騒ぎ。
 あまり騒ぐと天井石が落ちてきますよとおどかす。
 
 淡山神社へのバスが1時間に1本しかない。
 時間つぶしに、予定になかった天誅組志士の墓参にご案内する。

 土佐出身の楠目清馬の墓です(写真)。
 同じく土佐出身の土居佐之助、安岡斧太郎とともに東吉野からここまで逃亡してきましたが、藤堂兵に見咎められます。
 土居・安岡は捕らえられましたが、楠目は逃れ、逃げ切れないと判断し自殺しました。22歳です。
 楠目の墓参はいつ以来だろうと計算すると、大学2年以来。18年ぶり。いかんなぁ。
 
 捕らえられた土居と安岡は京都に送られ殺されます。
 なお土居は、坂本龍馬の手紙に「平井のあいだがらの池田のをとをと(弟)」と記された人物です(坂本乙女・春猪宛、文久3年=1863秋ごろ)。

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2007.03.25

洛東霊明神社文書を読む

3/24(土)あめ
 ちょっとした事情で、予期せず時間が出来る。
 昨日、京都新聞文化センターでお話したひとつ、「霊山墓地の誕生」について気になることがあったので、その学習をする。
 
 霊山墓地(龍馬らの墓所ですね)はいまでこそ霊山護国神社の管理地ですが、実は近接する霊明神社が発祥地です。
 維新直後に東山招魂社(霊山護国神社の前身)が創立され、領地の大半を没収(上知あげち)されてしまいましたので、影がうすくなっているのです。

 霊山墓地成立を知れる文書群が同社にいまも残っています。
 ありがたいことに特別な努力をしなくても、われわれはそれを京都市歴史資料館で写真を見ることができます。コピーも安価で手に入ります。
 その記録を終日読んでいました。

 夜はある方からお誘いをうけ、お酒をごちそうになる。
 6時30分すぎにはじまり、歴史のご質問をずっとうけていて、お店を出るときはじめて時計をみたら、びっくり。
 11時30分。

 5時間もいたのか。
 絶句。
 浦島太郎はこんな気分だったにちがいない。

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2007.03.24

寺田屋と幾松のはなしをした

3/23(金)はれ
 かなりあたたかい日。

 昨日の京都新聞朝刊に、一昨日のエコロジーセンターのウォークの記事があった。
 写真は載っていたが、今回は僕がうつっていなかった。名前だけ。

 「基礎からまなぶ日本歴史」、ついに中世にはいった。
 保元の乱のはなしをする。

 にわか勉強ですが、美川圭さんや元木泰雄さんの成果などをご紹介。
 もちろん角田文衛さんの『待賢門院璋子の生涯』も。

 そのあと京都駅某所にこもる。
 本日京都新聞文化センター「京都明治維新史を見直す」講座、最終回。
 その準備。またパワーポイントでのデータづくり。 
 前回しのこした「霊山墓地の誕生」も半分時間をとる。
 
 次回からは「豊臣秀吉と京都」です。
 またよろしくお願いします。

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2007.03.22

鳥羽伏見古戦場をエコロジーする

3/21(祝・水)はれ

Eco

 京エコロジーセンター(伏見区藤森)の巡検に出講。
 同所で「幕末政治と鳥羽伏見戦争」をレクチャーする。
 
 たった30分のレクチャーのためについやしたパワーポイント製作時間は、×時間。
 あきれる。
 すべてお話しすると数時間かかるような内容になる。

 予想通りスライドは半分ほどしか紹介できず。
 のこりは現地へ、ということで。

 タクシーに乗って現地見学というぜいたくな行為。
 エコロタクシーというエコロジーなタクシーを使用しました。
 はじめて乗りました。

 今回の企画はおもいっきり赤字です。
 参加費500円でこれはすごい。

 淀堤千両松跡もタクシーで連れて行ってもらう。
 ふだんここまではこれないよなぁ。
 せいぜいJRAの駐車場のそばの「東軍戦死者埋骨所」墓碑まで(ここは古戦場から離れている)。
 
 また当初断れていた納所の妙教寺本堂もあげていただけることになった。
 担当長谷川氏が今一度頼んでくださったおかげ。
 
 本堂に戊辰戦争の大砲の弾が飛び込んだ痕跡がふたつあります。
 それを見せていただけました。
 参加のみなさん、おおよろびだったと思います。

 京阪淀駅で解散。
 担当長谷川氏に誘われて、うまそうなチキンカツ店にいく。
 ほんとうにうまい。びっくりだ。
 しかもたった100円。
 「このためだけにまた来たいですね」なんていいあい、職員で漫画家の竹花由紀子氏もまきこんで、淀城天守台跡の前でビールを飲む。
 
 すばらしい日でございました。

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2007.03.21

「休日」のくらしぶり

3/20(火)はれ
 ひさしぶりに休日。

 といっても出講がないというだけ。
 前日が締め切りだった「京都の江戸時代をあるく」(37話)をつくる。
 
 また先日終わった、国交省の洛楽歩考会(10回)の冊子への寄稿文の締め切りも本日まで。
 すべてやりとげて、各担当にメール送信する。

 あ、ひとつ忘れてた。
 『龍馬研究』の連載「龍馬10景」(1話)。
 最終締めきりはまだだが、最初のしめきりはすぎている。
 取り組む。が、完成にいたらず。

 4月からあらたに出講する大学への提出書類も締め切りがすぎていた。
 直接持参する。
 
 夜は明日行われる「京(みやこ)エコロジーセンター」の見学会の準備。
 パワーポイントでストーリーをつくる。

 わずか30分の講演にえらい時間をかけている。
 そんな自分がおろかしいといったら、ある人が、それほど時間をかけてくれるから聴講者はうれしい、手をぬいて講演されてはこまるといわれ、なるほどとも思う。限度はあると思いますが、そうですね。

 これが僕の休日。
 つまりは休日でもなんでもなかった。

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2007.03.20

長岡宮跡をあるく

Nagaoka

 知らんまに日があいていた。
 友人U原氏の督促にあって、はじめてきづいた。

 3/19(月)はれ、さむい日
 「基礎からまなぶ!日本歴史」の巡検の日。
 
 今日は長岡京跡をあるく。
 午後1時、阪急「東向日」駅改札に集合。
 
 長岡京の北端から南端を縦断し、同京発見・保存のヒーロー中山修一記念館に行く予定。

 まづ北京極大路跡と京の中軸線の交差点(推定地)にたつ。
 「平安京跡なら、いま千本一条にいます」という。
 うなづきあり。

 大極殿跡から内裏回廊北西隅跡(写真)、築地跡など国史蹟に指定されて公園になったところを主にあるく。
 
 けっこう一般的な見学地ばかり。
 ちょっとマニアックだったなのは、中山修一の長岡京研究の基点になった「左京三条一坊十町の蓮池」跡をみたことか。
 結果は2町東へずれていたのだが、それは問題ない。
 現地になんら標示物はないか。
 「中山修一先生、長岡京研究基準地」というような碑がほしいな。
 マニア過ぎるか。
 ここで3時半すぎ。とても中山修一記念館にはいけない。
 朝堂院正門会昌門跡で午後4時に。
 中山修一記念館は閉館になったはず。あきらめる。
 
 「京」をあるくつもりが、「宮」だけで終わってしまった。
 計画だおれもいいところ。
 が、みなさん文句のひとつもなく、また次回企画してくださいと。
 
 ありがとうございます。
 また行きましょう。

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2007.03.17

桐野作人氏『だれが信長を殺したのか』を頂戴する

 歴史作家の桐野作人さんから、近刊の高著、
『だれが信長を殺したのか―本能寺の変・新たな視点』を恵贈される。
(PHP新書、2007年3月、798円)

 ありがとうございます。あつく御礼申し上げます。

 桐野作人さんは自ら「歴史作家」と名乗られるから僕もそう記すが、すでに学術誌に本能寺の変について論文をお書きですから、もう「日本史研究者」を名乗っていいのではないですか、とお目にかかるたびにいう。
 ものを書く前に読まれる史料の量、分析力、すでに「作家」の域をこえている。

 そんな桐野さんの新作ですからおススメします。
 専門の日本史研究者が参入し、かえって最近混乱が深まってきた「本能寺の変」。
 もっとも信用できる内容のものといえましょう。

 「はじめに」を読めば、その人のスタイルがわかる。
 僕は書店で本を購入する場合、「はじめに」と「あとがき」をまず読む。
 それでつまらなければ、よほど必要でなければブックオフに出るのをまつ。

 失礼ながら一般的に「歴史作家」が書かれる作品は、多くが目的意識が低く、つまらない。
 
 その点でいっても今回の桐野さんの作品は「はじめに」がまずおもしろい。
 すでに書き方が「作家」ではない。
 「研究者」のそれだ。

 桐野さんは、これから龍馬遭難事件についても単著の刊行を予定されていると聞く。
 実に楽しみだ。

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2007.03.14

テレビに1時間も生出演しました

3/13(火)はれ

Cha

 朝から、昨日締め切りだった「京都の江戸時代をあるく」(36話)に立ち向かう。
 
 それを担当H氏に送ってから、タクシーに乗ってKBS京都へ。
 KBS京都・京都チャンネル(関西テレビ)同時生放送の「京都!ちゃちゃちゃっ」にゲスト出演するため。

 入るなり、本日の番組の打ち合わせ。
 ごいっしょに出演する岡本栄さん(関西テレビ)と、岩井万実さん(京都チャンネル)の笑顔に緊張がほぐれる。

 12時放映開始。
 打ち合わせにはなかった岡本栄さんの振りにあわてながらも、うかつなことはいわず進む。

 円徳院(東山区、もと高台寺塔頭)の紹介のときにふられて、思わず「寺伝などに事実でないことがあり、それによく気づく。そのため楽しめない。知りすぎるというのもこまりもの」みたいな返事をする。

 あとで同じ建物に勤務するパソコンの師匠から、「何をいいだすのか、と心配した」といわれる。
 大丈夫です。

 生放送ですからね。「北政所は『ねね』ではない、『ねい』。晩年に住んだのは現仙洞御所の地にあたる洛中屋敷で、高台寺にはほとんど住んでいない」なんて、思ってもいいません。

 約20分、土居堀のはなしをする。
 文化財保護問題のことをいいすぎたような気がするが、台本がそうなっていたのだから仕方がない(ほんと)。
 こちらからとくに望んだわけではないので、ご理解ください。
 
 さほど緊張することなく、あっというまに1時間過ぎ、終了。
 楽しくありました。 

 終了後、別室でお弁当をいただく。
 岡本栄さんの博学ぶりに下をまく。
 「考古少年」だった、といわれるが、いやいやそんなレベルをこえている。

 午後3時、別室のパソコンの師匠に挨拶し(前述)、建物を出る。

 ふらりと京都御苑に入り、公開中の閑院宮邸を参観する。
 金のかかった展示ブースに感心していると、ぐうぜん岡本栄さんも入ってこられる。
 
 またいつかお目にかかると楽しいだろうなぁ、と思っていた矢先の、あまりに早い再会。
 同邸から三条京阪までごいっしょし、造詣がふかい書画のおはなしなどうかがう。
 途中、懇意にしておられる寺町二条の山本美術店に立ち寄られ、ご主人山本聰さんをご紹介いただく。
 
 室町期の、めずらしい清水寺縁起と思われる軸を拝見。
 幕末志士、藤本鉄石の書画のはなしで、知らないことをいくつもうかがう。

 夕方に入り、夜のものがたりがありますが、それは省略。

 今日は類例のない、中身のある楽しい日でした(写真は番組のセット)。

 ※「京都!ちゃちゃちゃっ」のホームページをのぞくと、岩井万実さんが昨日のことを書いてくれていました。
  以下はそのまま引用。
  まちがいなくほめすぎなのですが、うれしかったので。

 「そしてゲストには佛教大学 非常勤講師の中村武生さんが来てくださいました。
 今日、中村さんのお話を聞かせていただいて、一つ発見したことがあるんです!!
 それは中村さんは「えぇ~人」ということです。
 御土居が壊されている現場を見てか悲しくなる中村さんの心はキラキラ輝いているに
 決まってます!!それに言葉の一つ一つで優しさを感じさせられました。
 私もそんな心の持ち主になりたいな♪ 」

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2007.03.13

あ、今日なんや、と思う

 朝起きてテレビ欄のKBS京都の部分をみると、「京都!ちゃちゃちゃっ」の見出しに、

 「京を囲んだ城壁」とあった。

 今日なんや、と思う。

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2007.03.12

明日テレビに生出演します

 しばらく更新ができなかった。
 通信事情がよくなかったためです。
 本日はできるようになっていました。

 明日、3/13(火)、テレビ生出演いたします。

 京都ローカル放送、KBS京都です。
 お昼12時から1時、「京都!ちゃちゃちゃっ」という番組。

 ゲストで出て、15分ほど、京都の城壁・環濠「御土居堀」の話をします。
 話すのは15分だけらしいですが、そのコーナーだけではなく、1時間出っ放しなのだそうです。

 その話を講座の受講者に申しますと、いく人もの人から「先生、いい弁当食べられるで」といわれました。
 はぁ、そうなのですか。
 僕はふだんテレビをみんもので。

 京都の情報番組としては知られたものだそうです。
 
 この番組、関西テレビの衛星放送「京都チャンネル」でも生で流れます。
 こちらでしたら全国どこでも見ていただけます。

 京都チャンネルなら2回ほど再放送もありますので、どうか御覧ください。
 私はこういう顔で、こういうしゃべりをするものだとわかっていただけるかと思います。

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2007.03.07

また府立総合資料館へ行く

3/6(火)はれ
 また府立総合資料館に行く。
 同館は、京都史研究のための史料の宝庫です。

 年内には世に送らないといけない、あるネタの原史料をみにいきました。
 
 以前にも閲覧しているのにそのときは気づかず、本日はじめて「あっ」ときづき、ようやくこの史料をつかっての執筆に自信がつきました。

 すいません。具体的でなくて。

 その史料群は「真町(しんちょう)文書」といわれるものです。
 何の研究に使うかは、ご想像ください。
 真町は四条小橋西入ルに位置します。
 
 本日も担当福島幸宏氏のお世話になる。ありがとうございました。

 今回読んでみようと思うものの複写を依頼する。
 仕上がるのは一週間後。
 立ち向かうのはそれから。

 帰りはまた「先人たちの京都研究」を観覧する。

 この企画展はすごいわ。
 コーナーごとに思うことがある。

 今日は担当、松田万智子さんがおられたので、案内は頼まなかったが、見たあと戻って質問攻めにする。
 お忙しいところ、失礼しました。

 わたしたちの京都常識はみなこれら先人によってつくられたのです。
 そこには「勘違い」「ウソ」もあるはずです。
 それをみぬくためにも、自分の知識の再認識のためにも、この企画展は見るべきです。

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2007.03.05

今城塚古墳の現地説明会にいく

3/4(日)はれ

200734

 
 大阪府高槻市にむかう。
 今城塚古墳(国史蹟)の第10次調査の現地説明会参加のため。

 今城塚古墳は、「延喜式」諸陵寮に記載のある、
三嶋藍野陵(みしまあいののみささぎ、継体(けいたい)天皇
〈同時代的呼称は、男大迹大王〔おおどのだいおう〕〉
の墓)と推定されています。

 現在、天皇陵の多くは宮内庁によって管理され、立ち入りがゆるされません。
 そんななかで三嶋藍野陵については、誤った別の場所がそうだとされて、正しい地と考えられる今城塚古墳は宮内庁の管理からはずれてしまいました。

 それゆえ唯一の調査できる「天皇陵」としてながく注目されてきました(調査主体は高槻市。国史蹟だからその上は文化庁。宮内庁は手が出せない)。

 今回はそのなかでももっとも重要な部分、遺体が埋葬されていた部分(主体部)にメスが入りました。
 遺体や宝物(副葬品)の存在する部分に手を出すと、保存問題でやっかいなことがおこるので、ほぼ永久に手を出さないと思っていました。

 が、以外にも手を出した。
 それはすでに主体部がなくなっていた(破壊されていた)から。
 なくなっていることが確信できたので手を出されたのでしょう。

 いつなくなったかは分かりませんが、当古墳は戦国時代には城として利用されていました(今城塚というぐらいですから)ので、その際のことでしょう。

 で、その主体部こと横穴式石室の底にひいてあった石組みが大きく残っていた。
 それが今回の現地説明会の目玉でした。

 ただしバラバラになっての出土でした。
 慶長・伏見大地震によって石組みをおおっていた土ごと崩落したためです。

 そのなかに加工された三種類の凝灰岩の破片がみつかっています。
 凝灰岩は家型石棺として利用される石ですので、当古墳には最低3基の石棺があったということになります(3人以上の被葬者)。

 「陵墓の主体部の一部をいまみているのだ」と思い、感激をしていました。
 
 その最高潮は、副葬品の破片をみたときにきました。
 わずかに宝物が、破片だけど、残っていたのです。

 馬具や武具、刀装具とか、ガラス玉とかです。

 もしかしたらこれを男大迹大王(継体天皇)が身に着けていたのかも知れない。

 そう思うと、副葬品の前から足が動かなくなりました。
 胸打たれたました。

 専門外ですが、ながく日本史教員としてこの人物と時代を高校生や一般の方にお話して来ましたからね。
 思いいれがありました。

 当日とても暑い日で、行く途中の電車のなかには半そでのおねえさんさえいました。
 現地では知っている人にめずらしくまったく会いませんでした。

 そのあといくつか寄り道をして深夜に帰宅しましたが、それぞれ思いのふかいことがありました。
 忘れがたい日になりました。

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2007.03.04

戦国の那古屋城の薬研堀をみた

3/3(土)はれ

Nagoya

 名古屋・中日文化センターの日。

 いつもより2時間も早く、名古屋入りする。

 先日、名古屋城三の丸跡で、戦国期の那古屋城の薬研堀跡などが検出された。
 その現地説明会が午前中にあると聴いたから。

 戦国期の那古屋城といえば、今川氏親がつくり、のち織田信秀が取り、信長がそこで生まれたことで知られる城だ(異説あり)。

 幅2メートルはたいしたことないが、深さ4メートルはなかなか立派でした。
 もう一本細い堀があり、二重堀であったらしい。

 担当者のはなしでは、これは今川氏時代のもので、織田氏が分捕ったあと埋められ、あらたな区画に再編されたらしい。

 となりには近世名古屋城三の丸の土塁と堀が現存しており、それと比較してはいかんのだが、あまりの規模の差にあきれる。

 午後から栄の中日文化センターへ。
 龍馬講座。
 本日は「京都・明治維新史蹟の誕生」。
 京都市教育会碑と寺井萬次郎のはなしをする。

 夜は龍馬やおりょうの知識がふかい受講者3名と懇親会。
 いろいろ勉強させてもらう。

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2007.03.03

阿弥陀如来さんのお話をする

3/2(金)はれ

 午前中、「基礎からまなぶ!日本歴史」に出講。
 最近新聞を告知していないのに、たくさんの人がこられる。

 口コミもけっこうあるらしい。
 うれしい悲鳴である。

 本日は奥州藤原氏、浄土教(末法思想の到来)のお話をする。
 中尊寺、柳ノ御所遺跡、空也、源信、法成寺、平等院、日野法界寺、浄瑠璃寺などが登場。

 午後は、『第3回京都検定、問題と解説』の初校をする。
 本日締め切りだったとあとで知る。
 しまった。明日持参しよう。

 4月下旬、刊行予定です。
 お楽しみに。

 そのあと「日めくりドリル」の問題づくりに立ち向かう。
 数回前より難字にルビが打たれるようになった。
 読者からの要望ときいた。
 先日担当のY氏とはなしあい、少し出題方針も変わった。
 どうなることやら。
 今後もご愛顧ください。

 夜、とてもひさしぶりにテレビをみた。

 たまたましていた「探偵!ナイトスクープ」。
 KBS京都ラジオ局で、「35年目の出会い」実現のシーン。
 えらく感激する。
 たまには見てみるもんだなあ。
 
 本日の京都新聞夕刊に、とてもひさしぶりに拙著『御土居堀ものがたり』の広告が載っていた。
 もう在庫がないと聞いていたのだが。
 さっそく問い合わせてみると、あと少し残っているらしい(大口の注文、1回ぶんぐらい)。

 先日、東京の方が、手に入れたいが版元にないと本屋にいわれたといっていた。
 だからこれは誤解です。
 が、初版本もうすぐ売り切れます。
 ご購入はお早めに。
 

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2007.03.02

門跡寺院、関東にたったひとつあり

3/1(木)はれ
 午前中、「くずし字入門」に出講。

 2週間ぶりです。
 やはり1週あくとカンがにぶります。
 受講の方もきっとそうだったのではないかと思います。

 「都の記」(京都府立総合資料館蔵)の「門跡」の部分を継続して読んでおります。
 今回は青蓮院、聖護院などの部分。

 江戸時代の門跡のうち、たったひとつ関東の寺があります。
 それは何でしょう。

 こたえ。

 輪王寺。
 日光東照宮の神宮寺です。
 ご承知のとおり、日光東照宮は家康・家光の墓所です。
 だから特別な扱いをうけているのですね、なんておはなしをする。
 
 午後から東京・町田からお越しの、朝日の旅行会の方々を東寺・西本願寺にご案内する。
 2回目です。
 今回もバス二台の大人数。
 みなさん反応がよい。
 本日も聞き上手のみなさんに支えてもらいました。

 とてもよい天気。 
 絶好の観光びよりでした。

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