京都の山内一豊旧蹟を案内する
8/21(月)はれ
市立長浜城歴史博物館の太田浩司(おおた・ひろし)さん上洛。
山内一豊に関係する京都の旧蹟案内を望まれる。
1日、方広寺大仏殿跡、聚楽第跡、洛中「桑原町」の山内一豊妻(見性院、俗称千代)の終焉地、伏見城跡、伏見の山内邸跡などのマニアな痕跡をご案内。
太田さん、石碑さえないことを各所でずっとなげかれる。
いつも僕がぼやいていることを他人にいわれると、はっとする。
本日、『秀吉公のマチ・長浜―秀吉公ゆかりの石碑・石柱建立事業報告書―』(2006年5月、秀吉公ゆかりの石碑・石柱建立事業実行委員会)を拝受。
そうだ、この人は長浜でたいそうな石碑建立事業を推進した人だった。
以前にこの事業のことはご紹介しました。
待ちに待っていた書物です。
後世まで伝えるべき、画期的事業・書籍です。
やっぱりこの人は「兄」だ。
山内一豊妻(見性院、俗称千代)の終焉地で、ばったりAさんに会い、声をかけられる。
木屋町三条のもと書斎、Gの店長だった人です。
いま祇園で働いておられる由。
大変やせておられてびっくり。
ご苦労多いことと思います。
どうかお体を大切に。
再会を約束してお別れしました。
甲子園大会、決勝再試合、やはり激戦であったこと、あとで知る。
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