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2006.07.06

将軍上洛と北朝鮮のミサイル

7/5(水)つづき
 大学講義。
 幕末京都の農民、若山要助の日記を読む。
 禁門の変の部分。
 「250年ぶりの戦争」報道。
 
 若山要助は禁門の変がおきる前年、将軍上洛直前の噂を記した日、その混乱を取り上げて、

「慶長元和之乱以来之混雑と相見へ、下民共真ニ薄氷を踏の思ひをなし、危き時節ニ相成候」といった(文久3年=1863、2月晦日条)。

 将軍上洛にともなう混乱は、関ヶ原や大坂の役以来のもので「危ない」といったのです。

 そして翌元治元年=1864、7月19日の禁門の変勃発の条では、大砲の音にふるえながら、「誠に昔戦国の折しもかくやあらん」といった。

 実際に戦争のおきた日、同じようなことをいっているのです。

 今朝、北朝鮮のミサイル実験の報あり。
 みなさん、危機意識をおもちですか。

 若山要助は、250年ぶりの市街戦の危機を、前年に気づいているのです。
 われわれは戦争を忘れて60年しかたっていません。

 ミサイルは本当に日本列島に落ちないのですか。
 これは開戦の危険につながらないといえるのですか。
 
 「若山要助日記」は昔話でいいのですか。

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