宇陀松山で天誅組志士の碑を発見
7/30(日)はれ
朝から奈良県宇陀市へ。
中近世都市史の研究会、1617会の行事で。
宇陀松山城下町を歩きました。
午後はシンポジウム。
ほんらいの目的とちがうことに感銘をうけました。
①森野旧薬園(国史蹟)に初めて入りました。
鷹峯薬園(京都市北区)の啓発に関心のある者として、訪れたかった場所です。
②幕末天誅組の林豹吉郎の誕生碑を見つけました。
宇陀松山出身とは知っていましたが、恥ずかしながら建碑されていることを知りませんでした。
主将中山忠光を逃がすため、自殺的に敵陣に斬り込んだひとりです。
ほかに土佐の那須信吾と、三河の宍戸弥四郎などがいます。
今春たまたま、宍戸弥四郎の誕生地〈愛知県刈谷市〉にも初めて行きました。
思いいれが深いです。
③新選組伊東甲子太郎、山崎蒸が役目で訪問したところです。
慶応2年(1866)12月のこと。宿泊地「上町」を歩けました。
詳しくは拙稿「吉田稔麿論」(花園大学人権論集、2005年の号)
夜は大和八木(奈良県橿原市)で懇親会。
昼、考古学研究者、網干善教先生の逝去を聞きました。
習った先生です。
ある時期、一番前でかぶりついて講義をうかがいました。
講義中、私語をする学生に「卒業生として、他の大学から出講くださる先生に恥ずかしい」と怒鳴っておられたのが忘れられません。
網干先生は、佛教大学の前身、佛教専門学校のご出身で、その後龍谷大学大学院へ進学され、考古学を学ばれました。
奈良県明日香村のお寺の出身で、高松塚古墳の発見者として知られます。
この騒動の中の逝去は心残りだったことでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。


