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2006.07.31

宇陀松山で天誅組志士の碑を発見

7/30(日)はれ
 朝から奈良県宇陀市へ。
 中近世都市史の研究会、1617会の行事で。

 宇陀松山城下町を歩きました。
 午後はシンポジウム。

 ほんらいの目的とちがうことに感銘をうけました。

 ①森野旧薬園(国史蹟)に初めて入りました。
   鷹峯薬園(京都市北区)の啓発に関心のある者として、訪れたかった場所です。

 ②幕末天誅組の林豹吉郎の誕生碑を見つけました。
    宇陀松山出身とは知っていましたが、恥ずかしながら建碑されていることを知りませんでした。

    主将中山忠光を逃がすため、自殺的に敵陣に斬り込んだひとりです。
    ほかに土佐の那須信吾と、三河の宍戸弥四郎などがいます。
    今春たまたま、宍戸弥四郎の誕生地〈愛知県刈谷市〉にも初めて行きました。
    思いいれが深いです。

 ③新選組伊東甲子太郎、山崎蒸が役目で訪問したところです。
   慶応2年(1866)12月のこと。宿泊地「上町」を歩けました。
   詳しくは拙稿「吉田稔麿論」(花園大学人権論集、2005年の号)

 夜は大和八木(奈良県橿原市)で懇親会。
 
 昼、考古学研究者、網干善教先生の逝去を聞きました。
 習った先生です。

 ある時期、一番前でかぶりついて講義をうかがいました。
 講義中、私語をする学生に「卒業生として、他の大学から出講くださる先生に恥ずかしい」と怒鳴っておられたのが忘れられません。
 網干先生は、佛教大学の前身、佛教専門学校のご出身で、その後龍谷大学大学院へ進学され、考古学を学ばれました。
 
 奈良県明日香村のお寺の出身で、高松塚古墳の発見者として知られます。
 この騒動の中の逝去は心残りだったことでしょう。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

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2006.07.29

カバの話と日本沈没に感銘

7/28(金)はれ一時あめ、夜も一時あめ

 8時40分、佛教大学へ。
 俳人の坪内稔典氏(同大教授)の講話を拝聴するため。
 
 京都新聞夕刊のリレー連載「現代のことば」でのエッセー「度を越す」を拝読して以来気になる方でした。
 「何事も度をこさせないと大成できない」というような趣旨で感銘を受ける。

 が、絶句したのは、「日本中のカバをすべて見る」という大願を実施・継続中というお話し。

 何じゃそれ?という感じ。

 本日の講話のタイトルが「カバを訪ねて」。
 あの話しだ、絶対行かなきゃ、と思ったわけです。

 期待以上の内容でした。
 カバはもちろんですが、坪内先生のファンになってしまいました。
 さっそく近著『季語集』(岩波新書)を購入。
 「季語」なるものに何の関心もなかったのですが、すごい勢いではまりつつあります。

 お昼、「基礎からまなぶ日本歴史」に出講。
 やっと飛鳥時代。
 今日からキャンパスプラザ、大部屋を使用。
 これまで狭い狭い部屋で失礼しました。

 夕方、久しぶりに映画館へ。
 「日本沈没」をみる。

 前作を最近見直したので、そのイメージがつよい。
 首相は石坂浩二氏より丹波哲郎氏の方がよい、大地真央氏はあまり好ましくないとか思いながら不満げだったのですが、途中から変わってきました。

 正直、前作よりよかった。
 少なくとも僕好みでした。
 また行こう、と思ってしまいました。

 夜、なじみのお好み焼き店へ。
 途中、雨が降り出す。
 帰れず。
 鉄板がさめたので、パソコン立ち上げて仕事再開。
 ひと仕事できる。
 その後、止む。

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2006.07.28

府立資料館でカキ氷を食べた。暑いから

7/27(木)はれ
 朝1番に京都府立総合資料館に行く。
 龍馬の妻おりょうに関する文献コピーのためなのだが、暑くて頭がまわらない。

 イチゴのカキ氷を持ち込んで、事務所で食べる。周知の職員Mさんにも強要する。
 
 コピーしおえた文献をもったまま外に出ようとして、出入り口でブザーがなる。
 いかに頭が麻痺していたかよくわかる。堂々と持ち出そうとしたのだから、窃盗意図があったはずもなく、職員さんに苦笑されておわる。

 帰り際、1階の自習室で多くの職員さんが掃除をしておられる。
 自習している人がいるのに何でこんなときに掃除するのやろう、と不思議に思っていたら、あとからMさんからメールがきて水道管が破裂して大変だったと知る。
 Mさんも動員され、大変暑い思いをし、いまこそかき氷が食べたかったと感想を聞く。
 それはタイミングのわるいことと、申し訳なく思う。

 僕はそんなことも知らず、乙訓郡へ。
 また朝日カルチャーのイベントの下見。
 こんどは山崎の合戦の舞台地をあるく。
 
 大山崎町歴史資料館に立ち寄り、大変親しい学芸員の福島克彦氏からたくさんの関係資料と、一杯のカルピスをいただく。感謝。

 雨がふったりやんだりの不愉快の天候のなか、光秀本陣跡の「御坊塚」にのぼる。

 帰途は京都駅で原稿をつくる。
 追われてばかりだが、まあ確実に仕事は進んではいる。
 しかし懸案のものがいくつか手付かず。

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2006.07.27

龍馬妻おりょうのイベントに協力

7/26(水)はれ
 佛教大学通信教育部スクーリング最終日。
 年をとった。話すことに何の抵抗もなかったのに。今回はつかれた。

 午後2時半、横須賀市役所の人と会う。
 今年、坂本龍馬妻おりょうの没後100年。
 同市はおりょう終焉地。
 今秋、記念祭。
 それに協力することになったため。

 夕方、おりょう旧蹟をご案内するため東山区、中京区をあるく。

 そのあと友人と待ち合わせ、夕食をごいっしょする。

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2006.07.26

ミスター御土居、といわれた

7/25(火)朝あめ、午前9時以後はれ
 
 佛教大学通信教育部スクーリング2日目。

 巡検。
 御土居堀跡をあるく。
 北西隅、有明にお世話になる。
 受講者から、別の先生から中村が「ミスター御土居」と聞いたといわれた。愉快ではない。

 終了後、自宅で昼寝し、夕方起床。
 京都民報連載に立ち向かう。完成。メールでおくる。
 早く寝る。明日、スクーリング最終回です。

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2006.07.25

16年前に

7/24(月)あめ
 毎日雨。
 毎日晴れで暑い、もいやだが、長雨も困る。出かけにくい。

 午前中、佛教大学通信教育部のスクーリング。「地理学特講」という科目。
 受講者10人。3時間50分もの長時間はきついだろう(3回休憩したが)。

 終了後、学食でランチを食べ、喫茶部でコーヒーをいただきながら、連載原稿執筆。

 午後4時から某所で会議。
 おわると別の所へ行って、また会議。
 実に有意義。

 いま、38歳。
 16年前、20代前半に夢見たことが現実化しだしてきた。

 何事も思い続け、牛歩でもいいから前に進めることだな。

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2006.07.24

大和郡山市長、西村幸信氏を悼む

 先日亡くなった友人、柳沢文庫学芸員の西村幸信氏について、大和郡山市長がみずから市のホームページに「無念」記事を書いておられることを知りました。↓

http://72.14.203.104/search?q=cache:LNkDOLmsmyEJ:www.city.yamatokoriyama.nara.jp/wave/tektek/tektek.htm+%E5%A4%A7%E5%92%8C%E9%83%A1%E5%B1%B1%E5%B8%82%E3%80%80%E8%A5%BF%E6%9D%91%E5%B9%B8%E4%BF%A1&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=4

 西村氏のことを大事に思ってくれた市長さん、ありがとうございました。


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2006.07.23

御土居の袖から鷹峯へむかう

7/22(土)はれ

 午前9時、JR円町駅集合。
 御土居堀研究会の見学会。

 いわゆる「御土居の袖」をとおって、北野天満宮まであるく。
 北野中学校の好意で、校庭の土塁・堀跡もみれる。

 それにしても新聞告知しなかったのに多数の人数。うーん。
 
 今回は特別に「二次会」をしました。
 午後からバスに乗って鷹峯へ。

 北西隅の部分の改変を見る。
 一次会の半分参加。
 となりの敷地の焼肉店「有明」(森田清さん社長)の好意で隣地からも見る。

 有明におられた他のお客さん四人も急遽参加されました。
 
 終了後、有明で懇親会。
 暑い、暑い日でしたから、うまいビールでしたね。

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2006.07.20

御土居堀北西隅の景観変化を見る

7/19(水)小雨のちくもり・はれ

060719_1

 午前中、法事。
 
 午後3時から佛教大学春学期、試験。
 60名出席。
 
 問うていることと違うことを書いている者が少なくない。
 講義中、あれだけいったのに。
 講義に出ていないか、聴いていないのか。
 
 夕方、京都惣構(そうがまえ)御土居堀の北西隅へ。

 土塁と堀が残っています(国史蹟指定地、民有地)。
 このたび、残っている部分のうち、東側を公有化することになりました。
 
 いま、これまで長坂越(杉坂街道)に面していたスーパーマーケットと宅地が取り壊されています。
 それを見に行きました。

 土塁跡に建っていた建物が壊され、その下から赤土が露出。

 「御土居の基底部だ」。
 ショベルカーがならしている。
 これはまずい。
 その場で京都市文化財保護課に通報。

 「記念物係の者は本日も現地に行っている、少しは削れるかも知れないが、そんなにムチャなことはおきないから」というお返事。
 「たかが基底部」なのでしょう。

 赤土がショベルカーカーでならされているのは見るにたえかねます。
 どうぞ今のうちに基底部の赤土を見に行ってください。

 このあたりの景観もこれから変わることでしよう。

【写真解説:クリックしてください。拡大します。南から撮影。左手が現存土塁。ほんらい右手に土塁がつづいていた。こちらも国史蹟指定地。指定地なのに、ある段階で破壊された。ショベルカーの下一帯に赤土がみえる。土塁の基底部の残骸】

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2006.07.19

本能寺の変をあるく

7/18(火)あめ
 朝7時50分、名古屋駅に集合。

 柳橋朝日カルチャーセンターの「本能寺の変をあるく」イベント。約40人参加。

 バスで京都府亀岡市へ。
 明智光秀の居城、丹波亀山城跡に。

 いま亀山城跡は大本教施設になっています。
 許可をもらい立ち入り、お祓いをうけます。

 昼食は同市の楽々荘。
 明治・大正の政治家、田中源太郎の旧宅。大好評でした。

 午後から山陰街道をゆく。
 雨の中、猛スピードの車の横を通って旧道老ノ坂峠へ。「従是東山城国」標石、首塚大明神(神社)をみる。
 
 バスで中山まで動き、ここから徒歩。樫原まで。
 「樫原三勇士」の墓参をし、明治維新史蹟の問題点をつよく述べる。

 再びバスにのり、桂川をわたる。
 本能寺旧地へ。ここで本日1番の降雨。
 引越しのトラックにも邪魔されるし。大変でした。

 最後は信忠(信長の長男)が襲われ、滅んだ妙覚寺・二条御所跡。

 ついに雨はやまず。
 でも楽しんでいただけたようで、よかったです。

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2006.07.18

多忙。

7/18(月)あめ
 多忙。そのひとことにつきる。

 明日、柳橋朝日カルチャー(名古屋)のイベントあり。
 まずはそのレジュメや次回チラシの原案などつくる。

 が、それ以外のあれもこれも、できていない。

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2006.07.17

山陰街道、老ノ坂峠で雨宿り

7/16(日)はれと雨のくりかえし

 きたる7/18(火)、名古屋の朝日カルチャーセンターのバスツアーで、亀岡から山陰街道をあるきます。
 午後から下見にいく。2回目。

 旧道老ノ坂峠の国境標石、首塚神社で大雨にうたれる。
 廃家の軒下で、1時間、雨宿り。気持ち悪い。

 小雨のときに脱出。
 国道に出て、東向きのバスに乗る。

 国道中山で下車、山陰街道を東にあるく。
 樫原(かたぎはら)地区、地元の人たち「江戸時代」を残そうと努力してくれている。ありがたいことだ。

 阪急桂駅に達して、終了。

 帰途、祇園祭宵山に行く人々に巻き込まれる。
 歩きにくい。閉口。

 夜、大河「功名が辻」をみる。
 佐久間良子氏の迫力はすばらしかったが、やはり陳腐なホームドラマ。

 大型歴史ドラマと銘うってんだから、歴史を書けない人を起用しなくてもいいじゃないか。

 柄本明氏はまだ迫力がたりない。
 「太平記」の高師直役と比較してるのだが、それではだめか。

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2006.07.16

宵山前日の嵯峨野・洛中を歩く

7/15(土)はれときどき雨
 
 午前9時、JR山陰線「嵯峨嵐山駅」集合。
 三宅碑をあるく。

 もう夏なので、参加者が日射に倒れないよう、午前中の見学会です。
 寛政年間の道標を発見しつつ、嵯峨甲塚町の「日像上人題目石」へ。
 17年前、付近で家庭教師をしていて、いつも見ていたこと、三宅碑だと気づいたのはかなり経ってからなどお話しする。

 遍照寺で貞享年間の仁和寺の境界石を二基みつけ、驚く。
 先日は園城寺や、山科毘沙門堂の境界石を確認。
 あるもんだなぁ。

 広沢池の三宅碑、また位置が変わっていた。
 裏面がみえない。

 嵯峨の農地をあるく。
 すばらしい。京都近郊にこんなに広い農地がある。

 いくつかの三宅碑をみながら名古曾滝の遺構、大沢池、大覚寺に。
 平安時代の天皇・上皇の離宮が、園池付きで、こんなに残されている(嵯峨院跡)。
 何度きてもすばらしい。

 今日は暑さをきらって午前中に行ったのに、午前中からすごい暑さ。
 お1人リタイヤもあった。
 午前12時、大覚寺門前で解散。

 洛中へ戻り、ゆっくり昼食。
 そのあと、祇園祭宵山前日(宵々山ではない)の下京をあるく。

 夕方、大雨。すごい人。逃げる。

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2006.07.14

ミヤコでの「捨馬」は流罪

7/13(木)はれ
 午前中、理髪。
 3ヵ月ぶり。

 S市にいる従姉妹の店に行こうと思ったから。
 が、忙しすぎてかなわず。
 さすがにあきらめ、従姉妹に連絡した上で、自宅近所で処置。

 忙しい三宅清治郎氏(1872-1940)、なんとだいたい20日に一度理髪をしている。
 しょっちゅう日記に「理髪」と出てくる。
 たいしたものだ。

 午後から小学館の「古文書塾てらこや」に出講。
 本日は京都町奉行所が掲げたいくつかの高札文言を読む。

 ミヤコでの「捨馬」が、意外なほど重罪扱いだと紹介。
 流罪です。

 たしかに暴れる馬が市街地に放置されていたら、そりゃ危険きわまりない。
 死傷者も出る可能性がある。
 それを防ぐための重科と考えると、合点はいく。 

 次回は「拾遺都名所図会」の、土居堀や、大仏方広寺の項を読む予定。

 夜はひさしぶりにお好み焼きをつくる。

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2006.07.13

京都・明治維新の人物、最終回

7/12(水)一時小雨
 ココログのメンテナンスで2日間更新できませんでした。失礼しました。 

 「京都の江戸時代をあるく」第3話、原稿提出。
 写真足らず、小雨のなか鞍馬口寺町付近へ行く。

 佛教大学講義、「京都・明治維新史の人物」最終回。
 「寺井萬次郎―京都市教育会の建碑」です。

 好評のまま終わる(感想文からの判断)。
 来週は試験です。

 終了後、寺町三条あたりの写真撮影にゆく。
 そのあとなじみのお好み焼き店へ。

 某所より早くも来年度の仕事打診あり。感謝でいっぱい。

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2006.07.10

聚楽第の研究史をはなす

7/9(日)くもりのちはれ

 午後1時から、嵯峨野学芸倶楽部出講。
 テーマは「聚楽第の発見」。
 聚楽第の研究史をはなす。

 参加者、前回より少なくなっていて、ちょっとがっかり。

 疲れて、大河ドラマ見ずに寝る。

 深夜起きて、仕事再開。
 少し進む。

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2006.07.09

昼からビール、そのあと仕事

7/8(土)はれ
 京都、蒸し暑い。
 昼、京都駅で人と会い、会食。

 勢いでふたりしてビールを飲んでしまう。
 暑すぎるので、許されたし。

 僕だけ名古屋へ。
 午後3時半から朝日カルチャーセンター(柳橋)に出講。
 
 室町から豊臣の京都を論ず。
 今谷明さんの義満による皇位簒奪計画から、信長の上京焼き打ちまで。
 
 レジュメはつくっていったのだけれど、全然レジュメにそくしていない内容となり、我ながらあきれる。

 終了後、受講者Wさん、中日文化センター受講者の方々お2人参加され、夕食会。
 僕は早々失礼したが、お3人は二次会に行かれた由。

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2006.07.08

お子さん向けの「大人の本」を読む

7/7(金)はれ夕方小雨、夜くもり

 岡田章雄という歴史研究者(故人、キリシタン史)の、お子さん向けのある書物を一気に読む。

 以前に古書店で購入し、読まずに置いておいたもの。 
 本日、友人のお嬢さん(小学校高学年)に差上げるつもり。
 差上げる以上、内容を把握しておかないと、と初めて読みました。

 すばらしい大人向けの本でした。
 今後、大人むけ講座の教科書に使用しようと思えるものでした。

 で、そのお嬢さん。
 差上げるべきか、迷いました。

 すべての漢字にふりがなは打ってありますが、とにかく「大人が関心のあること」をかみくだいて解説した本なのです。
 つまり「大人の本」です。

 が、優秀なお子さんなので、いいやと思い、謹呈する。
 関心のあるところだけでいいですから、読んでください。
 
 「歴史学」とは何か、を伝えようとした、実にいい本です。

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2006.07.07

京都の江戸時代をあるく、掲載紙届く

7/6(木)あめのちくもり、また小雨
 やっと「京都の江戸時代をあるく」第2話の原稿を提出する。
 さっそく担当Hさんからお返事。数日後に3話・4話あわせて提出するよう求められる。できるか?
 
 名古屋の朝日カルチャーセンター、10月からは奈良をあるくことになり、企画案をつくる。
 K文化センターでも秋から講座をもつことになり、本日担当Yさんからメールあり。

 夕方、友人Kさんと会う。
 拙稿「池田屋事件の基礎的考察」を謹呈。

 夜、京都民報社から早くも第1話の掲載紙が届く(『京都民報』本年7月9日号)。

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2006.07.06

将軍上洛と北朝鮮のミサイル

7/5(水)つづき
 大学講義。
 幕末京都の農民、若山要助の日記を読む。
 禁門の変の部分。
 「250年ぶりの戦争」報道。
 
 若山要助は禁門の変がおきる前年、将軍上洛直前の噂を記した日、その混乱を取り上げて、

「慶長元和之乱以来之混雑と相見へ、下民共真ニ薄氷を踏の思ひをなし、危き時節ニ相成候」といった(文久3年=1863、2月晦日条)。

 将軍上洛にともなう混乱は、関ヶ原や大坂の役以来のもので「危ない」といったのです。

 そして翌元治元年=1864、7月19日の禁門の変勃発の条では、大砲の音にふるえながら、「誠に昔戦国の折しもかくやあらん」といった。

 実際に戦争のおきた日、同じようなことをいっているのです。

 今朝、北朝鮮のミサイル実験の報あり。
 みなさん、危機意識をおもちですか。

 若山要助は、250年ぶりの市街戦の危機を、前年に気づいているのです。
 われわれは戦争を忘れて60年しかたっていません。

 ミサイルは本当に日本列島に落ちないのですか。
 これは開戦の危険につながらないといえるのですか。
 
 「若山要助日記」は昔話でいいのですか。

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寸断され廃棄された三宅碑

7/5(水)くもりときどきあめ

 午後1時、先日記した、水路で発見された「三宅碑」3片を某所へ確認にゆく。
 不要物としてハンマーなどで寸断され、廃棄されたと推定されます。
 下劣な行為にふるえる思いです。

 石碑をなんだと思っているのだ。

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2006.07.05

城陽市の芝ヶ原12号墳の話をする

7/4(火)はれ
 「基礎から学ぶ日本歴史」に出講。

 新聞告知していないのに満員御礼。
 1度、「大入袋」を出さないと。

 本日も古墳時代前期。
 進まないこと。

 城陽市の芝ヶ原12号墳(国史蹟)の、約15年にわたる訴訟の話しをする。
 事前に、これに関する30歳のときに書いた自分の小文を読み直す。
 10年前の自分に「対面」し、いまの自分と比較し、思うことあり。

 終了後、喫茶店で連載原稿の執筆をする。
 以前、2001年から2002年にかけて週一回の連載をしていましたが、そのときの「苦」を思い出しつつあります。
 

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2006.07.04

平安京・京都研究集会の準備会に参加

7/3(月)大雨、はれ、くもり
 日中、連載原稿を打つ。

 夜、平安京・京都研究集会の準備会に参加。
 京都府立大学へ。

 最先端の京都史研究者の報告を聴けた。
 最高の勉強。
 幸せでたまらない。
 
 

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2006.07.03

忙しいなぁ。

7/2(日)雨のちはれ
 朝、すごい大雨。
 でも止むと、すぐ青空が。
 気持ちのよい変化。

 遠方でシンポがありましたが、庶務、原稿がたまりすぎていけず。
 執筆に没頭。
 
 大河ドラマ「功名が辻」、久しぶりにみる。
 五藤吉兵衛戦死のシーン、よかったですね。
 ひっぱりすぎ、という感はありましたが。 

 次の見せ場は、よね姫の震災死かな。

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2006.07.02

坂本龍馬情報、最前線交換会みたいな飲み会

7/1(土)
 今日は父方の祖父の33回忌。

 午前中、西陣地区の町家を一軒見学に行く。
 ある事情で。

 そのあと名古屋へ。
 栄中日文化センターに出講。
 龍馬講座。

 前半は余談で、「忘れられた志士」発見の話しをする。
 余計なことをせず、早く龍馬をしろと思われたかも知れない。

 後半、最近の「薩長連合」論。
 木戸孝允の自叙のうち、当該部分を最初から読んでゆく。
 龍馬に裏書を依頼し、龍馬がそれに応じたところでタイムオーバー。
 
 終了後は、懇親会。
 
 前々回から参加されているT・R会のMさん。
 その情報量のすごさ。惜しげもなく披瀝される。
 知っていたはいたが、現実に接して圧倒。
 その人が参加しているこの懇親会。すごい。
 ただの飲み会なのに、龍馬情報・最前線交換会みたいな会になっている。

 T・R会創設者のCさんも前の講座からご参加。
 すごい会になっている。
 龍馬ファンの方、来られませんか。
 
 昼間の講座はたいしたことない。
 が、懇親会がすごい。
 得がたい会です。

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2006.07.01

亀山城跡・山陰街道・三宅日記など

6/30(金)はれ
 午後12時30分、「基礎からまなぶ日本歴史」出講。
 受講者多く、満員御礼。

 やっと「古墳の話し」。
 それでも古墳時代前期でおわる。

 終了後、亀岡市へ。
 来月の朝日カルチャーセンターの「街道ぶらり旅」の下見。
 大本教本部(亀山城跡)や、亀岡市文化資料館へ。

 友人の車に便乗し、山陰街道、老ノ坂、沓掛、樫原をへて桂へ。
 桂離宮前の中村軒でお茶のような夕食のような休憩をとる。
 何度も前を通っていたが、今日はじめて入る。
 
 午後7時からは三宅日記輪読会。
 参加者3名。
 それでも楽しい時間。

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