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2006.06.19

龍馬が記した天誅組志士

6/17(土)
 午後から名古屋の栄中日文化センターに出講。

 坂本龍馬講座。
 本日は「薩摩島津家と龍馬」の予定でしたが、前回の天誅組を残していたので、そのつづきをすることにしました。
 龍馬の手紙に出てくる土佐出身の天誅組参加者、土居佐之助、上田宗児(宗虎)、島浪(並)間へ思いをこめて。

とくに上田。
 後藤深蔵(造)と名を改め、毛利家の武士として、意外と大事なところで登場します。
 
 たとえば、慶応元年(1865)閏5月、木戸孝允の使者として三条実美ら五卿のもとへ向かいます。
 薩長和解の打診です。
 
 三条は薩摩との和解に賛成で、木戸は後藤からこの返事を受けて、安心してその道を歩むことになる。
 
 と、木戸は晩年の手記に書き、薩長和解の第一段階として位置づけています。

 薩長和解交渉に龍馬が登場するのは、そのあとです。

 この天誅組出身の土佐志士の、その後の活動を取り上げたことってほとんどないのではないか。
 のち後藤は鳥羽伏見戦争で戦死し、維新を見ませんが、龍馬とは別のところで頑張っていたのですね。

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