6/20(火)はれ
名古屋滞在、最終日。
午前7時40分、名古屋駅へ。
本日、朝日カルチャーセンター「街道ぶらり旅」講座で、バスに乗り、京都へ向かいます。
参加者約40名。
伏見街道をあるくのです。
8時集合なのに、この時間までに早くも全員集合。
優良な受講者だ。
車中、休憩2回をふくめ、約3時間。
本日のコース説明を断続的にする。
伏見寺田屋の虚偽問題を説明。
1番笑いがあった。
11時すこし前、伏見京橋到着。
寺田屋へ。
明治以後再建が確実なので、坂本龍馬がいたころの建物ではありませんが、伏見の船宿としては唯一の現存物なので、参観します。
屋内では説明しません。
他のお客さんに迷惑になります。
つづいて立石道を通って伏見奉行所跡へ。
暑いし、昼食11時30分と決まっているので、簡単に。
京町通りを通って「魚三楼」へ。
鳥羽伏見戦争の際の銃痕の残る建物です。
ここで昼食。
12時50分、再出発。
あつい、あつい。
大手筋を西へ。
伏見城下町のお話しを軽く。
横町型であること、銀座跡のことなどふれる。
松林院へ。
寺田屋お登勢の墓参。
寺田屋の事実と非事実を、再び解説。
伏見板橋小学校到着。
ここは江戸時代、尾張徳川屋敷です。
ここで皆さんと、2日前入手したばかりの、同邸の絵図の写しをみる(名古屋市蓬左文庫蔵)。
この図を片手にこの地を見るのは、おそらくみなさんが史上初めてです、とあおる。
本図によって、現在の小学校のある構造が、ほとんど尾張屋敷時代から変化のないことが知れると説明。
小学校の許可をえていますので、校庭にはいります。
なかに伏見現存最古の道標があります。
これを見学。
四面の文字を読んでいきます。
つづいておとなりの伏見中学へ。
こちらも尾張屋敷の敷地内。
やはり道標があります。
許可をえています。
立ち入ります。
この道標。
建立年は江戸後期の弘化4年です。
西暦何年でしょう?
ヒント、僕はこの計算がしやすい立場にある。
1967年(昭和42)のうまれです。
なんじゃ、そりゃ。
お前の誕生年なんか、しったことか、と思われたと思います。
実は弘化4年の干支は「丁未」(ひのとひつじ)です。
それは僕の誕生年の干支とまったく同じなのです。
同じ干支は60年に一度しかまわってこないので、1967から60を引けばよいのです。
ひいたら1907。
1907年は明治40年だから、江戸時代ではない。
さらに60をひく。
1847。
はい、これが答え。
みなさんもご自身の干支を承知してくださいね、という。
多くの方は、申歳とか、「支」の方しかご存知ないので。両方ね。
ながくなってきたので、はしょります。
最後は大仏方広寺界隈。
龍馬の住居推定地、2つの大仏殿跡、江戸時代の秀吉の墓などをめぐる。
終了時間4時。
予定どおりばっちり。
これからみなさんは約3時間かけて名古屋にお戻り。
早く終わらせないとと、気にしておりました。
あつかったですね。
また次回、お目にかかりましょう。