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2006.06.30

江戸時代、洛中の内薮を読む

6/29(木)はれ
 小学館の古文書講座に出講。
 江戸時代、京都町奉行の行政要覧といえる記録を読んでいます。

 今日は京都の都市域にあった竹薮、「内薮」の部分を読みました。
 都市域になんと30余箇所も竹藪があるんです、江戸時代の京都。

 それだけじゃない。
 惣構(そうがまえ)は、「御土居薮」といわれてましたから、竹藪です。
 だから内薮のほかに、京都の周縁にぐるりと取り囲む竹藪があったというわけです。

 どうしてこんなに都市域に竹藪がいるのでしょう。
 考えてみるべき課題です。

 受講生と、鷹峯光悦堂の「御土居餅」と水無月を食べました。
 水無月はお店の方からのサービス。
 おいしかったです。

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2006.06.29

6/27の論文受贈

去る6/27(火)、次の論文を拝受いたしました。

 ○桐野作人さん(歴史作家)から
 同氏「龍馬遭難事件の新視覚―海援隊士・佐々木多門書状の再検討―」第2回
 (『歴史読本』2006年8月号〈日本の良妻賢母〉所収)

 桐野さんは「歴史作家」と名乗っておられますが、歴史学の専門誌に論文もかかれておられる強者で、「日本史研究者」と名乗られてもいいのではないかと思っています。
 
 今回も「うそだらけ」の龍馬暗殺事件に、初めて「まともな」議論をふっかけておられます。
 読み応えがあります。

 桐野さん、ありがとうございました。

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忘れられた幕末志士の調査

6/28(水)はれ
 天気がよかったので、ふとんを干す。

 ある「忘れられた志士」に関心をもっています。

 吉川弘文館『明治維新人名辞典』に立項されながら、没年さえ不明にされている人物です。

 その関連で『品川子爵伝』を読む。
 長州出身、品川弥二郎(第1次松方内閣の内務大臣)の伝記です。

 昔古書店で安価で見つけ、そのままにしていたもの。
 はじめて役にたつ。
(な、だから、そのとき読まないでも、見込みで図書は購入しておくべきなんや)

 期待していた記事がありました。
 拙宅にこんな大事なデータが眠っていたとは。

 大学図書館に行き、『幟仁親王行実』を閲覧。
 さらに関連記事を見つける。

 ようやくその人物の後半生のアウトラインがみえてきました。

 大学の講義でその話しをする。

 学生の感想文「先生の名前で、人名辞典のその項目が書き換えられるのを楽しみにしている」と。
 胸をうつ。

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2006.06.28

紫野をあるき、Aさんと会い、原稿完成

6/27(火)はれ
 午後から「紫野・鷹峯をあるく」というイベント。
 参加者の半分がご新規さん。
 ありがたいこと。

 今宮神社門前、あぶり餅でうちあげ。
 
 夜からは関東からおこしのAさんとはじめて会う。
 ある歴史上の人物のご子孫。
 「有名」とはいえないけれど、『○×人名辞典』には載っている方。

 その人物の宅跡近くで飲む。
 自筆の古記録を拝見。
 けっこう感激。

 帰宅し、「京都の江戸時代」第1話完成。
 担当H氏に原稿送信。
 まずは安心。

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2006.06.27

折れた三宅碑、3基発見の由

 久しぶりに2日もあいてしまった。
 各方面からご心配いただいています。
 
 新聞連載をふたつももっているので、その措置です。
 少し休憩するとすぐに締め切りがやってくる。
 
 昨日、衝撃だったのは、某所の水路から三宅碑が3基見つかったという連絡。
 しかも残欠らしい。

 いま駆けつける余裕はない。ただ「早く会いたい」と思っている。

 今日は午後から紫野・鷹峯の見学会です。
 午後1時、京都市北区の千本北大路南西角に集合、雨天決行です。
 ひさしぶりに、みなで「あぶり餅」を食べよう。 

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2006.06.24

左京で講演して山科で打ち合わせ

6/22(木)、雨
 午後2時から左京老人連合会へ出講。
 ありがたい会で、2002年からずっと継続してこの時期、講演依頼をいただいている。

 京阪出町柳駅から会場へ徒歩で。
 途中、下鴨警察の前を通る。
 びっくりするほどのテレビ局の人・車。
 
 何があったのだ?

 あとから、奈良・田原本の事件の高校生の長男が同署に保護されていたとわかる。
 田原本署に移送されるため、車が出てくるのを待ち構えていたのだ。

 講演タイトルは「平安京誕生」。
 専門ではないけれど、御依頼あったので。
 たしかに京都の歴史全体が研究対象だけど。
 最近、何でも屋になっているなぁ。
 それを承知で依頼されているのだし、まぁいいか。

 でも直接の専門でない気安さか、かなり軽口もたたけ、受講者なんども大笑いしてくださる。

 帰途、また下鴨署の前を通る。
 まだたくさんのテレビカメラ。
 
 つぎは山科区大宅へ。
 NPO法人「山科醍醐こどものひろば」の事務所を訪ねる。
 山科の文化をつたえる、お子さんむけのよい冊子を出しておられます。

 山科駅前の中華料理店「M」でたまたま見かけて、感心し、直接連絡し無理をいってその冊子を複数いただきました。
 その関係で、今回その事業をお手伝いすることになりました。
 感銘受けること多いひとときでした。

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2006.06.23

古高俊太郎と応仁の乱の話し

6/21(水)はれ

 疲労感じる午前中。
 が、大学講義や、夕方からの講演の用意をする。

 午後4時10分から佛教大学出講。
 「歴史と人間」。
 古高俊太郎論・その2。

 本日も質問者数人あり。
 ありがたいこと。

 午後6時から、上七軒のお茶屋さん「D」へ。
 お酒を飲まれるお客さんの前で、1時間京都の歴史の話しをします。

 本日は「応仁の乱」について依頼がありました。
 数回してよいことでしたので、今回は「応仁の乱のはじまるまで」。
 管領畠山家の内紛の話をしました。

 そのあと宴会。
 舞妓さん2人にお酌をしていただき、たいそうご馳走になる。
 帰りはタクシー。
 同じ町内のYさんといっしょに。

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2006.06.22

伏見街道を朝日カルチャーのみなさんとあるく

6/20(火)はれ

 名古屋滞在、最終日。
 午前7時40分、名古屋駅へ。
 本日、朝日カルチャーセンター「街道ぶらり旅」講座で、バスに乗り、京都へ向かいます。
 参加者約40名。

 伏見街道をあるくのです。

 8時集合なのに、この時間までに早くも全員集合。
 優良な受講者だ。

 車中、休憩2回をふくめ、約3時間。
 本日のコース説明を断続的にする。

 伏見寺田屋の虚偽問題を説明。
 1番笑いがあった。

 11時すこし前、伏見京橋到着。
 寺田屋へ。

 明治以後再建が確実なので、坂本龍馬がいたころの建物ではありませんが、伏見の船宿としては唯一の現存物なので、参観します。
 
 屋内では説明しません。
 他のお客さんに迷惑になります。
 
 つづいて立石道を通って伏見奉行所跡へ。
 暑いし、昼食11時30分と決まっているので、簡単に。
 京町通りを通って「魚三楼」へ。

 鳥羽伏見戦争の際の銃痕の残る建物です。
 ここで昼食。

 12時50分、再出発。
 あつい、あつい。

 大手筋を西へ。
 伏見城下町のお話しを軽く。
 横町型であること、銀座跡のことなどふれる。

 松林院へ。
 寺田屋お登勢の墓参。
 寺田屋の事実と非事実を、再び解説。

 伏見板橋小学校到着。
 ここは江戸時代、尾張徳川屋敷です。
 ここで皆さんと、2日前入手したばかりの、同邸の絵図の写しをみる(名古屋市蓬左文庫蔵)。

 この図を片手にこの地を見るのは、おそらくみなさんが史上初めてです、とあおる。

 本図によって、現在の小学校のある構造が、ほとんど尾張屋敷時代から変化のないことが知れると説明。
 小学校の許可をえていますので、校庭にはいります。

 なかに伏見現存最古の道標があります。
 これを見学。
 四面の文字を読んでいきます。

 つづいておとなりの伏見中学へ。
 こちらも尾張屋敷の敷地内。
 やはり道標があります。
 許可をえています。
 立ち入ります。

 この道標。
 建立年は江戸後期の弘化4年です。
 西暦何年でしょう?

 ヒント、僕はこの計算がしやすい立場にある。
 1967年(昭和42)のうまれです。
 
 なんじゃ、そりゃ。
 お前の誕生年なんか、しったことか、と思われたと思います。
 
 実は弘化4年の干支は「丁未」(ひのとひつじ)です。
 それは僕の誕生年の干支とまったく同じなのです。

 同じ干支は60年に一度しかまわってこないので、1967から60を引けばよいのです。

 ひいたら1907。
 1907年は明治40年だから、江戸時代ではない。 
 さらに60をひく。
 1847。
 はい、これが答え。

 みなさんもご自身の干支を承知してくださいね、という。
 多くの方は、申歳とか、「支」の方しかご存知ないので。両方ね。
 
 ながくなってきたので、はしょります。
 
 最後は大仏方広寺界隈。
 龍馬の住居推定地、2つの大仏殿跡、江戸時代の秀吉の墓などをめぐる。

 終了時間4時。
 予定どおりばっちり。
 これからみなさんは約3時間かけて名古屋にお戻り。
 早く終わらせないとと、気にしておりました。
 
 あつかったですね。
 また次回、お目にかかりましょう。

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2006.06.21

桑名城下町の惣構をあるく

6/19(月)はれ

Kuwana

 名古屋滞在3日目。

 午前中、明日のレジュメづくり。
 明日は朝日カルチャーセンターのツアーで京都入り。
 伏見街道をあるきます。

 お昼、レジュメ完成。
 名古屋市柳橋の朝日カルチャーセンターに持参。

 午後から桑名市へ。
 中日文化センターの受講生3人さん、同行。

 桑名は、幕末期の京都所司代、松平定敬(さだあき)の城下町です。
 その程度の気分での訪問。

 なんせ文献や絵図をもたずにきたから。
 少し乱暴。

 で、市役所文化課へ行き、城下町絵図などを入手。

 そこで「はっ」ときづく、桑名は「惣構型」の城下町ではないか。
 秀吉の家臣、一柳の建設により近世城下町化している。
 
 これはおもしろい。
 お3人を喫茶店に残し、市都市計画課へ行く。
 都市計画図2.500分の1を入手。

 喫茶店で合流。
 桑名市は惣構の堀を復活させ、まちづくりに活かそうとしていることを知る。
 興味しんしんで、西側の惣構の堀を見に行く。

 なぜそんなことが可能か。
 石川県金沢市と同じで、水路としてながく活用されたからです。

 問題点は、堀に接した土塁はまったくかえりみられていない。
 土塁をつくろうとはされていない(写真は北端部分を南から撮影)。

 つまり江戸時代の町の外郭を、厳密に復活させようとはしていない。
 「見た目」をきれいにしただけ。
 それを「由緒」によって、「ありがたく」みせているだけ。

 大和郡山市の「外堀公園」と同じです。
 
 この辺がいつも思う、都市計画課と文化(文化財)課の意思の乖離(かいり)です。

 都市計画推進側に悪意はないのだ。
 いいことしたと思っている。
 歴史的遺産を現代に生かしたと信じてる。

 そうじゃない、破壊にひとしい行為なんだ、と文化(文化財)課が伝えなきゃいけない。
 ただ知らないだけなんだ。

 このあたり、金沢市や岐阜市は、歴史系のひとたちが中心に城下町惣構を現代に復活させ、活かそうとしておられる。
 両市の活動に期待をもっている。

 ちなみにその成果は大阪市立大学のCOEシンポの報告書、
 
 『都市城壁をまちづくりにいかす』、に詳しくまとめられるはずです。

 まもなく刊行です。

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2006.06.20

尾張徳川家、伏見屋敷の絵図を閲覧

6/18(日)はれ
 本日も名古屋滞在。

 午前中、蓬左文庫へ行く。
 尾張徳川家の伏見屋敷の絵図を特別閲覧。

 興味深い絵図で、複写を依頼する。

 午後からは名古屋城と城下町の巡検。
 恥ずかしながら、天守閣に初めて登りました。

 復興天守なんて、と思っていましたが、いえいえとんでもない。
 勉強になりました。

 当然といえば当然ですね。
 だって敷地は、特別史蹟なんですもの。

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2006.06.19

龍馬が記した天誅組志士

6/17(土)
 午後から名古屋の栄中日文化センターに出講。

 坂本龍馬講座。
 本日は「薩摩島津家と龍馬」の予定でしたが、前回の天誅組を残していたので、そのつづきをすることにしました。
 龍馬の手紙に出てくる土佐出身の天誅組参加者、土居佐之助、上田宗児(宗虎)、島浪(並)間へ思いをこめて。

とくに上田。
 後藤深蔵(造)と名を改め、毛利家の武士として、意外と大事なところで登場します。
 
 たとえば、慶応元年(1865)閏5月、木戸孝允の使者として三条実美ら五卿のもとへ向かいます。
 薩長和解の打診です。
 
 三条は薩摩との和解に賛成で、木戸は後藤からこの返事を受けて、安心してその道を歩むことになる。
 
 と、木戸は晩年の手記に書き、薩長和解の第一段階として位置づけています。

 薩長和解交渉に龍馬が登場するのは、そのあとです。

 この天誅組出身の土佐志士の、その後の活動を取り上げたことってほとんどないのではないか。
 のち後藤は鳥羽伏見戦争で戦死し、維新を見ませんが、龍馬とは別のところで頑張っていたのですね。

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2006.06.17

伏見街道などの道標をみる

6/16(金)はれ

Sukudaibutsu_1

 午前中、k社のA記者と会う。

 来月初頭から、同社の週間新聞で、「京都の江戸時代をあるく」という連載を開始します(半年予定)。
 その打ち合わせです。

 江戸時代の京都史の数々をお伝えし、現代京都のまちづくり、文化財保護などのありようを模索するという趣旨です。
 どれほどいまの京都に江戸時代の痕跡がころがっているか、現地踏査の成果もふまえ、あつく語ってみたいと思っております。

 午後から伏見へ。
 6/20(火)、朝日カルチャーセンターの講座で伏見街道を歩きます。
 その下見、第2回。

 もともと街道沿いに建っていた道標が、行き場を失って学校に移転しています(写真)。
 それをみなさんに見ていただきたいと思った。
 
 小・中学校ひとつずつを訪問し、当日の許可をえる。
 いずれも快諾くださり感謝いたします。

 京阪丹波橋駅から電車に乗り、東福寺駅で下車。
 そこから大仏方広寺まであるく。

 途中、一橋小学校では、許可をもらって「伏見街道第一橋」の石橋を拝見。
 大仏前の甘春堂でお茶をし、京都駅へもどる。

 書けなかったけれど、今日もこれまで知らなかったものをいくつか路傍で発見。
 だからやめられない。

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2006.06.16

名古屋に出講して「是より洛中」を語る

6/15(木)雨
 午後から名古屋の栄中日文化センターへ出講。

 「城と城下町―山内一豊の周辺―」講座。その第3回「掛川」。

 必ず冒頭で、自分の歴史研究のニュース速報をします。
 速報ですから、あとで訂正することもあります。

 でもカルチャースクールは、数十年も前の成果を聞かされる場合も少なくありません。
 たまにはとれたて、新鮮な生ものをお出しする場があってもいいのでは、と思っての行為です。
 
 今回は「是より洛中」標石のはなしをしました。
 長浜の御朱印地標石との比較をするつもりが、タイムオーバーで出来ませんでした。
 失敗。

 夕方から受講者と懇親会。
 一旦帰宅。

 またあさって名古屋に戻ってこないといけません。
 今度は龍馬講座。

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2006.06.15

夕方の講義のあと野外調査

6/14(水)くもりのち夜あめ
 
 日中、京都検定ドリルの問題作製。

 夕方から佛教大学出講。
 「歴史と人間」、京都・明治維新史の人物。
 古高俊太郎を論ずる。
 
 研究対象にしにくい人物ですが、三種類の史料の発見により、ついに論文がかけるまでになった。
 研究とはこのようにするのだ、という話し。

 次回はその結果何がわかったのか、それにどんな意味があるのかをお話しする予定。

 教育実習中なのと、遅い授業なのとで、受講者少ないですが、それでもまじめに聴いてくれる人がいる。
 質問にきてくれる人、近所のお好み焼き店で見たといいに来てくれる人がある。
 うれしいことです。
 
 京都検定ドリルの問題作製で、どうしても知りたいデータが野外に落ちていると見込んだものですから、午後6時に講師室を出て、自転車で東山へ向かう。

 霊山護国神社参道と、新熊野神社。
 データはちゃんと「落ちていた」。
 予想通り。
 
 帰途なじみのお好み焼き店で大雨ふる。
 傘をかしてくださったが、出るとき小雨に。

 「ぬれていきますわ」と、お返しして自転車に乗る。

 運よく大降りにならず、ほとんどぬれずに帰宅。

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2006.06.14

京都タワーから東山を楽しむ

6/13(火)はれ
 夏みたいな日。

 午前10時50分から、「基礎からまなぶ日本歴史」へ出講。
 前回よりまた受講者増えていました。

 本日は「仏教伝来のころ」というタイトル。
 でも継体大王のはなしでタイムオーバーです。

 昼食のあと、ある資料館へ。
 小さいところながら、お金をかけていることがよく分かります。

 それに比して、中身がうすい。
 致命的なミスもある。
 えらい研究者が監修しているはずですが。
 どういうことかなぁ。

 京都タワーにのぼる。
 修学旅行生多数いて、やかましい。
 が、京都を見るにはとてもよい場所。

 東山をのぞみ、方広寺大仏殿跡を認識する。

 三十三間堂の大きなこと。
 そばで見るより、遠くからの方がよく分かる。

 東本願寺墓地(東大谷)と、京都韓国中学・高等学校がめだって東山の緑を侵食している。
 ゆかいではない。

 古書店をひやかし、帰宅。
 早く寝る。

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2006.06.13

聞き取り調査と城跡見学

6/12(月)はれ
 午後から、ある人物の聞き取りのため、京都市内の御遺族宅を訪れる。
 また貴重な情報を得られる。

 ずっと気になっていたある記録(印刷物ですが)、ついに今回そのお宅から出る。
 おそらく5年ほど持っていた疑問が氷解。
 ありがたや。

 夕方、長岡京市開田へ。
 中世の国衆屋敷、開田城跡(長岡京市指定史蹟)の土塁の現状を見学に。
 マンション建設にともない環境が大きく変わったこと知っていましたが、ずっと現地にこれずにいました。
 
 一部は壊されましたが、現地の研究者の努力で、ぎりぎり保存がかないました。

 城跡北西隅の残存土塁の前には、実にわかりやすい、見学者に気を配られた解説板が建っています。
 これまで山ほど史蹟の解説板をみてきましたが、そのなかでも抜群によいものでした。
 写真撮りまくりました。
 
 古書店に立ち寄る。
 『京都府史蹟名勝天然紀念物調査報告』のうち、4巻分(旧版)が売りに出ていました。
 なんとすべて各500円。
 びっくり。

 復刻版(臨川書店)でもゼロひとつ多い場合があるのに。
 古書価格をご存じないこのお店に感謝。

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2006.06.12

聚楽第を語り、伏見街道を歩き、本能寺の変をみる

6/11(日)はれ
 午後1時から、嵯峨野学芸倶楽部の「京都歴史講座」に出講(~2時)。
 主催者は、「伝統文化プロデュース連」です。

 豊臣秀吉の京都・その1、「聚楽第の誕生・終焉」という内容でした。
 次回その2は、「聚楽第の発見」というタイトルにします。

 これまでの研究で何がわかったか、何が問題となっているか、についてお話しする予定です。
 7/9(日)です。

 そのあと伏見へ。
 6/20(火)、名古屋の朝日カルチャーセンターのバスツアーで、「伏見街道を歩く―龍馬と新選組の上洛ルート―」というのをします。
 その下見です。
 
 なかなかまとまった時間が取れないので、少しの時間でもいいから少しずつ歩いて、イメージをつくろうと思いました。
 
 午後4時、伏見板橋小学校の道標前から歩き出す。
 この時期、日の暮れるのがおそくてありがたい。
 午後7時半までつづけ、東福寺門前まで進みました。

 途中、旧知のM・Kさんにばったりあって、「先生、こんなところで何の研究してんの?」とからかわれる。
 
 知らなかったものがいっぱい「落ちている」。
 すごい、すごい、の連発。

 たとえば、「伏水街道 第○橋」の石橋。
 第一だけが現存かと思っていたら、第四、第三もあるのですね。知らなかった。

 しかも建立者は、初代京都府知事長谷信篤、参事槇村正直ら4名。
 だから明治初年のもの。
 いやはや、京都はすごい。

 暗くなっていたので、携帯電話の光を当てて文字を判読していたら、近所の夫婦が「みえますか?」。
 「はい、みえます」。
 話しかけられてきたので、簡単にこの石造物の意義を述べましたら、長谷や槇村の名をご存知でした。

 7時50分、京阪東福寺駅近くのお好み焼き店に入り、NHK大河「功名が辻」をみる。
 本日は本能寺の変。
 なんとしても見なければと思いまして。

 森蘭丸に「断じて首を取られるな」といったあと、戦闘に加わったのには苦笑しました。
 そんなムチャな。
 「断じて首を取られるな」といったあとは、奥で自刃してください。
 首を守れないじゃないですか。

 発砲・射殺シーンがやけに多かったことが気になりました。

 なんて命中率の高い火縄銃だ。

 違和感だらけのこの番組。

 番組終了の直前に、店を追い出されました。
 老夫婦の店で、お客は僕ひとり。
 ストレートに「もう帰ってくれませんか」には、びっくり。
 入って1時間もいないのに。
 
 帰途、その本能寺跡を通って帰宅。

 帰宅してまもなく、西村幸信さんの訃報が届く(前日条参照)。

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2006.06.11

【訃報】西村幸信さん、逝去

 ショックです。
 友人、西村幸信さん(日本中世史研究者、奈良県大和郡山市・柳沢文庫学芸員)が、本日(6/11)逝去なさいました。
 肺癌の由です。今年38歳のはずです。
 
 西村さんとは、ちょうど10年前、大阪市立大学の中世史研究会の、京都巡検でお目にかかりました。
 一時、僕は仁木宏さん(同大学助教授)のゼミで学ばせていただいておりましたので、教室学習、巡検、合宿、さまざまな場所でお目にかかりました。

 柳沢文庫に就職されたのちは、僕が天理大学の講義で郡山を巡検する際、大変お世話になりました。
 めったにみれない絵図を特別に出していただき、学生たち、大喜びでした。
 講義ではコピーしか配れなかった城下町絵図の、その本物を出していただいたのです。
 大変ありがたいことでした。

 最後にお目にかかったのは、本年3/24(金)。
 年配の友人2人とともに突然柳沢文庫を訪れました。
 展示の解説をお願いすると、体調悪く申し訳ないができないといわれました。
 
 別の方からすでに不調をうかがっていましたので(病名は知らない)、どうぞ大事にしてくださいと申し上げましたところ、せめてのお詫びにといわれ、玉稿を2部頂戴しました(本ブログ3/25条参照)。

 まさかそれが最後になるとは!

 冗談ではない。まだまだこれからではないか。
 泣くになけない!
 
 明日通夜、明後日の告別式ですが、近しいご親族だけで催される由です。
 心よりご冥福をお祈りいたしたく存じます。

 悔しい。

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6/10の図書受贈

6/10、次の書物を寄贈いただきました。

 ○安藤弥さんから
 
 同朋大学仏教文化研究所編
 『真宗史研究の先駆者 山田文昭コレクションの世界―【特別展示】真宗史料の世界―』、2006年5月

 山科本願寺・寺内町の啓発を進めていますので、真宗史にはとても関心があります。
 どうもありがとうございました。
 勉強させていただきます。

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方形周溝墓をみて、名古屋へ

6/10(土)はれ
 午前10時から右京区西院へ。
 京都市埋蔵文化財研究所による、弥生の方形周溝墓の現地説明会にゆく。

 昨日、みなさんにおススメしたためか、受講の方々多数お見かけする。びっくりするほどお見かけする。
 えらい人にも多数お目にかかる。 

 バスで京都駅へ。
 友人に昼食をごちそうになる。
 
 そのあと名古屋へ。
 朝日カルチャーセンターに出講。
 京都中世史を論ずる。

 そのあと受講生の方などと会食。
 大笑いさせていただく。
 
 夜、帰宅。
 明日は嵯峨野の「連」へ出講。
 予習しなければ。

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2006.06.10

明日、方形周溝墓を見に行きましょう

6/9(金)はれ
 お昼から「基礎からまなぶ!日本歴史」に出講。
 ようやく倭の五王のはなし。

 明日、京都市埋蔵文化財研究所による現地説明会があります。
 市内最大の弥生の方形周溝墓が出たためです。

 先日、方形周溝墓のはなしをしたばかりです。
 今朝の京都新聞のコピーをお配りし、できたら見に行ってください、とおススメしました。
 僕もうかがう予定です。

 本日はいままで1番多い参加者数でした。
 これから大変だわ。

 軽食のあと、五条坂、清水坂へ。
 安祥院の梅田雲浜、大高忠兵衛の墓参。とてもひさしぶり。

 路傍で安祥院に関する道標(境界石?)を見つけ、びっくり。
 こんなものがあるのか?

 「従是西之・・・・」
 「安祥院寺・・・・」
とありました。下は埋まっています。残念。

 渋谷街道を通って京都駅へ戻ってきました。

 明日、名古屋の朝日カルチャーセンターへ出講。
 あさっては、京都の「連」へ同じく。
 帰宅して、それぞれの準備をする。

 また寝るのが遅くなっちゃった。

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2006.06.09

小学館の古文書講座に出講

6/8(木)くもり夕方から雨

 奈良・高の原小学館古文書講座に出講。
 第2回目。
 
 予習されてこられる方があり、その熱意に感嘆。
 早くもかなり読めるようになってこられました。

 夜、「京都検定日めくりドリル」を担当されている、K社のYさんと懇親会。
 楽しくすごす。

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2006.06.07

小林地図店へいく

 6/7(火)はれ
 友人と午前中、東本願寺門前の小林地図店に行く。
 
 6/1からあらたに地図記号採用された、風車と老人ホームの載った地形図を購入。
 京都25000分の1、京都集成図をみつけ歓喜の声をあげる。
 各地図専門店、すでに品切れなのです。
 が、残部ありました。
 ついに見つけました。

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「是より洛中」標石、新しいもの見つける

6/6(火)はれ

 若い友人から連絡があり、あらたな「是より洛中」標石みつける。
 これまでのとは異なる、とても価値のあるものでした。感激。
 
 これについてはまた改めます。

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2006.06.06

原稿完成に全力をあげる

6/5(月)はれ
 遅れに遅れた原稿の完成に全力をあげる。
 一歩も外に出ず。
 夕方になっても継続。
 ビールも飲まず。

 脱稿は午後10時30分。
 その後の修正、図つくり、荷造りをへて、未明、郵便局へ持ち込む。

 久しぶりに「まともな」仕事をした気分。
 まだまだ僕もやっていけそうだ。

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2006.06.05

池田屋事件戦死者の法要に参加する

6/4(日)はれ
Ef

 昨日記しましたように、池田屋事件戦死者の法要に行きました。
 ブログをみた友人Sさんが誘ってくれまして、お車で。

 参加者やはり少なく、6人。
 このままでは10年後、1~2名になりかねない。
 
 その後、借景で知られるE寺へ(写真)。
 時間のせいか、参拝者ほとんどおらず、貸切状態。
 気持ちよくすごす。

 最後はSさんと打ち上げ。
 Sさんのすっきりしたお部屋で「功名が辻」を見せてもらう。

 柄本明はよい俳優ですのに、今回は気合が感じられない。
 存在感がうすい。
 信長の死後はまた変わるかも、と期待したいですが、どうでしょう。

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2006.06.04

京都アスニーで御土居堀の話をする

6/3(土)はれ
 暑い日。ついに扇風機を出した。

 午後から京都アスニーで講演。
 「御土居堀の解体・保存・再生」というタイトル。

 無料でないためか、50人ぐらいの参加者。
 常連さんが多数。感謝。
 終了後、数人、質問にもこられる。

 中身はともかく、笑いが5回以上あったので、まあ良かった。

 帰りに上杉本洛中洛外図のコンパクトな冊子を購入。
 わずか千円。
 これは安い。そして便利。
 しばらく持ち歩こう。

 明日6/4は、池田屋事件戦死者の法要がある。
 午後2時から、左京区岩倉花園町の三縁寺で。

 子孫ではないけれど、研究者の立場で毎年参加しています。
 今年も参加予定。
 誰でも参加自由です。
 今年は日曜だから、少し多いかも(といっても、例年5人ていど)。

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2006.06.03

是より洛中の標石をみにいく

6/2(金)はれ
060602

 「基礎から学ぶ!日本歴史」に出講。
 受講生、増えてきました。

 本日は「魏志」倭人伝のころ。
 
 終わってから、友人と梅逕(ばいけい)中学校へ。
 ここには江戸時代の「是より洛中」の標石が1基あります。

 職員室で許可をえて、見学する。

 「是より洛中荷馬口付き之もの乗へからず」とあります。
 ほんらいは京都の出入り口に建っていたものですが、邪魔もの扱いをうけ、学校に引越ししてきたのです。

 もとはどこに建っていたかわからない以上、戻すことは無理です。
 でも、京都の出入り口に新造してほしい。

 長浜市は昨年、旧市街地のなかの免税地区(御朱印地)を示す標石をすべて復興しました。
 すばらしい。

 みやこの京都が、湖北の長浜の文化事業に負けている。
 かっこわるいこと。

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2006.06.02

6/1の受贈図書

6/1(木)はれ
 本日は、以下の高著を著者から寄贈いただきました。

 河内将芳さん『中世京都の都市と宗教』思文閣出版、2006年5月、6800円+税

 拙稿の引用もしていただいておりました。
 ありがとうございます。
 あつく御礼申し上げます。

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人気ブログランキング8位

ブログ人気ランキング。
えらい落ちたものだあと感慨。
いま8位です。

でもね、訪問者はこれまでとほとんど変化してないのですよ。
なんだなんだという感じです。

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2006.06.01

桑原先生を想って飲む

5/31(水)はれ
 佛教大学、講義。
 新選組・近藤勇論を展開。

 夜、三宅日記輪読会。
 本日、佛教大学人文学科の懇親会らしい(連絡は無かった)。

 研究会終了後、R命館大学K原先生と木屋町で二次会。

 亡き桑原公徳先生(歴史地理学)の思い出話し。
 よい先生でした。
 忘れません。

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