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2006.05.29

山科の三宅碑をあるく

5/28(日)はれ一時あめ 

Dsc017391

 「山科の三宅安兵衛遺志碑を歩く」のイベント。

 現在、山科に三宅安兵衛遺志碑は1基しか残っていません(醍醐には2基)。
 だから必ずしも、現存碑を見に行くというわけではない。

 「三宅日記」によると、1926年(大正15)6月20日、記主三宅清治郎は、山科へ出かけ、建碑の地を探っております。
 そのルートを歩くというイベントです。

 参加者のなかには、小学校5年生のお嬢さんもあり。
 全体の空気がやわらいでいたような感じ。

 さてコース。
 日ノ岡駅跡⇒百華園跡⇒天智天皇陵⇒妙応寺 とおよびました。

 妙応寺ってご存知ですか。
 現在の山科では決して知られた寺院とはいえません。

 三宅清治郎は歴史研究者ではありません。
 西陣織の帯屋さんです。
 とくに山科の歴史に詳しいわけではないはずです。
 
 その彼が訪ねた。
 当時は知られた寺院だったようです。

 江戸時代の地誌(観光ガイドブックのようなもの)のひとつに、『雍州府志』というものがあります。
 それによると、天智天皇陵の前に「天智天皇ノ社」がありました。

 妙応寺(明王寺)は、「天智天皇ノ社」の神宮寺だとあります。

 つまり妙応寺は、天智天皇陵ゆかりの寺院だったのです。
 そのことがいまはまったく忘れられてしまったのです。

 今回お寺のご好意で本堂にあげさせていただきました。
 本尊観世音菩薩を拝しました。

 その横には歴代住職の位牌が。
 もしやと思って丹念にみると。

 ありました。

 天智天皇の位牌です。
 「天智天皇神儀」とあります。

 こんなものがあるのだ。
 感激です。

 側面には「今上皇帝」のものも。
 昭和天皇でしょう。
(上写真、クリックしてください。少し大きくなります)

 参加者みな思いをこめて、お寺にお礼を申しました。

 次の目的地は毘沙門堂です。
 旧三条街道(旧東海道)を歩いていきます。

 五条別れの沢村道範の道標をみる。
 その意義を多くかたる。

 その間、びっくりするほど車が通る。

 そのうち道標に自動車が突っ込むことでしょう。
 実際すれた跡がありました。

 白川橋三条の京都市内最古の道標も車が突っ込んで折れたこと、記憶に新しい(犯人は逃亡)。
 
 この道標は、この最古の道標などとセットで、京都市登録文化財となっています。
 文化財保護のため、あの曲がり角は自動車通行禁止にすべきです。

 山科駅前にたっしました。
 明治天皇聖蹟碑で、奴茶屋のこと話す。

 惜しいことをしました。
 1994年まで明治天皇休息の建物、残っていました。
 破壊されるところ、見ました。
 写真も撮りました。

 山科駅前再開発の一環で消えたのです。
 ここでも現代生活の利便性だけが優先されている。
 恥ずべきことです。

 毘沙門堂にいくまでに、予定の4時になってしまいました。
 小雨も降ってきました。

 で、駅前の三宅碑を訪ね、そこで解散をいたしました。
 
 「日記」には、その日さらに山科盆地の中心部へ歩いていくことが記載されています。
 今回とても行けませんでしたので、第2回をしましようと、その場で決まりました。

 6/25(日)午後1時、JR山科駅改札前集合です。
 今回お越しでなかった方もどうぞおこしください。

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