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2006.04.26

洛中・東山の三宅碑を歩く

4/25(火)くもり時々雨、のちはれ
 「洛中・東山の三宅安兵衛遺志碑を歩く」という見学会を催す。

 「京都史蹟講座」で三宅碑を取り扱う3回目です。
 はじめての平日開催でした。

 計12名(男8名、4名)。
 前回の嵯峨野とほとんど変わらず。
 これからは平日でもしよう。

 三条京阪で集まり、木屋町三条下る瑞泉寺へ。
 豊臣秀次の墓所として知られ、それを示す標柱が門前に建っていますが、これが三宅清治郎(三宅安兵衛遺志)建立碑。

 実は当寺は、三宅清治郎とその一家の墓所です。
 その母(安兵衛妻)が埋葬されて以来の縁です。

 そのため秀次墓の石柵や妻妾家臣の墓の標柱にも出資をしているのです。
 その他、妻妾の辞世の句の軸を収めた箱も清治郎の寄附です。

 当寺の解説書にもまったく書かれていませんので、全く知られていません。
 特筆しておきます。

 そのあと東大路仁王門の寂光寺へいき、本因坊算砂の墓を示す標柱をみ、南禅寺へ。
 
 茶店で休憩し、参加者親睦。自己紹介をしてもらう。
 ここで参加者のひとり、Kさん(女性)の自己紹介に仰天する。

 僕は1986年の浪人時代、鹿ケ谷にあった京都学院という予備校に在籍していました(現、廃校)。
 そのとき図書室の出納をされていたといわれたのです。

 びっくり。
 よく覚えています。
 大学生になったあともその予備校には通いまして、その際もかわいがっていただきました。

 昨年、佛教大学四条センターで僕がお話しするのを知られて、その際も聴講していただいた由。
 20年の邂逅です。

 世の中、いろんなことがあります。
 とてもうれしい日でした。

 金地院は、三宅安兵衛とその次男(清治郎の弟)安次郎家族の墓所です。
 その縁で、同院を含む南禅寺境内には、清治郎による建碑が目立ちます。
 
 同院は洋画家の浅井忠の墓所でもあります。
 安次郎は浅井忠と親しかったことがわかっております。
 両者が同じ墓地であるのは偶然ではないはずです。

 金地院から蹴上まで出て解散。
 数名の有志で懇親会。
 偶然その地は、東洞院六角東入る南側。
 
 三宅邸の西近接地で、よい場所での打ち上げとなりました。

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