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2006.03.25

平城京の羅城跡をみる

 大和郡山市へ行く。
 平城京羅城跡の遺構を拝見に。

 先日、現地説明会があったが、嵯峨野の三宅碑講座があったためうかがえませんでした。
 
 古代のミヤコにはまち全体を囲い込む羅城がつくられることはなく、羅城門の左右に申し訳程度につくられた程度、といわれてきました。
 
 今回、古代日本の羅城の遺構がはじめて出たのです。
 そしてさきほどの仮説が実証されたわけです。

 御土居堀は、ミヤコにつくられた唯一のぐるりと取り囲われた羅城、といってもいいすぎではありません。
 だからとても関心がふかく、できれば見ておきたいと思いました。

 現場担当者は大和郡山市教育委員会の山川均さんで、以前より親しくしていただいているので、今回も直接交渉し、許可をいただいた次第です。
 御土居堀研究会のメンバー、大Sさん、小Sさんとともにうかがいました(小Sさんが車を出してくださる)。
 
 各紙は羅城が「しょぼい」ものだったことを強調していましたが、連続した柱穴を現実に目にしてみると、とてもそうは思えない。
 
 唐の羅城と比較したらそうなのかも知れないが、それはあまりにかわいそう。
 充分「威容」さは示されていたと思えました。
 感覚的で申し訳ありませんが。

 帰途は柳澤文庫(郡山城跡)にお邪魔。

 旧知の学芸員の西村幸信さんと久しぶりに会う。
 玉稿「新出の明治期郡山藩藩政史料について」がおさめられた、『奈良歴史研究』63・64合併号(2005年6月号)など頂戴しました。

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