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2006.02.28

伯母の通夜

2/27(月)
 夜、伯母の通夜に出向く。
 遺族となった伯父、いとこたちと会う。
 
 参列者多く、伯母の生前の交友の広さを知る。
 落涙の方も多く、多数の方から好かれておられたことも知る。
 自分に置き換えてみる。

 長い夜になる。

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2006.02.27

伯母をひとり失う

2/26(日)あめ、夕方やむ

 早朝、訃報あり。
 父方の伯母の他界を知る。
 
 居住地がちかいこともあって、幼い頃、たいへんお世話になりました。
 妹が誕生する前後は、そのお家に住まわせていただいていたこともあります。
 もっとも身近な「おばちゃん」のひとりでした。

 昨年は母方の叔父も失いました。
 そういう時期にきているのか、と思うこと大です。

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2006.02.26

第3回京都史蹟講座、盛況

2/25(土)はれ
 あたたかい日。よいにおい。春の予感。

 第3回京都史蹟講座の日。
 昨日、京都新聞に掲載されたにもかかわらず、まったく問い合わせの電話がありませんでした。
 ですから、参加者はほとんどおられない、と見込んでいきました。

 ところが現実には多数の参加者。
 岡山など遠方からの方もあり、盛況でした。

 次回は現地見学会です。
 3月12日(日)午後、嵯峨野の三宅碑を見て歩きます。
 乞うご期待。

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2006.02.24

【講演】三宅安兵衛遺志碑の成立

 明日、以下のように「京都史蹟講座」を行います。
 石碑建立と史蹟誕生の関係を考える、たいへん興味深い事例のご紹介です。
 どうかおこしください。
  ※本日の『京都新聞』朝刊「まちかど」欄(17版24面)にご紹介されました。

テーマ:亡父の遺志、京都に石碑を建立す・その1―「三宅安兵衛遺志」の碑の成立―

【内 容】
京都府下の石碑の裏面をみると、驚くほど出会う「三宅安兵衛遺志」の碑。それもそのはず。約400基も建てられていたからです。三宅安兵衛とはいったい何者でしょう。講師の最新成果を語ります。

講 師: 中村武生(佛教大学・天理大学文学部非常勤講師、日本史・歴史地理)

日 時: 本年2月25日(土)午後0時30分~1時40分

場 所: キャンパスプラザ京都・5階演習室
〒600-8216京都市下京区西洞院通塩小路下ル
(JR京都駅ビル駐車場西側・京都中央郵便局西側)
TEL(075)353-9111
参加費: 500円
※事前申し込み不要(直接お越しください)。

主 催: 京都史蹟隊(隊長・中村武生)

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2006.02.23

「先生、お幸せそうで。」

2/22(水)はれ、夕方から雨
 河原町のなじみの古書店kに行きました。
 緊急に必要な本がありまして、それを探しに。

 うまいぐあいに見つけました。
 うれしさのあまり、店番をされていた奥さんに「探してたんです!」といい、少し近況など世間話をしましたところ、なんと予期せず200円も割引してくださいました。

 帰り際、「先生、お幸せそうで」と言って見送ってくださいました。

 そんなに「ご機嫌だったか?」と思いましたが、でもきっとそうだったのでしょう。
 好きなことをして暮らせて幸せといわねばなりません。
 
 仏さまと、お世話になっているみなさまに感謝申し上げます。

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2006.02.22

岩倉・龍馬の道を話し合う

 本日はとてもあたたかく、春の到来か、と思えるような気候でした。
 
 そんななか、突然友が遠方よりやってこられました。
 洛中で楽しく歓談。
 
 坂本龍馬はどの道を通って岩倉具視宅へ行ったか、議論する。
 「おそらくここだ」といいまして、次回確かめに行きましょう、ということになりました。

 楽しみです。

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2006.02.21

河原町三条、凱旋門閉店

2/20(月)あめ
 河原町三条下る二筋目東入る南側、居酒屋「凱旋門」が本日閉店しました。

 なじみの店でした。
 1988年以来、使用させていただきました。
 
 最後の日、ひとりで行きました。
 カウンターには常連さんが並び、それぞれが持ち込んだ食料をふるまったり、店員さんにビールをついだりと、全く普段とちがう光景。

 これが「店のエンディング」かと興味ぶかくありました。

 閉店のあと、職員さんたちのお別れ会にも参加しました。

 とてもステキな夜でした。
 忘れがたい日となるでしょう。

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2006.02.20

御土居堀ものがたり、を歩く2回目

2/19(日)はれ
 御土居堀を考える講座の日。
 第2回「『御土居堀ものがたり』を歩く」です。

 「京都市役所前」駅で集合。
 参加者40名。
 半分は初参加。

 質問される。「いつからこの会はしているのか?」
 2000年4月からです。

 事前に電話での問い合わせ。
 「京都新聞で知ったが、『御土居堀ものがたり』を歩く、って、そういう本が出ているのか」
 昨年秋に出しました。
 
 新聞連載もしたし、本も出した。それもけっこう広告出ている。
 広範に知られてきたと思っていたのですが、まだまだダメですね。

 そんなことを思った日でした。

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2006.02.19

慶応3年6月25日、岩倉具視宅へ

 昨日の話題のつづき。

 国史蹟岩倉具視幽棲旧宅のことでした(現京都市左京区岩倉上蔵町)。

 岩倉の日記によれば、慶応3年(1867)6月25日、坂本龍馬は中岡慎太郎とともに愛宕郡岩倉村(当時)の同所を訪問しています。
 ですから立ち入ったことが確実な建物です。

 建物は維新後に何度か修繕しており、幕末当時のままではありません。
 学術調査をしたわけでもないようです。

 が、当時を偲ぶには適しているとして国史蹟の指定されています(1932年3月25日=昭和7)。
 
 1932年は、岩倉具視没後50年紀念祭(岩倉公五十年祭)が行われた年です。
 この祝祭にあわせて指定されているのですね。

 文久2年(1862)、暴漢に襲われたときの避難先に建碑されたのもこの年でした。
(以上、『岩倉公五十年祭記要 附本会要誌第二篇』、財団法人岩倉公旧蹟保存会、1933年)

 僕は10余年前、「岩倉具視幽棲旧宅」の徒歩1分のところに住んでいましたが、異なることに一生懸命でしたので、深められておりませんでした。

 なお前日に寸心さんがコメントされておられますが、建造物に「門」を含むのなら、二本松薩摩屋敷の門もそうかもしれません(烏丸通今出川東入る北側に現存)。

 その他は「確実」ではないので、除外いたしました。

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2006.02.18

坂本龍馬が立ち入った京都の建造物

2/17(金)
 京都で、坂本龍馬が立ち入ったことがほぼ確実な現存建造物ってどこか、考えたこともありませんでした。

 もちろん寺田屋はちがいます。

 酢屋嘉兵衛方も外観はともかく、内部は大きく改変されているようです。

 本日、ある場所に行き、ここが唯一のそれではないかと気づき、とても感じ入りました。
 これまで何度も来た地なのです。
 ただそういう視点でみたことがなかった。

 どこだと思われますか。

 じらすほどのことではないのですが。

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2006.02.17

駿府城と城下町を語る

2/17(木)くもりのち雨のちくもり
 あたたかい日。
 このまま春になってほしい。無理か。

 名古屋の栄中日文化センター「古地図」講座の日。
 
 出発直前、某所より予期せぬ「大きな」仕事の打診あり。
 「さて、いかがするか。」
 具体的なことは、近日打ち合わせすることにする。

 「古地図」、駿府城と城下町の話しをする。
 「富士見」のこと、「惣堤」のこと、「寺町」のこと、「安倍川餅」のことなど、語る。
 
 次回は最終回。
 広島城と城下町です。

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2006.02.16

映画「プライドと偏見」を見ました

2/15(水)小雨
 映画「プライドと偏見」を見る。

 原作にあるダーシーのひとこと。
 「教養ある女性のたしなみとして、ピアノ、歌、絵画、ダンスなどはもちろんのことだが、もっと本質的なことがある。それは幅広い読書によって培われる精神の向上だ」。

 女性にかぎりません。
 男もまたしかりです。
 
 これがわかりあえる関係がステキだと思います。
 
 なお主演キーラ・ナイトレイは実に魅力ある女優です。
 大ファンです。

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2006.02.15

聚楽第・伏見城が漏れた日本100名城

2/14(火)
 『京都新聞』朝刊によると、財団法人日本城郭協会(東京都杉並区)が「日本100名城」を発表しました。
 
 残念なことをひとつ。
 「京都」は二条城しか選ばれていません。

 なぜ聚楽第と伏見城は含まれないのか。

 一般公募のみのランキングではありません。
 それをもとに、「観光地としての知名度だけでなく、文化財や歴史上の意義、復元の正確さなどを基準とし」て、「歴史や建築の専門家による審査」で選択されたそうです。

 では聚楽第と伏見城はもらしたらいかんでしょう。

 両城が、ともに豊臣期から徳川初期の日本の中心地であったことは確実です。
 その復元研究も最近とても進みました。
 詳しくは、日本史研究会編『豊臣秀吉と京都―聚楽第・御土居と伏見城―』(文理閣、2001年)をご覧下さい。

 遺構も、前者は堀跡と推定できるくぼ地が各所に残っていますし、後者は明治天皇陵付近にほぼ完存しています。
 
 伏見城が含まれたら、その地に立ち入れない「天皇陵問題」を、城郭史からも提起できたのに。
 聚楽第を含めたら、その遺跡を全く顕彰しない京都市の文化財・観光行政への喚起になっただろうに。

 ほかにも「吉野ヶ里」(佐賀)のような環濠集落を「城」というなら、寺内町(具体的には山科本願寺・寺内町)はなぜ含まないのだ、とか指摘できることがありますが、きりがないので、この一点だけ主張します。

 「日本100名城」が、聚楽第と伏見城をもらしたことは、本当に残念です。

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2006.02.14

国土交通省のOBの方々と打ち合わせ

2/13(月)はれ
 午後、佛教大学で「近畿高友会」の方々とお目にかかる。
 「近畿高友会」は国土交通省のOBの会です。

 来月15日、「土木史跡」の見学として、御土居堀の見学会をされます。
 その案内を依頼されました。
 その打ち合わせです。

 わずか2時間のことですが、バスで移動できますので、最高の部分をご案内できそうです。

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2006.02.13

講演「山内一豊の妻、終焉の地を見る」

 山内一豊の妻〔見性院〕の終焉の地がどこか、ご質問も多く好評でしたので、講演会を開くことにしました。
 どうぞご参加ください。

 第5回京都史蹟講座
 「山内一豊の妻、終焉の地をさぐる」

 講師:中村武生(佛教大学文学部非常勤講師、日本史・歴史地理)

 日時:本年3月26日(日)午前10時50分~12時
 場所:キャンパスプラザ京都・第3演習室
  ※午後から現地見学をいたします。

 参加費:500円
 定員:30名
 ※予約不要です。会場へ直接おこしください。

 主催:京都史蹟隊(隊長・中村武生)

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2006.02.12

明治維新期の山科郷士論を拝聴

2/11(土)はれ
 「山科本願寺・寺内町を考える市民の会」の講演会の日。

 本日の講師は、谷口真康氏(麻布中学・高等学校)です。
 タイトルは「幕末維新期の山科郷士と「勤王」思想―明治期の士族授産の分析を前に」。
 
 いまは東京の私立学校の教員でいらっしゃいますが、もと山科区にお住まいで、当会の会員さんでもいらっしゃいます。
 無理をいって本日、東京からお越しいただきました。

 以前『日本歴史』654号(2002年11月号)に載せられた論文の内容に、その後のご成果をくわえられたものでした。

 お若い学校の先生だけあって、とてもお話がわかりやすい。
 そして地についた具体的なお話なので、説得力がある。

 普段より参加者は多く、また質疑応答も活発でした。

 終了後は恒例の現地見学会。
 蓮如の隠居地、南殿跡に、市による解説板が建ちました。
 それを見学に。

 もちろん建立そのものは評価すべきですが、問題点もありました。
 例えば解説板が金網の中にあります。
 これでは読みにくいし、撮影も困難です。
 
 金網を一部内側へ屈曲させ、屈曲のために生れた空間に解説板を建てたらよかったのです。
 お金は余計にかかるかもしれませんが、よりよい状態をつくることは大事なことです。
 
 そのあと国道一号線沿いに残る、寺内町本体の土塁片を見に行きました。
 最近、周囲の環境がまた変わりました。
 その確認です。

 北側にスペースができ、土塁・堀跡のラインがみやすくなりました。
 が、南側、国道一号線からは、立地していた書店が閉鎖になり、見にくくなりそうです。

 山科本願寺・寺内町跡の保全はまだまだです。

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2006.02.11

石田孝喜先生から聞き取りをいたす

2/10(金)はれ
 昨日お目にかかった石田孝喜先生のご自宅を、午後から訪問。
 ある「聞き取り」をさせていただきました。
 やはり思うこと多く、気づかずにいたことを気づかせていただきました。

 その後、JR京都駅前のキャンパスプラザ京都へ。
 次回の「京都史蹟隊」の部屋の予約をする。
 
 キャンパスプラザ京都には中世史研究者、渡邊大門氏が在勤しておられますので、お訪ねしました。
 ブログ友達で、お電話でお話ししたこともありますが、実は初対面。
 http://wdaimon.blog4.fc2.com/blog-date-200601.html

 共通の友人、先生も多く、楽しく歓談いたしました。

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2006.02.10

100点な日

2/9(木)こゆきのちくもり
 午前、京都府立総合資料館へ行く。
 入り口で歴史資料課の福島幸宏氏とばったり。
 ご結婚の祝辞を述べる。

 本日の訪問は、ある文献のコピーのため。
 事前に司書松田万智子氏に連絡をしていたため、同氏不在にもかかわらずご用意あり。
 
 コピーをしていたら、松田氏お戻り。
 以前より調査継続中の「旧馬町十三重塔」の文献を下さる。
 ありがたし。

 たまたま高瀬川研究の泰斗、石田孝喜先生とばったり(昨年『京都・高瀬川』をご刊行)。
 お声をおかけし、歓談。
 「もう少し静かに」と松田氏から注意される。反省。

 お昼になったので、近所のファミリーレストランに行き、歓談継続。
 つぎの刊行予定のご著書のことなどうかがう。
 
 1時を過ぎたので石田先生、総合資料館へ戻られる。
 
 僕は兵庫県尼崎市へ。
 市立尼崎高校で「富松(とまつ)城跡」を守る市民向けの講演・座談会が開かれます。
 それへの参加。

 富松城跡土塁の保存問題は、関西の中世都市史・城郭史研究者にとって大きな注目になっています。
 僕も2002年5月から関係させていただき、大きく学ばせていただいています。

 平日の午後、さすがに人は少ないだろうと思って入室。
 いやはや恐れ入りました。
 とても多い。
 300人程度はおられます。
 どうしてこんなに動員できるのだ、とまた驚く。

 演者のひとり、富松神社宮司善見壽男氏の「富松城跡を残したいですかー?」の問いに、聴講者ことごとく手をあげ、拍手。圧巻でした。

 終了後、コーディネーターである市澤哲先生(神戸大学)、善見寿男氏と「コーヒー」に行き、歓談。
 わずかの時間でしたが、心あたたまる愉快なお話しの数々。
 やっぱりきてよかった。
 「富松」は僕の心のオアシスです。

 とんぼ返りして京都へ。
 大谷大学で「山科本願寺・寺内町を考える市民の会」の定例会議。
 大幅に遅刻しましたが、さいごに合流でき、懸案事項を確認しました。
 
 終了後、草野顕之先生(大谷大学)のお誘いで、近くの「二次会会場」へ。
 安藤弥先生(同朋大学)、川端泰幸先生(大谷大学)も同行。

 4月から草野先生が「文学部長」に就任されることをうかがい、一同愕然。
 繁忙になられることまちがいなく、「市民の会」の業務にかかわれないことは確実。

 しかし楽しいお話に終始し、なぜか「なんとかなるやろ」という空気で終わる(本当か?)。
 
 一日中、ステキな人たちと時間を共有。
 まったく僕の「好みの環境」のオンパレードで、100点な日でした。
 なかなかこんな日はない。

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2006.02.09

一豊の妻のこと、古写真プロジェクトのこと


 某図書館の方に聞いたのですが、すでに利用者から「山内一豊の妻の終焉地がどこか」のレファレンスがあったそうです。
 先日、当ブログで紹介した話しです。
 タイムリーなネタであることはまちがいないようです。
 
 僕にも私的に尋ねられることが多く、来月、発表の場をもつことにいたします(現地見学付き)。
 もう少しお待ちください。


 いま、よく知られた歴史上の人物(の家族)の古写真調査のプロジェクトにかかわっています。
 まだ立ち上がったばっかりなので、どういう方向に向かうか未定です。
 が、これまで全くお付き合いのなかった分野の方との共同研究なので、わくわくしています。
 
 幕末期の人物の写真は多数ありますが、「確実にそのひとです」といえるのは実に少ない。
 ほとんどが根拠希薄です。
 
 もし今回のプロジェクトが成功すれば、ひとつの突破口になるかも。
 いやはや、楽しみです。

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2006.02.08

玉稿「室町期の都市京都における長夫勤仕の実態」拝受

2/7(火)くもり一時雨、のちはれ
 地下鉄「北大路」駅前の「書斎」で執筆。
 やっと気が入る。

 東京大学史料編纂所の高橋慎一朗先生から、
玉稿「室町期の都市京都における長夫勤仕の実態」
(義江彰夫編『古代中世の政治と権力』吉川弘文館、2006年2月)が送られる。
 
 一般には「長夫」になじみがないかも知れません。
 「物くさ太郎」がついた仕事です。
 この仕事に任命されていやいや上洛する、というお話でした。

 本論文はそれとは何の関係もありません。
 戦国期の公家山科家の事例満載です。
 山科本願寺・寺内町に関心があるものとして、その「となり」のお話しは勉強になります。

 ご恵贈ありがとうございました。

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2006.02.06

花街文化研究会の方々と会う

2/5(日)はれ
 花街文化研究会の方3名と京都ホテルオークラでお目にかかる。
 来月下旬に同会協賛のイベントの講師を依頼されたためです。
 
 同会のU原さんからご指名をいただきました。
 U原さんとは、10年前、Y科本願寺・寺内町を考える市民の会で、事務局メンバーとして会いました。
 U原さんは卒業論文でY科本願寺・寺内町を論じられたそうですが、研究者をされているわけではなく、当時一般の会社員でした。
 
 その後、転職されましたが、「花街」に関係しておられるとはつゆしらずおりました。
 が、先日たまたま上七軒でばったりであい、お互いに、「えっ、ここと関係しているの?」と思いあったものでした。

 それからしばらくしてのご指名です。
 だから「上七軒仲間」として招かれたと思っていました。

 ところが本日うかがってみると全くちがっていました。

 僕は市民の目線に学問を置く、ということをつねづね考えております。
 なるべくやわらかい口調で、最新成果をお伝えしたい。

 だからカルチャースクールなどで、主題と関係なくても、最近自身の知った「話」を冒頭にお伝えしています。

 もちろん単なる「最新」データなので、今後の研究で「誤解だった」と分かることもあるはずです。
 でも情報の「安定」をまっていたら、新鮮味はなくなります。

 ゆえに「ニュース速報」と位置づけております。
 明日、うそになるかもしれませんよ、といっております(笑)。

 そんな話しを、「知らない間」にU原さんに伝えていたそうです。
 (Yの市民の会で、酔って語ったそうです。)

 で、冒頭の花街文化研究会の趣旨に合いそうな輩だと思われ、招かれたのだそうです。
 恐縮です。
 
 ご期待を裏切らないように気合をいれます。

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2006.02.05

坂本龍馬伝にあらたな1ページを加えました

2/4(土)ゆき
 栄中日文化センターの「坂本龍馬講座」の日。
 雪です。
 
 傘もささず、自転車で、もより駅へ。
 地下鉄に乗ってJR京都駅へ。
 予想通り。
 京都駅に雪はなし。

 でも米原付近で大雪。
 20分も遅れて名古屋に到着。
 早くに出たため、遅刻はせず。
 
 坂本龍馬と天誅組の乱のつながり・続編です。
 これまで指摘されていなかったことを論じました。
 ささいなことながら、坂本龍馬伝にあらたな一ページを加えました。q 

 どこかで必ず活字にしましょう。

 ほか、「船中八策」についても管見を披瀝しました。
 
 次回は「龍馬暗殺」です。
 思いが深い。
 思いのたけを述べます。

 乞うご期待。

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2006.02.03

上七軒で山内一豊の妻の終焉地を考察する

2/2(木)
 夜、北野天満宮門前の花街「上七軒」のお茶屋Dにゆく。
 恒例になった、酒席の前の「京都の歴史」ばなしに招かれる。

 お話し時間は30分。今回は何をしようか。
 タイムリーな大河ドラマ「功名が辻」の話しをすることにしました。

 主人公は山内一豊(やまうち・かつとよ)の妻、見性院です。
 ドラマでは「千代」とよばれています。
 一般にもその名で知られますが、事実ではありません。
 明治以後に広まった名前です。

 さてその見性院。
 一豊の死後、土佐を離れ、京都へ入ってきます。
 そのまま滞在し、その屋敷で亡くなります。

 昨年11月に刊行された、楠戸義昭氏『山内一豊の妻』(新人物往来社)には、その場所が現在のどこであったか表記されています。

 引用します(224ページ)。
 「現在の地図に落とすと京都市中京区で、島津製作所三条工場があるあたりだ。」
 その場所の意味については、「妙心寺まで約1.2キロと近く、湘南にいつでも会える至近距離」

とあります。 ※「湘南」は山内一豊の養子で、妙心寺に入った僧。

 おそらく現地名から推定されたのだと思います。
 上記の記載だけを読めば、多くの読者は「なるほど」と思われるかも知れません。

 楠戸氏のこの見解の是非について、論じました。

 結論は「非」です。

 こんな場所に土佐国主の正妻だった人が住むわけがありません。
 京都の歴史地理がわかっていたら絶対にしないミスをなさっておられます。

 ではどこか。
 もちろん特定しました。
 新旧の地図を使用して、「絶対ここです」といいました。

 具体的な場所は、いまは「企業ヒミツ」です。

 でもそれほど難しい答えではありません。
 歴史研究の基礎的な手法を使えば、たぶんどなたでもわかります。

 25分で終了。
 そのあとは節分行事、「お化け」が始まりました。
 つぎつぎと舞妓さんがやってきて「芸」を披露くださいました。

 楽しかった、というより、勉強になりました。

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2006.02.02

河原町、2つのなじみ店が閉店

1/31(火)つづき
 河原町通六角の「京宝ビル」閉鎖の日。
 近々、取り壊されます。

 1階のブックファーストも閉店。  
 駸々堂京宝店以来の店舗です。
 20年通い続けました。

 学部生のとき、バイトしたこともあります。 
 思い出があふれるほどあります。

 最後の最後まで、店員に追い出されるまでいました。
 もっともお世話になった「日本史」コーナーは記念写真を撮りました。
 3ヵ月前から本日まで、拙著が並んだのを見れたのは、最後のよき思い出となりました。

 河原町三条下る二筋目東入る南側の、なじみの居酒屋「凱旋門」に立ち寄る。
 ここで店長足立氏より、2/20をもって閉店することになった、と告げられる。

 「(絶句)」。

 何ということだ。

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2006.02.01

A知教育大学生の京都巡検に同行

1/31(火)雨のちくもり
 A知教育大学の地理学科の学生さん、17名上洛。
 同大学A先生の依頼で、この学生さんたち対象に歴史地理の巡検を実施しました。

 最初に、京都の「はし」と「真ん中」を案内しますと宣言。

 まずは「はし」。
 北区の惣構(御土居堀)の遺構へ。

 鷹峯の和菓子店、光悦堂「御土居餅」に立ち寄る。
 みなさんに振舞う。

 僕は食べないでおこうと思っていたら、店主さんに勧められてご馳走になってしまいました。

 北西隅の部分の土塁・堀に立ち入る。
 所有する焼肉店「有明」(ラウンジ「オアシス」)さんのご好意です。
  http://www.kyoto-ariake.jp/

 前日夜、社長森田清さんに急にお願いにあがりましたところ、快諾をいただきました。

 昼食は佛教大学の学食で。
 「安い、安い」と連発。

「うまい、うまい」とはいわれなかった。

 午後、船岡山へ。
 平安京建設の中軸線の基準といわれています。

 いま問題となっている「船岡山マンション」の横を通り、千本通を南下。
 千本閻魔堂、釈迦堂をへて、一条通へ。

 ここから「真ん中」へ。
 平安宮跡、そして聚楽第跡に入ります。
 聚楽第の堀跡と推定されるくぼ地を登り降りして、幻の城郭を体感。

 中立売通を東から西へ。
 すなわち東堀跡から西堀跡を縦断します。
 三井文庫蔵の「聚楽第図屏風」に描かれた殿舎群の中を通ったことになります。

 「聚楽第図屏風」のコピーを片手に、天守閣跡推定地を遠望。
 おおー、の声がもれる。
 
 最後は平安宮跡中心部へ。
 「応天門炎上」を体感しましょう。 

 会昌門跡に立ち、南上空を見上げる。
 「伴大納言絵巻」は、ここから官人たちが炎上を見上げるシーンを描きます。
 同じ姿勢をとったわけです。

 まもなくJR二条駅。
 JR京都駅へ移り解散。

 本日は5キロメートル弱の行程でした。
 お疲れだったことでしょう。

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