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2006.01.02

ドラマ「河井継之助」評

 年末27日に放映された「河井継之助」を見ました。

 まずはさすが中村勘三郎さん、と思いました。
 正直、勘三郎さんは、僕の河井継之助イメージとは大きくかけ離れていました。
 しかし拝見して、イメージを裏切らない、独特な河井継之助を演じておられました。

 ドラマの中身について。
 比較的入手しやすい河井継之助の良質な伝記は、安藤英男氏校注『塵壺―河井継之助日記』(東洋文庫257、平凡社、1974年初刷)です。

 ドラマに登場したエピソードは、同書所載の安藤英男氏「河井継之助小伝」に取り上げられたものが大半で、事実かどうかは別にして、オーソドックスな河井像だったといえます。

 念のため申し上げておきますと、万延元年(1860)に坂本龍馬と出会ったのはフィクションです。

 残念なのは北越戦争以前がながすぎ、本ドラマがもっとも描きたかったであろう、「平和論者」河井像の説得力がうすかったところです。

 2時間ドラマなのだからあんなに網羅的でなくてよかったのでは。
 坂本龍馬や山田方谷の登場、笠岡牧野家との衝突、小林虎三郎宅の罹災など、全体のなかではどうでもよい話が多すぎた、そのためいいたいことが分かりにくくなったと思います。

 その上で本当に「平和論者」でよいのか。
 中立に失敗したからといって、「平和論者」がどうして奥羽列藩同盟に加わり、城と城下町、住民を被災させ、長岡を事実上滅亡に追い込んだのか、その説明ができていません。

 大河「義経」もそうでしたね。
 平和論者義経として描いているのに、自分のせいで平泉が滅亡に瀕していることに気遣いもしない。

 「平和」で歴史上の人物を描くのは無理です。

 河井には万延1年(1860)執筆とされている、4月7日付書簡があります。

 これには「攘夷」を「愚蒙」といいきり、
「外国との御交際は、必然、免れざる御義」、
「追々、外人を真似て、風態・制度の一変せん事、或いは近きに在るか」、
「今日の洋風・洋式も、十年の後には怪しく無き者に至る可きか」とあります。

 さらに「公卿も覇府も之れ無く、政道御一新、上下一統、富国強兵に出精を要する事、第一義」とあり、
徳川政府(いわゆる幕府)と朝廷の統一=政令一途、富国強兵を説いています。
(前記『塵壺―河井継之助日記』213~214ページ)

 これが事実ならおそるべき卓見です。
 偽書か年代がちがうのではないかとうたがいたくなるほどです。

 この人物が北越戦争を、「義」によってのみおこしたというのはなかなか理解が難しい。

 そこが人間の面白さだと思いますので、「平和論」とはちがう視点でこのあたりを丁寧に描いてくださるともっとよかったなぁと思いました。

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