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2006.01.31

天皇家は2600年も続いていない

 昨日のTVタックル(テレビ朝日)の女性・女系天皇の議論を聴く。
 
 僕は「究極の選択」みたいな議論に関わる気はない。
 だからお前はどう思うとかと聞かれても答えない。

 でもいいたいことがある。
 出演の政治家やコラムニストが「天皇家は2600年つづいてきた」という発言です。

 「古事記」「日本書紀」に出てくる、神武天皇の即位以来といっているわけです。
 ばかいったらいかん。

 2600年前は縄文時代です。
 そんなとき「天皇」(大王でもいいです)はこの世にいません。

 2600年以来の天皇家というのは、「古事記」「日本書紀」の創作です。
 
 戦後の歴史教育のなかでも、古代史は比較的事実を客観的に伝えてきた分野です。
 その成果を無視するのですか。

 無視するなら、ほかも無視してください。
 都合の良い選択はやめてください。

 卑弥呼が活躍した弥生時代、西暦240年頃以前に「天皇」(大王)はいないのです。
 
 せめて天皇制は1700年つづいているのだ、といってください。
 この知識を前提にしない論客の話しは聴けません。
 他にも都合の良いウソ、事実誤認があるだろうと思え、こわくて聴聞の対象になりえません。

 天皇の地位をねらったのは「道鏡」だけだ、小泉純一郎は平成の道鏡だ、なんて発言があったと思います。
 室町時代の足利義満の「皇位簒奪」をご存じないのです。
  (今谷明氏『室町の王権』中公新書を参照のこと)

 そんな無知識の方が、娯楽政治番組とはいえ、コメンテーターとして発言しているのです。
 「こわい」と思って当然でしょう。

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2006.01.30

陳腐な「大河」―恋愛結婚への疑問

 2006年大河ドラマ「功名が辻」第4回を見る。
 山内一豊と妻が恋愛の末、結ばれるというシーンを見る。

 陳腐だ。
 歴史ドラマの主人公夫婦はなぜ恋愛結婚でないといけないのか。
 「見合」でもいいじゃないか。
 その方が「現実」的でしょう。

 ついでに。
 これみよがしな持って行き方もどうかと思う。
 婚礼前に渡された「現金」。
 
 これで馬を買うのだなと誰でもわかる。
 もっとこっそりやってほしかった。

 それでも分かったはずだ。
 「山内一豊の妻」には、有名すぎるぐらいのネタなのだから。

 こんな時代ドラマを楽しいと思う人が本当に多数いるのか。
 信じがたい。

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2006.01.29

坂本龍馬講座、京都見学会を行う

1/28(土)
 月1度、栄中日文化センターで「坂本龍馬」講座をしております。

 が、教室での講義には限界があります。
 それゆえ、中日文化センターとは無関係に、京都で現地講義を行うことにしました。

 本日がその日です。
 名古屋から京都は決して近いとはいえません。

 参加者はおそらく数名、と思われました。
 ところが20余名もの参加がありました。
 
 午前中は伏見。
 寺田屋で遭難した龍馬は伏見薩摩屋敷へ逃れます。
 龍馬の手紙、同行した三吉慎造の日記、龍馬の妻おりょうの回想を筆記した記録を各所で朗読しながら歩きました。
 現地で史料を読む、これは僕が先生から習った学習法です。
 意外なほど臨場感がでます。
 1度おためしあれ。

 午後からは洛中へ。
 夕方4時半まで河原町三条近辺を歩きました。
 
 何度も歩いたコースですが、何度歩いても、その都度あらたな「発見」があります。
 よい日でした。

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2006.01.28

『地理』に拙著の書評が載る

 地理学の一般向け雑誌に『地理』(古今書院)というものがあります。
 その本年2月号に、拙著『御土居堀ものがたり』の書評が載りました(116ページ)。

 評者は駒沢大学の小田匡保先生です。
 直接ご連絡をいただき、掲載を知りました。

 小田先生とは一面識だけあります。
 その際のお話まで載っていました。
 
 好意的な書評です。
 どうぞご一読ください。

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2006.01.27

金沢城下町の惣構の話しをする

1/26(木)はれ
 栄中日文化センターでの「古地図」講座がありました。

 今回は金沢。
 城下町となる以前、御山御坊と寺内町のお話からはじめ、城下町がぐるりと土塁と堀=惣構(そうがまえ)に囲まれていたことなど、いっぷう変わった金沢城下町論をいたしました。
(参考:中村武生『御土居堀ものがたり』98~102ページ、京都新聞出版センター、2005年)

 先日の大阪市立大学のCOEシンポで、金沢城下町の惣構復興計画を聞きました。
 本日、その内容もふれさせていただきました。

 来月、早くもその報告書が刊行されるそうです。
 報告書をもって、今一度、金沢の惣構を一周しようと思っています。

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2006.01.26

盛り上がった打ち合わせ会

1/25(水)
 午後1時、佛教大学鷹陵館で、八尾市立歴史民俗資料館のRさんと会う。
 3月5日に、同館の山科本願寺・寺内町跡見学会の講師を頼まれています。
 その打ち合わせです。
 本当は、同館のK・Tさんが来られる予定でしたが、お風邪の由です。

 とても話しが盛り上がり、信じがたいことですが、6時過ぎまでご一緒しました。
 コーヒー一杯で。
 
 そのあとお別れし、単身、JR「花園」駅前の市立右京ふれあい文化会館に移動。
 「三宅日記輪読会」に参加です。
 1922年(大正11)4月条の途中まで読みました。

 帰途は、馬代一条のお好み焼き店「ジャンボ」に寄りました。
 超人気店で、いつ行っても行列なのですが、本日は並ばずに席につけました。

 明日は名古屋の栄中日文化センターの講座です。
 パワーポイントのスライドをつくらなければいけないのですが、疲れてしまって寝てしまいました。
 明朝早く起きてつくります。

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2006.01.25

能「誓願寺」を拝見する

1/22(日)(つづき)
 午後3時から、烏丸今出川上ルの河村能楽堂へ行く。

 実は能を拝見するのははじめてです。
 お招きをいただいたので、参上しました。 
 
 河村隆司氏による「誓願寺」です。

 いま寺町に執着しており、「見てみたい」と思っていたところでした。
 まったくタイムリー。

 よい経験をさせていただきました。

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2006.01.23

ライブドア、堀江社長逮捕

 テレビをつけっぱなしにして、原稿を執筆。

 そのテレビが、ライブドアの堀江社長逮捕を報ずる。

 衝撃は大きい。
 思うこと甚大。
 言葉にならない。

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センター入試、日本史Bを試してみる

1/22(日)はれ

 昨日から大学センター入試試験が始まっています。
 今朝の京都新聞朝刊に、前日行われた問題と解答がすでに掲載されています。

 さっそく「日本史B」に挑戦しました。
 毎年、必ず挑戦します。
 これを教えている者として、自身の実力を試しておかなければなりません。

 ほっとしました。
 結果は100点。

 名古屋の中日文化センターの受講生の方から、「親としては、満点取れない先生に子どもを教えてほしくない」といわれたことがあります。
 納得できます。
 とりあえず合格ですね。

 ただしそれは、1度解いたあと、誤解がないか、採点前に確認をしたからです。
 必ずしも一室にこもり「緊張」して解いていないので、実はこの段階では、6問の誤りがありました。
 間一髪です。

 受験生のみなさん、「必ず間違っている」と思って再確認をしてください。

 とくに怖いのが正誤問題。
 「正しいもの」を選ぶのか、「誤っているもの」を選ぶのか、しつこく確認してください。
 僕はこれを見落とし、半分誤りかけました。
 
 今回は、前日にN市の某所で3問の練習問題を解きました。
 そこで解説した中世都市「十三湊」に関する出題がありました。

 「たくさん問題をしたから、1問ぐらいは明日のセンター入試で出ると思いますよ」といいましたが、当たったことになります。

 健闘を祈ります。

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2006.01.22

御土居堀を考える講座終了

1月21日(土)はれ
 御土居堀を考える講座。

 参加者30名。
 多くがはじめての方。
 京都新聞の案内をみてこられた由。
 ありがたいこと。

 寺町今出川の本満寺から、寺町丸太町まで、土塁跡を歩く。
 好評でした。

 終わってから最後まで残っておられた方数名と喫茶店に行く。

 次回は来月です。

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2006.01.20

D大のA先生の奥さんと会う

1/19(木)こゆき
 京都駅から地下鉄に乗り席に座ると、見たことがある女性。
 気のせいかも知れない。

 いや、むこうも会釈したぞ。

 はて、どなただ。
 「A・Wの妻です」。

 おお、失礼しました。
 D大学のA先生の奥さん、でした。

 A先生は博士論文を提出され、数日前、口頭試問が終わられた由。
 これからO大学の方たちと祝賀会があり、奥さんもそれに参加されるそうです。

 おめでとうございます。
 よろしくお伝えください、と申し、お別れする。

 ひとごとであってはいかんのですが、。

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2006.01.19

近江長浜を歩き、感傷的

1/17(火)はれ
 滋賀県長浜市へ行く。

 12時着。
 さっそく鳥喜多へ。
 本店休み。支店へ行く。
 親子丼、とりなんば注文。
 やっぱりうまい。
 それで1000円でおつりがあるのです。

 慶雲館の庭園に寄る。
 近代の庭園ですが、先日国の名勝に答申されました。
 まもなく指定されます。
 盆梅展をしていましたが、寄らず。

 市立長浜城歴史博物館へ。
 学芸員、太田浩司氏を訪ねる。

 いま山内一豊展をしています。
 その妻、見性院のことで疑問点があったので尋ねる。
 さすが太田氏。
 ちゃんと答えを示してくれました。

 旧城下町を歩く。
 北国街道を下る。
 このあたりは観光整備されていないので好きです。

 下村邸跡、長陽園、滋賀県最大の豪商・下郷伝平邸をのぞき、再び北国街道へ戻り北上。
 大手道から一燈園・西田天香の幼少期の旧宅地を通る。

 西田天香の建碑は先年、長浜市によってなされましたが、この地にはない。
 偏向的だ。

 そのあと書店・文泉堂をひやかし、大通寺へ。
 大通寺で日が暮れました。

 長浜は研究上のいくつかの「故郷」のひとつです。
 いろんなことを思い、感傷的でさえありました。

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2006.01.18

【講座】御土居堀跡を歩く

今週末、次のイベントを行います。
どうぞご参加ください。

御土居堀を考える講座
 「載らなかった『御土居堀ものがたり』現地見学会」

【趣旨】ご好評頂いている拙著『御土居堀ものがたり』。
    刊行直前に新たに判明したいくつかの事実があります。
    もちろん同書には掲載できませんでした。
    その内容については、前回の講座でお話をいたしました。
    今回はその現地見学を行います。

案内:中村武生(佛教大学文学部非常勤講師、日本史・歴史地理)
集合:2006年1月21日(土)午後1時、京阪出町柳駅改札口

見学予定地:御土居堀跡を寺町今出川から寺町御池あたりまで歩きます。
        (みどころは盧山寺、本満寺など)
参加費:カンパ500円ていど
小雨決行
主催:御土居堀研究会(代表:中村武生)

※本日『京都新聞』朝刊、市民版ワイド「まちかど」欄に掲載されました(17版、22面)。

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2006.01.17

アクセス増、御礼

 最近、アクセスカウントが増えている。
 めったに300を超えることってないのに、昨日は321、その前日も319。
 ブログランキングの点数もずっと1200を超えている。

 驚きつつ、感謝申し上げます。

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2006.01.16

1日中外出せず、自宅でお仕事

1/15(日)はれ
 昨日とうって変わっての晴天。
 ところが締め切り原稿2つに追われて、室内でそれに没頭。
 外出できず。

 夜の11時にようやく終え、メールでお送りする。

 明日は久しぶりの天理大学の講義。
 夜の11時30分からその準備に入ります。
 
 完成したのは朝3時30分。
 パワーポイントでスライド作成。
 少しはみやすい講義になるでしょう。

 さあ寝ます。

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2006.01.15

京都史蹟隊、雨の中実施

1/14(土)あめ
京都史蹟隊の巡検の日。

 京都市中、大雨。
 
 ほとんど参加者はいないだろう。
 今日は中止だな。
 ますば集合場所に行こう。
 1人か2人はおられるかも知れません。
 そのときはご相談して喫茶でもしよう、と思っていました。

 ところが計7人もお越しで、 そのうちお2人は名古屋から、岡山と横浜からもそれぞれお1人ずつ。
 全国区のイベントですね。 
 これは中止にするわけにはいきません。
 大雨のなか、でかけていきました。

 まずは古高俊太郎邸跡碑。 
 「古高俊太郎邸跡碑」の横には真新しい解説板が建てられていました。

 この解説板については僕も少し関係しました。
 その製作を依頼された業者さんから、内容についてメールで質問を受けたからです。
 
 ただ残念ながらご質問をいただいた内容についてお答えをいたす前に、業者さんからのメールが途絶えました。
 おそらく僕の思いが通じなかったためでしょう。
 現実に建てられた解説文に、事実に反する記載をみつけました。
 誠に残念です。

 ひきつづき、中岡慎太郎寓居跡碑 ⇒ 本間精一郎遭難地碑 ⇒土佐藩邸跡碑 ⇒ 坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地碑 ⇒ 藤本鉄石寓居跡碑 ⇒ 西川耕蔵邸跡碑 と歩きました。

 ここで1度休憩することにしました。

 河原町三条東入ルの映画館の横を通る。
 本日は三谷幸喜氏の新作映画開演の日です。
 その行列をみながら、となりの喫茶店に入りました。

 初対面どうしの方も多く、自己紹介をして親睦を深めました。
 いっこうに雨はやまないので、また雨の中、でかけていきます。再開。 

 そのあとは、池田屋騒動之址碑 ⇒ 坂本龍馬寓居跡碑 ⇒ 瑞泉寺「豊臣秀次公墓」門前碑 ⇒ 佐久間象山・大村益次郎遭難碑道標 ⇒ 吉村寅太郎寓居跡碑 ⇒ 武市瑞山先生寓居之跡碑 ⇒ 佐久間象山寓居跡碑 ⇒ 加賀藩邸跡碑 ⇒ 長州屋敷跡碑 ⇒ 桂小五郎銅像 ⇒ 国史蹟高瀬川一之船入 ⇒ 佐久間象山・大村益次郎遭難碑 ⇒ 兵部大輔従三位大村益次郎公遺址碑 ⇒ 幾松旅館

まで行き、そこで解散。
 雨天ゆえに不便なこといっぱいでしたが、楽しくすごせました。
 
 終了後は京都市にお住まいのお2人と懇親会に行きました。

次回、京都史蹟講座は以下のとおりです。
またぜひお越しください。

「亡父の遺志、京都に石碑を建立す・その1―『三宅安兵衛遺志』碑と三宅清治郎―」

【内容】京都府下の石碑の裏面をみると、驚くほど出会う「三宅安兵衛遺志」の碑。
それもそのはず。約400基も建てられていたからです。
三宅安兵衛とはいったい何者でしょう。
その最新成果を語ります。

講師:中村武生(佛教大学文学部非常勤講師、日本史・歴史地理)
日時:本年2月25日(土)午後0時30分~1時40分
場所:キャンパスプラザ京都・5階演習室
     〒600-8216京都市下京区西洞院通塩小路下ル
(JR京都駅ビル駐車場西側・京都中央郵便局西側) TEL(075)353-9111
参加費:500円
※事前申し込み不要。直接お越しください。
主催:京都史蹟隊(隊長・中村武生)

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2006.01.14

京都、大雨です

1/14(土)
 京都市内、雨です。
 本日、午後1時から第2回京都史蹟隊があります。
 
 小雨決行ですが、いまはむしろ大雨です。
 決行するかどうかは、午後1時段階での天候と参加者の意欲次第です。

 僕はきちんと集合場所に行きますので。
 よろしくお願いします。

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2006.01.13

京都寺町に長州武士の墓が忘れられて存在

1/12(木)はれ

muen

 すごいですね。午前3時台なのに、ブログ人気ランキング早くも1230点です。
 (右上のその場所をクリックしてみてください。
 私のちまたでも話題になっております)

 JR京都駅前での京都検定対策講座の打ち合わせのあと、中京区の寺町通蛸薬師へ。

 目的は、誠心院(じょうしんいん)という寺院です。
 「和泉式部墓」とされる宝篋印塔があることで有名です。

 この寺には池田屋事件戦死者の墓碑があります。
 吉岡正助(庄祐)といいます。
 
 「不逞浪士」ではなく、正規の長州毛利屋敷の下役人でした。
 職員として公儀に届けられていたわけです。
 ですから治外法権に守られていました。

 それにもかかわらず、池田屋事件の夜、彼は四条劇場前で飲んでいたところを公儀役人に斬殺されたのです。 これは非常識な行為で、京都留守居役、乃美織江は当然町奉行に抗議しています。

 そんなわけなので、同じく池田屋事件で死に長州屋敷が死体を確保できた吉田稔麿や杉山松介はひそかに東山霊明舎に埋葬されましたが、吉岡は堂々とこの寺町寺院に埋葬され墓石もつくられました。  

 話しがながくなりました。
 当寺の長州人の墓といえば吉岡のことばかり注目されていますが、実は彼だけではありません。
 少なくとも「長州」と刻まれた武士6人の墓碑があります。
 その全てはいま無縁仏となり、台石がはずされ一ヵ所にまとめてられています(写真)。
 すべて無名の人です。

 おそらく京都屋敷の役人で、在職中に客死したのでしょう。
 この人たちは京都でどんな仕事をして、どのように亡くなったのでしょう。

 江戸屋敷の実態研究はとても進みました。
 が、江戸時代の京都屋敷の研究は、おどろくほど行われていません。

 これは氷山の一角でしょう。
 長州以外にも、もっともっと多くの京都の大名屋敷の役人の墓が忘れられて寺町寺院その他に存在しているはずです。
 
 江戸時代の京都研究はなされるべきです。

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2006.01.12

金閣放火事件を考える

1/11(水)はれ
佛教大学、新年最初の講義。

 鹿苑寺舎利殿(金閣)放火事件を取り上げる。
 1950年(昭和25)7月2日のことです。

 事件をおこしたのは大谷大学の学生で、鹿苑寺所属の若い僧Hでした。
 事件から半日後、左大文字で逮捕され西陣署に送られました。

 すなわち当時の本学学生の生活圏内でおきた事件だったのです(本学は前年大学に昇格)。
 ところが事件はもとより、現存の金閣が戦後の再建であることさえ知らない学生が少なくありません。
 鹿苑寺に参拝したことのない学生もいました。

 犯人Hの母は事件の翌日、保津峡に投身自殺。入獄したHは獄中で精神を病み、釈放ののちはそのまま宇治市の精神科に入院、翌年そこで病死します。
 その死から、この3月でちようど50年になります。

 地理的に事件のまっただなかにあった大学の学生として、これは知っておくべきだと思い取り上げました。
 たまたま6年前に放映された「驚きもものき20世紀」という番組がこの事件を丁寧に取り上げていたので、この上映も行って理解を助けました。
 僕は毎回講義の感想文を書かせていますが、今回は 予想外に反響の大きい講義となりました。

 なお余談ですが、国宝建造物の焼失ですので、当時の新聞紙は各社トップで事件を報じました。
 産経新聞は住職村上慈海のインタビューに成功し、それを掲載しました。

 その担当記者は、当時の同社宗教担当だった福田定一でした。
 おわかりですね。
 若き日の司馬遼太郎(1923-1998)です。

 来週も視点を変えて鹿苑寺を取り上げます。
 本年度の講義、最終回です。

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2006.01.11

1190点、人気ブログランキング

 人気ブログランキングの最近の数値はすごい。
 首位はもちろんだが、本日も1190点もついている。

 右上の「人気ブログランキング」をクリックしてみてください。
 事実ですので。

 訪問者数はそれほど変わっていないのに。
 ありがたいことだ。

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京都検定対応講座に悩む

1/10(火)はれ
 京都検定対応講座の通信教育教材の打ち合わせに行く。

 具体的に進むと、諸問題に気づくものだ。
 さてどうしたものか。
 
 喫茶店に入って考える。

 何とかなりそうな気がしてきた。

 が、はたして本当か。

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2006.01.10

京都・歴史の道を歩く、現地講座の打ち合わせ

1/9(月・祝)はれ

 京都駅前のホテルの喫茶店で、朝日カルチャーセンターのH氏とお会いする。

 4月から「京都・歴史の道を歩く」(仮)という現地講座を行います。
 その打ち合わせです。
 たいへん盛り上がり、4時間もお話しをしました。

 予定内容は、
  1江戸からの長旅おわる―東海道(三条街道)

  2ミヤコの城壁・堀と「七口」―御土居堀

  3龍馬、新選組の上洛ルート―伏見街道
 
  4明智光秀の本能寺攻め―丹波街道(山陰道)
  
  5幕末長州の京都攻撃・禁門の変―西国街道

  6徳川と新政府の激突・鳥羽・伏見戦争―大坂街道(鳥羽街道)
です。

 夕方は、上洛中のT大学のT先生と2人っきりで夕食会。
 大変もりあがり、とても魅力的な「決定」をする。

 あたたかい日でした。

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2006.01.09

【見学会】京都明治維新史蹟の誕生

 近日、次のようなイベントを行います。
 どうぞおこしください。
 ※1月11日(水)、『京都新聞』朝刊・市民版ワイド「まちかど」欄に案内が載りました(17版・20面)。

第2回京都史蹟講座
「京都明治維新史蹟の誕生、現地見学会」

【趣旨】1910年代、京都市教育会によって、市内各所への建碑がはじまります。
事業の一環で、河原町三条・四条界隈に多数の明治維新史蹟碑が建ちました。
その意味と、推進者のひとりである郷土史家寺井萬次郎に注目します。
 
     詳しくは、先月の第1回京都史蹟講座でお話ししました。
     今回はその関係地の見学です。
     第1回京都史蹟講座にこられなかった方も、どうぞお越しください。

案内: 中村武生(佛教大学文学部非常勤講師、日本史・歴史地理)
集合: 2006年1月14日(土)午後1時、京阪四条駅中央改札口
     ※事前予約不要です。直接お越しください。

解散: 午後4時頃 地下鉄「市役所前」駅付近

【見学予定地】京阪四条駅 ⇒ 古高俊太郎邸跡碑 ⇒ 中岡慎太郎寓居跡碑 ⇒ 本間精一郎遭難地碑 ⇒土佐藩邸跡碑 ⇒ 坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地碑 ⇒ 後藤象二郎寓居跡碑旧建立地 ⇒ 坂本龍馬寓居跡碑 ⇒ 池田屋騒動之址碑 ⇒ 藤本鉄石寓居跡碑 ⇒ 西川耕蔵邸跡碑 ⇒ 佐久間象山・大村益次郎遭難碑道標 ⇒ 吉村寅太郎寓居跡碑 ⇒ 佐久間象山寓居跡碑 ⇒ 加賀藩邸跡碑 ⇒ 長州屋敷跡碑 ⇒ 佐久間象山・大村益次郎遭難碑 ⇒ 幾松旅館⇒ 高瀬川開鑿角倉邸跡碑 ⇒ 地下鉄「市役所前」駅解散

参加費: 500円
小雨決行
※終了後、懇親会を予定しています。

主催: 京都史蹟隊(隊長・中村武生)

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ブログランキング910点で1位

1/8(日)
 ブログランキング、久しぶりに910点にもなっていて驚きました。
 もちろん1位。
 「へーっ」というのが正直な感想。
 クリックくださるみなさんのおかげです。

 みられたことのない方は、よろしければ右上の「ブログランキング」をクリックしてみてください。
 いまの点数と順位がわかります。

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2006.01.08

坂本龍馬講座の「宿題」回答

 栄中日文化センター講座のあとはいつも「茶話会」をやっております。
 教室では「一方通行」ですので、茶話会で受講生との会話を楽しんでおります。

 昨日の「坂本龍馬」のあとも行いました。
 10余人の参加。

 さてそのとき2つの質問がありました。
 即答できませんでした。
 帰宅し答えがわかりましたので、この場でお答えします。

 ①慶応2年(1866)12月4日付、坂本乙女など宛、坂本龍馬書簡の「当時天下之人物と云ハ」に、「越前にてハ三岡八郎、長谷部勘右衛門」とあります(宮地佐一郎『龍馬の手紙』、PHP文庫、1995年、212ページ)。

 この越前の長谷部勘右衛門とは誰か。
  うかつなことでした。
  寺社町奉行の長谷部甚平のことです。

  文久3年(1863)5月~7月、越前松平家の率兵上洛計画の関係者のひとりです。
  失敗し、三岡八郎(由利公正)らと蟄居を命じられるのです。

  詳しくは、高木不二氏『横井小楠と松平春嶽』(吉川弘文館、2600円+税 2005年)をご覧下さい。
  

②津の偕楽公園にある「孝女登勢」の碑
  伏見寺田屋のお登勢とはまったく別人です。

以上です。

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2006.01.07

龍馬と天誅組の乱を語る

 名古屋市の栄中日文化センターの日。
 家を出ると、京都市北区は大雪。積雪。
 新幹線は大丈夫か。

 京都駅(下京区)につくと雪はなし。
 この差に大変驚く。

 無事名古屋に着く。
 天誅組の乱と坂本龍馬の話をする。
 池内蔵太、上田宗児(宗虎、後藤深蔵)、伊吹周吉(石田英吉)らのこと、おそらく熱弁しました。

 坂本龍馬は天誅組の乱にかなりの思いいれがあったにちがいない。
 が、これを特記した人は皆無に近い。

 最近、上記3人とは別に天誅組の乱と坂本龍馬を結ぶ物語にきづきました。
 まだペーパーにしていないネタです。
 そのお話をしようとしたところタイムオーバー。 

 とても時間がたりませんでした。
 また次回。

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2006.01.06

惣構を町づくりにいかす、原稿提出

1/6(金)
 大阪市立大学大学院文学研究科COEのシンポジウム「都市城壁(惣構)を町づくりにいかす」が、去る11/23(水)にありました。

 その報告書の原稿、ようやく書き上げ、本日メールで提出いたしました。
 今月刊行だそうで、コーディネーターのN・H先生にはご迷惑をおかけしました。

 まだ締め切りすぎた仕事が山積しています。
 つぎの仕事に立ち向かう。

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2006.01.05

イチロー出演の古畑任三郎

1/4(水)

 イチロー出演の「古畑任三郎」を見る。
 やっぱりよかった。
 三谷さんはすばらしい。

 東山五条下ル、馬町の「佐藤継信・忠信兄弟の墓」旧所在地へゆく。
 大きな衝撃をうける。

 この話はまたあらためて。

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2006.01.04

「土方歳三最期の一日」評

 1/3(火)
 ドラマ「新選組!! 土方歳三最期の一日」を見ました。
 
 久しぶりに新選組を考える機会を得て、ありがたかった。
 大河終了後、さすがに考えること少なくなっていましたから。

 幕末の浪士集団を考える上で、新選組は大事なキーマンです。
 僕の研究テーマのひとつに「浪人集団論」があります。
 だから新選組を考えることは、僕にとって大事なことなのです。

 失礼だがドラマとしてはおもしろくなかった。
 型にはまった解釈と、事実誤認に好感をもてないからです。

 土方と大鳥圭介が対立していた事実はありません。
 司馬遼太郎『燃えよ剣』には類似の表記があります。
 通常の土方像と同じく、あいかわらず『燃えよ剣』にひきづられたのでしょう。
 違うなら申し訳ありません。
 
 劇中、榎本武揚は、土方は「民に迷惑をかけることをいつも気にしている」といった。
 大鳥「新選組といえば京の町で乱暴狼藉をくりかえした無頼の集まりじゃなかったのか」。 
 これに対して永井尚志は「それはちがう。決して京の人には迷惑をかけなかった。」

 大鳥「私の聞いていた話とはちがいますな。商家を襲ってゆすりまがいのことをしていたらしいではないですか」
 永井「それは芹沢鴨だ。新選組になる前の壬生浪士組の頃の話です。近藤たちは自ら厳しい法度をもうけ、武士としてあるまじきふるまいを厳しく戒めておりました。彼らは決して無頼の輩ではない。」
 大鳥「・・・・」。

 まったく事実ではない。
 芹沢以後の新選組が、契約をやぶって壬生寺に迷惑をかけていたことは周知のことです。
 (京都国立博物館特別展図録『新選組』、2003年、59-60ページ)

 また大坂の商人から、
「近藤勇ト申人押がり被致、誠ニ〃〃市中めいわく、御公儀御用金半へ御公儀同様より厳敷禁裏御警衛なりと、扨〃ミな〃〃大めいわくの事」(『幕末維新大阪町人記録』78ページ)といわれ、

 借金を断った京都の三井両替店に対して、
 「いささかのことをかれこれと、六条(西本願寺)の足軽のようなものを取り扱うような対応をしたと聞いた。今後はおまえの方から申し出てきても、金は借りないからな」(意訳)
と近藤・土方は捨て台詞をはいた。
(「新選組金談一件」『三井文庫論叢』37、222ページ)

 事実を隠し「英雄」視してどうなりますか。 

 長州・土佐の過激志士だって同じようなことをしている。
 だからどうでもいいことなのです。
 「ゆすり・たかり」は。

 新選組は「無頼じゃない」、というところですでに狭量です。

 それより思想です。歴史的位置付けです。
 民に迷惑をかけようが、新選組や長州・土佐の過激志士は歴史上重要な存在です。

 今日の「古畑任三郎」はよかった。
 失礼ですが、三谷幸喜さんは実在の人物を扱ってはいけない。
 「新選組」では、三谷さんのよさがかき消される。
 惜しい。

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2006.01.03

ブログカウント、319に感謝

 いま昨日のブログカウントをみましたら、319でした。

 いつもは200前後です。
 多くても250程度です。

 訪問くださったみなさん、ありがとうございました。

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たらたら坂、また見つかる

1/2(月)

taratara5

 ブログの読者Mさんからメールを頂きました。
 他にも「たらたら坂」がありますよ。

 えっ。

 いわれて初めて気づく。
 やはりよく知った場所なのです。
 でもそういう意識で通ったことがない。

 さっそく確認にゆく。
 たしかにそうです。
 階段になっているので段差になっているのが写真でもよく分かる(写真)。

 「たらたら坂」、かなり情報が集まってきました。
 もうすぐ週間K紙に京都の江戸時代について連載をいたします。

 そこでまとめて論じましょう。

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2006.01.02

ドラマ「河井継之助」評

 年末27日に放映された「河井継之助」を見ました。

 まずはさすが中村勘三郎さん、と思いました。
 正直、勘三郎さんは、僕の河井継之助イメージとは大きくかけ離れていました。
 しかし拝見して、イメージを裏切らない、独特な河井継之助を演じておられました。

 ドラマの中身について。
 比較的入手しやすい河井継之助の良質な伝記は、安藤英男氏校注『塵壺―河井継之助日記』(東洋文庫257、平凡社、1974年初刷)です。

 ドラマに登場したエピソードは、同書所載の安藤英男氏「河井継之助小伝」に取り上げられたものが大半で、事実かどうかは別にして、オーソドックスな河井像だったといえます。

 念のため申し上げておきますと、万延元年(1860)に坂本龍馬と出会ったのはフィクションです。

 残念なのは北越戦争以前がながすぎ、本ドラマがもっとも描きたかったであろう、「平和論者」河井像の説得力がうすかったところです。

 2時間ドラマなのだからあんなに網羅的でなくてよかったのでは。
 坂本龍馬や山田方谷の登場、笠岡牧野家との衝突、小林虎三郎宅の罹災など、全体のなかではどうでもよい話が多すぎた、そのためいいたいことが分かりにくくなったと思います。

 その上で本当に「平和論者」でよいのか。
 中立に失敗したからといって、「平和論者」がどうして奥羽列藩同盟に加わり、城と城下町、住民を被災させ、長岡を事実上滅亡に追い込んだのか、その説明ができていません。

 大河「義経」もそうでしたね。
 平和論者義経として描いているのに、自分のせいで平泉が滅亡に瀕していることに気遣いもしない。

 「平和」で歴史上の人物を描くのは無理です。

 河井には万延1年(1860)執筆とされている、4月7日付書簡があります。

 これには「攘夷」を「愚蒙」といいきり、
「外国との御交際は、必然、免れざる御義」、
「追々、外人を真似て、風態・制度の一変せん事、或いは近きに在るか」、
「今日の洋風・洋式も、十年の後には怪しく無き者に至る可きか」とあります。

 さらに「公卿も覇府も之れ無く、政道御一新、上下一統、富国強兵に出精を要する事、第一義」とあり、
徳川政府(いわゆる幕府)と朝廷の統一=政令一途、富国強兵を説いています。
(前記『塵壺―河井継之助日記』213~214ページ)

 これが事実ならおそるべき卓見です。
 偽書か年代がちがうのではないかとうたがいたくなるほどです。

 この人物が北越戦争を、「義」によってのみおこしたというのはなかなか理解が難しい。

 そこが人間の面白さだと思いますので、「平和論」とはちがう視点でこのあたりを丁寧に描いてくださるともっとよかったなぁと思いました。

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2006.01.01

大河「新選組」を振り返る

2006/1/1(日)はれ

toshi

 元旦早々、書店に行き、三谷幸喜氏『冷や汗の向こう側』(三谷幸喜のありふれた生活4、朝日新聞社、2005年12月)を見つける。

 一昨年の大河ドラマ「新選組」脚本執筆当時のエッセーが満載でしたので、購入。
 スターバックスでさっそく読む。

 「新選組」は楽しかった。
 が、不満も多数あった。

 史実のことはこの際、いいません。
 それはしょうがない。
 あえていえば、維新史が分かる適切なブレーンがいらっしゃったらと思います。

 史実とは別の、いくつかの不満や疑問に思っていたことについて論及があり、謎がとける。
 気持ちよし。
 (勝手ながら)三谷さんは好意のもてるよい人にちがいない。

 三谷さんの「王様のレストラン」や「古畑任三郎」は大好きです。
 三ヶ月単位のドラマや、数時間のスペシャルこそお力が発揮できるのでは、と思います。

 1/3、大河「新選組」の続編、「土方歳三最期の一日」が放映されます。

 これは1時間半のスペシャルです。
 本編より完成度は高いのではと、けっこう楽しみにしています。

(写真はNHKウイークリー『ステラ』年末年始特別編集版より)

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