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2006.01.08

坂本龍馬講座の「宿題」回答

 栄中日文化センター講座のあとはいつも「茶話会」をやっております。
 教室では「一方通行」ですので、茶話会で受講生との会話を楽しんでおります。

 昨日の「坂本龍馬」のあとも行いました。
 10余人の参加。

 さてそのとき2つの質問がありました。
 即答できませんでした。
 帰宅し答えがわかりましたので、この場でお答えします。

 ①慶応2年(1866)12月4日付、坂本乙女など宛、坂本龍馬書簡の「当時天下之人物と云ハ」に、「越前にてハ三岡八郎、長谷部勘右衛門」とあります(宮地佐一郎『龍馬の手紙』、PHP文庫、1995年、212ページ)。

 この越前の長谷部勘右衛門とは誰か。
  うかつなことでした。
  寺社町奉行の長谷部甚平のことです。

  文久3年(1863)5月~7月、越前松平家の率兵上洛計画の関係者のひとりです。
  失敗し、三岡八郎(由利公正)らと蟄居を命じられるのです。

  詳しくは、高木不二氏『横井小楠と松平春嶽』(吉川弘文館、2600円+税 2005年)をご覧下さい。
  

②津の偕楽公園にある「孝女登勢」の碑
  伏見寺田屋のお登勢とはまったく別人です。

以上です。

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