山科寺内町の中心部の遺構をみる
12/10(土)
午前10時30分頃、山科へ。
山科本願寺・寺内町跡のうち、中心部分(第一郭、いわゆる「御本寺」地区)で建物跡などが出土したと知り、現地見学会に行きました。
調査区はせまいのですが、貴重な遺構・遺物がいくつも見れました(写真、東から。クリックしてください。拡大します)。
柱跡を示す穴は、掘っ立て柱と礎石建ちがあったことを示しています。
それが一時期のものか、2期以上にわたるのかはわかりません。
しかし「御本寺」地区は、創建者の蓮如以来、約50年間維持されていたわけですから、一度も建物の立替がなかったとはいいにくいですね。
建物の資材の一部と思われる磚(せん。レンガのようなもの)もいくつか転がっていました。
この地が焼けたことを示す焼土層もあり、なかなか見ごたえのある遺跡でした。
(山科本願寺・寺内町は天文元年=1532に焼失しています)
この附近には山科本願寺・寺内町の中心建物、すなわち御影堂、阿弥陀堂、寝殿などがあったと考えられています。
おそらく今回の遺構は、それらか、それに付随する「何か」です。
* * *
この地にはこれから新築の建物が建つようです。
が、遺構は地下に眠るようです。
破壊されないということです。
発掘は国庫補助金で行われたそうです。
文化庁は「山科本願寺・寺内町遺跡」(一部が国史跡)を大事に扱ってくださっているようです。
将来見つかるであろう中心建物の遺構を、破壊することなく、永久に守る手立てを今から考えていただくよう願っております。
帰りに、現存する土塁を見に行きました。
最近まであったM書店が移転し、その環境が変わっていました。
ショベルカーが動き、堀跡が改修されていました(写真2)。
後世に山科本願寺・寺内町遺跡はどの程度残せるでしょうか。
ふと、もう10年近くもそのことを気にしているなぁと、きづきました。
(山科本願寺・寺内町の歴史を学ぶ会は、1997年春にはじまりました。)
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