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2005.12.31

2005年の回顧

12/31(土)

KOZA

 本年最後の日。
 
 大変な1年でした。
 一生忘れられない年になることは間違いない。

 『御土居堀ものがたり』は初の単著刊行で、よい経験になりました。
 すでに次の単著計画もいくつかあり、とまらず歩きつづけなければと思います。

 刊行論文は「吉田稔麿論」が1本。
 中学生のころから関心のあったこの人物を論じたことは、思いの深いことでした。

 「池田屋事件ノート―『御所向放火』をめぐって」をまとめました。
 古高俊太郎の供述に対する原口清氏の御説への反論です。
 某所に提出し、いま査読中です。

 三宅清治郎建立碑および西村芳次郎の本格論文は、完成せず、年をこします。
 これはくやしいことです。

 短文では、カッパ研究会の「カッパが語る京の水」(『京都新聞』夕刊連載)に参加したことが楽しかったです。
 思い入れの深い「水」―牛若丸誕生井、壺井、梅雨の井、鷹峯薬園の井戸―を取り上げ、その顕彰・保存を訴える機会となりました。
 これはカッパ研究会編で単行本として刊行予定と聞いています。

 研究会報告などもいくつかこなしました。
 3月、立命館大学のCOEで、防災の視点での御土居堀について。
 11月は近代京都研究会で、京都市教育会碑について。大阪市立大学のCOEでは御土居堀を利用したまちづくり計画について。
 これらの活字化はこれからです。

  9月の中世都市研究会は、予定していた「豊臣三都論」の報告が都合でできませんでした。
 関係者のみなさんにはご迷惑をおかけしました。

 生活の面では何よりも京都市に帰ってきたことが大きい。
 京都を研究対象にしているものとして、その地の暑い・寒いを生活として知ることは重要です。
 2度と離れないようにしなければ、と思います。

 本ブログ、読者のみなさんにどれだけ支えられたか知れません。

 「趣味」や「ひまつぶし」で営んでいるのではありません。
 そんな時間があれば・・・と揶揄した人がありました。
 が、好きだけで毎日継続することは絶対に困難です。
 「日課」と思って維持してきました。
 それでも途切れる日々がありました。 

 すべては読んでくださる読者のみなさんの期待に応え、毎日対話するためです。

 語るべきことはあふれるほどありますが、この辺で。

 ご愛読ありがとうございました。
 来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2005.12.30

京都に住んで京都の研究をする意味

12/30(木)はれ

taratara2

 京都の「謎」のひとつに、新京極三条の「たらたら坂(たらたらおり)」というのがあります(写真、南から撮影)。
 南へのゆるい坂です。
 ご存知でしょうか。

 何が謎かというと、西となりの寺町三条には、南へ下っても坂がないのです。
 
 なぜか。
 京都の歴史地理を把握していれば、意味がすぐわかります。
 
 「寺町通と新京極通はとなりどうしなのに」、と思うから「謎」になっちゃうのです。
 となりどうしかも知れませんが、来歴はまったく違います。

 寺町通は、前身の道路(東京極大路)の時代から数えると、1000年以上の歴史があります。
 が、新京極通はわずか100年ていどしかありません(近世の誓願寺旧境内)。
 
 新京極通の地は、1000年前は鴨川の河原です。都市域ではありません。
 
 簡潔に答えをいうと、鴨河原を通る三条通がぬかるまないように土地を高く上げたのです。
 そのなごりが残って、この付近の三条通の南北は坂になっているのです。

 寺町三条に坂がないのは、そこは鴨河原ではなく、平安時代以来の都市域なので三条通との落差がないのです。

 いまこの付近は建物が密集しているので、新京極三条の「たらたら坂」以外は三条通の南北の傾斜を見つけにくい。
 だから分かりづらいのです。

 田中緑紅『新京極今昔語』その2(緑紅叢書4の5(41号)、1962年、京を語る会)19-20ページをご参照ください。
 舌足らずなところがありますが、説明されています。

 最近、この「たらたら坂(たらたらおり)」に関心があり、少し追求をしていました。
 大学の講義でも取り上げました。
 
 ところで本日、ナント、ほかの場所で「傾斜」をみつけたのです。
 とても驚きました。

 というのも、普段とても頻繁に通っていたところだったからです。
 坂である認識もほとんどしていませんでした。

 ところが本日、偶然「坂だ」と気づきました。
 つぎの瞬間「あっ!!」と叫ぶ。
 「これも『たらたら坂』だ!」。

 京都はこんなところです。
 問題意識をもつと、「日常」のなかから突然数百年の痕跡が出現するのです。
 なんと奥の深いところか。

 知っていたはずなのに。
 京都は気づかないだけで、どこにでも「史蹟」が落ちていると。
 
 でも目の当たりにすると、やはり衝撃を受けます。

 以前、進学を希望したとき、京都の研究をするので京都の大学院を志望しました。
 するとある人から、大学は自分の研究を理解してくれる先生のいる場所を選ぶものだ、京都の大学に進学する必要はない、研究対象にするならその都度行けばいいのだ、と指摘されました。

 もちろんご指導は一理あると思います。
 でも僕は研究対象地に住んで、その地で日常生活を送りながら研究を進めることに意味があると思いました。
 
 今日ほどその認識に間違いがない、と思ったことはありません。

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2005.12.29

小泉内閣まで駆け足で語る

12/28(水)はれ

 N市へ行く。
 高校生に、幣原喜重郎内閣から小泉純一郎内閣まで、駆け足で語る。

 駆け足で語っても質問さえない。
 つまらない。

 大学受験をする高校生に、現職の内閣まで語ったことは初めてです。
 教える側ですが、今回大変勉強になりました。

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2005.12.28

公職追放令までおはなし

12/27(火)はれ・小雪

 今日もN市へ。
 本日は、1946年1月の公職追放令までお話。

 明日で終わりです。

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2005.12.27

リアクションの少ない高校生

12/26(月)はれ

 今日はS市へ家庭教師に。
 大変ですが頑張ってください。

 つづいてN市へ。
 また高校生に日本史を語る。
 今日は国際連盟脱退まで。

 このあたりは感情が入ります。
 聞いている側は、困惑するのでしょうね。
 こんな授業は慣れてないでしょうから。

 関心があるのかないのか、質問もない。
 あるとすれば「最後まで終わるのか(現代まで進むのか)」ぐらい。

 もちろん終わらせますよ。
 でもそんなつまらないことだけ聞かず、内容について質問においでよ。
 理解できているはずないのだから。

 でもまあ、大学生もたまに質問があると試験に関することですから、当世学生気質なのでしょう。

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2005.12.26

乃木希典だけでも数時間語りたいのに

12/25(日)はれ
 
 冬休みに入りました。
 夕方からN市へ行く。

 高校生に日本史を教える。
 日露戦争からワシントン会議まで。

 「乃木希典」だけでも数時間語りたいのに、ふれるだけ。
(それでも常識上では少々マニア)

 つまらない世界だ。

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2005.12.25

霊明社調査、帰りにひさごへ行く

12/24(土)小雪

hisago

 霊明神社調査の一環で、府立総合資料館へ行く。
 また司書松田万智子氏のお世話になる。

 白川哲夫氏「招魂社の役割と構造-「戦没者慰霊」の再検討-」(『日本史研究』503号、2004年)の存在を教えていただく。
 恥ずかしながら、1年以上も気づかず読んでいませんした。
 
 よい論文です。勉強になりました。
 地方の招魂社は靖国神社のミニ版で、国家レベルの「戦没者慰霊」ピラミッドのひとつと理解していました。
 誤解だということがよくわかりました。

 本論文では霊明神社はふれるていどにとどめておられましたが、無関係ではありません。
 私の霊明神社調査・研究も、好む・好まない関係なく、「戦没者慰霊」研究史のなかに位置づけられるのだということを理解しました。
 
 夕方から東山霊山へ。
 霊明神社墓地の調査のためです。
 土佐招魂社の旧地を探す目的でした(いまは護国神社内へ移動)。

 現在の霊明神社の神道墓地がそれに相当すると思いますが、どのような変化をへて、いまにいたるのか、よく分かりません。
 神道墓地には明治ゼロ年代の維新政府関係者の墓石があります。
 これらはどうして護国神社内へ移動されなかったのか、など不思議なことだらけです。

 近くの祇園下河原町の「ひさご」へ移動。
 先日臨時休業でしたので。
 本日は開いていました。

 親子丼とそばを注文。
 親子丼、うまかった。

 が、値は少しいただけない。
 場所柄というのもあるかも知れませんが、親子丼一品に900円近くというのは理解できない。

 そばはたいした味ではなかった。

 長浜の鳥喜多に行きたくなりました。
 これは安くてうまい。

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2005.12.24

室町時代の名水を探す

yasaka

 ある研究会で、「室町時代の京都の井戸」の抽出が可能か検討しています。

 江戸時代の地誌類などの「伝承」はだめです。
 確実なものを取り上げたいのです。
 
 ところが仮に中世の公家日記などに「○○水」と出てきたとしても、場所の特定がきわめて困難です。
 地図に落とせないのです。

 そんなとき、「八坂塔絵図(法観寺参詣曼荼羅)」という図のことを思い出しました。
 東山に現存する八坂塔と、その周辺を描写した室町時代製作の図です。

 これを見ますと、祇園社ちかくの双林寺の南門前に、「菊澗水」と張り紙があります。
 井戸らしいものは描かれていませんが、いまも東山から鴨川に流れ込む菊谷川という川が描かれていて、その橋のひとつに貼られています。

 これはすごい。
 これが事実なら、確実な室町時代の「水」のひとつを特定したことになります。

 これがいまも現存するものかは不明です。
 附近には名水といわれるものがいくつかあります。
 が、「菊澗水」と同一かどうか。

 「菊澗水」は、この調査をする上でよいテストケースになるかも知れません。

 なお「八坂塔絵図(法観寺参詣曼荼羅)」は、京都文化博物館図録『京都・激動の中世』(山田邦和氏編、1996年11月、53ページ)に掲載されています。

 ご関心のある方はどうぞご覧ください(写真は雪の八坂塔附近。東山霊山から)。

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2005.12.23

金閣、雪の美

12/22(木)

syariden1
 
 京都大雪。
 北区各所で凍結。
 千本北大路交差点では、信号待ちの車が発進できず警察の世話になっているのを見かける。

 こんな日に人と待ち合わせ。
 
 東山霊山へ向かう。
 雪の霊山は、はじめて。
 25年も通っているのに。

 お客はわれわれを含めてわずか4名。
 京都の眺望をほとんどひとりじめ。

 霊明社村上家の墓所を参拝しつつ、写真をとりまくる。
 こんな墓所景観は珍しい。

 参拝後、祇園下河原の「ひさご」で親子丼を食べるつもりだったが、臨時休業で泣く泣くあきらめ。
 大雪のなかタクシーを拾う。

 タクシー、チェーンをまいている。
 この10年間、チェーンをまいたのは4回ほどだそうだ。
 それほど珍しい日なのだ、今日は。

 寺町三条に出、喫茶「スマート」2階でランチを食べる。
 最高の場所のひとつです。
 
 そのあと地下鉄とバスを乗り継いで北山鹿苑寺へ。
 金閣(舎利殿)の雪景色をみる。
 ちょうど太陽の光が建物に直撃する時間帯。
 美しい。

 建物より、その周囲の山林が。
 輝きが山林に反射し、緑に黄色が加わっている。

 完全に凍結した参道をおそるおそる通り抜け、「御土居」跡を通って佛教大学へ。
 喫茶室でコーヒーを飲む。

 まだ日暮れには時間がある。
 北区大宮土居町に残る土塁と堀を見に行く。
 真っ白です。

 たまたまカギが開いていたのでよじ登る。
 雪国の道のよう。
 長靴ならともかく、革靴であがるなんてムチャもいいところ。
 お連れさんは迷惑なことだったろう。

 夕方5時が過ぎたので、お連れさんと別れ、京都府庁へ向かう。
 K研究会の臨時会議があったため。
 議論をつくし、ある企画に反対する。
 賛同者多く、中止となる。
 ただし企画変更し、もっと高度なものを目指すこととなる。
 楽しいこと。

 夜は懇親会。
 忘れにくい一日になりました。

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2005.12.22

京都大雪なり

12/22(木)

snow2

 大雪です。
 まちがいなく今冬最大。
 これは本日外出できない。
 
 いや、外出びよりかも。

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2005.12.21

卒業論文提出打ち上げに参加

12/20(火)はれ
 
 本日は佛教大学学部卒業論文、修士論文提出日。
 歴史地理学、渡邊秀一先生の研究室の打ち上げ飲み会に誘われる。
 この研究室に卒論を提出した学生を過去に教えているので、喜んで参加する。

 自身の卒論・修論提出した日のことを思い出す。

 卒論は胸張って出しました。
 でも大学院で専攻を改めたので、卒論の内容はながく活字になりませんでした。
 近年ようやくまとめ出し、その最も中身のつまったものは数日前ようやく某所に提出したところです。
 卒論提出から15年もたってしまいました。
 
 修論は提出大変でした。
 一時は提出をあきらめましたが、当時の恩師の励ましや友人たちの協力もえて、なんとか提出できました。

 なんてことを、毎年12/19・20が来ると考えます。
 ともあれ提出した諸君、ご苦労様。おめでとう。

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2005.12.20

幕末絵師冷泉為恭の最期地を歩く

12/19(月)
 朝から雪。
 ほかにも理由があるけれど、とにかく雪が降るのでバスで最寄の駅へゆく。
 いつもは自転車です。

 天理大学の日。
 本年最後。
 幕末の天誅事件に巻き込まれた復古大和絵の絵師、冷泉為恭(れいぜい・ためちか、岡田式部)の暗殺地が天理大学のそばです。

 これの見学に、隠れ家の内山永久寺跡の旧参道から、上街道を通っていきます。

 単に関連の文献史料を読むだけでなく、使える史料を吟味し、その上で「現場」を特定。
 ついでに犠牲者(冷泉為恭)のその地までの足取りも明確にする。
 そして歩く、立つ。

 これを講義で実践し、手法を伝えることが歴史学科における「歴史地理」教育のあるべき姿のひとつと思っております(天理大は歴史文化学科)。

 とはいえ、寒いのに、早足で道案内するこの教員に、多くの学生さんは反発していることでしよう。

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2005.12.19

京都・北区、積雪・凍結

12/18(日)ゆき→はれ→くもり→ゆき

unrin

 山科へ向かいます。
 各所で雪が(写真は雲林院)。
 
 路面の凍結にびっくり。
 おそるおそる通ります。
 スリップ・転倒はごめんです。
toketsu

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2005.12.18

京都は2度めの積雪

12/18(日)

snow

 朝おきてびっくり。
 積雪です。
 昨夜雪が降ったようです。

 室内で仕事をしていたので、まったくきづきませんでした。
 今朝は快晴なので、もう解けにかかっていますが、それでも白、白、白です。

 本日は午後から、山科本願寺・寺内町を考える市民の会主催の講演会(山科区)に行きます。
 太田浩司(おおた・ひろし)氏「湖北一向一揆と真宗の展開」があります。

 太田さんは僕の親友兼恩人です。
 市立長浜城歴史博物館学芸員です。

 長浜は来年の大河ドラマ「功名ケ辻」の主舞台になりますので、今その関連業務で超多忙。
 そんななか「親友」中村の願いに応じてきてくださいます。

 よろしければおこしください。

【案内】
 第53回市民講演会
 ・日時:12月18日(日)14:00~16:00
 ・会場:ラクト山科B棟6階コミュニティルーム
 ・講師:太田浩司氏(市立長浜城歴史博物館学芸員)
 ・講題:湖北一向一揆と真宗の展開
 ・見学会を行なう予定です。

 ※事前連絡は不要です。直接会場にお越し下さい。
 ※カンパ500円程度ご用意ください。
 ※主催:山科本願寺・寺内町を考える市民の会
   http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/3870/

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2005.12.17

ようやくファックスを設置する

 ようやく拙宅にファックスがつきました。
 メールがあるし無くてもいいか、と思っていたのですが、全然そんなことはありませんでした。
 
 自宅が事務所みたいな生活をしているのに、なくてすむわけがない。
 その都度、コンビニにいくのも疲れてきました。
 相手方に封書で送ってくださいというのも申し訳なくなってきました。

 というわけで本日からファックスのある生活です。
 さきほど友人から第1号が送られてきました。
 無事動いています。

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2005.12.16

会津若松城下町の話をする

12/15(木)はれ

 栄中日文化センター「古地図講座」の日。
 本日は、会津若松城下町について。

 江戸城紅葉山文庫にあった同城下町正保図が、戊辰戦争の時新政府軍に持ち出され、現地に放置された話など、城下町の歴史、特徴についてお話しました。

 過去に同城下町を訪れた際、戊辰の激戦地「十六橋」から山道を通って入りました。
 新政府軍と同じルートを通ったわけです。

 途中、旧滝沢本陣(国史蹟)に入りました。
 柱に生々しい刀傷がありました。
 会津松平家の武士の行為とはとうてい思えず、解説の通り新政府軍によるものでしょう。
 
 あの不快感は忘れられません。

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2005.12.15

京都の地震はいつ起きても不思議は無い

12/14(水)はれ

 佛教大学へ出講。
 京都の地震の話をしました。
 
 京都は地震が起きないと思っている方がおられます。
 とんでもない。

 平安時代以来、70~80年の間に一度以上大きな地震が起きてきました。
 
 最後に起きた大地震は文政13年(1830)です。
 詳しくは三木晴男氏『京都大地震』(思文閣出版、1979年)をご覧下さい。

 もう170年以上、大きな地震が起きていません。
 いつ起きても不思議ではありません。

 活断層の上には住まないようにしましょう。
 国土地理院編『都市圏活断層図』が役に立ちます。
 おうちが該当しないか、1度ご覧ください。

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2005.12.14

明日も「京都」で仕事をします

 来秋、こども京都検定がはじまると、京都地下鉄に吊革広告が出ていました。
 すごいことですね。

 批判することはたやすく、かえって陳腐な気もするので、せいぜい楽しみたいと思います。

 明日も佛教大学で「京都」の歴史地理を論じます。
 夜はある酒席へ、京都の歴史を1時間お話しにうかがいます。

 大好きな京都を知りたくてはじめた世界でした。
 それを仕事にできていることを心よりうれしく思います。

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2005.12.13

京都検定1級の記述問題のひとつ

12/12(月)はれ

 本日の『京都新聞』夕刊によると、昨日の京都検定1級の記述問題3問の1つに、豊臣秀吉の京都都市改造が問われた由です。

 思わず声をあげました。 
 僕はそれについて論文を書いております(「豊臣秀吉の京都都市改造」、日本史研究会編『豊臣秀吉と京都』所収、文理閣、2001年)。

 最近まとめた初の単著もまた、そのネタです(『御土居堀ものがたり』京都新聞出版センター)。 
 
 つまり専門の1つです。 
 どうやら僕は「京都検定」むきの研究をしてきたようですね。

いいすぎですか。

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2005.12.12

京都検定終わりましたね

12/11(日)はれ

 京都検定の日でしたね。
 僕は受験をいたしませんが、周辺の少なくない方々が受験されることを聞いていました。
 今年は昨年より難度があがったようですね。

 来年度から、京都検定に対応した講義を、JR京都駅前の民間カルチャースクールで担当することになりました。

 だから最近は、関心がおきてきました。
 すでに昨年の過去問にはあたりましたし、各出版社が世に送った今年の予想問題もいくらかはさせていただきました。

 さてどの程度予想問題はあたったのでしょう。
 昨年の問題と今年の問題は内容上どれほど変化があったのでしょう。

 これから検討に入ります。

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2005.12.11

山科寺内町の中心部の遺構をみる

12/10(土)

gohonzi1

 午前10時30分頃、山科へ。
 山科本願寺・寺内町跡のうち、中心部分(第一郭、いわゆる「御本寺」地区)で建物跡などが出土したと知り、現地見学会に行きました。

 調査区はせまいのですが、貴重な遺構・遺物がいくつも見れました(写真、東から。クリックしてください。拡大します)。

 柱跡を示す穴は、掘っ立て柱と礎石建ちがあったことを示しています。
 それが一時期のものか、2期以上にわたるのかはわかりません。

 しかし「御本寺」地区は、創建者の蓮如以来、約50年間維持されていたわけですから、一度も建物の立替がなかったとはいいにくいですね。
 
 建物の資材の一部と思われる磚(せん。レンガのようなもの)もいくつか転がっていました。
 この地が焼けたことを示す焼土層もあり、なかなか見ごたえのある遺跡でした。
(山科本願寺・寺内町は天文元年=1532に焼失しています)

 この附近には山科本願寺・寺内町の中心建物、すなわち御影堂、阿弥陀堂、寝殿などがあったと考えられています。
 おそらく今回の遺構は、それらか、それに付随する「何か」です。

* * *
 この地にはこれから新築の建物が建つようです。
 が、遺構は地下に眠るようです。
 破壊されないということです。

 発掘は国庫補助金で行われたそうです。
 文化庁は「山科本願寺・寺内町遺跡」(一部が国史跡)を大事に扱ってくださっているようです。

 将来見つかるであろう中心建物の遺構を、破壊することなく、永久に守る手立てを今から考えていただくよう願っております。

 帰りに、現存する土塁を見に行きました。

gohonzi12

 最近まであったM書店が移転し、その環境が変わっていました。
 ショベルカーが動き、堀跡が改修されていました(写真2)。

 後世に山科本願寺・寺内町遺跡はどの程度残せるでしょうか。

 ふと、もう10年近くもそのことを気にしているなぁと、きづきました。
(山科本願寺・寺内町の歴史を学ぶ会は、1997年春にはじまりました。)

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2005.12.10

山科本願寺・寺内町跡の現地説明会があります

みなさま
本日、山科本願寺・寺内町跡の現地説明会があります。
http://www.kyoto-arc.or.jp/(京都市埋蔵文化財研究所のサイト)

yamashina

 第一郭(いわゆる「御本寺」地区」)跡から、庭園遺構の一部と思われる遺構や溝,土壙などが確認された由です。
 新聞などによれば、建物跡も出土したらしい。
 当該箇所は御影堂、阿弥陀堂、寝殿など中心施設が位置したと推定される場所です。
 もしや今回の遺構は!?・・・・・と期待がもたれます。

 産経新聞は大阪版でも第一面でした(しかもカラー写真。上記写真。クリックしてください)。
 京都新聞でも社会面(写真はモノクロ)なのに。
 これは異例のことです。

 ぜひ参加ください。
 僕もうかがいます。

日  時 平成17年12月10日 (土) 午前10時~11時
場  所 京都市山科区西野山階町
問い合せ 財団法人京都市埋蔵文化財研究所 ・075-415-0521
     現場事務所           ・090-5324-7920
交通案内
・「四条河原町」から京阪バス
 『82C』9時42分  『86・86B』9時13分
・「山科駅」から京阪バス
 『29』9時15分・45分
・地下鉄東西線「東野駅」最寄りのバス停「国道東野」から京阪バス
 『29』9時21分・51分  『82』9時41分
 『82C』9時11分  『86』9時32分
いずれもバス停「山科西野」下車 東へ徒歩約5分
または地下鉄東西線「東野駅」から西へ徒歩約15分 (距離約630m)

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2005.12.09

来年度のお仕事を調整中

 この時期は、来年度の仕事依頼がやってきます。

 とくにこの数日は集中しました。
 どこまで可能か、その調整に終始した感があります。

 僕に期待してくださる方々に、何とか応えたいと思っております。

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2005.12.08

京都駅地下通路に拙著が鎮座

12/7(水)はれ
 天気予報に拠れば午後から雨だったので、自転車に乗らずバスで動いたのに、降らなかった。

kyotos

 京都駅の地下通路を歩いていると、京都新聞出版センターの出版物展示ウインドウに出会う。
 なんと拙著『御土居堀ものがたり』が、中央に鎮座していた(写真、クリックすると拡大します)。

 京都新聞出版センターのいまのおススメ、NO.1のひとつということか。

 初版印刷3千部のうち、2千部が市場に流れている由。
 ネット上でも話題になったり、個人的な書評を見かけるようになった。

 ありがたいことだ。

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2005.12.07

維新期、東山霊山の景観変遷を調査中

 去る12/4(日)、雨天のなか、午後から京都府立総合資料館へ行く。

ryozen

 京都・東山霊山(りょうぜん)の「霊明社(霊明神社)」の継続調査です。
 同社は、坂本龍馬など幕末志士の遺体を埋葬し、祭祀を行ってきました。

 いまこの附近は、霊山護国神社や霊山歴史館が設置され、幕末から明治初年の様相と大きく変わっています。
 どのように景観が変遷していったのか、について検討しています。

 それを知る史料・絵図が総合資料館にあると、同館司書で友人の松田万智子さんから連絡がありました。
 ゆえに訪れ、拝見しました。

 さすが総合資料館。
 京都府庁文書やそれに関係する資料の宝庫。
 いろいろ分からなかったことが分かってきました。

 もちろんまだまだ分からないことだけらけですが、少しずつイメージが具体化してきます。
 詳細はまた後日(写真は霊山のいま)。

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2005.12.06

京都・初雪です

12/6(火)
 
 昨夜からみぞれが降っておりましたが、今朝起きてびっくり。
 積雪じゃないですか。

 今冬、初雪です。

 まだ降っているのですが、それでも屋根からつぎつぎと雪が落ちています。
 
 今日は外出しにくいなぁ。

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2005.12.05

京都明治維新史蹟の誕生(講演)

近日、京都の史蹟を学ぶ講座を開始します。ふるってご参加ください。

suya

タイトル:「京都明治維新史蹟の誕生-京都市教育会の建碑事業と寺井萬次郎-」

日 時:本年12月10日(土)午後1時30分~3時
講  師:中村武生(佛教大学文学部非常勤講師)
会  場:キャンパラプラザ京都 4階 第4講義室
所在地 :京都市下京区西洞院通塩小路下ル(JR京都駅ビル駐車場西側)
      電話075-353-9111
参加費:500円

※京都の史蹟の奥深さを学ぶ講座です。
  今後、月1回行います。
  原則として、まず室内での学習会を1回行い、次回(あるいは次々回も)その舞台地を見学する、というスタイルを取ります。
  予約はいりません。直接お越しください。
  もちろん現地見学会のみの参加もけっこうです。

 主催:京都史蹟隊(隊長・中村武生)

(写真は、坂本龍馬寓居跡、旧酢屋嘉兵衛宅)

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2005.12.04

坂本龍馬研究の「いま」を伝える

12/3(土)はれ

2005102804

 腰、少し痛みやわらぐ。

 栄中日文化センターの日。
 のぞみで名古屋市へ。
 「坂本龍馬講座」の3回目です。

 大久保一翁の大政奉還論、および勝海舟と龍馬の関係について論じました。

 その前に、自分の維新史調査のニュース速報を行います。

坂本龍馬の墓は、いま京都霊山護国神社の社地になっていますが、維新前はちがいました。
 正法寺(時宗)の境内にあった「霊明社(霊明神社)」(千坪)でした。

 維新後、すぐそばに東山招魂社(いまの京都霊山護国神社)が創建され、政府によって霊明社(霊明神社)の土地の大半が没収(上知)されてしまうのです。

 なぜ坂本龍馬などはこの地に埋葬されるのか。
 その事情は、幕末期の霊明社(霊明神社)を検討しないと分かりません。

 京都市歴史資料館には、「霊明神社文書」の写真版が所蔵されています。
 最近、その記録を読んでいます。
 まだ分からないことばかりですが、少し分かったことがありましたので、それをお話しました。
 (写真は現在の霊明神社)

 感銘を受けました、と中日文化センターの聴講者にお伝えいたしました。

 「大日本維新史料稿本」は維新史料の宝庫です。
 京都におりながら、これが手の届くところにあることを、天に感謝します。

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2005.12.03

寒いのか、腰と腿が痛む

12/2(金)一時雨
 
 急に寒くなったためらしい。
 11/29夜から腰と腿が痛い。

 学習の姿勢も関係があるようだ。
 座っていると痛みが強くなる。
 立ちっぱなしで授業しても、悪化しない。

 N市で、高校生に日本史を教える。
 
 速やかにあるべきなのに、ついつい余計なことをいう。 
 一夜にして大阪遷都計画がふっとんだこと、首都東京には「誕生日」がないことなど、入試に関係ないことをいいました。
 高校生「へーっ」という顔もしない。

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2005.12.02

大日本維新史料稿本を閲覧する

12/1(木)はれ
 
 Y市教育委員会のTさんのおともで、国際日本文化研究センター(略称、日文研)へ行きました。
 「大日本維新史料稿本」のマイクロを閲覧するためです。

 「大日本維新史料稿本」(全4217冊)は、戦前の維新史料編纂会がまとめた、明治維新史研究のための史料集の決定版です。
 いまにいたっても、これを無視して明治維新史研究はありえません。

 東京大学史料編纂所に所蔵されていますので、東京都文京区本郷に行かないとだめなのですが、マイクロがつくられたため、他大学でも閲覧が可能になりました。

 ところがその全てを所蔵している大学は、東大以外ではたった2つだけです。
 北海道大学と中央大学です。
 どちらも関東より東じゃないですか。
 関西の研究者には何の役にたちません。

 わが母校、佛教大学ももっていますが、弘化・嘉永・安政といった初期だけです。
 文久・元治・慶応を主たる研究対象にしている僕には、何にもなりません。

 どうしてそんなに所蔵地が少ないか。
 だって全865リールのセット価格、約2千万円ですから。

 「にせんまんえん?!」
という感じではないでしょうか。
 近所で使用すること、絶望していました。

 そんなとき、佛教大学A先生から朗報を頂きました。
 日文研にも全て入っているらしい、と。

 耳をうたがいました。
 さっそく確認。
 たしかにあるそうです。

 閲覧に行きました。ありました。うれしいーっ。
 ああ、京都に住んでいてよかった、こんな思いは初めてです。

* * * * 
 本日はTさんのお手伝いでしたが、予定より早く終わったので、僕の閲覧もしました。
 慶応3年11月15日条、すなわち龍馬暗殺の史料を閲覧・複写をいたしました。
 
 これまでほとんど世に流布していない史料が入っていました。
 満足・・・です。

 この成果は、明日午後からの名古屋の栄中日文化センター「龍馬講座」でご紹介いたしましょう。
 お客さん、お楽しみに。

 なお当マイクロは、一般の方でも利用できます。
 もよりの図書館から紹介状をもらわれたら良いようです。
 詳しくは日文研の図書館に直接お問い合わせください。
 (図書館資料利用係 075-335-2066)

 税金で購入されたものですからね。
 まじめに調査・研究される方は使われるべきです。

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