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2005.12.30

京都に住んで京都の研究をする意味

12/30(木)はれ

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 京都の「謎」のひとつに、新京極三条の「たらたら坂(たらたらおり)」というのがあります(写真、南から撮影)。
 南へのゆるい坂です。
 ご存知でしょうか。

 何が謎かというと、西となりの寺町三条には、南へ下っても坂がないのです。
 
 なぜか。
 京都の歴史地理を把握していれば、意味がすぐわかります。
 
 「寺町通と新京極通はとなりどうしなのに」、と思うから「謎」になっちゃうのです。
 となりどうしかも知れませんが、来歴はまったく違います。

 寺町通は、前身の道路(東京極大路)の時代から数えると、1000年以上の歴史があります。
 が、新京極通はわずか100年ていどしかありません(近世の誓願寺旧境内)。
 
 新京極通の地は、1000年前は鴨川の河原です。都市域ではありません。
 
 簡潔に答えをいうと、鴨河原を通る三条通がぬかるまないように土地を高く上げたのです。
 そのなごりが残って、この付近の三条通の南北は坂になっているのです。

 寺町三条に坂がないのは、そこは鴨河原ではなく、平安時代以来の都市域なので三条通との落差がないのです。

 いまこの付近は建物が密集しているので、新京極三条の「たらたら坂」以外は三条通の南北の傾斜を見つけにくい。
 だから分かりづらいのです。

 田中緑紅『新京極今昔語』その2(緑紅叢書4の5(41号)、1962年、京を語る会)19-20ページをご参照ください。
 舌足らずなところがありますが、説明されています。

 最近、この「たらたら坂(たらたらおり)」に関心があり、少し追求をしていました。
 大学の講義でも取り上げました。
 
 ところで本日、ナント、ほかの場所で「傾斜」をみつけたのです。
 とても驚きました。

 というのも、普段とても頻繁に通っていたところだったからです。
 坂である認識もほとんどしていませんでした。

 ところが本日、偶然「坂だ」と気づきました。
 つぎの瞬間「あっ!!」と叫ぶ。
 「これも『たらたら坂』だ!」。

 京都はこんなところです。
 問題意識をもつと、「日常」のなかから突然数百年の痕跡が出現するのです。
 なんと奥の深いところか。

 知っていたはずなのに。
 京都は気づかないだけで、どこにでも「史蹟」が落ちていると。
 
 でも目の当たりにすると、やはり衝撃を受けます。

 以前、進学を希望したとき、京都の研究をするので京都の大学院を志望しました。
 するとある人から、大学は自分の研究を理解してくれる先生のいる場所を選ぶものだ、京都の大学に進学する必要はない、研究対象にするならその都度行けばいいのだ、と指摘されました。

 もちろんご指導は一理あると思います。
 でも僕は研究対象地に住んで、その地で日常生活を送りながら研究を進めることに意味があると思いました。
 
 今日ほどその認識に間違いがない、と思ったことはありません。

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コメント

いつも拝見拝読しておりますが、お初にコメント失礼いたします。
「研究対象地に住んで、その地で日常生活を送りながら研究を進めることに意味があると思いました。」この一文に釘付けとなりました。
私、社会人ですが通信制の大学生でもあります。今春編入いたしました。

奈良に住み、奈良を学ぶという意欲だけは燃え盛っているのですが、どうにもこうにもレポートは進みません。つい、夏の楽しかったスクーリングの事などを思い出してぼーっとしてしまいます。

けれども、もう大丈夫です(だと思います)ぼんやりしている暇はない。さあ、テキストを開けましょう。古語辞典を年表を引き寄せましょう。
頑張りますよ!
また、このブログに遊びに来ますね。

投稿: 木の茶の丸 | 2006.01.08 23:39

なおみさん
 ご掲示のメールアドレスにお返事をいたしましたが、戻ってまいりました。
 届いておられますか。
 届いておられませんでしたら、通じているアドレスをご提示ください。
 よろしくお願いします。

投稿: 中村武生 | 2006.01.02 14:09

なおみさん
こんにちは。
 ご先祖のことお調べの由、ご奇特のことと存じます。
 個人メールでお返事申し上げます。

投稿: 中村武生 | 2006.01.02 13:38

はじめまして。歴史研究→ブログで検索して見つけました!
どうしても調べたい歴史があるのですが、ネットではわからず、調べ方もわからず・・・。ここに来ています。方法があったらぜひ教えていただきたいです。
私は錦の御旗の岡吉春の子孫、第二次大隈内閣の陸軍大臣岡市之助のひ孫にあたります。京都にお墓があるのですが、吉春以後何がどうなって今に至るのか、家族の間でも不明な点が多く、知りたくてなりません。
吉春は毛利の家臣だったはずで、いつから京都に住んでいたのかわからないし、そこから市之助に至る家族の歴史がわからないのです。
しかも、なぜ錦の御旗に関わることになったのか・・・・?何をどう調べたらよいのでしょう?

投稿: なおみ | 2006.01.02 05:02

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