伏見魚三楼の戊辰役の弾痕を見る
11/6(日)あめときどきくもり
伏見を歩くイベントの日(京エコロジーセンター主催)。
当初、定員24名。
定員オーバー後も申し込みがつづき、26名までは受け付けましたが、残りはお断りをしたそうです。
担当者H氏によると、この手の企画では初めてのことだそうです。
ところが当日、待ち合わせ場所に飛び入りが1人ありました。
さらに歩きながら、2人また飛び入りされ、計29人となりました。
これもすごい。
京阪電車「伏見桃山」駅で集合。
京町三丁目の魚三楼の鳥羽伏見戦争の弾痕を見に行きます(写真)。
伏見の町は同戦争で焼けたはず。
当ブログの読者は、これまで寺田屋の話しをさんざんしてきたので、ご存知のことと思います。
ではどうして弾痕が残っている?
ここで鳥羽伏見戦争当時の焼失範囲を示した瓦版(コピー)をみます(「本しらべ城州伏見大火の図」)。
徳川方の本拠である伏見奉行所の西側は、一帯が焼失範囲です。
ところが、わずかに戦火を免れた地域があります。
そこに「京町三丁目」がありました。
なるほど燃えなかったのか。
それなら弾痕が残っていても不思議はありません。
寺田屋などの事例を体験していると、こういう結果はとてもさわやかになります。
(つづく)
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