« 10月20日、書店に並びます | トップページ | 坂本龍馬逃亡ルートを探る »

2005.10.13

戊辰役で焼失した寺田屋

10/8(土)つづき

teradayaato

 中書島遊郭跡を通り、寺田屋に着きました。
 
 現在、寺田屋では、坂本龍馬が宿泊していた当時の建物のように説明しておられます。
 が、違います。
 幕末の建物は戊辰戦争(鳥羽伏見戦争)で焼失しているからです。

 位置もちがいます。
 幕末当時の位置は、現在石碑などが建てられている、現建物の東側の庭です(写真)。
 
 以前はよく知られていたようで、伏見町役場編『御大礼記念京都府伏見町誌』(1929年)にはっきりと記されてあります。
 「寺田屋遺址 字南浜 京橋北詰東に在り、現在の建物の東隣を遺址とす」(575ページ)

 現在の寺田屋さんの宣伝により、事実が抹消されてしまったのですね。
 すごいことです。

 根拠は2つあります。
 まず伏見戦争での焼失範囲を明示した絵図です。
 各種ありますが、ことごとく寺田屋附近は焼失範囲に入っています。

 もう1つ。
 京都府立総合資料館蔵の龍馬使用鍔(つば)の箱書きです。

 それには伏見の戦争の後、土中から掘り出したもの、という表現があります。
 常識的には、建物焼失のあと、焼け残ってそのまま土中に埋まったと理解すべきでしょう。

 この話しをすると必ず聞かれることがあります。

tokon

 「でも現在の建物には刀傷がありますよ?」

 簡単なことです。
 再建後に付いた(付けた?)ものです。

 寺田屋の建物は、坂本龍馬にかたよらず、広く、伏見港が「船のり場」として活用されていた頃をイメージできる貴重な遺構、というのが客観的評価だと思います。

fushimi17
 
 伏見の各所に散在する道標の多くに「船のり場」とあります。
 (写真はその1つで、右側「右 大阪舟のり場道」)

 それがどこを指すのか。
 寺田屋のまん前ですね。
 それをイメージするために、本当にありがたいものと思っています。
 
 もちろんそれではお客が集められなかったのかも知れません。

 「史蹟はつくられる」、を象徴する事象と思います。
 興味深い。
(つづく)

|

« 10月20日、書店に並びます | トップページ | 坂本龍馬逃亡ルートを探る »

コメント

 shimizuさん
 こんにちは。伏見にご関心をお持ちになられましたね。10月18日(火)締め切りですので、どうぞご検討ください。

投稿: 中村武生 | 2005.10.16 08:23

伏見はおもしろそうです。
21日行ってみようかな。
20日で仕事も一段落しそうだし。
午前の一仕事、時期を移せば・・・

投稿: shimizu | 2005.10.15 22:53

この記事へのコメントは終了しました。

« 10月20日、書店に並びます | トップページ | 坂本龍馬逃亡ルートを探る »