奨学院址碑、消失する
10/9(日)
市五郎神社に参拝(中京区西ノ京原町、国史蹟指定地、写真)。
土塁(御土居)が境内にあります。
あたかも土塁が神体のようです。
先日、拙著『御土居堀ものがたり』を謹呈しましたところ、改めて5冊のご注文を頂きました。
本日、お届けにあがったわけです。
帰途、千本三条の交差点に立ち寄りました。
ある変化がありました。
そこにパチンコ店がありました。
しばらく改装のため休業しておられました。
本日、新装開店されたようです。
そんなことに何の関心があるのか?
実は以前、ここには京都市教育会が戦前の大正6年(1917)3月に建立した、ある石碑が建っていたのです。
「従是西北 奨学院址」(これよりせいほく、しょうがくいんし)です。
奨学院は、在原行平(在原業平の兄)が創建した一族のための教育施設です。
以前のパチンコ店の改装では、1度石碑は撤去され、「後ろ向き」という劣悪な状態で再建されていました。
今回の改装で再び撤去されなければよいが、念じていたのです。
立ち寄ってみました。
ありません。
警備のおじさんに声をかけ聞いてみましたが、「しらんなぁ」。
ああ。
すでに無くなったことが確実な京都市教育会の建立碑は、以下の通りです(順不同)。
○北持明院殿址
○柴田鳩翁修斉舎址
○尊攘堂址
○此附近源義経堀川邸址
○林道春邸址
○豊臣秀吉築造京都市外郭御土居残きょ
○後藤象二郎寓居址
また増えてしまったということでしようか。
改めて関係者を訪ねてみないといけません。
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