伏見の史蹟を歩く、準備会に参加する
10/4(火)くもりのち雨
「伏見エコ宝さがし講座」というイベントが、今月21日(金)に行われます。
伏見を「探検」し、そのエコロジーのツアーコースをつくる、というものです。
主催は「京のアジェンダ21フォーラム事務所」と「京エコロジーセンター」です。
僕は、エコロジーの専門家ではありませんが、あまり知られていない伏見の史蹟をご紹介するということで、お招きいただきました。
僕にとって伏見は、豊臣期の城下町について検討したり、幕末の鳥羽・伏見戦争について論述したりしましたので、「私の城下町」なわけです(『中世都市研究』10、『歴史読本』2002年12月号など)。
本日はその準備会が行われました。
午前10時、京阪「丹波橋」駅西口集合。
参加者は担当者4名のほか、僕と同じく講師をつとめる永橋為介さん(NPO法人コミュニティデザイン研究所)、計6名です。
永橋さんは「まち歩き」の専門家です。
会議は「京都市伏見青少年活動センター」で行われました。
実はここは江戸時代、尾張徳川家の大名屋敷でした。
参加メンバーはご存知ありませんでした。
現地に全く標柱や解説板がないため、やむをえないところがあります。
伏見にはその他にも多数の大名屋敷がありましたが、いずれにも建てられていません。
このように標柱がなく、知られていない「伏見」が多数あります。
会議のあと、現地を歩きました。
市伏見青少年活動センターの横には2つの公立学校があります。
伏見板橋小学校と、伏見中学校です。
それぞれの門や校庭に、近世の道標が建てられています。
伏見には、伏見街道や竹田街道が南北に走っております。
そこにあったものが、邪魔者扱いされて運び込まれたものです。
弘化4年の建立ですので、坂本龍馬や近藤勇など幕末の人物が目にしたものでしょう。
そんなお話しもできるなぁなんて考えながら、コースを考えながら歩きました。
坂本龍馬が逃げ込んだ薩摩屋敷跡、伏見城下町の外郭「惣構」跡の濠川、御簾をつくっている工場、寺田屋事件戦死者を葬った大黒寺、豊臣期や徳川城下町建設でその都度移転を強要された由緒をもつ金札宮など、2時間近く歩きました。
途中、大雨が降ってきて、歩きにくくなりましたが、まぁほぼ当日のコースが決まりました。
終了後、さらに次のイベントの打ち合わせをするため、担当H氏と昼食をともにする。
伏見の歴史などを楽しく語り合う。
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