新選組不動堂村屯所跡の新しい表示板建つ
10月2日(日)はれ夕方から雨
御土居堀研究会、緊急講座の日。
いつもかわいがってくださっている会員のみなさんに、書店に並ぶ前に頒布するという企画です。
ただし会場の都合で先着30人さままで。
しかし現実にはそれ以上、お越しになられる可能性があります。
実際その通りになりました。
万一に備えて余分にもっていってよかったです。
頒布のあと、ミニ講演。
以前にブログでも紹介しました「本満寺買得地」石標の発見のお話しをいたしました。
終了後、残っておられた方と茶話会。
なぜか作家、吉村昭氏の話で盛り上がる。
お手伝いしてくれた佛教大学学生のNさん、S君、ありがとうございました。
帰途、西洞院通塩小路の交差点で、これまで見なかった史蹟解説板にきづく。
なんと「新選組不動堂村屯所跡」を示したものです。
びっくり。
ご存知の方も多いと思いますが、不動堂村屯所は新選組の最後の屋敷で、未だにその正確な遺跡はわかっていません。
以前はその名の由来となった「不動堂」が、その遺跡として、書物などにその写真が掲載されていました。
しかし一昨年、近くのホテルが石碑を建立してから、そちらにお株を取られていました。
もちろん、何ら根拠があっての建碑ではありません。
今回の解説板はそのいずれの場所ともちがうところです。
これで「新選組不動堂村屯所跡」を示すものは3つになりました。
なかなかおもしろい現象です。
でもそろそろこの論争に決着をつけなきゃ。
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コメント
ゆうちゃんさん
こんにちは
お尋ねのものは、西洞院通塩小路の交差点、南西角、ハトヤ瑞鳳閣の前にあります。
ぜひつぎの上洛の際、お訪ねください。
投稿: 中村武生 | 2006.05.07 22:42
こんな古い記事にコメント失礼します。
5月3日に京都へ訪れました。
確認したかったので塩小路辺をうろうろしましたが、案内板を見つけることができませんでした。
また機会がありましたら探してみたいので、場所が詳しくわかるようでしたらご教示いただけたら幸いです。
この日はその後、鴻池新田会所と翌日伊丹鴻池に寄って関西を後にしました。
投稿: ゆぅちゃん | 2006.05.06 13:45
あさくらゆうさん
こんにちは。
ようこそお越しくださいました。
ご高名、よく承知しております。
不動堂村屯所の位置について、管見がないわけではありませんので、いつか機会がありましたらまとめてみたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
投稿: 中村武生 | 2005.10.10 10:18
はじめまして、
主に新選組関係を著述しているあさくらと申します。以前『幕末史研究№40』(31人会発行小島資料館発売)という機関誌に「不動堂屯所の真実」という小文を発表しました。
その際、私は過去の明治期の不動堂町の区画から特定しました。
いままでの新選組本ですと、空想と推定の産物で、本来の不動堂町の区画も特定せずに書かれている書物が多いのに驚き、その地域の地目等に注視しました。
ただ、残念なことはかのホテル敷地内に碑を建立するプロセスを知ってしまったことでしょうか?
昨年の会津で行われた新選組サミットでは木村氏はかのホテルに間違いなく屯所はあったと関係者に力説しておりました。明治初期より明治22年現在(参照:京都府立資料館蔵公文書、および土地登記簿)まで、地目田畑の場所に屯所があったというスペクタルな発想に驚きました。それが執筆するきっかけになったのですが…。
今後の先生の論に期待いたします。
投稿: あさくらゆう | 2005.10.07 15:10