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2005.10.27

近世京都の大名屋敷跡を訪れる

10/26(水)はれ
 伊藤博文の祥月命日(1909年=明治42)。

 何だということもありませんが、伊藤は、池田屋事件で死んだ吉田稔麿と同い年で(天保12年=1841)、しかも近所なので家族ぐるみの付き合いをしていました。
 僕は稔麿に執着しているので、伊藤の祥月命日も意識してしまいます。

 さて本日は佛教大学の日。
 先週から江戸時代京都の大名屋敷の話をしています。
 今日は天気がいいので、巡見(現地見学)をすることにしました。
 たまには外に出ないと、それが楽しみで受講している学生が反乱をおこします。

 寛永14年(1637)の「洛中絵図」によれば、千本今出川東入るに「織田出雲守」の屋敷が描かれています。
 織田信長の遺児、信雄の子孫である、大和国大宇陀郡松山の大名家と思われます(のち丹波柏原へ移封)。

 これが佛教大学からもっとも近い大名屋敷です。
 その跡地を訪れることにしました。

 「洛中絵図」のその部分と、現在の京都市都市計画図2500:1の同じ場所のそれぞれのコピーをみなに渡しました。
 これを片手に歩いて行きます。

20051026-12

 途中、「洛中絵図」に描かれ、しかも現存する上品蓮台寺、引接寺(千本えんま堂)、上善寺などに立ち寄り、その都度「洛中絵図」を確認してもらいます(写真は上善寺前。受講者Mさんの撮影)。

 織田出雲守邸は跡形もありません。
 いまはその敷地のほとんどがマンションです。
 石碑も解説板もありません。

 でも誰もつまらないといいません。
 口を揃えて「大きい敷地やなぁ」といいます。

 その四至をぐるりと1周したからです。
 なんせ約3000坪ですから。
 これが現地に立つすごみです。

20051026-2

 現地解散。
 次の時間も講義のある人がほとんどです。
 出席カードを書いて、急いで大学へ帰って行きました。
(写真右手が織田出雲守邸跡)

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コメント

栄中日文化の一老人さま
 こんにちは。コメントありがとうございます。
 拙著を探してくださったのですね。感謝申し上げます。ことのほか好評で、売り切れとか、再注文とか連絡をいただいています。
 この調子でいけば本当に増刷です。いまから誤植訂正の用意をしておかなければと思っているところです。
 今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 中村武生 | 2005.10.28 00:26

25日(火)に三省堂高島屋店の店頭へ行きましたが、すでに先生の出版された「本」は売り切れで
手にすることは出来ませんでした。
滑り出し好調、増版されるかも。
先ずはおめでとうございます。

投稿: 栄中日文化の一老人 | 2005.10.27 14:19

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