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2005.09.29

佛教大学秋学期、開始する

9/28(水)はれ

 昨日のブログのアクセス数におどろいた。
 339です。

 いつもは200~250程度です。
 300を超えたこともなかったはず。
 拙著刊行の影響だろう。

miyake1922

 佛教大学、秋学期の初日。
 担当は再び「歴史地理学」です。

 見た顔が多数ある。
 一昨日、大学院を合格したSくんなど、「登録しました」とメールで連絡があった人は知っているのですが。

 いったい何人が過去に僕の講義を受けたことがあるのか。
 念のため、それを問い、挙手を願うと、約半数に及ぶ。
 
 また受けに来てくれるのはうれしい。
 が、持ちネタがばれているというのはなかなかつらい。
 新ネタを準備しなくてはなりません。

 ブログをみて、拙著をサイン入りで購入したいという学生さんもあったりして、楽しい初日でした。
 初日はオリエンテーションですので、立ち入った講義はいたしません。

 夜は、右京区の文化会館での「三宅日記輪読会」に参加。
 本日は1922年(大正11)1月条。

 石碑建立記事はありませんが、前月に完成したばかりの石碑の前で、店員一同と記念写真を撮る記事などがありました(1月2日条、写真)。

 当該の翻文は、以下のとおりです。
 「(略)洛東双林寺、芭蕉堂横ニ新設の故父上遺言の指道碑前ニ店主、店員一同撮影ス」 
 
 そういえば最近、「三宅碑」の連載が停止しています。
 ご愛読の方には失礼をしております。

 メンバーのMさんから、出来たばかりの『総合資料館だより』145号を頂戴する。
 掲載されたMさん執筆「所蔵調査―『新幹線』のわな」に、僕の撮影写真が使用されたためです。
 「山科本願寺・寺内町の土塁」の写真です。

 なおこのMさんの論考は、ご勤務先での書物の検索時に気づかれた、あるエピソードを紹介されたものです。
 先入観から生まれた最初の「ミス」が、そのまま引き継がれ、多数のその後の書物に影響を与えた興味深い事例です。

 これは図書館職員だけの話しではありません。
 研究者が論文や著書に文献名を引用する際、細心の注意をもって記載しなければ後世に害をなす、ということを
指摘されています。
 短文ですが、示唆に富む、具体的な論考ですので、ご一読をおススメいたします。

 さて本日は以前の常連で、いまは四国のバス会社に就職したK君がひさしぶりに参加されました。
 K君は花園大学の最初の教え子です。
 こうして忘れずにやってきてくれることは実にうれしいことです。
 
 夜はK君を囲み、「花園」駅前の安い中華料理店「O」で懇親会。
 楽しい夜でした。

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2005.09.28

10冊引き受けてくださったSさん

9/27(火)はれ

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 昨日、『御土居堀ものがたり』が無事刊行され、小宴参加の方全員に贈呈いたしました。
 小宴会場に行く途中に、職場・ご自宅のある先生にも同様のことをしました。

 そんななか、ぼくも関係しているカッパ研究会のSさんは、刊行前から実費を下さっていました。
 すなわち、栄光ある最初の購入者です。

 小宴会場にいくまでに、Sさんのお勤め先に寄り、納品させていただきました。

 「(無事刊行して)よかったですねぇ」を連発される。
 ありがとうございます。
 心の友です。

 それどころか、「10冊引き受けましょう」といってくださる。
 お気持ちがうれしい。

 でももう手元にありません。
 それゆえ本日、京都新聞出版センターに追加を取りに行く。

 ご多忙のSさんですが、わざわざ持参の時間に出張先から戻ってきてくださり、受け取ってくださいました。

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2005.09.27

無事出版! 御土居堀ものがたり

ご心配いただいているみなさまへ

book

 拙著『御土居堀ものがたり』は、昨日、無事刊行されました。
 ありがとうございました。

 昨夜は友人たちが宴を催してくれました。
 
 書店に並ぶのは少し遅れて、来月中旬になります。

 取り急ぎ、ご報告申し上げます。

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2005.09.26

御土居堀ものがたり、本日刊行

9/26(月)
 『御土居堀ものがたり』刊行、本日

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 朝1番、中日文化センターのお客さんFさんから、
 「先生、今日ですよね。おめでとうございます。」というメールを頂戴する。
 
 ありがとうございます。
 そのお気持ちがたいへんうれしい。

 京都新聞出版センターに確認。
 本日午前中に印刷所から届く由。

 僕は本日から仕事再開です。
 天理へ出講いたします。
 ながい夏休みが終わりました。

 夕方、天理から戻って、本を受け取ります。
 そのあと、ささやかな祝宴をいたします。
(写真は、河原町沿いに唯一残る土塁。盧山寺。)

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2005.09.25

イベント準備をし、鷹峯のまちづくりを考える

9/24(土)はれ
 『御土居堀ものがたり』刊行・前日

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 明日、JR東海の「石碑のまち 八幡散策」というイベントがあります。
 その準備をしました。

 新たに地図をつくる。
 京都府八幡市の三宅碑の分布と、その中軸に走る「東高野街道」の新旧ルートを図示する。

 午後4時半完成。
 明日のことなので、京都駅のJR東海事務所に持参する。

 ひきつづき、明日のためすでに上洛されているお客さんと夕食をご一緒し、一旦帰宅。

 そののち鷹峯の森田清さん宅を訪問。
 土塁(御土居)・堀の地権者でいらっしゃいます。 

 まちづくりのことについてご相談をいただき、深夜まで議論。

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2005.09.24

京都府立総合資料館での講演

『御土居堀ものがたり』刊行2日前

9/22(木)はれ
 朝7時30分、起床。。
 
 某さんもきちんと起きられる。
 
 モーニングコーヒーを飲まれ、8時に出て行かれました。
 さすが。

 わたしも二度寝をせず、そのまま活動開始。
 本日は、わたくし、京都府立総合資料館での講演の日です。
 用意をいたします。

 午後1時すぎ、京都府立総合資料館に到着。
 構内に入ったところをMさん見られた由、お迎えに来て下さる。

20050922

 さぁ、お客さん、何人来られることでしょう(写真は受付直前の会場)。
 受付開始は1時30分です。

 プロジェクターセットのため、会場に入ります。
 これが1時10分ころ。
 驚いたことに、もう数人待っておられます。

 セット完了。
 「館長室で、時間までおくつろぎ下さい」といっていただいたので、会場を出て案内をうける。

 この段階で1時25分。
 部屋を出てびっくり。
 すでに長蛇の列。
 いったい何人並んでおられるのか、一見しただけでは分からない。
 正直、「ぎょっ」という感じ。

 お連れ下さった場所は、昨日も入った「貴賓室」。
 そうか、館長室だったのか。

 館長さんとお目にかかる。
 歴史資料課長さんもこられ、しばし歓談。

 お時間です。
 会場へ向かいます。

 会場に入るなり、大いなる熱気を感じる。
 受付のTさんに尋ねる。
 「何人ですか?」
 「多いです。185人、まだ増えると思います。」
 
 いやでも緊張する。

 会場に入り切れず、となりの部屋にもイスが並べてあり、そこにもお客さん。
 つまり演台の右側にお客さんがいるのです。

 正面と右にお客さんがいる講演なんて初めてです。

koza1

 2時間ぎっしり話させていただきました。
 少し内容よくばりすぎました。

 終わって、もう一度Tさんに「何人でした?」
 「220人ぐらいです。」

 新記録です。
 感謝です。

 また館長室へ。
 館長さんはじめ、みなさんねぎらってくださる。

 大変お世話になりました。
 おかげさまで楽しくすませることができました。

 部屋を出る時、職員さん総出で見送ってくださる。
 退職するときのお別れみたい。
 思ったことを口にすると、みなさん大笑い。

 正門を出るところまでお見送りくださる。
 お気持ちが大変うれしかったです。
 
 資料館を出るとすでに午後5時。
 
 遅い昼食(早い夕食)をすませ、古書店をひやかし、午後7時前、大谷大学へ。
 山科本願寺・寺内町を考える市民の会の定例会議に出席。
 
 この時間帯はつらい。
 睡魔に襲われる。
 なんせ2日間、3~4時間睡眠ですから。

 でも会議に入ると醒めてくる。
 出席は会長、事務局長、K先生(大谷大学)、A先生(D大学)、K氏(H大学・院)、中村の6名。
 
 順調に議事は進み、終了は8時すぎ。
 とくに懇親会はせず、散会。
 僕もまっすぐ帰宅しました。

 本日は早く寝ましょう。

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2005.09.23

カッパ研究会に参加

『御土居堀ものがたり』刊行3日前

9/21(水)はれ
つづき

 JR京都駅に到着。

 駅前の講演会施設に行く。
 近々に「御土居堀を考える講座」を開くので、その使用料を支払うためです。

 つづいてJR東海の事務所へ。
 2人のKさんと、今週末行われる「石碑のまち 八幡」の打ち合わせをする。

 午後6時終了。
 ひきつつぎ北上。

 僕も関係しているカッパ研究会の特別講座に参加するため。
 
 「カッパ」の研究会ではありません。
 京都の水の研究会です。
 「水フォーラム」の年に生まれました。

k0921

 夕食をいただきながら、お話しをうかがいます。

 今回の講師は「弘法水」の研究をされてこられたK先生(自然地理学)です。
 有意義でした。

 終了後、終電の無くなられたメンバー某さん(男性)が拙宅にお越しになる。
 朝3時すぎまで談笑。

 僕はお昼から仕事だからよいのですが、某さんは朝8時30分からお勤めです。
 さあ起きられるでしょうか。

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2005.09.21

総合資料館でにぎやかに

9/21(水)はれ
『御土居堀ものがたり』刊行5日前

 朝4時にレジュメ及びプロジェクターデータ準備、完成。
 すぐ寝る。

 午前中、上記をCDに入れ、府立総合資料館へ持参。
 友人Mさんに託そうとしたところ、担当の方々のところまでお連れいただき、次長さんまで挨拶に出てこられ、さらに貴賓室みたいなところに通され、あれあれあれ。

 申し込み、その後をうかがう。
 結局、270人くらいから応募があった由。
 しかし定員オーバーなので、235人で打ち切られた由です。
 
 こんなことはめったにないと何度も語られる。
 それはすごい。

 さて問題は当日、何人こられるか、ですが、通例7割ぐらいの方が来られるそうです。
 換算すると、今回は165人来られるという見込みです。

 さぁ実際は何人お越しになるでしょう。
 楽しみです。
 ふたをあけたら100人もこられなかった、ということもあるかも。

 閲覧室へ移る。
 ある図書を閲覧するため。
 ここで今度は歴史資料課長さんにご挨拶される。
 
 閲覧室でMさんと話していると、Y市教育委員会のTさんにばったり。
 これは奇遇と談笑。

 歴史資料課に用事のご様子。
 追いかけて、少々質問にあがると、今度はM市資料館のTさんにばったり。
 
mozume

 先日Tさんも関わられた、高著『京都 乙訓・西岡の戦国時代と物集女城』(中井均・仁木宏編、文理閣、2200円+税)を謹呈いただいたので、そのお礼とまた別のお願いをする。

 閑静な歴史資料課閲覧室が同窓会のような状態に。
 ほかの閲覧者がおられなかったので、係りの方も大目にみてくださった(と思う)。

 歴史資料課のTさんが「今日は千客万来だねぇ」といわれた由、あとでうかがう。

 辞去ののち、庶務ありて、JR京都駅へ向かう。
 自転車で。

 途中、烏丸通夷川の交差点で、R大学非常勤講師のMさん(古代史)にばったり。
 ブレーキをかけて、ご挨拶。

 「今朝の京都新聞にお顔が載っていましたね」
 Mさんは京都新聞文化センターの講師をしておられていて、その案内が朝刊に載っていたのです。
 それを申し上げたところ、
 「いまそれの帰り」といわれる。

 えっ。
 そういえば気づきませんでしたが、ここは京都新聞社の前でした。
 なるほど。
 それはご苦労様でございました。
 
 今日は何という日だろう。
 こんなにいろんな方と邂逅(かいこう)する日も珍しい。

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2005.09.20

講演準備をするも終わらず

9/20(火)はれ
『御土居堀ものがたり』刊行6日前

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 あさっての京都府立総合資料館での講演資料をつくる。
 ペーパー資料のほか、いつものようにプロジェクターをつかうので、写真の選択をしなければならない。
 しかも今回は会場に入れないお客さんを想定した準備まで望まれているので、事前にもっていかなければならない。
 いつもは前日夜、もしくは当日未明に完成させるのだが、今回は一日早くする。
 日中、足りない写真を撮りに行く(写真は鞍馬口の土塁跡)。

 しかし完成せず。
 今夜も徹夜か。ああ。

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2005.09.19

人生の目標を変えてもいいと思う瞬間

『御土居堀ものがたり』刊行7日前

昨日の続き
 寺町二条上ル「三月書房」に立ち寄る。
 この書店は有名な個性的な書店です。
 
 少し以前、友人K・K氏(女性)から紹介されて初めて訪ねたのですが、最初に腰をぬかしたのは、他の書店では見たことのない「虎ノ門事件」関係書籍がそろっていたことです。

 周知のことですが、虎ノ門事件とは、1923年(大正12)12月27日、山口県出身の難波大助が、大正天皇の摂政だった裕仁親王(のちの昭和天皇)を、東京虎ノ門で狙撃した事件です。

 僕はこの事件にとても関心をもっていましたから、それが揃っていることに深い感銘を受けました。
 しつこいですが、他の書店でそろっているのを見たことがないからです。 

 今回訪れて、またびっくりしましたのが、最近関心を持っていた二人の漫画家の著作がそろっていたからです。
 その1人がグレゴリ青山。『ナマの京都』という作品がすばらしい。

 もう1人が超有名になった西原理恵子。

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 恥ずかしながら西原理恵子『ぼくんち』を今回はじめて、ここで見つけました。
 さっそく購入。
 
 翌日(本日)、読了し、思うこと甚大でした。
 『上京ものがたり』を峠に、そろそろ西原理恵子にあきていましたが、さすがこれはすごい。

 自分の人生の目標は、ここまでくるともう変わりえませんが、それにもかかわらず、出会う人次第では、その人のなさっている仕事を僕もしたいと思うときがあります。

 先日の長浜市の太田浩司氏に会うと、博物館学芸員を切実にしてみたくなります。
 
 三月書房は、僕が書店経営をしたくなる珍しい場所です。
 訪問されたことのない方はぜひ1度ご訪問ください。
 個性いっぱいの書店です。

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2005.09.18

京都市歴史資料館テーマ展を拝観する

9/18(日)はれ

『御土居堀ものがたり』刊行9日前

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 京都市歴史資料館を訪れる。
 テーマ展「京のかたちⅥ 近世の京都」を拝観するため。

 近世の京都図が多数出ていた。
 狭い展示スペースながら、こちらには良質な展示が多い。

 それもそのはず、こちらには大塚隆さんという、屈指の地図コレクター兼研究者からの寄贈品が多数所蔵されているためです。
 
 大塚隆さんとは1度お目にかかったことがあります。
 その後は文通のみですが、いろいろ学ぶこと多くあります。
 近刊の拙著『御土居堀ものがたり』にも、所蔵品を1枚、トレースして使わせて頂きました(179ページ)。
 
 最高級品の地図所蔵者ですので、購入、維持、放出におけるエピソードは傾聴に値するものが多くあります。

 さて今回のテーマ点、1番「おっ」と思ったのは、「御巡見所寺社寺内向略絵図(ごじゅんけんしょ・じしゃ・じないむき・りゃくえず)」でした。
 京都町奉行所の「雑色(ぞうしき)」という役人だった、荻野家に伝わったものです。

 京都町奉行は在職中、地域各所の巡見をいたします。
 その道筋を描いた図です。

 京都の外郭(惣構・そうがまえ)である土塁・堀も、大事な巡見先です。
 御土居堀ですね。

 何という奉行が、いつ、どこを巡見したか。
 これはさまざまな文書が残っているので、分かっています。

 僕は研究のため、それぞれの文書が記すルートを、何枚もの地図に自ら記していました。
 すると文章ではわからないことがいろいろ分かり、便利なのです。
 
 しかし実際の巡見の近世絵図が存在するとは知りませんでした。

 もしかしたら御土居堀を巡見した図もあるかも。

 そんなことを期待させるテーマ展でした。 

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2005.09.17

拙著プレゼントのお知らせ

『御土居堀ものがたり』刊行9日前

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 『御土居堀ものがたり』刊行記念プレゼントのお知らせ

 拙著刊行を記念しまして、抽選でお1人様に1冊プレゼントいたします。

 ご希望の方は、本年10月2日(日)午後11時59分までに、この発言に、メールアドレスを明記の上、その旨のコメントをお付け下さい。

 締め切りののち、数日以内に厳正な抽選をいたしまして当選者を決定いたします。

 当選者へは直接メールでお知らせいたしますので、その際、ご郵送先をお知らせください。
 多くのみなさまのご応募をお待ちいたしております。

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2005.09.16

『御土居堀ものがたり』チラシを受け取る

9/16(金)はれ
『御土居堀ものがたり』刊行10日前

kokoku

 京都新聞出版センターから連絡。
 『御土居堀ものがたり』のチラシが出来た由。
 引き取りに行く。

 午後4時、北大路駅前の書斎Mで担当氏から預かる(写真)。
 書店に並ぶのは10月11日(火)頃だそうです。

 僕の手元に付くのは、予定通り9/26(月)ということです。

 チラシを見ていて、刊行が現実のものになってきたと、また感じ入りました。

 夜、某所で仕事。
 帰途、立ち寄った書斎Gでは、チラシのポスター版を貼ってもらう。

 帰宅すると、中日文化センターから、次回講座「坂本龍馬」の広告記事のゲラが着いていました。
 確認。問題ありません。
 10月初旬、「中日新聞」朝刊に載るそうです。

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2005.09.15

古地図講座、最終回

9/15(木)はれ
 名古屋行き。
 栄中日文化センターの「古地図」講座最終回です。

 今回は名古屋城下町。
 あれだけはやった惣構が、名古屋にはつくられず、全く当初から開放されていたことを論ずる。

 今回はじめて講義場所と対象が一致しました。

 それゆえ初めて、巡検を行いました(写真はクリックすると拡大します)。

20050915
 
 中日ビルは旧名古屋城下町のなかにあります。
 広小路の南に位置します。 

 そこから南下。
 南の寺町の北限(政秀寺や若宮八幡)まで行き、西進。

 城下町のメインストリート、本町通りへ及び、北進しました。
 目指すは札の辻。

 標識があると聞きましたが、探さないとわからないぐらい目立たない。
 こりゃ、いかんですよ。

setsumei

fudanotsuzi

 札の辻から飯田街道を通って中日ビルへ戻ってきました。
 
 感想。
 城下町跡を表示するものがほとんどない。

 金沢や静岡は抜群にありました。

 尾張徳川家の拠点跡としては恥ずかしいと思いました。

map

 終了後、お客さんと懇親。
 石田三成論で盛り上がりました。

 そういえば今日は関ヶ原の戦いの日。
 供養になれば幸いです。

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2005.09.14

講座御土居堀ものがたり終了する

9/13(火)はれ

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 午前10時30分、佛教大学四条センターにて講座「御土居堀ものがたり」最終回。
 タイトルは「史蹟保存とまちづくり」。

 明治3年閏10月の「御土居悉皆開拓」令から、現在の保存問題、およびまちづくりのなかでどう活かすか、までを論じました。
 時間たらず、申し訳ないことですが、約30分延長してお伝えしたいことすべて述べさせていただきました。

 途中、ほとんど退席される方がなかったと思います。
 感謝で終わらせていただきました。

 参加者75名。
 全6回、大きな変動なく、70~80名のお客さんにお集まりいただきました。
 事務局の方も喜んでおられました。
 よかった、よかった。

 終了後、K・C信用金庫から機関紙『くんしらん』に「御土居堀」について原稿依頼あり。
 快諾する。

 その後、府立総合資料館Mさんからメールあり。
 ついに参加希望者230名をこえましたので、定員オーバーということで、とうとうこれからの希望者はお断りということになりました。
 本当にうれしい悲鳴となりました。

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2005.09.13

長浜の建碑事業に感動する

9/10(土)つづき

 受付で「太田さんはもうお戻りですか」と尋ねようとすると、その必要はありませんでした。
 事務所にご当人がおられるのが見えました。

 事務所に通されました。
 歓談開始。

 さて問題の瑞泉寺裂。
 「箱がありませんでしたか?」
 「そういえばあったけど」

 「それは重要です。実は云々」と三宅清治郎のことを簡単に説明する。
 (あれ太田氏に三宅論文お渡ししてなかったっけ?)

 「でもそんなに古い箱じゃないよ」
 「ええ、大正のものです」
 「ああそれなら分かる」

 さっそく収蔵庫に行ってもらいまして、ご確認をいただきました。
 規則により部外者の僕は見ることができません。

 お返事。
 「いわれた通りやったわ」

 おお。
 「三宅清治郎寄贈箱」と墨書で明記されてあったそうです。
 これは感激。
 
 田中吉政に会いにきただけなのに、長浜で三宅の遺品に接触してしまった。
 思わず太田氏と握手。
 そんなにうれしいかという顔をする太田氏。

 三宅の石碑の話しを改めてする。
 400基に話しが及ぶと太田氏反応する。

 「それはすごいな。」
 それまでほとんど関心を示さず聞くだけだったのに、なぜそこで反応する?

 「実は最近長浜にも石碑を建てたんや。140基。」

 たしかに長浜には多数の碑が建っています。
 「長浜城外堀跡」とか。

 それのことですね、とうかがうと、
 「ちがう、最近」

 「えっ、あれ以外にですか」
 「そう」
 「いったい何に建てたんですか」
 
 「長浜は御朱印地やろ。」
 「はい」
 「その境界全域に」
 ??
 理解できない。
 建碑一覧を見せてもらいました。
 仰天。

 ほんと、なめるように全域に・・・。

kenhichi

 天正19年(1591)、長浜は、豊臣秀吉によって、城下町部分が年貢米免除となりました。
 税免除です。
 その範囲のことを「御朱印地」といいます。

 豊臣期のものはありませんが、江戸前期の絵図が残っていて、線引きによってその範囲がわかります。

 しかし現実には土地に線は引けませんので、石標を建てて明示したわけです。

 江戸後期の絵図を見ると、28箇所にそれらしいポイントが記されています。
 いま現地にそれは3ヵ所だけ残っています。
 例えば「従是西長浜領」と刻まれています。

 抜き取られて位置が変わってしまったが、それでも現存するのは11本です。
(市立長浜城歴史博物館『長浜町絵図の世界』)

 この失われた石標をこのたび再建したというのです。
 これはすごい。
 ひたすら、すごいすごいを連発する。

 ここでひとつ注文をつける。
 「将来、この事業はきっと忘れられます。経緯を記して活字にしてくださるとさらにすごいです」
と申しますと、

 もうした。
 近々出る、とゲラを渡される。

 おお、本当だ。
 建碑事業の丁寧な報告書です。

 すごい、すごい、もっと感激。

 これは現代の建碑事業のモデルケースになるにちがいない。
 太田氏、すごい。

 これは見に行かねばならぬ。
 
 今回の図録『田中吉政』などいっぱいおみやげをもらい、実に気分よく辞去する。

 太田氏と会いますと、このようにいつも元気をいただきます。
 これが前回「心友」と述べたゆえんです。

hi

 さぁ現地に。
 たしかに各所に建っている。

 だんだん冷静になってきました。
 冷静になりますと、すごいすごい、から、しまった先をこされた、という気分になってきた。

 というのも僕は、近刊の拙著『御土居堀ものがたり』で、京都にこれを実現させよう、と提言していたのです(183ページなど)。

 ぞくに江戸時代、洛中洛外の境界線が御土居堀だ、といわれます。
 が、厳密にはちがいます。
 御土居堀の内側でも「洛外」はあります(拙著、94ページ)。

 では何が境界かといいますと、石標です。
 「是より洛中荷馬口付のもの乗り入るべからず」と刻まれたものが境界に建てられていたのです。

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 これは長浜とちがって実に保存が悪く、本来の位置に建っているものは皆無です。
 小学校や個人宅に13本残っているだけです。
(伊東宗裕『京の石碑ものがたり』に12本の所在地明記。)

 これを旧地に復興しようと提言しました。
 いつかみんなで実現しようと思っていました。

 それを長浜に先にやられた、と思ったわけです。

 しかしそれにしてもやはりすごい。
 京都、みならわなければ。

 ひたすら感心したあとはお腹がすきました。 
 
 長浜に行くと絶対寄るみせがあります。
 「鳥喜多」という丼店です。
 
 うまいんです。
 
 ところが。

 臨時休業。

 がっかり。

 しかし思い出す。

 支店があったはずだ。
 支店まで休みとは限らない。

 棒になった足をひきづりながら、支店へ。

 おおっ、営業している。
 ばんざいです。

 親子丼としっぽくを注文。
 あわせて千円。
 安い方です。

don

 満足して長浜駅へ。
 新快速で京都に向かいます。

 有意義きわまりない日でした。
(おわり)

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2005.09.12

長浜城歴史博物館で驚く

9月10日(土)つづき
nagahama2

 長浜到着。
 到着して地域を見渡す。
 ほっとします。

 長浜は僕にとって心の「故郷」のひとつです。
 20代後半、仕事で山ほど通った場所です。
 
 さっそく長浜城歴史博物館に行く。
 学芸員の太田浩司(おおた・ひろし)氏を訪ねます。
 「恩人」であり、「心友」(自称)です。

 昼食に行かれて不在。
 残念。
 まず「田中吉政とその時代展」をひとりで拝観。

 担当者太田氏の気合を感じました。
 肖像画三種、すべてきていましたし、大量の文書もまたしかりです。

 ここまで田中吉政を取り上げた展示は過去に絶対なかったはず。
 しかも『秀吉を支えた武将・田中吉政』(サンライズ出版)という、立派な図録も刊行されていました。

 いろいろ知らないことを学びまして、それをひとつひとつ申し上げたいところです。
 が、ダントツで驚いたことがありました。
 それを述べます。

kire

 それは田中吉政が仕えた豊臣秀次の墓所、京都・瑞泉寺に所蔵されている、秀次の妻妾たちの辞世の句を軸にしたものです。

 亡くなった妻妾の衣類を使ったもので、「瑞泉寺裂(きれ)」と展示説明にありました。

 僕は初めてみたのでモノをみただけではピンとこなかったのですが、「瑞泉寺裂」という文字に目をうたがいました。

 ええーっ。思わず口があいてしまいました。
 となりにいたお客は、気持ち悪かったことでしょう。

 覚えておられますか。 
 瑞泉寺は秀次の墓所であると同時に、われらが三宅清治郎ご家族の墓所なのです。

 清治郎の母の埋葬以来の由緒です。
 亡母の墓所なので、清治郎はここにいくつもの建碑をしているのですが、実はそれ以前に別の寄付をしているのです。

 それが「瑞泉寺裂」20巻を入れる木箱です。
 「日記」に出てくるのです。

 京都府指定文化財なので、京都国立博物館に寄託されています。
 それゆえ 僕は現物を見たことがありません。

 いま目の前にあるのはそれではないのか。
 すると展示されていないが、収蔵庫に木箱も来ているのではないのか。
 もしかしたら「三宅清治郎」の一字があるかも知れない。

 担当太田氏に尋ねねば。
 もうご帰館だろうか。
 再び事務所へ向かう。
(さらにつづく)

 

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2005.09.11

田中吉政とその時代展にむかう

9/10(土)はれ

tanaka
 
 つづきです。
 
 本日の『京都新聞』朝刊で、滋賀県の市立長浜城歴史博物館「田中吉政とその時代」展が始まったことを知りました。

 田中吉政(1548―1609)は、織豊・江戸初期、近江国浅井郡(現滋賀県東浅井郡虎姫町)出身の武将です。

 豊臣秀吉の養子で、のちに滅ぼされる豊臣秀次の家老として知られます。

 土木工事に長けた人で、近江八幡、尾張清須といった秀次の城下町建設を主導したといわれます。

 自身は徳川家康が関東に移ったのち、三河岡崎の領主になります。
 岡崎といえば家康の出身地としてしられますが、実は現在の町の原点は田中吉政がつくっています。

 関ヶ原では東軍(徳川家康)につき、その功で筑前柳川の領主になります。
 功の最たるものが、西軍の事実上の総大将石田三成を逮捕したことです。

 話しがながくなりました。
 以上の経歴を知っていましたから、田中吉政にはとても関心がありました。

 ですから、その企画展開催と聞き、駆けつけようと思ったわけです。
 
 京都駅から長浜駅まで61分。
 新快速に乗り込みました。
(つづく)

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2005.09.10

高陽院跡を見に行く

9/10(土)はれ

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 午前10時から、「高陽院(かやのいん)」跡の現地説明会に行く
(写真。北から撮影。手前の小石群が州浜跡)。

 高陽院は、藤原頼通の邸宅として知られ、後鳥羽上皇などの宮殿にもなった場所です。

 その邸宅の池跡の南限が見つかったというので拝見にあがりました。
 今回の調査で、南北長さ140メートルと分かりました。

 これはすごい。

 以前の調査で北限が分かっていたのです。
 その地はいまマンションで(名前も「高陽院」)、碑が建っています。

 場所は知っていましたが、 その際の調査は見ておりませんでした。
 今回南限を見れてうれしくありました。

 現場は堀川通竹屋町東入る北側です。
 
 H大学のY先生夫妻(考古学)、K・F大学のU先生(中世史)、K大学のN先生(古代史)、D大学のO先生(古代史)、N先生(古代史)、K研究所のM先生(考古学)、Y先生(考古学)、言っていたらきりがないほど知れた研究者がおられました。

 僕は専門外の素人なので、先生方との議論には参加せず、資料を読んで、ひたすら遺構をながめていました。

 ちなみにこの地はマンションが建ちますので遺構は破壊されます。
 悲しいことです。

 終了後、自転車でJR京都駅に向かいました(つづく)。

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2005.09.09

授業評価アンケート集計結果、来る

9/7(水)

P1120032

 帰宅すると、佛教大学から「授業評価アンケート集計表」が届いていました。
 
 これは7月に、僕が担当する「歴史地理学」の受講者を対象にして取ったアンケートで、僕の授業の良し悪しを裁いたものです。

 私的なものですが、これらに参加された僕の新旧の受講生にとって、自分のならった教員の全体評価を知ることも大事なことだと思い、あえて一部公開いたしました。

 参加者は50人です(記名・無記名自由)。
 以下、A~Dの記号で示します。

 A・・非常にあてはまる、B・・どちらかといえばあてはまる、C・・どちらかといえばあてはまらない、
 D・・まったくあてはまらない

 1.講義の内容がよく理解できたか? 
 A、40.8% B、53.1% 
 C、6.1% D、0%

 2.内容に興味が持てたか?
 A、55.3% B、40.4% 
 C、4.3% D、0%

 3.履修によって興味が増したか?
 A、54.3% B、41.3% 
 C、4.3% D、0%

 4.総合的に満足しているか?
 A、65.1% B、30.2%
 C、4.7% D、0%

 これらを決められた方法で「平均値」を出します。
 最高値は4.00で、この数値に近いほど高評価ということです。

 1・・3.35(全体平均・・2.95)
 2・・3.51(全体平均・・3.04)
 3・・3.50(全体平均・・3.00)
 4・・3.60(全体平均・・3.09)


 なおアンケート欄の最後に、自由記述欄があります。
 教員に対する思いを何でも書いてもよいのです。
 8名からコメントがありました。
 以下、列記いたします。


 ○すごく楽しい授業で興味がもてました。けどどこを勉強すればいいのか、何がテストにでるのかがよみとれないです。
 ○視聴覚補強教材を用いてわかりやすい講義内容だったと思います。またオバQやドラえもんの話なども盛り込まれて楽しく受けることができました。
 ○とても楽しく新しい世界が広がる授業なので、もっと授業数を増やしてほしいです。
 ○とても楽しく学べた授業でした。自分の知らないことをたくさん知ることができてすごく興味が沸きました。
 ○先生の講義は本当に楽しいです。テレビに出ても人気が出そうな先生だと思います。ぜひ佛大を代表する先生になって下さい。
 ○いつも睡魔におそわれ、先生にはとても失礼なことばかりしてしまいました。すみません。
 ○歩いたのは楽しかったです。
 ○講義日数があとわずかとなりましたが、これからも集中のある講義期待しています(原文のまま)。
  
 
 楽しんでいただけたら満足です。
 難解な学問の定義を伝えるより、まず「おもしろい」と思ってもらえることを目指しています。

 そこから関心がわけば、ぜひ「歴史地理学」の奥へ入ってきてください。
 可能な限り引っ張っていきますよ。
(写真は、昨年度秋学期の野外講義の1コマ)

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2005.09.08

京都府立総合資料館へ打ち合わせに行く

267

9/7(水)くもり時々はれ
 台風、近畿より遠ざかるものの、風強し。

 午後、京都府立総合資料館へ。
 来る9/22(木)、同館で講演をいたします。
 タイトルは「ミヤコを囲う-豊臣秀吉と御土居堀」
(写真は盧山寺に残る土塁〈御土居〉、クリックすると大きくなります)

 そのとき使用するパソコンと、同館のプロジェクターの相性が合うかどうか確認に来てほしいと、担当Mさんのご依頼で参上。

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 問題なく合いました。
 同館正門にでかでかと貼られたポスター(写真)。
 少し恥ずかしい。

 申し込みは順調の由。
 で、何人予約されたのですか? と聞く。
 180人。

 思わず聞き返す。
 えっ、そんなに。

 久しぶりの大人数だそうです。
 でも実際は予約の6~7割ぐらいの方しか来られないそうで。

 Mさん曰く、新記録をつくりましょう。
 わかりました。
 ポスターもらって帰ります。
 自宅などに貼ります。

 Mさんと「松花堂弁当」のことで歓談。
 食事の話しではありません。
 弁当箱の話しです。

 気づかぬことに気づかせてもらいました。
 感謝。
 
 北大路駅前の書斎Mで原稿執筆。
 たいへんはかどる。

 木屋町三条の書斎Gへ移り、さらに続ける。
 久しぶりです。

 主任Aさんに頼んでポスターを貼ってもらいました。
 Aさんから韓国みやげの栓抜きをいただく。
 お気持ちがうれしい。
 しかもまた喫茶店料金。

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2005.09.07

東京都旧跡、指定解除検討報道に驚く

 『読売新聞』本年8月11日記事によれば、東京都が旧跡に指定した場所230件のうち、約9割が根拠に乏しいとして、指定解除を視野に入れて、総点検を進めている由です。

http://www.yomiuri.co.jp/tabi/news/20050811tb03.htm

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 見直し対象になっているのは、お岩さんの稲荷、将門首塚(写真)、赤穂浪士切腹の地・熊本細川家江戸屋敷跡、乃木希典生誕地など。

 仰天です。

 記事以外の情報を入手していませんし、検討委員会のメンバーがどなたかも存じ上げないのですが、事実ならちょっと待ってください、という思いです。

 根拠に乏しい指定地を解除ということですが、では根拠の豊かな史蹟ってどれほどあるといわれるのでしょう。
 そもそも何を根拠といわれるのでしょう。

 考古学の発掘調査でしようか。
 文献史料なら、いつまでさかのぼれるものが存在すると根拠豊かになるのでしょうか。 

 とりわけ赤穂浪士の史蹟の指定解除理由が問題。
 同史蹟はいま都内10カ所に及び、1918~42年に指定を受けた。
 この時期が治安維持法、国家総動員法の制定とも重なり、国策にともなう政治利用と思われるから、
だそうです。

 そんなこといえば、戦前の国史蹟指定地の多くが政治利用の可能性があります。

 京都府で言えば、「方広寺石塁及び石塔」、「御土居」など、豊臣秀吉関係紀念物が史蹟指定されています。
 それは、朝鮮の植民地化を実現していた当時、約350年前、その出兵を進めた秀吉を、先駆者として評価したという解釈が可能です(高木博志さんのご研究による)。

 この2つは指定解除すべき対象になるのでしょうか。
 それとも、こちらはモノが存在するから根拠があるといわれるのでしょうか。

 しかし、指定にあっては双方とも発掘調査を実施したわけではない。
 たしかに方広寺跡は、最近の発掘調査によって遺構が確認されていて、指定の正しさが実証されているといえるのでしょう。

 でも石塔(耳塚)は未調査です。

 「御土居」も指定地は全く未調査です。
 指定地の土塁と堀が豊臣期に構築された根拠は何もありません。

 もし文化庁が都の姿勢を模倣すれば、「稲村ヶ崎(新田義貞徒渉伝説地)」(神奈川県)などの南朝史蹟はまちがいなく対象となると思います。
 「太平記」の「伝説地」でしかありませんから。

 「楠木正成墓碑」(兵庫県)も水戸光圀の建立した墓碑が指定されたことになっていますが、これも水戸光圀の史蹟ではなく、南朝史蹟として指定を受けたことは確実です。
 近世建立のモノがあるとはいえ、これも戦前の政府の政治利用であると十分いえます。

 岐阜県の関ヶ原古戦場は最大の指定面積をほこりますが、そのうちには例えば「徳川家康初陣地」「最後陣地」なんてのが指定名にあります。
 でもこれってどうして実証できるのでしょうか。
 
 百歩ゆずって、都の検討委員会の「根拠」の基準というものが仮に妥当なものとします。

 それでも指定解除はすべきではない。

 そういった記念物の多くは、指定以前から史蹟として地域に根づいていたものでしょう。
 仮に伝説が歴史事実を伝えたものでなくても、地域や研究者がその由緒を大事にして、現在まで残してきたという「事実」があります。

 そういった「歴史意識」はいま、近世史、近代史の研究の大事なテーマになってきています。
 「史蹟」として伝承されたものの研究です。

(例えば羽賀祥二『史蹟論』、羽賀祥二・若尾祐司編『記憶と記録の比較文化史』、白井哲哉『日本近世地誌編纂史研究』など)

 指定解除はそのことを否定し、将来にあっては、解除された場所が現状を改め、最悪壊滅する日がくるはずです。

 戦前に指定された「明治天皇行在所」「御小休所」(いわゆる明治天皇聖蹟)370ヵ所は、戦後GHQによって、いっせいに指定解除を受けました(1948年6月29日)。

 占領解除後も、再指定を受けませんでしたが、指定解除を受けたため消失した場所もあったはずです。

 指定解除を受けた「聖蹟」の多くは、天皇が訪れた寺社や豪農屋敷など、いわば地域の中心地でした。
 「天皇聖蹟」でなくとも、地域にとっては大事な建造物や場所ではなかったのでしょうか。
 これらは消失してもよかったと本当にいえるのでしょうか。

 ある時期の指定理由に問題があったとしても、安易な指定解除は、かえって史蹟破壊につながり、後世に問題を残します。

 重ねていいます。
 新聞記事が正しいのなら、東京都指定旧跡の指定解除を前提とした点検作業に、反対をいたします。

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2005.09.06

御土居堀ものがたり、完成日決定!!

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9/6(火)くもり
 台風接近中。

 午前、京都新聞出版センターの担当者から電話あり。
 表紙が完成した由。
 
 午後 1時30分、さっそく拝見にあがる。
 まだ雨はふらず。
 それゆえ自転車で。

omote
 
 完成した表紙を拝見したのち、さまざまなことが決定したと知る。

 まず、第一弾の完成本が、300部、9/26(月)に納品予定の由。

 つづいて、定価は1470円(税込)と知る。

 第一弾納品の約1週間後、書店に並ぶらしい。
 すなわち10/3頃。

 ついに刊行が現実化してまいりました。
 先日の中世都市研究会でも、何人もの先生・友人方から、「まだか?」と問われたばかりです。

 9/26(月)夜は小宴にちがいない。
 誘われる可能性のある方はご覚悟を。
(写真は見本。クリックすると拡大します)

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2005.09.05

2日目の中世都市研究会京都大会

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9/4(日)
 中世都市研究会京都大会、2日目(最終日)。
 8時20分、またもや寝不足のまま、花園大学入り。
 
 すでに山田邦和先生、仁木宏先生、院生・学生諸氏は会場にあり。
 午前9時から再開です。

 何ら役にたつわけでもないが、受付に控えつつ、適宜報告を拝聴に行く。 

 とにかく圧巻のシンポジウムでした。
 
 今大会の委員は、原則として、1994年に組織された「平安京・京都研究集会」の事務局員と同一です。
 僕も末席におりまして、中世京都の都市史研究の「いま」を知っていたつもりですが、それでも今回は実に勉強になりました。
 目を改めて啓(ひら)かせていただきました。

 参加者総数は約250名。
 13回目にして、最高の動員数のようです(写真。クリックすると拡大します)。

 終了後、あと片づけを院生・学生諸氏にお任せし、委員などで軽く打ち上げ。
 武蔵大学の瀬田勝哉(せた・かつや)先生の横で飲む。
 
 瀬田先生の博識、視点の奇抜さ、行動力、お人柄、何をとっても絶品。
 今回の最大の喜びは、瀬田先生と親しくお話できたこと。
 迷っていたわが研究の方向性に自信をいただく。

 「この研究は中村さんに任せた」といって頂き、光栄のきわみ。
 以後精進し、瀬田先生に満足していただける研究成果を積めるよう努力いたします。

 台風接近の大雨のなか、帰途につく。

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2005.09.04

聚楽第跡を案内、中世都市研究会初日

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9/3(土)はれ
 「中世都市研究会」京都大会初日。
 
 午前中は、現地見学会。
 上京、嵯峨、白河、聚楽第跡の4コースにわかれます。
 
 僕は聚楽第跡コースを案内します。

 午前9時30分、地下鉄「丸太町」駅北改札集合。
 参加者23人(25人予約申し込み。3人欠席、1人飛び入り)。

 建築学、考古学、地理学、文献史学、城郭史などのそうそうたる研究者がご参加。

 以下がコースです。

①足利義昭旧二条城・石垣遺構 → ②足利義輝武衛陣跡碑 →③旧二条城跡碑 →④聚楽第武家屋敷跡・金箔瓦出土地(府警) → ⑤梅雨の井・豊国神社御旅所跡(写真。クリックすると拡大します) → ⑥聚楽第東堀跡・金箔瓦出土地(西陣ハローワーク) → ⑦聚楽第北の丸堀跡 → ⑧聚楽第天守閣跡推定地 → ⑨此附近聚楽第跡碑 → ⑩聚楽第南外郭堀跡のくぼ地(松林寺) → 解散(千本丸太町)

 大変暑いなか、笑いの多い楽しい見学会だったように思います。
 
 前日は全域の下見をし、レジュメづくりも朝3時すぎまでかかりました。
 気合を入れたかいがありました。

 ご参加のみなさん、ありがとうございました。

 バスで「西ノ京円町」へ移動。
 C大学のT先生(建築)、W大学のT先生(考古)と昼食をご一緒しました。
 ラーメンです。
 水分補給もいっぱいしました。
 
 W大学のT先生から多くの論文を頂戴しました。
 
 12時45分、花園大学に着く。
 シンポジウム開始。

 花園大学の考古学研究室所属の大学院生、大学生が受付を担当。
 てきぱきこなしてくれます。
 
 参加者有名人だらけ。
 まさに学際、オールスターだなぁと感嘆。

 研究報告も、何度も準備会をされただけあり、実に充実。

 夕方から同大学で懇親会。
 立食パーティです。

 が、僕は途中で睡眠不足の影響が出て、元気がなくなり、後半は座っておりました。

 翌日もシンポジウムは早朝から始まります。

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2005.09.03

徳川公儀の薬園の井戸

200508220002

  徳川公儀の薬園の井戸(中村武生)

 京都の江戸時代の史蹟を歩くといつも悲しい気持ちになる。あまりに評価されていないからだ。
 京都には江戸以前の重要史蹟が夥しくあり、文化財保護の手はそちらへ偏っている。

 北区鷹峯を例にあげたい。
 
 近世京都の外郭線「御土居堀」、京の七口のひとつ「長坂口」、本阿弥光悦の形成した「光悦町」など、学校の教科書類に載っているものが存在する。

 が、恥ずかしいほど顕彰されていない。
 
 とりわけこの地に徳川公儀(幕府)の薬園があったことは知られていない。
 公儀の薬園といえば、江戸の小石川が有名だが、京都にもあった。

 寛永十七年(一六四〇)の創設で、医官藤林道寿が明治維新まで維持した。
 栽培された薬種は朝鮮人参など、ある時期一〇五種にも及んだ。

 薬種は所司代を通じて天皇や法皇に献上され、ときには江戸の将軍にも運ばれた(上田三平『日本薬園史の研究』)。
 医学史に欠かせない存在だ。
 
 維新後、藤林道寿は罷免され、薬園は茶畑などに転用された。現在そこには「藤林町」の地名とわずかな畑、藤林邸跡の井戸が現存する。
 井戸は珍しい素掘りのもので、とても深い。
 
 ところが遺蹟地にはこれを示した解説板などが全くない。
 保護すべき対象になっていないのだ。
 
 さきにふれた小石川薬園は、東京大学理学部の付属植物園としていまも現役だ。
 大名家では島原松平家のものが、民間では奈良県の森野薬園などが国の史蹟に指定されている。
 公儀の鷹峯薬園が放置されてよいわけがない。

 いや戦前には一定の評価があった。
 
 時代は上るが本能寺跡、聚楽第跡、池田屋跡など重要史蹟約八十ヵ所に、いま碑が建っている。
 京都市教育会の事業だ。
 
 これらは今でも京都の歴史を啓発し続けている。
 実は最近、当時の建碑候補地一覧を確認できた。
 そこに「薬園址/鷹ヶ峯」とあった。
 建碑計画があったのだ。残念ながら実現できなかったらしい。

 いまからでも遅くない。
 地域の方の協力を得て、建碑してみたいものだ。

【写真のキャプション】
民家にひっそりと存在する藤林邸跡の井戸。
周囲は開発が進み、農地は減る一方だ。

※写真はクリックすると拡大します。
  新聞掲載の文章と若干異なります。

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2005.09.02

拙稿が京都新聞に載りました

20050902

 本日の『京都新聞』夕刊3面の連載「カッパ語る/京都の水」(第59話)は僕の担当でした。

 お題は「徳川公儀の薬園の井戸」です。

 京都の江戸時代の史蹟は実に悲しい扱いを受けている。
 その代表として、京都市北区鷹峯藤林町の徳川公儀、薬園跡を紹介しました。

 そのシンボルが、「井戸」です。

 とりあえず写真を公開いたします(写真をクリックすると拡大します)。
 全文は、日が変わってから掲示いたします。

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2005.09.01

徳川公儀の拠点―江戸を講ずる

P8050218

9/1(木)はれ
 本日は栄中日文化センターの講座の日。
 新幹線で名古屋へ向かいます。

 途中、車中で11時58分を迎える。
 関東大震災の犠牲者を悼む。

 本日のお題は「徳川公儀の拠点―江戸」です。
 この講座は、都市の城壁・環濠(惣構・そうがまえ)を取り上げるものですから、今回はいわゆる江戸城外堀を論じました。

 北原糸子さんの『江戸城外堀物語』(ちくま新書、1999年)をはじめとする、東京・地下鉄7号線溜池・駒込間の調査成果は、近世都市の惣構の実態を明らかにされました。

 恥ずかしながら僕はこの成果を学ぶことが遅かった。
 
 近刊の拙著『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター)は、ほとんどこの成果にふれていません。

 ただあえていわせていただくと、『江戸城外堀物語』にも「御土居」の単語がまったく出てこない。
 大坂城惣構についてもふれるところはない。

 いまだ三都の惣構は、学問の上で、対面していないのです。
 
 あさってから京都・花園大学で始まる「中世都市研究会」(京都大会)で、僕は「豊臣三都論(京都・大坂・伏見)」を論じる予定でしたが、ゆえあってできなくなりました。

 惣構から「首都」を論じる、これは大きな課題だと改めて感じた次第です。
(写真は国史蹟「江戸城外堀跡」のうち、赤坂門付近。2002年8月撮影。写真をクリックすると拡大します。)

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